ブラジルの子どもたちにボーとしている暇はない。学校、おもちゃ、サッカー、テレビのアニメ番組から遠ざけられ、400万人の幼い労働者達は工業、農業およびその他の産業を通じて、年間何十億もの金を国の経済活動に注入している。労働者の手をした少年少女達は学校に行かなくとも生存する術を早くから習得している。この3ヶ月間に(注:「crianca noticia」は四半期毎に発行されている)全国のマスコミは、(ありがたいことに)児童の労働の搾取に対する告発を怠らなかった。関連記事の掲載頻度が一部のマスコミが産業界の悪質な生産者に対し、子どもたちの側に立ったことを示している。
リポートの背景はいつも同じであった。非衛生的な労働、低賃金、病気にかかる危険性、返済不可能な借金、半奴隷労働。マスコミは的を得たリポートと信憑性の高い統計の数字をもって世論を動かし、政府が思い腰をあげるよう圧力を掛けた。
この常に感動的な事件を追いつづける姿勢はピレノポリス(ゴイアス州の都市)で毎日装飾用の石を割りながら育ってゆく少年達の日々を追ったゴイアニア(ゴイアス州の首都)のオ・ポプラール紙記事のような素晴らしい結果をもたらすものである。
陽―夢にまで見る市民権と尊厳の陽―のあたる場所を求めながら、石切り場の子どもたちは少年期とアイデンティティを失ってゆく。17才のペドロくんは、月70レアル(約7000円)を稼ぐために指紋を失い、そのため身分証明書を取得できなかった。彼のような無名の多数の青少年たちが田舎や街で、生存の名の元に少年期を過ごす悲しい現実が報告されている。
「14時間も働く時だってあるんだよ。朝6時に父ちゃんが起こしにくる。そしてトマト箱を担ぎに出るんだよ」マノエル 13才。
「こんなけむ臭いところに一生いたくない。近いうちに出て行くよ。こんな地獄にいるよりその辺をふらついているほうがましだ」テアゴ 11才。
「いつかここを出て勉強したいんだ。弟達とももっと遊んでやりたいけどサトウキビがりの後は疲れてそんなこと考えもしない」マリオ 12才。
このような証言は今現在どこかで失われつつある少年期のイメージ作りに役立っている。いくつかの新聞が人道的な記事づくりをしているの反し、常に青少年問題に敏感だったコヘイオ・ブラジリエンセ紙(ブラジリアの有力新聞)はもっと充実した記事ができるだけの情報を持ちながらその機会を逃してしまった。その情報とは労働省が行なった北東地方での調査報告である。これによると北東地方は児童労働搾取がもっとも盛んい行われている地方であり、何千人もの子供たちは、陶器作り、草刈り、ごみ集めのなかで、毎日のように雀の涙ほどの給料、過度な労働時間、あらゆる病気にかかる危険性にさらされ、時には毒蛇、毒虫に刺されるなど、何らかの暴力に直面している。おそらく報告書にはその外にも重要な情報が記載されていたであろうが、同紙はこれを数行の記事で片づけており、記事自体が他の見出しに埋もれてあまり注目されなかった。
一部の編集者が重要な情報を見逃している反面、絶え間ない告発は幼い労働者の生活に影響を及ぼしはじめている。そしてマスコミの圧力によって政府は問題に目覚め、解決に歩みだした。ゴイアス州(注:ゴイアス州はブラジリアの強い影響を受けている)の労働問題検察局(MPT)は、少年たちに12時間労働を強いていたピレノポリスの30の砕石所に対し何らかの処置を取り始めた。市民権獲得の夢が砕石所の石のように転がり落ちたかにみえたペドロ君にも別の結末が待っている可能性が高まった。MPTが青少年労働の搾取を阻止させる目的で砕石所を摘発し、少年たちに与えた肉体的障害に対し罰金支払いを考えているのである。古くからこの地方に存在していた問題が1994年にジョルナル・ダ・ブラジリア紙(ブラジリアの有力新聞)が取り上げた後になって裁判所が動き出したのは興味深い事である。
法律を適用するのにマスコミの助けを必要としたのはGOIAS州のMPTだけではなかったようだ。オデッジ・グラジェウ氏(訳者注:彼は労働党支持者。本稿の記者も労働党支持者と思われる)が率いる子どもたちのためのABRINQ(アブリンチ)財団が児童労働に対して戦いを挑んでから、国内、外国資本に拘わらず、企業のわがままが通らなくなった。理由は明らかである。この問題が国際的に取り上げられた結果、青少年労働を搾取している企業の未来は悲観的なものになったからである。
