ナトセン、の愛称で親しまれ信頼されている教師がいます。今日の授業は昼寝にしようとか、子どもたちとザリガニ取りに行って来ましたとか、ライブ感覚の様々な公開授業や学校行事と、おもしろ学校づくりに日々奮闘している楽しい教師です。しかも、公立の小学校でよくこんなことが出来るものだと誰もが驚かされ感心してしまう。ナトセンはトンデモナイ教師?いいえ、ナトセンは子どもたちにとって、トンデモヨイ教師なのです。
学校の行事の中に、演劇や音楽の鑑賞というのがあります。ナマの舞台や演奏に接する機会の少ない子どもたちに、巡回してくる劇団や楽団(あるいは映画フィルム)の演技を見せようというのがもともとのものでした。
が、今では各地にホールも建てられているし、テレビもあるし、学校で鑑賞教室を持つこともない。週休2日制も隔週ですが導入されて、授業時数の確保も難しいから、そんな行事はやめてしまおうという人もいます。
なぜ子どもたちが路上で生活せねばならないのか。家庭内暴力がその一番の原因であろう。親たち、特に父親がふるう暴力に耐えられなかった、といって家を出て来た子どもたちが沢山いる。ブラジルのように、まだまだ社会のなかでマチズム(男性崇拝主義)が強く根付いている国では、母親の権威は無いに等しい。「母親には会いたいと思うけれども、父親のことは思い出したくない」貧しい生活のなかで、自発的に仕事を始めた子どもたちが一生懸命稼いだお金を、父親に巻き上げられることも多い。そのようななかで、子どもたちは幼いなりに自分が「搾取」されている状況に気付き、生きてゆくためには親から、すなわち家庭から離れなければという考えに至るのである。この「搾取」は、経済的なものに留まらない。家庭内で、父親から性的虐待を受ける少女たち。まだ性的な知識もまるでない時期に受けた傷は、身体的なものよりもむしろ、精神的な傷跡として子どもたちの脳裏に焼き付いてしまう。
でも、年に2回くらいそんなイベントがあったほうがおもしろいとぼくらは主張しています。
そして、95年度は1学期にジャズ・ピアノのコンサートをしました。2学期には「アイヌ民族の踊りと歌」という企画を立てました。もちろん、ただ単なるイベントではなく企画したぼくにはいろいろな考えもありました。
アイヌ民族に関していえば、学校の教科書にはほとんど記述がありません。教師の側でも、アイヌの口承文芸にユーカラがある。明治以降同化政策がとられた。北海道の観光地にいるくらいしか知らないのが実状です。
そこで、日本がアイヌ民族の土地に侵略したのは江戸時代からだ、クナシリ・メナシの蜂起、シャクシャインの蜂起があった、反乱というのは日本人の立場での言い方で蜂起というべきだ、アイヌ民族は滅んでいない、今も声をあげているなどと、ぼくは言いたくなるのです。でも、ぼくが知ったかぶりをして言うより、直接アイヌ民族の方々に来ていただいたほうが、より正確ではないか。アイヌの歌や踊り、刺繍文様を通して文化や生活にふれるというのも一つの方法ではないかと思ったのです。
もちろん、提案するときには、そのような意図は話しませんでしたが、実際にアイヌの方々の踊りと歌に接した子どもたちには何か伝わったことでしょう。その何かがいつか一つの文様となると思うのです。
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