なまいきシャルロット (L'EFFRONTEE)
監督/クロード・ミレール
脚本/クロード・ミレール
出演/シャルロット・ゲーンズブール
ジャン=クロード・ブリアリ
フランス・スイス合作:1985年作品 97分
VIDEO/ にっかつビデオ
シネセゾン提供
シャルロット・ゲーンズブールが同名の13歳の多感な少女を演じて、共感を呼んだこの映画は1985年製作。日本では89年に公開されたが、単館レイトロードショーながらかなりの人が見に行き、シャルロットもあっという間に人気者になったことが記憶に新しい。
もう子供じゃない。でも大人でもない。近いようで遠い将来。夢はないわけではないけれども、思うにまかせぬことばかりで途方にくれるし、父親に“シャル坊”なんて呼ばれた日には、プライドが傷ついてしまうのだった。そんな年頃の思いは誰の心にも残っているはずだ。それは一番中途半端で、生き辛い時期のようにさえ思われるが、振り返ってみれば人生で最も愛おしい時代なのではないだろうか。この映画にはそんな心の有り様がしっかり描かれていて、私自身もおかげで懐かしい思いを蘇らせることができのです。
シャルロットはたまたま天才少女ピアニストのクララに出会う。彼女は同じ年だが愛くるしくその物腰は優雅で、可愛らしい指が奏でるピアノの音色は子供離れしていた。シャルロットはクララが自分と同じ年だと知って、自己嫌悪に陥りつつも憧れる気持ちは募る一方だった。憧れれば憧れるほど自分が惨めに思えてきて、家族にも八つ当たりしてしまうのだが、その後クララと急接近。クララはシャルロットに親しみを持ち、「付き人になってほしい」と言う。シャルロットは天にも昇る気持ちで、一も二もなく付いて行くつもりだった。そうすれば全てがきっとうまく行く。シャルロットはそう思ったに違いない。
さて彼女の隣の家にはルルという名前の女の子がいるのだが、シャルロットを慕っていて、よく遊びにくる。まだ小学校の低学年で無地のランニングシャツに半ズボン、黒ぶちメガネをかけていてショートカット。黙っていれば男の子にしか見えない。このルルは知りたがり屋でシャルロットを時々うんざりさせるけれども、兄しかいないシャルロットの妹のような存在だ。反抗的で斜に構えて物を見がちなシャルロットとは反対にルルは物事を正面からしっかり見据えて物を言うので、それがシャルロットをカッとさせることもあるのだが、風貌のユニークさといい、なかなかいかしたおチビちゃんという感じで、映画を生き生きさせてくれている。
映画の終盤でシャルロットはルルと一緒にクララのコンサートに行くのだが、すでにルル向かって、クララに付いて行ったらもう戻ってこないかもしれないと自慢気に話していたシャルロットだったが、コンチェルトの演奏の途中で突然、隣でルルが大声で叫んだのだ。「シャルロットがあの人といっちゃいや!」と何度も何度も。口元を押さえて黙らせようとしても黙らず、コンサートホールから追い出されてしまう。シャルロットは恥ずかしさと悔しさでトイレの中で泣いてしまうが、そこで少し冷静さを取り戻す。その後、まだいくつかの出来事があるが、彼女はまた、いつもの生活に戻って行く。
その後は、それまでのシャルロットとは違っていた。なぜクララと行かなかったのかと聞くルルに「自分が自由になりかたった。パスポートもなかったし、いやになった」と答える。さらになぜいやになったのかと聞いてくるルルにとりあえずでいいから質問攻めはやめてほしいと優しく言うのだった。
ルルがシャルロットに、シャルロットがクララに憧れたように、少女たちはまず身近で近しい人に憧れる。あるいは物語の主人公に憧れることもあるだろう。その気持ちは掛け値無しにストレートだ。そうしてそういう経験を積み重ねながら、自分自身の夢を紡いで行くのだ。私に友人が言っていたことだが、小学生の頃、何となくみんなのムードに馴染めず、またとてもナイーブだった彼女は先生に「今からそんなことでクヨクヨしていてはだめだよ。大人になったらもっと辛いことがいぱいあるんだよ」と言われて、今でもこんなに辛いのに、これ以上辛いなんて、きっと自分は生きてはいけないんじゃないかと思って、一層暗澹たる気持ちになったそうだが、あんなに傷つきやすかった時期はもうないと今では明るく笑っている。少女の頃はストレートなだけに実は傷つきやすいのだ。そんな甘酸っぱいのようなほろ苦いような味わいでこの映画はいっぱいである。特に女性の方に見ていただいて、少女の頃の自分に会ってきてほしいと思うのです。
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