5月には、児童労働問題共闘団体が米国議会にかずかずの告発を行なった。共闘はブラジルで青少年労働に頼っている比率の高い産業として、靴製造、縫製、繊維、鉱業を上げており、米国の労働局はこの種の情報によって米国向け輸出に影響が出る可能性があると発言している。ヨーロッパでは児童搾取ブランドのブラジル製品がボイコットされはじめている。時は熟した。ブラジルではアブリンチ財団のキャンペーンによってポリティカリー・コレクトネスの対策を取る企業が相次いでいる。
児童労働を搾取している下請け業者の製品をボイコットしはじめたフランカ(注:サンパウロ州の都市。靴、皮革製造、加工業で有名)の靴製造業者やフォルクスワーゲン、ゼネラルモーターといった多国籍企業の例にならって、600以上の企業がキャンペーンに参加し、問題解決に乗り出している。
このようにアブリンチ・プログラムは想像以上の大成功を収めた。企業は参加し、議会は応援し、政府は称える。にもかかわらずこのキャンペーンを批判する者が現れた。セルソ・ミンギ記者(著名経済ジャーナリスト)はジョルナル・ダ・タルデ紙(サンパウロの有力紙)の担当コラムで、彼の言う“歪曲した執念”の攻撃を始めたのである。ミンギ氏は各国で社会的条項を国際貿易協定に盛り込むのは保護主義であると主張している。彼のアブリンチ・プロジェクト評である。
「子どもたちが銑鉄を作る炉やサトウキビ畑で働く現状は言語道断としか言いようがない。しかし健全な心配をする心は時には歪曲した執念と化すものだ。アブリンチ財団の創立者であるオデッジ・グラジェウ氏は誤りを犯している。たとえば全国土で一般的に行われている家計手助けの手段である靴磨きがいけないという。そして1セット3レアルで請け負われるテニスクラブでのたまひろいまでも。グラジェウ氏はブラジルの現状を見極めずに、子どもたちをただ学校か家庭におればよいとしている。」
ミンギ氏は当然、彼が指摘したブラジルの現状に無関心な国民の指示を受けているのだろう。子どもたちへの放棄、飢え、路上での暴行を避けるためにも彼らを仕事につかすことを弁護する人々がいる。しかしどちらがより悲惨なのか。労働の搾取か路上での不良化か。これは死刑囚に、電気椅子か銃殺かを選べといっているようなもである。例としては極端かもしれぬが考え方としてはこのようなものであろう。グラジェウ氏は反論の機会が与えられた。彼の反論である。
「・・・なぜ他人の子、貧しい子どもにも遊ぶ権利や勉学の権利を望まないのであろう。なぜブラジル社会における不平等を悪化させようとするのであろう。本当に子どもたちを助けたいならば、一時的な援助ではなく、持続的な、子どもたちが大人になったとき、責任感のある有能な労働者に育つような援助が必要である。したがって資金は時期尚早な労働の代償としではなく、奨学金のように、教育に融資し、学業を続ける事を可能にするような形で使う事が必要である・・・」
当然の事ながら、ブラジルの問題解決はミンギ氏のような小人的態度にはばまれてしまう。児童労働が路上生活より悲惨さが少ないとゆう幻覚は何万人もの国民に尊厳が選られるとゆう間違った希望を抱かせ、真の権利を獲得するための戦いをおろそかにさせるだけだからである。学校のないところに市民権は存在しない。教育は基本的権利の一つである。サトウキビを刈る貧しい子どもたちは農場で搾取される明日の大人である。
マット・グロッソ・ド・スール州政府はこの第一レッスンを理解できたとみえ、州内の奥地の炭焼き場で高温下での労働を強いられていた子供たちの歴史を書き換えるため、墨をチョークに取り替えることにした。政府はブラジル各地で子どもたちを学業に復帰させる事に成功を収めている奨学金システムを取り入れた。これは子ども一人を学校に入れると50レアルが親に支払われるシステムである。しかしこれに納得しない親もいる。ここで問題となるのが親にとってただの子どもの労働である。カンポ・グランデ(マット・グロッソ・ド・スール州の州都)で炭焼きをしているオズヴァルドさんはコヘイオ・ブラジリエンセ紙にこう語っている。
「50レアルの奨学金なんか役に立たないよ。子供たちを働かせば最低賃金の7、8倍は稼げるが、ガキがいなきゃ4倍ぐらいかな。毎日25立米の炭を焼くよ。値段は立米あたり1.1レアルさ。だからガキどもにはうんと働いてもらわにゃ」
