日本の子どもたち 事件・事故史 〜 学校のできごとを中心に 〜
武田 さち子 作成
西 暦 | 1951 | 1952 | 1953 | 1954 | 1955 | 年表 | ホーム |
和 暦 | 昭和 26 |
昭和 27 |
昭和 28 |
昭和 29 |
昭和 30 |
年 | 月日 | 社会のできごと | 月日 | 子ども・青少年に かかわるできごと |
月日 | 学校・教育に かかわるできごと |
適用 |
1951(昭和26)年 | |||||||
1951 | 1/1 | マッカーサー、年頭声明で講和と日本の再武装の必要を強調 | 1/4 | 教育課程審議会、道徳教育振興に関する答申。修身科復活に反対 | |||
1951 | 1/9 | 大阪府北八下村で、青果商宅が放火され、焼け跡から鈍器で撲殺された一家6人の遺体が発見される。 1966/1/ 時効成立 |
1/6 | 東京都新宿区の新宿駅付近で、少年(高1・16)が、女装した男性(32)を1晩1000円で買い同宿したが、男だとわかり逆上、ナイフで刺殺 | |||
1951 | 1/12 | 山形県東置賜郡で、少年(中2・14)が隣家の女児(4)に柔道技をかけたり、踏みつけるなどして殺害。 1950/11/ 少年が被害者宅の同級生と遊ぼうとやってきた際、妹の女児に話しかけたが返事がないので殴った。 1950/12/ 口止めしたのに女児が母親に告げ口したことから怒って、殴る蹴るの暴行を加え傷害を負わせた。 女児の母親が自分の母親に抗議したのでますます怒って報復。 少年の父親は亡くなっており、妹と二人兄弟の貧しい家庭で放任され、問題行動を起こしていた。被害者も母子だけの貧しい家庭だった |
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1951 | 1/24 | 山口県麻郷村八海で、早川惣兵衛さん(64)夫婦が惨殺され、1万数千円が強奪される。 翌日、近くの吉岡晃(22)逮捕。吉岡の自供により阿藤周平さん(24)をはじめとする5人が起訴される。阿藤さんは無実を主張するが一審で死刑、吉岡無期。 1958/9 差し戻し審で、吉岡の単独犯として阿藤さんは無罪。 1968/10 3度目の最高裁で無罪判決 【八海事件】 |
1/30 | 千葉県で、酔った夫を外に連れだして、三男(中3・14)が頭を殴り、妻(46)と次男(19)の3人で共謀して排水口の泥のなかに突き落として殺害。強盗にみせかけるため、5千円と上着をはぎとった。 夫の酒癖の悪さに耐えかねての犯行と自供 |
1/24 | 日教組第18回中央委員会で、「教え子を再び戦場に送るな」の運動を決定 | |
1951 | 2/ | 神奈川県横浜市で、巡査部長になりすました男に拳銃を奪われる。 1955/8/29 大阪・北浜の東海銀行隣派出所の巡査(24)を射殺。銀行で500万円を奪ったあと、通りかかった車を運転していた男性(27)を射殺。追跡してきた警官(27)に重傷を負わせる。権善五(26)を逮捕 |
2/1 | 全国の小学校で、パン給食を実施 | |||
1951 | 2/9 | 福岡県八幡市の折尾駅前派出所から、巡査がSW式銃と弾丸18発が盗まれる。 2/28 福岡県遠賀郡の新手炭鉱で保安係が射殺され、5000円が奪われる。 4/2 福岡県芦屋町署の巡査(27)が射殺される。 5/1 兵庫県神戸市の刑事(25)が射殺される。 犯人の元採炭夫・原田国男(30)を逮捕。 1954/ 死刑執行 |
2/8 | 文部省、道徳教育振興方策発表。道徳科特設しない | |||
1951 | 2/15 | イラン、石油国有化法成立 | 2/14 | 信州木曽谷の山奥の女教祖「お大師様」が、預かった子どもらを犬と同居生活させ、問題化 | |||
1951 | 2/22 | 東京都築地の中華料理店「八宝亭」の一家4人が惨殺される。 店員の男(23)を逮捕。 翌日、留置所で青酸カリ自殺 【銀座八宝亭事件】 |
2/20 | 東京で、旋盤工の少年(17)が、金ほしさから、新築で金のありそうな家に狙いをつけて、井戸に青酸カリを投げ入れ、一家皆殺しを計画。色のおかしさに気づき一家は無事 | |||
1951 | 2/26 | 婦人労働協会設立。 会長に赤松常子氏 |
2/28 | 東京・王子朝鮮学校で、警察が反米文書押収捜査を行う。 3/1 生徒、PTAら300人が王子署に捜索の不法を抗議 【上十条朝鮮人事件】 |
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1951 | 3/20 | 日本生活共同組合連合会(生協)創立 | 3/17 | 埼玉県所沢市で、ささいなことで口論になり、少年(中2・13)が男児(10)をナイフで刺殺 | 3/20 | 奈良県吉野郡下北山村の村立池原中学校の玄関付近で、児童(小6)ら数名が写生の時間に担任教師に嘘をついて野球をして学校に帰ってきたことに憤慨し、中学校教師が「中学校に入ってきたらこんな味や」と言いながら児童らの頭部を殴打した 【奈良池原中体罰事件】 |
19530523gj (裁判) |
1951 | 3/24 | マッカーサー、中国本土攻撃も辞さずと声明 | 3/28 | 東京都足立区で、無職・少女(19)が産み落としたばかりの赤ん坊を墓地に首だけ出して生き埋め。 発見が早くて助かったがその後、肺炎で死亡。 父無し子で処置に困ったためと供述 |
3/29 | 昭和26(1951)年度に入学する児童に対する教科用図書の給付に関する法律公布。国語・算数教科書の無償給付 | |
1951 | 3/31 | 結核予防法改正。 医療費の公費負担 |
3/31 | 東京で、事務員の少女(19)が、給料31万円を持ち逃げして愛人の元教員(20)と伊豆に逃避行、逮捕 | 3/31 | 沖縄で、群島教育基本条例等公布 | |
1951 | 4/ | フランス、西ドイツなどが、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)条約調印 | 4/2 | 京都大学の推理作家クラブ員の学生(32)が、キャンパス内で、実の母親(55)を仏像で殴打、竹の箸で頭を突き刺して殺害。 5/ 東京拘置所内で自殺 |
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1951 | 4/11 | トルーマン米大統領が国連軍最高司令官マッカーサーを解任。 後任にリッジウェイ中将 |
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1951 | 4/24 | 神奈川県横浜市の桜木町駅で、京浜東北線電車が発火。2輌焼失。窓にはパイプがあり、ドアも開かず106人が死亡、96人重軽傷。 以後、非常ドア開閉装置が設置されるようになる |
4/19 | 第55回ボストンマラソンに日本初出場。原爆ボーイと言われた田中茂樹(19)選手が2時間45秒で優勝 | |||
1951 | 5/3 | 埼玉県三郷村の中川堤防で、無職・小野隆(58)が、青酸入りサイダーを質屋の男性(49)に飲ませて、3000円と自転車を強奪。 1960/8/ 逮捕 |
5/5 | 「児童憲章」を制定 | |||
1951 | 5/16 | 日本、世界保健機構(WHO)に正式加盟 | 5/28 | 長野県の高校生6人が、修学旅行先の奈良で、飲食店で飲んだビール代が足らず、山梨から修学旅行で来ていた高校生3人を恐喝する | |||
1951 | 6/3 | テレビ初の実況中継 | 6/6 | 児童福祉法一部改正。 保育所への入所基準を「保育に欠ける子」として、幼稚園と区別 |
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1951 | 6/12 | 警察法改正公布(自治体警察減少) | 6/13 | 神奈川県横浜市の朝鮮学校分校で運動会開催中、朝鮮人らが警察官に暴行。36人検挙される | |||
1951 | 6/21 | 日本、国際労働機関(ILO)とユネスコに加盟 | 6/22 | 教職員追放令改正。教職員適格再審査会令公布 | |||
1951 | 6/30 | 覚せい剤取締法公布 | |||||
1951 | 7/6 | アナタハン島で敗戦を知らずにいた日本兵19人と比嘉和子さんが帰国 | 7/1 | 文部省、学習指導要領一般編(試案)全面改訂。 小学校授業時間の増加、毛筆習字復活、中学校に日本歴史復活等 |
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1951 | 7/16 | 東京都足立区の第4中学に夜間校開校 | |||||
1951 | 7/28 | 国連難民の地位に関する条約を採択。 1981/10/3 日本加入 |
7/27 | 東京都杉並区で、小学生4人(8-10)がテストでばっ点をもらった恨みで小学校に放火。 ほかにも盗みがばれないように民家に放火するなど6件の連続放火 |
