今回のベトナム旅行の6日間は、私にとってとても意味のある6日間だったと思います。いまでも心に残っているのが「ベトナムの子どもの家」の子どもたちが笑顔で私たちに接してくれたことです。「第1・第2子どもの家」の子どもたちと共同作業をしました。みんなとても元気で、私たちが負けてしまうほどでした。その時、ああ、この子どもたちは子どもの家に住むことができてよかったという気持ちを持ちました。彼らは、ストリーチルドレンのほんの一握りの子どもたちです。路上にはまだ5万人というストリートチルドレンがいるのです。どうしてそんなに多くのストリートチルドレンがいるのでしょうか。聞いた話によると、家族の人数が多すぎて養っていけない。親の人間関係により追い出されたという子が多いようです。私たちの撮ったビデオを見る限り、町は平和で活気があるように見えます。でも決してベトナムの人全員が幸せとは思えないということが、私たちの目の前で実際に起こっていたのです。ホーチミン市では、バスの入り口や窓の近くまでライターを売りに来る子ども、私たちの飲んでいたコーラのびんをほしがる少年、朝5時頃私たちの泊まっていたホテルの外の階段で寝ていた10歳ぐらいの少年。その少年には、私たちに何か訴えている目がありました。その目を見た時、悲しいような困惑したような気持ちになってしまいました。その思いを抱いたままフェ市へ行った時はその思いがさらに大きくなりました。
2日目、空港まで出迎えてくれた「子どもの家」の子どもたちの服は、少し汚れていたような気がします。しかし、それが精一杯の服装なのだそうです。昼、レストランで食事をし、外に出ると、食べ物をくれとバケツを持った姉弟、その姉弟とは関係のない老夫が金をくれと私たちにせがんできました。私は、どうしたらいいのかと思い、少し涙が出ました。夜間小学校を見学。ここには、昼間働いて夜勉強をしに来る子どもたちがいました。ベトナムには義務教育などありません。しかし、昼間働いているのに夜間の学校へ行くというのは小学生の意欲が大きいということです。もっと勉強したい。だけど働かなければ家計が苦しい。そういう子どもたちが夜間小学校に来ているのです。その場所は市場の中にあり、とても臭く、ヤモリが天井をはっている状態でした。また、長椅子には生徒が5、6人座って授業を受けていました。子どもたちは手や足に傷を負っていました。何人かの子どもに尋ねると、ひとりは市場で売るための魚を川でとろうとして、またひとりは市場で刃物を使っている最中に切ってしまったということでした。それを聞いて私は、経済関係に口を出すわけではないが、もっと学校を増やして昼間子どもたちがゆっくり勉強できるようになればいいなと思いました。
3日目、フール小学校訪問。とても元気な子どもたちであったが、後で聞いたところ船の上で暮しているなど、貧しい環境にある子どもの小学校なのだそうです。ベトナムの子どもたちは、たいてい毎日同じ服を着ています。日本のように毎日変えることはできないらしいです。ドンバ市場に行った時、物を盗まれやすいというのでバッグを前にかかえました。しかも物を盗むのは子どもだといいます。それは悪いとわかってやっているのだと思います。子どもの家にいる子や親がいるのに盗みをしてしまうまでになってしまった子を考えると、私はやはり経済に問題があるのではないかと思います。ドンバ市場にも、物ごいの人はたくさんいました。私たちがお金を出さないことを示しても、物売りの子はずっとついてきました。やはり外国人はお金を持っていると思われているのでしょう。
4日目、障害児の家を3件訪問しました。車椅子をプレゼントするためです。2軒目に訪問した家の子は、水頭症のため一歩も外に出たことがありませんでした。私たちの持参した車椅子に乗って、生まれて初めて外に出たと言ってとても喜んでくれました。3軒目の家では、家族や親戚、近所の人までも、自分のことのように喜んでくれました。私たちもみんな笑顔で話しかけていました。しかし、まだまだたいへんな人もいるということを忘れてはいけないと思います。今、ベトナムの障害児には援助が必要です。車椅子などを提供し、障害児の生活をもっと楽しくしてあげるのもひとつの援助です。また、医療関係でも援助できることはたくさんあると思います。私は、援助についてもっとよく学び、実行させていきたいと思います。また、今回は、小山先生とラムさんに助けていただいたおかげで、かなり安全な所へ行かせてもらいました。次回は、ストリートチルドレンと1日を共に行動してみるなど、少し具体的な企画も入れてほしいと私は考えています。子どもの家がまだまだ必要というほど、ストリートチルドレンはたくさんいます。
最後に、戦争犯罪展示館に保存、展示されている二重胎児(ホルマリン漬け)を見た時は驚きました。20数年前にベトナム戦争で、アメリカ軍がまいた枯葉剤のダイオキシンの影響で遺伝子が壊されたためです。戦争が終結して21年たった今でも、奇形児がたくさん生まれています。また、これからも奇形児が生まれるだろうということを知りました。今回のベトナム旅行をきっかけに、私たちは私たちにできることはどんな小さいことでも深く考え、援助を続けながら交流を深めていきたいです。
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