路上の子どもたちと出会うための旅
  メキシコのストリートチルドレン



「プラッサ」創刊号で紹介しましたNGO「ストリートチルドレンを考える会」で、昨年10月メキシコにあるストリートチルドレン支援のためのNGO「カサ・アリアンサ・メヒコ」へのスタディツアーをおこないました。ツアーに参加された方の率直な感想を同会のニュースレターより転載させていただきます。



スタディツアー参加報告

佐々木 さち子



 夕方4時到着のはずの飛行機がメキシコシティの上空に来たのは、深夜1時をまわった頃でした。窓の下が急に明るくなり、中心部は火事なのかと思うほどの明るさで、メキシコの盆地を囲んだ丘陵地帯は星が降っているように小さな街路灯が光っていました。その明かりを見ただけで、メキシコは東京と同じような消費都市なのだと感じました。経済が発展し、高層ビルが立ち並ぶメキシコの街の中に、何万人ものストリートチルドレンが生活し、その多くがドラッグ中毒になっている。空港からホテルに移動するバスの中でも、事前に学習してきた内容がまだ遠い国のことのように思えていました。

 翌日、ストリートチルドレンのNGOである「カサ・アリアンサ・メヒコ」の施設に出かけ、所長さんの話やマネージャー、様々なプロジェクトの担当者の話を聞いても、まだそれほど深刻な問題だという実感はありませんでした。百聞は一見にしかずといわれますが、まさにその通りだと思います。話の後、ストリートエデュケーター(路上生活をしている子どもたちと接して、相談役になったり、指導をしている人)と街に出て、状況の酷さを実感しました。

 昼間からシンナーで目を曇らせ、道に座って露天商のテレビを覗きみている子どもたち。何家族もが50人ほど生活しているビルの焼け跡で、仕事もせずにシンナーを吸っている青年たち。そのまわりで三輪車に乗っている小さな子ども。数人のグループで道路の高架橋の下の金網の中で寝ている少年たち。目が慣れてくると確かにたくさんの子ども、そして昼間から仕事のない大人がたくさん目に入ってきます。そしてみんなアクティーボというシンナー類で目が濁り、黒ずんだ肌をしていました。

 今回のスタディツアーは、私に2つのことを教えてくれました。一つは、メキシコのストリートチルドレンは社会問題の一現象であり、経済が発展していく間でも、貧富の差の拡大が進み、社会関係や親子関係が崩れていけば、どのような国でもメキシコのような状況になるであろうということ。そしてもう一つは、私の中に人権の意識がないに等しい、私の身についていないということを知ったことでした。

 最初の日、「カサ・アリアンサ・メヒコは子どもの権利条約に基づいて運営している」と教えられ、「カサ・アリアンサ・メヒコ」の哲学(仕事の原則として、全ては子どもの自由な選択によって決める、子どもが施設に来たくなければ強制しない、ストリートやドラッグに戻ってしまう子どもたちに粘り強く接していく、など)の実践は子どもたち自身にもエデュケーターにも辛いことだけれど、大切なことだと教わりました。また、「カサ・アリアンサ・メヒコ」の活動は「解決」ではなく、現象への手助けであり、「小さな力」でしかないということも。しかし、道に出て、何人かの子どもたちと会っただけのときには、私は、「こんなやり方で、子どもたちが避難所へ来たいと思うまで待っていたら、少しも改善されないのではないか。嫌がってもたくさんの子どもたちを捕まえて、ドラッグをやめさせ、施設で生活させることが必要なのではないか」と思っていました。

 施設の方たちの考え方の正しさや重要性を理解したのは、避難所から一時定住施設に移って生活している女の子たちと会ったときでした。彼女たちの目はきれいで、自分で考え、自分の気持ちや感情を表現することが身についていました。とても楽しそうに笑いながらそばによって話しかけてくる女の子たちと接して、目から鱗が落ちる思いでした。もしも避難所に来るときや避難所の中で人に命令されたり、自分の気持ちに反しながら生活してきていたら、彼女たちのようにはなれないでしょう。地道な愛情の積み重ねが、子どもたちの心も身体も健康に育てるのだ、ということを知りました。

 最初の日に、「一番大切なことは何ですか?」と質問したとき、施設の職員の方たちは「身をもっての価値の伝達で、職員自身が自分たちの生活や人間関係を正していくことです」「大変なのは、エイズでもドラッグでもなく、自分自身が仲間に対して傲慢ではないか、規則正しく清潔な暮らしをしているか、といったことです。そうした私たちの日常の行動を子どもたちはよく観ているものですから」と言われました。職員の方たちの努力は大変なものだと思います。感心しました。

 メキシコは素晴らしい国でした。陽気な音楽や暖かいもてなし。美しい工芸品。古い遺跡や博物館のなかで、しかし、素晴らしい文明を作り出してきたメキシコの人々のパワーが今、経済の貧困や不平等のために、ドラッグや暴力に吸い取られてしまっているように思いました。農業の貧困が人々を都会に集め、失業が家庭内暴力や家庭崩壊を生み、子どもたちが親を捨ててストリートに出てくる。子どもたちは親に捨てられたのではない、とメキシコに行って思いました。彼らは親を捨てたのです。自分の意思で。

 私たちは今、心で子どもたちの声を聞く必要があると思いました。地球の反対側のメキシコは、今の日本の反対側でもあるように思います。




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