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1951 | 8/4 | 奄美大島の住民8000人が日本復帰の要求で、24時間の断食 | 8/ | 生活難から「人身売買」などの児童福祉法違反事件が激増。東京、山形、福岡、奈良などで5000人。 女子は男子の4倍、少年は農家の作男に売られ、少女は特飲街の接客婦、機織物女工として売られた |
8/7 | 日教組中央委員会、「教師の倫理綱領」採択 | |
1951 | 8/16 | 吉田茂首相、臨時国会で「米軍駐留は日本側から希望する」と説明 | 8/ | パチンコ大流行。 8月にパチンコで補導された子どもは2648人 |
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1951 | 9/1 | 民間ラジオ放送初の正式放送開始 | |||||
1951 | 9/8 | サンフランシスコ対日講和条約(日本を含む49カ国。ソ連、ポーランド、チェコは拒否)、日米安全保障条約調印 | 9/10 | 大阪府大阪市東淀川区の府立北野高校3階の教室の教壇下で、神崎徳子さん(夜間部高1・15)の殴殺体が発見される。 前夜の4高校合同の競技大会で、高津高校夜間部の男子生徒(高3・17)が、屋上へ登るのを「他校生は入らないでください」ととがめられてカッとなりバットで殴ったと供述 |
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1951 | 10/11 | 千葉県検見川で、栗田源蔵(26)が泥棒に入った家の主婦(24)を絞殺して死姦、一緒にいた叔母(63)を刺殺。3日後に逮捕。 1994/ 付き合っていた女性(20)とその友人の少女(17)を強姦のうえ絞殺。 1951/8/8 群馬県で人家に押し入り、就寝中の女性(24)を強姦のうえ絞殺。 1951/10/10 千葉県で女性(29)とその子ども2人(2・5)を殺害。 他にも殺人未遂や窃盗などを自供 |
10/5 | 東京都荒川区で、子守り少女(15)が雇い主の家の赤ん坊(3カ月)に小石11個、蓄音機の針5本、縫い針3本を飲ませて殺害をはかる。母親がおしめに針や石があるのを見つけて判明。すべて排出されて赤ん坊は無事。 少女は栃木県の農家の娘で「東京に行けばきれいな着物が着られると思って上京したが、かなえられずに赤ちゃんを殺せば故郷に帰れると思った」と自供 |
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1951 | 10/14 | ルース台風。本州各地に大被害を与え、死者・行方不明12000人 | 10/15 | 天野貞祐文相、衆議院で、「学校での道徳教育の改善、国家の道徳的中心としての天皇」等の発言 | |||
1951 | 10/20 | 沖縄・那覇市牧志で、米軍戦闘機からガソリンタンクが落下。民家全焼、親子ら6人が死亡 | |||||
1951 | 10/25 | 日航第一号機もく星号、東京-大阪-福岡間に就航 | |||||
1951 | 11/ | 警視庁、ゴム風船使用の酔度計で飲酒運転の取り締まりをはじめる | 11/10 | 日教組、日本高等学校教職員組合(日高教)と共に第1回教育研修集会を日光で開催。 平和教育の推進、学力低下問題等を討議 |
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1951 | 11/12 | 京大同学会学生500人が、京大を訪問の天皇の空車を囲んで、平和の歌を高唱、戦争反対をアピール。再軍備問題に関し、天皇あて公開質問状提出。 学長、受理を拒否。 11/15 同学会解散 【京大事件】 |
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1951 | 11/14 | 天野貞祐文相、天皇を道徳の中心におく「国民実践要領」の大綱発表。衆議院その他で問題化。 11/27 白紙撤回を表明 |
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1951 | 11/21 | 東京都杉並区で、少女(小5・12)が、友だちの家が留守なのを知って、学校を休んで忍び込み、ハンドバックや下着を盗み、犯行を隠すために放火して全焼させた。その足で新宿へ行き、デパートで万引きして捕まったことから犯行が発覚 | 11/16 | 政令諮問委員会、教育制度の改革に関する答申。 職業教育強化、標準教科書作成、教育委員任命制など |
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1951 | 12/ | 政府が募集して、戦後初の移民がブラジルへ出発。受け入れ態勢が整わないまま50年代だけで3万余人の移民送り出しを強行 | |||||
1951 | 12/18 | 全三越従組が6名の解雇に反対し、東京3店で48時間スト。支援団体2000人と共にピケをはり、警官出動 | |||||
1952(昭和27)年 | |||||||
1952 | 1/4 | 英軍、スエズ運河を封鎖 | |||||
1952 | 1/13 | 農林省神戸検疫所が、輸入ビルマ米の中から多量の黄変米を発見。含有毒性が懸念され、移動禁止となる | 1/18 | 日本私学団体連合会、文部省の標準教科書編纂発行計画に反対表明。 PTA団体、日教組等も反対表明。 1/23 文部省、計画中止を発表 |
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1952 | 1/21 | 北海道札幌市警の白鳥一警部(36)が射殺される。 共産党の札幌地区委員長(29)を主犯とする約80人が逮捕される。 1975/5/7 無罪を主張するが、元委員長に無期懲役判決。 1975/5/20 特別抗告棄却 |
1/27 | 東京で、少年ら3人(中1)が、バタ屋方に行き、「ボーイスカウトだが、近くに泥棒の被害が多いので保護にきた」と言って上がり込み、2万余円と預金通帳を持ち逃げした。 3人は中流家庭の子どもだが、最近は学校にも行っていなかった |
1/20 | 文部省が、全国の教育大、学芸大に対し、付属校の入学者選抜は「くじ引きを実施」と通達 | |
1952 | 2/19 | 埼玉県入間郡で、B29米軍機が誤って爆弾を投下。29個発見 | 2/12 | 宮城県小牛田町で、小学校長の次男(21)が、大学の入学費欲しさに吉田大治ちゃん(小1・6)を誘拐。20万円の身代金を要求。 3/2 小学校裏通りで絞殺体発見。 3/5 犯人逮捕。 懲役15年の判決 |
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1952 | 2/19 | 東京の国鉄青梅線小作駅で、貨車4両が暴走 | 2/20 | 東京大学内の劇団ポポロの上演会場に潜入した私服警官3人を学生が摘発。内1人の警察手帳を押収し、印刷・頒布。 暴行を加えたとして学生2人を逮捕。 1954/5/11 東京地裁は被告に「警官の学内調査は違法」として無罪判決。 1956/5/8 東京高裁も無罪判決。 1963/5/22 最高裁が1、2審無罪を破棄。東京地裁に差し戻す。 再審で、懲役6月と4月、執行猶予2年の判決。 1973/3/22 確定 【東大ポポロ事件】 |
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1952 | 2/28 | 米軍駐留のための日米行政協定調印(国会承認なく米軍に基地提供) | 2/26 | 天野貞祐文相、道徳教育強化で、高校に倫理科新設を表明 | |||
1952 | 2/29 | 沖縄の米民政府、琉球政府設立を公布。 4/1 発足 |
2/28 | 沖縄で「琉球教育法」公布 | |||
1952 | 3/4 | 北海道十勝沖から三陸地方にかけて強い地震が発生。 列車転覆、家屋倒壊など大きな被害が発生。死者33人 【十勝沖地震】 |
3/2 | 東京都北区で、中学生の少年(中1・15)が近所の少年(16)に刺殺される。 以前、加害者の少年がいじめをしていたのを被害者の少年が注意したことを逆恨みしたと見られる |
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1952 | 3/6 | 吉田茂首相、「自衛のための戦力は違憲にあらず」と国会答弁。 3/10 訂正 |
3/7 | 兵庫県神戸市で、高校夜間部の少年(夜間高4・19)が無職少年(19)と、最近のギャング事件に刺激されて巡査からピストルを強奪しようとして殴殺 | |||
1952 | 3/14 | 企業合理化促進法公布 | 3/15 | 東京都品川区で女児瀬(8)が行方不明になる。 3/25 庭に埋められていた死体発見。 従業員の男(23)を強姦殺人の容疑で逮捕 |
3/13 | 東京の中学校の同級生ら6人(中2・14)が、2人1組で1月以来26件7千円分の本を万引き。 回し読みした後は古本屋に売り、映画をみるための小遣いなどにあてていた。 少年らの家庭はいずれも中流 |
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1952 | 3/27 | 私立学校振興会法公布 | |||||
