ひとは生まれてくる場所も、時も、選べない。
人間が築きあげてきた負の遺産をしこたましょい込むのは、いつだって子どもたちだ。この世界の「いのち」の扱いの、エイズウィルスは生き証人でもある。
内戦で流された「血」80万、HIV感染者世界第2位、平均寿命40才、150万もの孤児たちの国。北の論理にからめとられたまま、禍にも翻弄されてきた南の土地。起源説話「ウガンダの国になぜ死がやってきたか」にあるように、天の国の使者が虹を伝って降りてきて、つぎつぎとひとびとをさらっていくというのは、ほんとうのことだったのか?
写真集を開くなり、アフリカ音楽のリズムとともに子どもたちが飛び出してきた。
―そう、僕たちはいつだって、どこでだって、元気いっぱいさ!
―なぜって、僕らは自分のたいせつないのちを生きてるんだから!
記憶の奥底に何があろうと、待ち受けているのはいまここで、生き抜く、ということだ。
―あなたたちの希望のシンボルである「虹」は、この土地では死の予兆なんだ。けれども、呪われた起源説話の筋書きを、いつかきっと、僕たちの手で書き換えてみせる。
ありあわせの、与えられたすべてのものを駆使してのこの世への求愛と、子どもたちのしなやかな体に脈打つ鼓動の音とが、著者の熱い共感を通して伝わってくる。
あるとき暗闇の中から、レンズに食べ物を投げつけられた著者は、撮影者のパラドキシカルな痛みを胸に、自らに問う。「写真を撮る私とはいったい何者か」と。その答えは、まぎれもなくこの写真集の中にある。そこには、〈もう一人の小林茂〉がいるはずだ。
ウガンダ・エイズ委員会のオジョック委員長は、HIV感染者がゼロに近い15才までの子どもを「希望の窓」と呼び(AERA425号中野智明氏著「平均寿命31才の恐怖」より)、著者は、この写真集のタイトルを「トゥスビラ 希望」と名づけた。
宮沢 一二三
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