【中学生が見たベトナム】

私には大きすぎる贈り物

中学生:女性



 ベトナムに旅立つまで、慌ただしく過ぎて本当にベトナムに行くのか信じられなかった。ベトナムという、治安が悪くて、戦後の日本みたいな国へ行って何か自分の中で変わるのだろうか。私のベトナムという国に対するイメージは、とても悪いもので、旅行に対しても、いまいち期待していなかった。

 しかし、実際行ってみたベトナムは、想像していたのとはまるで違う国だった。確かに、経済的には、まだまだ・・・である。が、ベトナムの人達は、本来人間の持っている、暖かさやずるがしこさ・・・すべてがむき出しである。それは、今の私たちには、簡単そうでとてつもなく大きな課題である。

 ベトナムの子供達は、素直で、目がキレイだ。しかも、欲しがりやで、ズルもする。私達は、たくさんの子供達と交流した。「ストリートチルドレンの家」の建設工事を彼らと一緒に手伝った時、日本の子供だったら、絶対にいやがるつらい労働を、遊びをするように、楽しそうにこなしていた。また、フール小学校というフェで一番貧しいといわれる学校へ行った時、私が持っていった大縄や、教えてあげた「アルプス一万尺」を一生懸命やろうとしていた。変にさめていなくて、彼らから見れば、異国から来た私達に、めちゃめちゃに自分をアピールし、話しかけてくる子供達。ベトナムの子供達は、テレビゲームも、色々なおもちゃも持っていない。服もそんなにきれいじゃないし、はだしだ。しかし、物が多すぎて、私達が見過ごしているもの。むきだしの好奇心や人なつこさ。そして何にでも楽しそうに取り組む心。それらは物では、得ることのできない大きなすばらしい宝ものだと思う。

 そして、この旅行でとても大きな贈り物をもらった。それはある少年の笑顔だった。私達はベトナム戦争でまかれた枯葉剤(ダイオキシン)の被害で、障害児となってしまった子供達に車いすをプレゼントしに行った。

 一人目の女の子に会った時、私の心の中には、こわいという気持ちが大きく、彼女に近寄ることさえもできなかった。心の中では、これじゃいけない・・・と、わかっているのだが、どうしても拒否してしまう。結局、彼女とは話もできぬまま別れる事になってしまった。二人目の男の子も水頭症の子だった。今度は、私が車いすをひいていくことになった。彼は、車いすに乗ると、とてもうれしそうにはしゃいでいた。その笑顔を見た時、私の中のこわいという気持ちが消えていた。『障害児』として彼ではなく、『彼』が見えた。こわいからといって現実から目をそらすのではなく、しっかりと見つめなくてはいけない。彼らに車いすをプレゼントしたのは私達ですが、彼の輝くような笑顔は、私には大きすぎる贈り物だった。

 帰って来た時の私の顔は、とても穏やかでやわらかい表情だったらしい。それほど、今回の旅行は、感動することがたくさんあったし、色々な問題提起もしてくれた。国の貧しさ、ダイオキシンの問題等々・・・。ベトナムで見た事、すばらしさも、厳しい面も、現実をきちんと伝えていかなければならない。これが、今の私達にできることだと実感した旅行だった。




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