1952 | 3/28 | 日教組婦人部主催、第一回全国婦人教育研究協議会を大阪で開催(3000人参加) | |||||
1952 | 3/31 | 新たに入学する児童に対する教科用図書の給付に関する法律公布 | |||||
1952 | 4/1 | 琉球中央政府発足 | |||||
1952 | 4/8 | 東京都大田区で、会社社長の父親と長男、長男の妻、三男、二女の5人が共謀し、酒癖の悪い二男(28)を殺害。 父親が三男に「正当防衛を主張すれば無罪だ。保釈金は用意する」として説得、自首させた |
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1952 | 4/9 | 日航機「もく星号」、大島三原山に墜落。 37人全員死亡 |
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1952 | 4/17 | 破壊活動防止法案(破防法)国会に提出 | 4/17 | 東京都立高校夜間部で、男子生徒(高4・18)が下級生の女子学生(高3・17)をめぐって同級生(高4・18)と口論し、道端の石で殴殺 | |||
1952 | 4/17 | 鳥取県鳥取市で大火。市の3分の1焼失 | 4/21 | 福岡県門司市で、4/21尾宏甫ちゃん(5)、5/13服部真佐子ちゃん、5/19草野芳文ちゃん(5)が行方不明になり、その後遺体で発見される。 同市の元港湾作業員(53)を逮捕 |
4/20 | 東大で、構内パトロール中の巡査が約20人の学生に暴行され、発砲。 4/21 警視総監が、「暴力学生は逮捕し、構内パトロールは続行する」と言明 【第2東大事件】 |
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1952 | 4/23 | 教育大生が、大塚署員をカンヅメにする | |||||
1952 | 4/26 | 海上警備隊を設置 | 4/25 | 東京都世田谷区の国立東京学芸大学附属世田谷中学校の教室で、図画の教師が生徒に静かにするよう注意したところ男子生徒(中2・13)が咳払いをしたので「ふざけるな」と注意。 男子生徒は「寒い時に口から出るのは当たり前」と言い返し、隣の席の生徒も同調。教師は咳をした男子生徒を殴ったうえ、2人を廊下に出した。直後、男子生徒が別校舎の屋上から飛び降り自殺。 人権擁護委員会は、教師の「体罰」は認定したが、自殺との因果関係は確認できないとした。東京地検も教師を不起訴処分 |
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1952 | 4/28 | 対日講話条約、日米安保条約発効。日本の独立回復。 GHQなど廃止 |
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1952 | 4/28 | 日華平和条約調印 | |||||
1952 | 5/1 | 血のメーデー。 デモ隊と警察隊が皇居前広場で衝突。 死者2人、重軽傷者約500人、逮捕者1230人 |
5/ | 文部省、幼稚園基準発表 | |||
1952 | 5/10 | 東京都荒川区の荒川放水路で、巡査の男性(28)のバラバラ遺体が発見される。 夫の酒癖の悪さと暴力に耐えかねた内妻(26)と母親(51)の犯行。 112/ 東京地裁で、妻に懲役12年、母親に懲役1年6ヶ月の判決。 1953/ 母親は獄中で病死 |
5/7 | 静岡県の県立富士宮高校生・石川皐月さん(高2)が、上野村での選挙違反を朝日新聞に投書して一家村八分にされる | 5/9 | 警官隊、早大の警官パトロール抗議集会に突入。学生・教職員ら100人余負傷 【早大事件】 |
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1952 | 5/17 | 日教組、児童文学者協会などが、「日本子どもを守る会」を結成 | |||||
1952 | 5/29 | 第15回ヘルシンキ・オリンピックに日本が戦後初の参加 (-8/3) |
5/23 | 東京都太田区で、男児A(6)が「料亭はぜいたくで憎らしいので焼いちまおう」と、友人の男児2人(7・8)とともに料亭に忍び込み放火。 Aの家では昨年11月に家の金を盗んで100円の模型飛行機を買った長男(9)を母親が絞殺。松沢病院に入院中 |
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1952 | 5/30 | 東京・板橋岩之坂上交番で火炎瓶騒乱事件。死者3人。 共産党の武装闘争方針による火炎瓶事件頻発 |
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1952 | 6/9 | 日印平和条約調印 8/5 発効 |
6/6 | 東京都練馬区の少女(17)が近所の複数の男性と関係し出産(6/3)。世間体を気にした父親が医師や娘と相談、診察室の物置に赤ん坊を放置して餓死させた。医師は死産の証明書を役所に提出したが殺人幇助、父親と少女は殺人罪で逮捕 | 6/6 | 中央教育審議会令公布 | |
1952 | 6/24 | 大阪・吹田市で、朝鮮動乱2周年記念のデモ隊と警官隊が衝突、60人逮捕 【吹田事件】 |
6/ | 1951/7−1952/6の1年間に売られた児童が1489人。前年度の2倍以上の増加。 90%が女性。年齢は15−17歳が92%と、少女の身売りが圧倒的。 子売りとしての人身売買は、人数で1952年、比率で1951年を最高に以降減少 |
6/26 | 全学連が第5回大会を開催。共産党国際派を排除して反戦学生同盟の解体を決議 | |
1952 | 7/1 | 羽田飛行場が返還される。東京国際空港誕生 | 7/ | 文部省設置法一部改正。 任務・権限などの大改訂 |
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1952 | 7/1 | 住民登録法実施 | |||||
1952 | 7/4 | 破壊活動防止法(破防法)、公安調査庁設置法等成立。 7/21 公布 |
7/19 | 第1回フルブライト留学生渡米 | |||
1952 | 7/19 | 第15回ヘルシンキ・オリンピック大会に、日本16年ぶりに復帰 | 7/20 | 全国盲学校野球大会が大阪で開催。 全国の予選を通過した7チームが参加 |
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1952 | 7/31 | 警察予備隊と海上警備隊を統合して、総理府に保安庁を新設 | 7/22 | 関西経営者協議会、「騒乱学生」には就職を保障せずと声明 | |||
1952 | 8/1 | 日本電信電話公社発足 | 8/4 | 文部省、「教育の問題としての学生運動」発表 | |||
1952 | 8/8 | 義務教育国庫負担法公布。 給与の半額・教材の一部負担 |
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1952 | 8/ | 吉田茂首相、愛国心養成の修身・国史・地理復活を表明 | |||||
1952 | 8/ | 世界教職員団体総連合(WCOTP)結成 | |||||
1952 | 8/30 | 日経連が大学3学長と懇談。就職学生の思想傾向明確化を要望 | |||||
1952 | 9/17 | 八丈島南方で海底噴火。新礁(明神礁)発生。調査の第5海洋丸が噴火の爆発で沈没。31名死亡 | |||||
1952 | 9/24 | 電々労組、電源スト。 -12/18 断続 |
9/30 | 東京で、農協技術員の少年(18)が預け入れを命じられた470万円を持ち逃げ。一等車で関東、関西、九州を旅行。東京の旅館で金遣いの荒さから不信がられて通報され逮捕。「札束を見て急に日本中を旅行したくなった」と供述 | |||
1952 | 10/3 | 英が初の原爆実験を実施 | 10/ | 日経連教育部会、「新教育制度の再検討に関する要望」提出。 実業教育の充実、大学教育の画一性打破、専修大学の設置など |
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1952 | 10/15 | 警察予備隊、保安隊に改組。定員11万人 | 10/14 | 日本父母と先生全国協議会(のちに日本PTA全国協議会と改称)結成大会開催 | |||
1952 | 11/1 | 米、エニウェクト環礁で水爆実験 | 11/7 | 東京都港区の麻布映画劇場で、青年が「ひばりちゃんが好きでたまらない。思いつめたがあきらめましょう」と遺書を残して睡眠薬自殺。 同劇場では美空ひばり主演「牛若丸」を上映していた。ポケットには美空ひばりのブロマイド数10枚やカレンダーなどが入っていた |
11/1 | 市区町村教育委員会、全国一斉発足。9965の委員会新設。 日教組等廃止を主張 |
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1952 | 11/10 | 皇太子明仁、成年式・立太子礼 | |||||