このような抵抗があるにも拘わらず、市民チケットプログラム(訳者注:政府の貧困層救済プログラムは、交通費、食費、奨学金を現金ではなくチケットで支給している)は成果を上げはじめた。コヘイオ紙が訪れた炭焼き場の一つであるカルボマックス1内の学校では生徒が4人から11人に増え、彼らは新しい未来を夢見ている。
政府機関であれNGOであれ、児童労働に関するデータ収集に努力しているが、現実に近い数字に到達する事すら難しく、まして最終的数字など不可能だ。従ってみな数字に振り回される事になる。オ・ディアリオ・ポプラール紙(サンパウロの有力紙)は躊躇なく安価な労働力として搾取されている子どもたちの数は全国で400万人であると報じている。データソースは労働省の報告書で、これによると14〜18才の子どもも含めばその数は750万人に達する。一方3月にメキシコで46カ国が参加して開催された児童労働に反対する国際自由法廷で、全世界で2億人の子どもたちが労働市場で活動していると発表された。国連に関係する国債労働機構も数当てゲームに参加し、10〜14才児では全世界でその数7.300万人と推定し、そのうち510万人がラテンアメリカに居ると発表している。この数字を労働省の400万に照らし合わすと、ラテンアメリカにおける児童労働の78.43%がブラジルで行われている事になる。異常に高く、気になる数字であるが、IBGE(ブラジル統計院)のデータ(全国の都市、農村において経済活動を行なう青少年の人口750万人)はこれを裏付けているように思える。
数字、数字、数字。この3ヶ月間に掲載された記事の中にはまるで国勢調査の記事かと紛うばかりのものもあった。しかし冷ややかな統計データで、児童労働の現実を伝えるような人間的内容はなかった。更に注意すべきは、労使関係や所得分配の根本的見直しの緊急性が、多すぎる指数やパーセンテージの中に埋没してしまう事、また新聞はブラジルの悲劇を数値という形で圧縮し巧妙に覆い隠している事である。
それどころか、編集者が記事に充分目を通していない新聞もあるようで、矛盾した結論を引き出したりしている。たとえば、5月26日付のフォーリャ・デ・サンパウロ紙(サンパウロの有力紙。労働者党とは時々対立することがある)の“労組は農村での未成年者の労働に賛成している”である。記事をよく読めば、組合の意見は違うものであることがわかる。
「州司法局が検察局に対し、ECAに従うようサトウキビ園での監督強化命令を下した後、カタンドゥーバ(サンパウロ州の都市)の農業労働者組合は、未成年者のサトウキビ刈りを禁止した」
見出しと記事とどちらが正しいかは読者の判断にお任せする。またこの記事は児童労働問題に携わるものを熱くさせるような問題をはらんでいる。すなわち、児童労働の撲滅は貧困と失業の増大になるか否かである。カタンドゥーバの労組は検察局の監督強化によって、8.000人の失業者が出る事を心配している。更に事態を悪化させるように、地元の農園主は法的問題を避けるため、独身者を優先的に雇い出した。価値観の反転の結果は農村から家族持ちが追い出されるに至った事である。
この問題は経済的弱者階級の貧困を正当化するために幾年となく使い古されたあの理論(訳者注:子どもには働く権利があり、家族も子どもが得た収入を必要としているとの理論)を復活させる事になる。けれど、児童労働の消滅それ自体は、被搾取家族の日常に何の支障ももたらさない。家族の生存の条件を保証する事こそが必要である。しかし労働の権利を否定していての実現は非常に難しく、不可能に近い。子どもの権利の尊重は親の社会からの追放に結び付いてはならない。
この問題は政治的、社会的、経済的各面で大議論を巻き起こしうるものである。しかしこれは結論できる。社会における価値観の再指向は基本的にマスコミの究明力に依存するものであると。そして市民の基本的権利の侵害に慣れっこのブラジル社会の文化的遺産は、社会的向上の動きに立ちはだかる大きな壁である。したがってオピニオンリーダーにも、古い価値観の反転のために動きはじめてもらわねばならない。
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