大学の工学部を卒業して6年、ぼくは今、知的な障害を持った人たちが生活している施設の職員として働いている。学部から大学院への道も開けていたが、あえてこの道を選んだ。きっかけとなったのが、大学3年に編入学した地で始めたボランティア活動だった。月に1度、知的な障害を持った子供たちとハイキングに出かけたり、運動会を開いたりして、一緒に遊ぶというものであった。大学2年で、僕が担当したのが、章吾君だった。今から思えば、章吾君との出会いが、ぼくの進む道を大きくかえた。
ぼくの通っていた小学校と中学校には、特殊学級があった。小学校の頃には、障害を持った友達と一緒に遊んだ覚えがあるが、中学校では、そんな覚えがない。そして、高校、大学と進むにつれ、障害を持った人たちとの接触はほとんどなくなり、すっかり記憶から消えていた。そんな時に、章吾君にであったのだ。章吾君は、重度の心身障害児ということで、最初の頃は戸惑いもあったが、章吾君が話すことができたのと、明るい性格だったことが、ぼくにとって良かった。ただ、話すことができたといっても、こちらの問いかけにきちんと返答が戻ってくるとは限らない。照れ笑いを浮かべながら、全く違うことを話すことの方が多かったぐらいだ。少し人を楽しませようとするところがあったのだろうか、おどけて見せたりするが、純粋な心を持っていた。ぼくは、そんな章吾君や章吾君の友達にひかれ、障害を持った人たちと長く付き合っていこうと決めた。仕事としてか、ボランティアとしてか悩んだ末、仕事として付き合って行くことをとった。
今でも章吾君のいえに遊びにいくことがある。今、章吾君は更生施設と呼ばれる施設に入り、自分でできることを少しでも増やせるように訓練を受けている。月に2回ほどしか帰省できない。だから、章吾君と会うことも少なくなった。でも、章吾君とは、これからもずっと付き合っていくだろう。
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