1952 | 12/9 | 自動車修理工の妻が、2人の子どもを私立小学校に通わせるために、生まれたばかりの子ども5人を絞殺し、庭に埋めたと自供 | |||||
1952 | 12/10 | 福井県敦賀郡で、3カ月前に窃盗で捕まって高校を退学した少年(元高1・16)が、気の弱い友人(16)に、「自分の罪を他人にかぶせたくない。友人のA君に迷惑をかけてすまなかった。自分が死ぬのが一番幸福と思う」と偽の遺書を書かせて絞殺。死体を川に投げ込んだあと、遺書を友人の父親あてに郵送。 加害者の少年は中学時代の成績はトップだったが、高校になって成績が落ちていた |
12/25 | 東京都御茶ノ水の「自由学校」強制取り壊し | |||
1953(昭和28)年 | |||||||
1953 | 1/17 | 軍人恩給復活。500億円の予算化を閣議決定。 8/1 施行 |
1/ | 中央教育審議会設置。 教育刷新審議会廃止して文部省に設けられた教育諮問機関。教育・学術・文化等に関する基本施策について文部大臣の諮問に応じて答申する |
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1953 | 1/ | 共産圏で反ユダヤ運動 | 1/25 | 東京駅待合室で、ハッピ姿の男が、「便所に行くから」と言ってひとに赤ん坊を預けて消える | 1/26 | 早大山岳部遠征隊、南米のアコンカグア(6960メートル)に登頂成功 | |
1953 | 1/31 | 南鳥島、サイパン島、テニアン島、グアム島など南方八島の戦死者遺骨収集のため、日本丸出航。 3/19 遺骨440体を収集して帰国 |
1/29 | 東京都内に無許可学校、インチキ学校が400校 | |||
1953 | 2/4 | 厚生省調査で、混血児は3490人 | 2/4 | 東京の学生の1割が売血を日常事(朝日新聞) | |||
1953 | 2/13 | 「李ライン」に出漁した漁船第一大邦丸が韓国警備艇に捕獲され、機関長が射殺される。 1954年にかけて頻発。問題化 |
2/5 | 東京女子学館高校で、パーマネントなどの服装規則違反44人を停学処分 | |||
1953 | 2/15 | 中国紅十字会代表と北京で在中国日本人引き揚げに関する会談 | 2/18 | 保育問題研究会発足 | 2/11 | 文部省、朝鮮人子弟の就学は、一般外国人と同様に扱い、国内法厳守を入学の条件にすると通達 | |
1953 | 2/27 | 小学校入学児童、全国で95万人で昨年より35%増 | |||||
1953 | 3/1 | 福島県福島市の少年鑑別所で、雑居房収容中の8人がドアを蹴破って脱走を計り、阻止しようとした渡辺潔教官(49)を殴殺。 脱走した3名の内1人逮捕、2人自首 |
3/ | 教科書協会発足 | |||
1953 | 3/7 | 日本子どもを守る会、日教組、基地の子どもを守る全国会議開催 | 3/7 | 日教組が義務教育学校職員法に反対。26都道府県でハンスト決行 |
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1953 | 3/7 | 日本子どもを守る会と日教組が、「基地の子どもを守る全国会議」開催 | |||||
1953 | 3/23 | 中国からの引き揚げ第一船・興安丸、3968人が舞鶴入港 | |||||
1953 | 4/3 | 沖縄の米民政府、土地収用令公布 | 4/1 | 神奈川県横須賀に保安大学校が開校(1954年に防衛大学校と改称) | |||
1953 | 4/5 | 日本婦人団体連合会結成。会長は、平塚らいてう | |||||
1953 | 4/27 | 阿蘇山噴火。 火口付近で5人死亡 |
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1953 | 5/4 | 混血児、全国で3490人 | 5/2 | 文部省が、働く青少年に「独学の門」を拡充。高校通信教育に12科を追加 | |||
1953 | 5/11 | 東京で、小学生2人(11)が小遣い銭欲しさに300人殺せるという毒ガスボンベ1本を盗み、クズ鉄屋に売りに行ったが買ってもらえず、川に捨てる | |||||
1953 | 5/16 | 東京で、少年(17)が銀行帰りの女性から30万円を強奪。女友だちと箱根、伊東など6日間豪遊し、捕まるまでに25万円を使い果たしていた | |||||
1953 | 5/23 | 東京都八王子市で、少年2人(高1)が麻薬密売団を結成。内一人は父親が結核で入院中で夜間高校に通っていたが、もう一人から月謝や学用品を与えられて、仲間に引き入れられた | 5/23 | 奈良県吉野郡下北山村の村立池原中学校の講堂で、生徒ら数名が騒いでいたのを再三注意したがきかなかったため、助教諭が生徒(中2)を殴った。 1951/3/20の事件とあわせて、生徒の保護者が刑事告訴 【奈良池原中体罰事件】 |
19530523gj (裁判) |
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1953 | 6/4 | 台風1号。 (女性名を廃止。発生順番号とする) |
6/3 | 岩国市教委、山口県教組編の「小学生日記」「中学生日記」の記述が偏向しているとして回収決定。 【山口日記(偏向教育問題)事件】 |
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1953 | 6/18 | エジプト共和国成立 | 6/4 | 文部省、「教育上特別な取扱を要する児童生徒の判別基準について」通達(特殊教育の対象と教育的措置) | |||
1953 | 6/18 | 米軍輸送機、立川基地を離陸直後に墜落。 米兵129人死亡 |
6/26 | 茨城県で、少年が「どうせやるなら世間をあっといわせることをやろう」と派出所に侵入してピストルを奪う。このピストルで警官2名を襲って重傷を負わせる。 実父と継母との折り合いが悪く、2カ月前からぐれだしていた |
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1953 | 7/8 | 文部省、「教育の中立維持について」通達 | |||||
1953 | 7/13 | 沖縄で、女子教護施設・「コザ女子ホーム」設立 | |||||
1953 | 7/27 | 東京新橋のバー「メッカ」の天井で証券ブローカーの撲殺体が発見される。 慶応大学卒のエリート男(24)と他2人が逮捕される。 1969/12/9 死刑執行 【バー・メッカ殺人事件】 |
7/20 | 共同保育「ゆりかご保育園」発足 | 7/20 | 第1回世界教員会議、ウィーンにて、53カ国代表を集めて開催。(−7/25) 日本代表17名参加。 「教員憲章」「青少年の民主教育原理」採択。 |
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1953 | 7/27 | 朝鮮戦争休戦協定調印 | |||||
1953 | 7/31 | 全国ハンセン氏病患者代表60人が、ライ予防法案に反対。国会付近に座り込み | 7/ | 中教審、義務教育に関する答申。 6・3制の堅持、教育委員会制度の現状維持 |
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1953 | 8/5 | 学校教育法・教育委員会法等の一部改正公布。 文部大臣の教科書検定権明示 |
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1953 | 8/12 | ソ連、水爆実験に成功 | 8/7 | 文部省、「社会科の改善についての方策」を発表 | |||
1953 | 8/15 | ライ予防法公布 | 8/8 | 文部大臣が、小・中・高校教科書の検定権者になる学校図書法、理科教育振興法公布 | |||
1953 | 8/19 | イランで軍事クーデター。モサディク政府崩壊 | 8/25 | 東京の映画館のトイレで、元工員の少年(19)が観客の女性を刺殺し、200円を奪う | 8/27 | 公立学校施設費国庫負担法公布 | |
1953 | 8/28 | 日本テレビ、放送開始。 民放初のテレビ放送 |
8/30 | 東京新宿御苑正門際の派出所休憩所を少年(17)がピストル狙いで強盗に入り、逮捕される | |||
1953 | 9/1 | 町村合併促進法公布・施行 | 9/1 | 沖縄で最初の民間養護施設「愛隣園」設立 | |||
1953 | 9/8 | 東京で無職の少女(15)が、繁華街で妹(小2・8)を含む子ども6人(12-15)を連れてスリ教室を開き、2万2千円を稼いだ。 少女は小学校の頃から犯行を重ねていた |
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1953 | 9/15 | 日航機、初の国際線就航 | 9/15 | 東京で、中学生の少年ら8人(13-15)の窃盗グループが捕まる。 カナリヤ、書籍、カメラなど4万5千円相当を盗み、金に替えては柔道着を購入。 講道館で練習したり、飲食に使っていた |
