ブラジルの路上で、警官はいつだって子ども達の味方なんかじゃなかった。
リオの大聖堂。子ども達が虐殺されたその事件の行方を、各国は非難の内に見守ってきた。それでも大都会のまん中で、ひとり、またひとりと子ども達は警官の手によって殺され、その死は他者のせいにされて片付けられていく。どうせあの子は麻薬の売人の手先だったんだ、と。
たくさんの警官が死ぬほど安い給料で生活している。商店主の目の敵は汚い身なりのあの子達。こうして警官はバイトに励む。
ブラジルは、あの事件で何人もの警官や、状況証拠からもっと大きな陰謀も存在したと考えられる発砲の責任を、ひとまずたったひとりの警官に絞った。その警官自身、子ども達の暴力を主張し背後の関係を否認している。気の遠くなるような歳月という罪の償いをその肩に。
内外に向けて形はこんな風に整えられていく。 あの銃撃の中から奇跡のように生還した少年がひとり、苦しみを乗り越えて新しい道を歩み始めた。路上の子ども達には、輝く生命がある。
・・・そして、警官にも生活があり、家に帰ればかけがえない子ども達がおなかを空かせて待っている。
【ブラジル警官、禁固309年】
朝日新聞、1995年5月1日の記事によると、1993年、ブラジルのリオデジャネイロで、ストリートチルドレン8人が射殺された事件で、リオ地裁が殺人罪などで訴えられていた警官マルクス・ビニシウス・エマヌエル被告(29)に禁固309年の有罪判決を言い渡したとある。判決では、被告は1993年7月、リオのカンデラリア聖堂前広場で生活していた子どもたちを銃撃し、8人を殺害、6人に傷害をおわせた。
ブラジルでは、ストリートチルドレンによる万引きやひったくりなどに対して、商店主らが警官に金を払い殺害を依頼するケースが多い。けれど判決は、第三者が犯行を依頼した事実は認めなかったそうだ。
このカンデラリアの虐殺事件が、「プラッサ」発刊のきっかけとなった。
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