我が息子、章君は発病する3才9カ月までは、病気ひとつせずに元気にすくすく育ちました。主人のフランス留学のため、章君が3才5カ月の時、パリ郊外のブルジェという町に住むことになりました。小さな頃から人なつっこく、引っ込み思案のお兄ちゃんを幼稚園に連れて行くほどの活発な男の子でした。
ところが神様のいたずらか、9月のある日、突然未明に急性脳症という恐ろしい病気にかかってしまいました。2週間生死の間をさまよいましたが、奇蹟的に助かりました。生命力の強さと尊さを感じました。この時から、章君は、彼なりのたくましさで、22才の現在まで少しずつですが、元の自分に戻れるよう病気の後遺症と戦い始めました。
私たち家族は、章君が病気になったことで、多くのことを学びました。たくさんの人々と出会い、助けられました。章君が意識を取り戻した時には、生命の尊さはもちろん、医学のすばらしさを実感しました。今でも担当医の方には感謝の気持ちでいっぱいです。
日本に帰ってからも小、中、高と養護学校という障害を持つ子供たちの楽園で親子共どもいろんなことを学びました。世の中には、養護学校に対する偏見で、普通学級に無理に入学させる方もいますが、12年間お世話になった今考えると、章君にとってはこれで良かったと思います。食事からトイレの指導、くつ、洋服の着脱の仕方等、身辺自立に向けての先生方の努力は大変なものでした。担当のお医者さんがおっしゃったとうり、たまねぎの薄皮をはがすように少しづつ何かが変わって行きました。
高校を出る時、在宅にしようか、更生施設にお世話になろうか迷いましたが、彼の自立のために施設に入所することにしました。4年前に入所させた当時は、私の方が胃が痛くなるほど心配でした。家族との接触のために、2週間ごとに土、日、月と帰省して、章君の大好きな動物園や水族館に行きます。施設の指導員の先生方も章君たちのために日夜努力して下さっています。
彼の目指す道のりは長くて遠いものだと思いますが、彼がまた元の彼に戻ることを信じて、親子であせらずに一歩一歩頑張っていきたいと思っています。また、今まで支援して下さった多くの人々と、その人々との出会いの機会を与えてくれた章君への感謝の気持ちを忘れないようにしたいと思います。
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