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1953 | 9/25 | 台風13号、死者321人 | |||||
1953 | 10/1 | 米韓相互防衛条約調印 | 10/ | 地方制度調査会答申。 市町村教育委員会の廃止、任命制の導入 |
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1953 | 10/3 | 国連、「国際連合児童基金」について決議採択。ユニセフ発足 | 10/4 | 佐賀県の小学校で、教師(23)が、生徒(13)がよそ見をしたとして、雷管箱で殴ったところ、雷管が爆発。 生徒は意識不明後死亡 |
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1953 | 10/19 | 沖縄で、「児童福祉法」制定・公布 | |||||
1953 | 10/31 | 学校教育法施行令公布 | |||||
1953 | 11/3 | 吉田茂首相、「保安隊は『戦力なき軍隊』」と国会答弁 | 11/2 | 厚生省が「子売り防止」に乗り出す | 11/1 | 凶作のため冷害地帯の学校で欠食児童が増え、文部省が援助に乗り出す | |
1953 | 11/5 | 徳島県徳島市のラジオ商・三枝亀三郎さんが自宅で刺殺される。 住み込み店員2人の証言で後妻の富士茂子さんを逮捕。その後、店員らは偽証を認め無罪を主張するが、再審請求、却下を繰り返し、13年の刑に服役。仮釈放中に病死。 1985/7/9 再審請求が姉妹らに継承され、徳島地裁で無罪判決 【徳島ラジオ商殺人事件】 |
11/5 | 東京保母の会発足(戦後初の保母組織) | |||
1953 | 11/26 | 厚生省、戦後初の寄生虫予防運動 | |||||
1953 | 12/1 | シベリア引き揚げ再開。 811人が興安丸で舞鶴に入港 |
12/ | 文部省初中局長、都道府県教育長に、「教育の中立が保持されていない事例の調査について」秘密通達 | |||
1953 | 12/12 | 青森県で、リンゴ園一家8人が射殺され放火。 三男(24)を逮捕 |
12/13 | 「沖縄子供を守る会」結成 | |||
1953 | 12/15 | 熊本県水俣市で原因不明の脳症状患者発生(のちに水俣病第1号患者) | 12/14 | 東京都新宿区、中野区の両区内の5中学校の生徒ら52人が「次郎長一家」と名乗る窃盗グループを形成、検挙される。 1954年夏以来120件、約6万円を盗んでいた |
12/15 | 東京の中学生ら15人が、湯島聖堂に社会科の勉強に来たと上がり込んだ。 屋根に登って銅製の屋根板約14貫を剥がし取ったり、中学校のドアの金具を盗んだりしてはクズ屋に売り、西部劇の短剣や飲食に使っていた |
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1953 | 12/21 | 国警本部が、1953年の刑法犯発生101万8299件、暴力団犯罪は史上最高と犯罪白書で発表 | |||||
1953 | 12/24 | 奄美群島返還日米協定調印 | 12/25 | 文部省、初の教育白書「わが国教育の現状について」発行 | |||
1954(昭和29)年 | |||||||
1954 | 1/2 | 皇居参賀者38万人が二重橋に押し寄せ大混乱。 死者16人、重軽傷69人 【二重橋事件】 |
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1954 | 1/7 | 米・アイゼンハワー大統領、一般教書で沖縄基地の無期限保持を表明 | 1/8 | 第3回中教審、「教員の政治的中立性維持に関する答申」発表 | |||
1954 | 1/20 | 戦後初の地下鉄。 池袋−御茶ノ水間が開通 |
1/21 | 東京で、「ケニア団」と名乗る少年窃盗団13人(13-18)を検挙。 タバコ屋から盗んだ商品をパチンコ屋に売りさばいて、稼いだ金を映画と飲食に使っていた。ほとんど全員に中・高校生の愛人がおり、大人気取りで遊び回っていた |
1/18 | 文部省が、大学進学適性検査の廃止決定 | |
1954 | 1/30 | 東京で、小学生の児童12人(小5・小6)が、「紅梅」「カバヤ」のキャラメルについているカードで野球選手のサイン入りブロマイドや文庫本などがあたることから、景品欲しさにキャラメルを盗んだ | |||||
1954 | 2/ | 造船疑獄発覚 | 2/1 | 全国高等学校教員組合は、教育2法案(平和教育の禁止・教員の政治活動の制限など)反対を表明。 以降、信濃教育会、全国連合小学校長会、日教組等50を超える団体が反対表明 |
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1954 | 2/4 | 東京で、中学生17人が、西部劇に刺激されてオモチャを改造して16丁のピストルをつくる。暴発してけがをしたことから発覚 | 2/7 | 兵庫県神鍋山ジャンプ大会で、関西学院大学の小谷選手が3回目の飛躍で転倒。脳出血で死亡 | |||
1954 | 2/9 | 群馬県の伊勢崎高校の生徒のスト事件で、群馬県教育委員会は、「赤教育ではない」とスト側の主張を否定 | |||||
1954 | 2/11 | 東京でコック見習いの少年(17)がファンレターを何度も出したが1度しか返事が来なかったとして、女優の嵯峨美智子さんに「皆殺しにする」と脅迫状を送り、放火して2坪を焼く | 2/11 | 日教組が、教育2法案反対の教育防衛中央国民大会開催 | |||
1954 | 2/22 | テレビの受信契約1万突破 | 2/25 | 神奈川県でヒロポン中毒の4人の少年(20、19、19、18)が、映画帰りの少年(19)に「金を貸せ」と言って殴殺。洋服や靴をはぎ取り、3千円で質に入れ遊興費に使っていた | |||
1954 | 3/1 | ビキニ環礁付近で操業中の第5福竜丸が、米水爆実験により被爆。 米海軍が前年告示していた危険水域から約30キロ東に離れていた。 3/14 静岡県焼津に帰港。乗組員23人原爆症と確認。 9/23 久保山愛吉さん(40)死亡 1955/1/4 日米両国が被爆や水産被害などを含めた補償200万ドル(当時の円換算で7億2000万円)。この中から乗組員への見舞金1人当たり約200万円が支払われる |
3/ | ヒロポン中毒患者150万人に達する。7割が青少年。全国防止運動へ | 3/ | 文部省、衆院文教委に「偏向教育24の事例」提出 | |
1954 | 3/10 | 静岡県島田市で、幼女(6)が誘拐され暴行・絞殺される。 5/28 赤堀政夫氏が犯人として逮捕される。 1958/5 死刑判決。 1961/1/26 死刑確定。 1983/5/23 4次にわたる再審請求で東京高裁、棄却決定を差し戻す。 1989/1 無罪判決 【島田事件】 |
3/14 | 警視庁公安2課が、東京大学など9カ所を手入れ。 リンチ事件で4人検挙 |
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1954 | 3/15 | 日教組が、教育2法案に反対して、一斉休暇闘争(3/14 日曜日に振替授業) | |||||
1954 | 3/20 | 京都府京都市旭丘中学校で「民族独立の歌」を生徒に歌わせ問題化。 3/20〜5/31 組合と市教委の分裂授業。 5/5 市教委に転勤を命じられた教員3人が拒否し、「偏向教育」を理由に懲戒免職になる。 1974/12/10 5度目の裁判で、20年ぶりに元教員側敗訴決定 【旭丘中事件】 |
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1954 | 3/31 | 市制ブーム。新たに35市が誕生 | 3/25 | 文部省、「学校基本調査報告書」(昭和26年度)初の刊行 | |||
1954 | 4/ | 東京のソロバン塾で知り合った少年29人(高3)が、デパートを中心に万引きし、品物を級友に売っていた。大部分は金を貯金しており、なかには2万円貯めていた少年もいた | 4/19 | 東京都文京区の元町小学校の便所で、授業時間中に鏡子ちゃん(小2・7)が暴行され殺害される。 5/1 詐欺容疑で検挙されたヒロポン常用者の坂巻修吉(20)が、出先で尿意をもよおし学校のトイレを使用した際の突発的犯行と自供。 5/21 小学校長と担任を減給処分。 1955/4/ 犯人に死刑判決 【鏡子ちゃん事件】 |
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1954 | 4/21 | 造船疑獄。犬飼法相、指揮権発動 | |||||
1954 | 5/1 | 神奈川県川崎市で、無職の少年3人(16-18)が遊ぶ金目当てに運転手の首をしめたうえ刺殺。4千円を奪う。 少年らはいずれも両親がいる中流家庭。パチンコやマージャンにかぶれ、悪友と交わり、高校を中退していた |
5/1 | 文部省調査、小・中学校の長期欠席児童34万人と発表 | |||
1954 | 5/9 | 原水爆禁止署名運動杉並協議会結成。 主婦を中心に28万人の署名を集め、原水爆禁止運動の発端になる。 8/8 全国協議会結成 |
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1954 | 5/17 | 東京で、三男(18)が父親の金を盗んでいるところを母親に気づかれ絞殺。 以前、母親が中風で倒れたトイレに死体を運んで病死を偽装。 母親のポケットから300円と父親の洋服3着を持って逃走 |
5/17 | 米、最高裁判所、公立学校における人種差別に違憲判決 | |||
1954 | 6/1 | へき地教育振興法公布 | |||||
1954 | 6/1 | 盲学校・聾学校及び養護学校への就学奨励に関する法律公布 | |||||
1954 | 6/3 | 「教育二法」公布。 義務教育諸学校における政治的中立に関する臨時措置法。 平和教育の禁止と教員の政治活動の制限 |
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1954 | 6/3 | 学校給食法公布 | |||||
1954 | 6/6 | 東京で少女2人(高2・16)(高3・17)が、セーラー服の少女2人に現金がなければ時計か服をよこすように言って脅して殴った。 2人は学校をサボって同性を恐喝しては、キャバレーやダンスホール、映画館などに入り浸っていた。 2人とも中流家庭の娘だった |
6/ | 文部省、教育二法の運用と解釈について通達 | |||
1954 | 6/9 | 防衛庁設置法・自衛隊法公布 | 6/11 | 東京・荻窪駅のホームで高校生同士がけんか。少年(高3)が飛び出しナイフで他校の少年1人を刺殺、2人に重傷を負わせた | 6/10 | 大阪教組、「君が代」追放 | |
1954 | 6/14 | 保安庁の公金2000万円を元保安隊員・大津健一ら4人がカービン銃で署員を脅迫して強奪。 7/21 逮捕 |
6/18 | 東京で、働く母の会発足。共同保育運動 | |||
1954 | 6/25 | 大阪府大阪市福島区で、ヒロポン常用の青年(23)が、淀川堤防で遊んでいた子ども5人を左岸沿いの中津運河に投げ込み、3人の児童を水死させる | |||||
1954 | 7/1 | 防衛庁・自衛隊が16万人体制で発足 | |||||
1954 | 7/1 | 法務省、在日外国人の指紋押捺実施を決定。 1955/4/28 政令により実施強行 |
7/9 | 東京で果物店の店員(17)が、吉田首相を狙う。「指揮権を発動するような首相がいては日本の将来は真っ暗だ。刺し殺そうと思った」と供述。少年の父親は戦死し、母親と2人暮らしだった | |||
1954 | 7/21 | ジュネーブ協定(インドシナ休戦) | |||||
1954 | 8/9 | ギリシャ、トルコ、ユーゴ3国間でバルカン軍事同盟調印 | 8/ | 鹿児島市内にある土建業者が利権をめぐり、市内にある松元荘で、酒食と女性を提供。女性の中に数名の女子高校生が加わっていた | |||
1954 | 8/13 | 映倫、映画と青少年問題対策協議会を設置。青少年向きの映画と成人向き映画を選定 | |||||
1954 | 9/6 | 東南アジア集団防衛機構(SEATO)創設 | 9/4 | 東京都世田谷区の路上で、少年(中2・13)が通りがかった女性(22)をナイフで刺して重傷を負わせた。 少年はチャンバラ映画に刺激され、同日、別の女性をナイフで脅したが、大声を上げて逃げていく姿に快感を感じ、今度は刺してみようと思って実行したという |
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1954 | 9/7 | 福岡県築城村で、元理容師の男(40)が農業・畑田善右衛門さん(40)一家11人を襲い、8人死亡、3人重傷。 1956/1/ 死刑確定 |
9/5 | 埼玉県入間郡高階村で、古屋栄雄(28)が、若い女性(19)を絞殺。遺体をバラバラにして神社境内や肥溜めにばらまいた。 4年前に親しくなった女性にふられたあとも付きまとっていたが、人違いで殺害。 法廷で、証言台に立った元交際相手の女性を隠し持っていた竹べらで刺すなどした。 1956/8/ 東京高裁で死刑判決。 1959/5/ 死刑執行 |
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1954 | 9/26 | 台風15号で青函連絡船「洞爺丸」が転覆。死者・行方不明1440人。最大の海難事故 【洞爺丸事件】 連絡貨物船十勝丸、日高丸等も転覆・沈没。275人死亡 |
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1954 | 9/26 | 台風15号で、北海道岩内町で大火。3200戸焼失 | |||||
1954 | 10/11 | 茨城県鹿島で、一家9人が毒殺後、放火される。 11/7 前科8犯の住所不定の男(42)を逮捕。取調室で青酸カリ自殺 |
10/10 | 東京で、少年(高1・17)が、新宿の赤線で働く女性に入れあげて金使いが荒くなり、岸信介氏ら名士宅ばかりを狙って約150万円を窃盗。少年の父親は銀行のニューヨーク支店長だった | 10/8 | 神奈川県相模湖で、定員19人の船に80人もの人員を乗せた遊覧船「内郷丸」が定員超過で沈没。修学旅行の東京麻布学園中学部生徒(教諭2人と生徒75人が乗船)22人が水死。 船主と船長逮捕。 生徒の人員点検などを怠っていた学校側の責任も問われた 【内郷丸遭難事件】 |
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1954 | 10/15 | 東京都池袋の洋裁学校に籍をおく、女工の少女ら5人(16-18)が、旅館で男と遊ぶ金欲しさに万引きや恐喝をしていた。また、男の奪い合いから何度も流血の闘争を繰り返していた | 10/ | 東京都教委、都立朝鮮学校に対し、1955年3月以降廃止を通告。教組等の抗議により交渉。 1956/3/ 学校法人東京朝鮮学園として許可 |
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1954 | 10/15 | 東京都北多摩郡で、おば宅に同居の少年(中2・13)が、おば(19)に金を無心して断られたうえ、「ばか」といわれてカッとなり、ナタで殴殺。死体を井戸に投げ込んで1万5千円を持ち出した。 8/ 千葉県で両親と住んでいたが自動車を盗んで捕まり、自分が捨て子だったと知る。 9/30 両親の手に負えなくなり叔父夫婦に預けられた。ここでも捨て子だから冷たくされていると思い込んでいた |
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1954 | 10/23 | 北海道旭川の映画館トイレで、女児(5)が首と左胸を刺されて殺害。 1カ月後、ナイフでの脅しや盗みをしている小学生男児(11)を取り調べたところ殺害を自供。 映画が静かな場面になって退屈で廊下に出たが、トイレで女児を見たときにまた映画の大音響が聞こえてきて夢中で刺したと話す |
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1954 | 10/26 | 東京都大田区の路上で、女性(29)が暴行され殺害される。 婦女暴行で前科2犯の土木作業員の男(31)を逮捕。 7/4に横浜で主婦を絞殺。川崎、埼玉などで婦女暴行42件を重ねていた |
10/29 | 神奈川県平塚市の市営プール管理人・小泉せいさん(36)が刺殺され、現金や背広などを強奪される。 少年2人(19)を逮捕 |
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1954 | 10/30 | 東京都青少年問題協議会初会合。 都内に1万4000人と推定されるヒロポン常用青少年の問題を取り上げ、パンフレット、ポスター配布。 相談所開設を決めた |
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1954 | 11/1 | アルジェリア独立戦争開始 | 11/5 | 大阪で、性的暴行された少女が、「恥ずかしい証言よりも死」として自殺 | |||
1954 | 11/9 | ヒロポン取締り強化。 東京・御徒町の「親善マーケット」を警官600人で急襲。密造70件、使用違反で2900人を検挙 |
11/14 | 千葉県東葛飾郡で、中学生が誤って空気銃を発射。友人の心臓に弾が命中。重傷を負わせる | |||
1954 | 11/16 | 少年(15)が仲間外れを恨み、小中学校や民家に次々と17件放火する。逮捕 | |||||
1954 | 11/20 | 防衛庁、少年自衛隊員募集開始。 中学卒業者350人採用。月給5400円。競争率35倍 |
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1954 | 11/27 | 北海道で、元駐留軍要員の無職少年(19)が、自宅近くの民家を襲い夫婦を殺害、二男(16)に重傷を負わせて1万5千円入りの金庫を奪う | 11/28 | 富士山吉田口7合目付近で新雪表層雪崩が発生。日本大学学生8人、東京大学学生5人、慶應義塾大学学生2人の計15人が死亡 | |||
1954 | 11/29 | 京王義塾高校の生徒が丹沢で遭難。3名の遺体発見 | |||||
1954 | 12/2 | 米台相互防衛条約調印 | 12/ | 中教審、へき地教育および特殊教育振興に関する答申 | |||
1954 | 12/13 | 事業に行き詰まった工場主一家6人が心中。 4人の子どもたちが担任教師に別れの手紙を残す |
12/ | 文部省、「高等学校教育課程の改訂について」1次通達 1955/2 2次通達 1955/7 3次通達 |
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1954 | 12/22 | 憲法9条について、「自衛権保有、自衛隊は合憲」とする政府統一見解を発表 | 12/17 | 全国教育系大学学生協議会第1回全教ゼミナール開催 | |||
1954 | 12/24 | 東京の戸山高校の生徒4人が西穂高で遭難。 2人凍死。2人行方不明 |
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1955(昭和30)年 | |||||||
1955 | 1/17 | 東京都内にスモッグ発生 | 1/22 | 長崎県福江町の農家で、朝食の味噌汁に農薬が混入され、子ども2人が死亡 | 1/11 | 文部省、私学振興方策の大綱を決定 | |
1955 | 1/28 | 厚生省に覚せい剤問題対策本部設置 | 1/31 | 東京で都立高校生や慶応高校生の少女ら6人(17-19)のグループが窃盗容疑で捕まる。 少女らは社長や銀行支店長、都の高官らの子女で、月に1万円以上の小遣いをもらっていたが、喫茶店に出入りし、不良と付き合うようになってから転落 |
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1955 | 2/14 | 日本生産性本部設立 | 2/12 | 文部省、小学校の改訂社会科の内容を通達 | |||
1955 | 2/17 | 神奈川県横浜市戸塚区のカトリック修道院「聖母の園」付属養老院で火事。 女性の高齢者96人が逃げ遅れて焼死。 カイロの灰の不始末が原因と判明 |
2/22 | 東京で、起重機運転手の弟(19)が姉の幸せを願って、生まれながらに目の見えない甥(1)を絞殺 | 2/23 | 神奈川県横浜市の中学校で、男子生徒(中2・13)が同級生(中2・13)とのプロレスごっこをしているうちにエスカレート。校庭で血まみれになって殴り合った。 3/2 同級生は学校を休んでいたが死亡。 学校ではプロレスごっこが流行っていた |
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1955 | 2/25 | 神奈川県川崎市で、銭湯の釜たきの少年(19)が既製服問屋の四男(小4・9)を誘拐。 「この手紙を持ってきた人に800万円あげてください」と子どもに書かせた紙片を持って店頭に現れたが失敗して逮捕。 探偵小説のマニアで、予め興信所に頼んで資産や家族調査をしていた。 大金持ちになりたかったと供述 |
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1955 | 3/2 | 東京都内の学童300人が学校給食の国産脱脂粉乳で集団中毒 | |||||
1955 | 3/5 | 埼玉県熊谷市の小学校で、女児(小4・10)が殺害される。 古物商従業員・男(24)が自首。女児とは顔見知りで、いっしょに映画を観に行った帰り、小学校のトイレに連れ込み強姦したうえ殺害したと供述。 浦和地裁で、懲役17年の判決 |
3/3 | 都内14の朝鮮人学校が、各種学校として申請 | |||
1955 | 3/17 | 東京都小松川で、少年(17)が自転車に乗ってすれ違いざまキリで刺す、通り魔の犯行を重ねていた。 9件の犯行を自供 |
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1955 | 3/19 | 娘(中3・15)が卒業式に新しい足袋を欲しがったのを母親が拒んだことから口論。 少女は泣きながら家を出て鉄道自殺 |
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1955 | 4/ | 中学校の社会科解体。地理・歴史・一般社会となる | |||||
1955 | 4/16 | 佐世保炭坑でボタ山崩れ、炭住45世帯埋没。68人死亡 | 4/ | 文部省、小・中・高等学校の修学旅行の心得について通達 | |||
1955 | 4/20 | 東京で女中の少女が、奉公先の長男(1歳4カ月)が泣くのに腹を立てて、おもちゃで殴ったうえ、頭を下にして畳に落として殺す | |||||
1955 | 4/28 | 外国人指紋登録実施 | |||||
1955 | 5/6 | 静岡県小笠原郡で、無職・少年(17)が、登校途中の女児(小2・8)を自転車で誘拐。 連れ廻したうえ、強姦して殺害。直後に逮捕される。 男は農家の次男で、中学卒業後に就職したがすぐに辞めてぶらぶらしており、家出して自殺未遂も2回起こしていた。 小学生の時に女児の兄にいじめられた復讐だと供述 |
5/11 | 瀬戸内海で、国鉄宇高連絡船「紫雲丸」と貨物船「第三宇高丸」が濃霧のため視界がきかず衝突。 168人が死亡、122人が負傷。死者の半数以上が修学旅行中の小学生 |
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1955 | 5/14 | ソ連、東欧8カ国、ワルシャワ条約に調印 | 5/14 | 神奈川県横須賀市で、工業高校の少年(高1・16)が女児(5)にわいせつ行為をして騒がれ、絞殺。 風俗店に通っている友人の話を聞いて刺激を受けたと自供 |
5/14 | 岩手県花巻電鉄バスが転落。 修学旅行の学童11人即死。26人負傷 |
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1955 | 5/ | 鹿児島県鹿児島市の建設業者松元が、地元議員、市当局関係者への供応に、女子高校生をはじめとする未成年の少女たちを提供。汚職事件 | 5/17 | 東海道線の原と東田子の浦間で、修学旅行列車が米軍ガソリン車と衝突、炎上。高校生ら11人が負傷 | |||
1955 | 5/ | 文部省、修学旅行の事故防止心得を通達 | |||||
1955 | 5/27 | 三重苦のヘレン・ケラー女史来日 | 5/30 | 小児マヒ(ポリオ)のワクチン使用開始 | 5/24 | 東京立川の小学校で赤痢の予防接種による副作用で学童500人が頭痛や腹痛 | |
1955 | 6/1 | 山口県下関で、大西克己(27)が養父母を青酸入りジュースで毒殺。 逃亡中に他人になりすますために2人の男性を殺害。 1958/7/15 逮捕 1965/ 死刑執行 |
6/7 | 東京・豊島公会堂で第1回日本母親大会を開催、2000人参加。 以後の合い言葉は「生命をうみだす母親は、生命を育て、生命を守ることを望みます」 |
6/3 | 京大創立記念日を中心に、同学会と京大当局とが対立。滝川総長が学生らに監禁され暴行を受ける。 6/5 同学会は解散を命じられ、創立記念祭も中止 |
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1955 | 6/9 | 東京で、少年(15)が会社員の長女(5)を誘拐。映画を真似て、拾った廃車のナンバー・プレイトを父親のスクーターにつけて、1万円を要求したが、スクーターが故障して捕まる | 6/12 | 東京の中学校で、サッカー部員の少年(中3・14)が、学校に遊びに来た少女(8)にわいせつ行為を行った | |||
1955 | 6/ | 衆議院行政監察特別委員会、教科書問題で、証人喚問を開始(不正取引、偏向教育の問題など) | |||||
1955 | 7/5 | 兵庫県神戸市東灘区の本山第三小学校の赤田治男くん(小2・8)が、鉄道自殺。授業中、隠しごっこのいたずらで、教師に「泥棒学校へ行け」と叱られたのが原因。自殺に誘われた友だちは直前に逃げて助かった | |||||
1955 | 7/8 | 労働省婦人少年局が、「売春白書」を発表。 全国の売春婦は50万人におよぶと推計。 業者の多くは生活難打開のため。既婚者が4割で、内、子持ちは7割 |
7/15 | 人気コメディアンのトニー・谷氏の長男(6)誘拐され、身代金200万円が要求される。 7/21 金を受け取りにきた雑誌編集者の男(38)を逮捕。自供により、長野県の実家に監禁されていた子どもを無事保護。 12/27 営利誘拐、恐喝未遂で懲役3年の判決 |
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1955 | 7/20 | 経済企画庁設置 | 7/27 | 東京で兄弟3人(18、17、15)が窃盗で捕まる。 長男は中学の同級生の恋人ち都内の宿屋を泊まり歩きながら約100件の空き巣。 二男と三男は仲間2人と500万円の窃盗を働き、熱海などで芸者をあげて豪遊。 3人の母親は2年前に死亡し、人夫の父親(40)も盗みを働いていた |
7/28 | 三重県津市の市立橋北中学校が、同市中河原海岸で夏季水泳訓練中、入水後2、3分に急激な異常流が起り、100数名の女子生徒のうち36名が溺死。 刑事裁判の1審で、校長、教頭、体育主任に有罪、2審で無罪。 民事裁判の1審で、学校や教育委員会の注意義務違反を認める。2審で和解 |
19550728gj (裁判) |
1955 | 7/31 | 東京で、冷蔵庫でかくれんぼう遊びをしていた幼い姉弟が、中で窒息死 | |||||
1955 | 8/1 | 東京都墨田区厩橋近辺の花火問屋で爆発、住民18人が死亡 | 8/3 | 関東地方に大雷雨。 長野県下でキャンプ中の中学生4人など計7人が落雷で感電死 |
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1955 | 8/6 | 第1回原水爆禁止世界大会、広島で開催 | |||||
1955 | 8/7 | 東京通信工業(後のソニー)が日本初のトランジスタラジオを発売 | 8/13 | 日本民主党、「うれうべき教科書問題」パンフレット刊。 「偏向教科書」には、@教員組合運動を支持し、その政治活動を推進するタイプ、A日本の労働者が悲惨であるといいたて急進的な労働運動を推進するタイプ、Bソ連・中共を賛美し、日本をこき下ろすタイプ、C共産主義思想を児童にうえつけようとするタイプ、があるとして、「赤い教科書」と呼んだ |
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1955 | 8/24 | 6月に岡山県を中心に、近畿・中国・四国地方で、乳幼児に原因不明の発熱・下痢・発疹・貧血などの症状があらわれ、死亡患者も続出。岡山大医学部で、2人の乳幼児を解剖した結果、原因は粉ミルクに含まれるヒ素であると判明。 8/24 森永徳島工場で粉乳にヒ素が混入したことが判明。患者1万人以上、133人死亡 【森永ヒ素ミルク事件】 |
8/17 | 東京都で、教師にムチで殴られた生徒(11)が後遺症で知能障害になる。 学校側は陳謝するが、父親は「謝られてすむ問題ではない」として、都知事に対し、訴訟を起こす |
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1955 | 9/3 | 沖縄・石川市の幼稚園生・永山由美子ちゃん(6)が一人で映画を観に行っていたところ、嘉手那高射砲隊所属の米兵が車で拉致。基地内で強姦したうえ殺害し、ゴミ捨て場に遺棄。 ライカム損害賠償審査会は2千ドル(請求額の約8分の1)の補償金支払いを遺族へ通知。死刑判決後、45年の重労働に減刑 |
9/ | 文部省、「小・中・高校の指導要録の改訂について」通達 | |||
1955 | 9/6 | 千葉の印嬲少年院で、収容児らが教官に暴行。 カギを奪って12人脱走 |
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1955 | 9/10 | 日本、関税貿易一般協定(ガット)に加盟 | 9/9 | 沖縄・具志川村で、少女(9)が就寝中に米軍海兵隊所属の一等兵に拉致強姦され、重傷を負う。 終身刑 |
9/11 | 沖縄の教職員総会で、「由美子ちゃん事件」抗議の緊急動議採択 | |
1955 | 9/18 | 山梨県の北富士米軍演習場で、少年がロケット弾の不発弾を拾い、持ち帰って暴発。6人死傷 | |||||
1955 | 10/1 | 国勢調査。全国の人口は8927万5529人。都市部への人口集中が進む。 平均世帯人員は4.97人で、35年間ほとんど変動なし |
10/6 | 神奈川県横浜市の横浜第一商業高校で、書道の講師が、授業中に男子生徒(高1)に体罰。腰を強打して大転子を骨折。手術を受けたが、化膿性骨髄炎によって障がいを負う。 生徒側が提訴。 1960/8/25 横浜地裁で、一部認容。30万円の支払い命令 |
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1955 | 10/1 | 新潟県新潟市の県教育庁から出火。台風通過のフェーン現象の強風にあおられ、大火となる。 1000戸以上が消失 【新潟大火】 |
10/7 | 最高裁は、15歳少女の前借金に対して、人身売買のような「公序良俗に反する酌婦稼働契約と密接不可分な前借金は無効」と判決 | 10/7 | 沖縄に本土から、「愛の教具」(戦災校舎募金肩代わり)第一陣届く | |
1955 | 10/9 | 東京の国電で、酔っぱらい客から現金や腕時計を盗って約50万円を稼ぎ、7人で山分けしてマンボ・ダンスに通っていた少年窃盗グループが捕まる | 10/ | 日本学術会議は、「偏向教科書」の摘発は、学問の自由を脅かすと結論 | |||
1955 | 10/18 | 宮城県松山町で一家4人殺害放火事件。 男性(24)を別件逮捕。 1960/ 最高裁で死刑判決。 1984/ 再審請求の仙台地裁で、無罪判決。捜査当局の証拠ねつ造発覚 |
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1955 | 10/24 | ラッシュ時に乗客を車内に押し込むアルバイト学生の「押し屋」が、東京・新宿駅に登場 | 10/21 | 10歳前後の子どもにジフテリアが大流行の兆し。 全国に患者7千人。内500人死亡 |
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1955 | 10/24 | 東京で、第5回国際家族計画会議を開催。(-10/29) 出生率の低下が顕著となり、人工中絶が問題化する |
10/25 | 沖縄の宜野座村松田小学校で、米軍の原子砲試射による被害。学童4人負傷 | |||
1955 | 10/26 | オーストリア議会は永世中立議決 | 10/27 | 上野駅を中心に、家出娘など100人を売り飛ばしていた「買春職業安定所」の一味を逮捕 | |||
1955 | 10/28 | 東京の私立高校生ら4人組(16-17)が、ハワイへの密行費欲しさに強盗に入り妻を刺す。 4人はいずれも良家の二、三男で、成績は中以下。 映画の「暴力教室」を2回も見ていた |
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1955 | 11/1 | 北海道の茂尻炭鉱でガス爆発。死者60人 | 11/3 | 日本社会事業短期大学が「無認可保育所調査報告書」発表。不況や保育政策の転換で無認可保育所数が急増。3歳未満児が多いことが特徴 | |||
1955 | 11/24 | 父親が息子に靴墨を買いに行かせて靴磨きを命じたところ、おればかりにやらせると口答えしたため、父親は息子を殴り、親不孝とののしったところ少年は家を飛び出し鉄道自殺 | 11/18 | 宮城県の高校で、時間中に弁当を食べていた生徒(高3・18)が組主任の教師から殴られて殴り返す。 そのため翌日の遠足行きを許されず、校長室に抗議に行った少年が教頭を殴って10日間のけがを負わせる。 生徒会は、「彼も悪いが、二言目には殴る学校もよくない」と学校の反省を求める決議 |
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1955 | 11/30 | 理研光学工業(後のリコー)が事務用複写機「リコピー101」の量産を開始。 OA時代到来 |
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1955 | 12/ | 輸出船ブームから神武景気となる | 12/6 | 神奈川県横浜の少年ら3人(16-17)が米海軍下士官の車を盗んで、無免許で日光までドライブ。 車が故障して捕まる |
12/5 | 文部省、「高等学校学習指導要領一般編」(全面改訂)発行。 コース採用、社会・数学の科目を大幅改訂。 1956年度より実施 |
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1955 | 12/10 | 東芝、自動式電気釜を発売 | 12/9 | 警視庁が新宿のダンスホールで非行少年178人を補導 | 12/9 | 群馬県島小学校第1回公開研究会開催 | |
1955 | 12/16 | 茨城県北相馬郡取手町の県立取手第二高校の女子生徒(高2)が、教師の実名をあげて「呪ってやる」と書いた遺書を残して農薬で服毒自殺。12/18 死亡。 教師(33)が服装検査をおこなった際、着ていた上着のボタンがうまくはずれなかったことから、女子生徒は「チクショー」と独り言をつぶやいた。これを聞きつけた教師は立腹し、女子生徒を数度殴りつけた上、足蹴りするなどした |
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1955 | 12/20 | ウィーン少年合唱団来日 | 12/ | 文部省、「小学校学習指導要領社会科編」(全面改訂)発行 | |||
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