昨年(注:3号は1996年に発行されています)、NHKで放送されたドキュメンタリー番組「僕たちはあきらめない〜混迷のハイチと子供たち〜」をご覧になりましたでしょうか。アメリカ大陸の最貧国といわれるハイチは、独裁政権からアリスティド神父に政権が移ったからといって、決して平明な道を歩むことはできませんでした。軍事クーデター。アメリカ合衆国による自国利益優先政策。
そのようななかで、子どもたちは路上へと出ていくのです。同番組の構成・編集をなさった、ドキュメンタリージャパンのディレクター五十嵐久美子さんは、話の間中、終始何かをじっと見つめる眼差しを崩しませんでした。南の貧しい人たちの悲しみを数多く映像に収めてこられた方が持つ、優しさと強さを、彼女の内に感じずにはいられませんでした。
子どもたちの目線で
― まず、ハイチの印象を一言で言ったらどんな感じですか。
五十嵐 パワフルなんです。人が。すごく生きることに対して。エネルギーがある。アジアの国もたくさん行きましたけれど、やっぱり血のせいかなって気もします。アフリカ人が持っているぐっとくるパワーみたいなもの。それはすごく感じましたね。あれだけ虐げられて、あれだけ酷い目にあって、何処も行き場がなくて、よくあれだけ明るくしてられる。踊ってられるというか、それがすごいなと。やっぱりすてきだなと。
― エリックとエリックソンは、どうやってみつけられたのですか。
五十嵐 彼らは特殊なんです。百人ぐらいの子供と会って話しました。
― パレス(大統領官邸)の前にいたらいたで掴まえて聞いて、百人ぐらい聞いていってその後で、選ばれたんでしょうか。自然に。
五十嵐 そうというか、もう自分で動いちゃって。コーディネーターに通訳をやってもらって二人でまわったんですけど、基本的に何処で寝てるかという情報をまず集めて。ポルト・プランスで10ヶ所位ねぐらはあるんですよ。パレスの警察の前とか必ず安全なところがあるんですね。だから夜中に集まって寝るところに行って、寝ちゃったのを起こすわけにはいかないので、寝る寸前を掴まえて。というのは、昼間は三々五々あちこちに行ってますから。片っ端から年齢とか名前とか両親はどうしたとか聞いて。で、みんなに話聞いて、ランク付けするのも変ですけど、勘みたいなもんなんです。この子がいいなと思った子が、2〜3人いたぐらいかな。それでもなんかすこしちがった感じがしてて、本当に最後の最後に会えたのがあの3人組なんです。私は兄弟を探していたんです。たとえば、妹と兄さんとか。男の兄弟でも女の姉妹でも。それが双子の兄弟に、その子たちが育てている子ども。あの3人組の組み合わせがすごくよくて。
― そうですね。エリックが「僕はあきらめない」って言ったらエリックソンはそんななんて言い方してね。
五十嵐 エリックソンの方はちょっとあの否定的というか、いつもこう斜に構えてるところがあって、絶対なんかそんなこと無いよって感じで。その二人の組み合わせが面白いなって。
― 女の子っていうのが見当たらなかったんですけど。
五十嵐 女の子もいます。探したんですけど、基本的に国柄というのもあるのか、あまり外に出ないんですよね。だからお手伝いさんなんかの仕事があるといえば多少はあるし。ゴミ捨て場にも男の子みたいに見えますけど何人か女の子たちもいます。
でっかいジープにのっている人たちは、
自分たちの車がたてる埃で、
道端にいる飢えた僕たちが見えないのさ。
―エリック―
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― 先程、エリックとエリックソンの話が出ましたが、子どもたちから感じたことはなんですか。
五十嵐 感じたと言うよりは、彼らから教えてもらったんです。おとなたちがかってにしている話を聞いて、言っている部分もありますけど、賢いし、パワーもありますね。何が正しいか、正しくないか判断しているし、おとなが曖昧にしているデモクラシーを真剣に考えています。
― エリック少年が堂々ときちんとした形で論理的に話を展開できることにびっくりしました。あるいはゴミの山に住んでいるジャッキー少年も同様に言えます。政治的な流れの中で、開放の神学者のアリスティッド大統領が一生懸命民衆に話しかける。その民衆が乾いた砂が水を吸うように彼の言葉を吸い込んでいったから、子どもたちにまでその言葉が届いたのかなと思っいました。
五十嵐 もちろん大人たちに関してはそういう砂が水を吸い込むというようなことはあると思うんですけど、子どもたちにとってはアリスティッドもきたし、国連もきた。アリスティッドが大統領になってクーデターが起るわけですけど、それで国連がきてそれでもなんか様子が違うなと。だから何度もそういうことがあって、あ、今度こそ平和になると思ったことがひっくり返されてくると、ぜんぶを基本的に疑ってかかってる。でも、希望は捨てないという。そのへんのこうなんか、曖昧なところがやっぱり私たちは逆に客観的だなと思うんですけど。
― でも、子どもたちが本当にここまできちんと理解できている。あるいは考えて、それを五十嵐さんたちにどんどん表現できるってことがすごいですね。
五十嵐 ただ時間はかかりました。そこまでいくには。
― はじめの方で、クリントン米国大統領が来たところがありましたね。アリスティド大統領の演説はすぐ目の前で撮っているのに、クリントン大統領の場合は人々の後ろから撮っていますよね。これは理由があったのでしょうか。
五十嵐 クリントン大統領が来たときにジャーナリストがいっぱい来てて、全員パレス(大統領官邸)の柵の中へ入ったんです。ジャーナリストが泊まる宿って皆同じですから、色々話してて「中に入るカード貰ったか」って。「私たち入らないから」っていったら、「また下らない子どもたちばかり撮っているのか」って。「クレージー・ジャパニーズ」とか言われてたんです。結局皆柵の中でおんなじ壇上でクリントン大統領ばかり撮ってて、で、私たち絶対入らない。入らないで子どもたちの目線で、クリントン大統領が見えなくてもいいやって。見えなくてもかまわない。それでもいいというふうに撮ったんで、その撮りかたというか、目線というか、それはカメラマンも私もこだわりました。
― それでいわゆるニュース映像のクリントン大統領じゃないわけですよね。子どもたちが前面に出てて、クリントン大統領が遠くに映ってて。子どもたちと同じ地点でものを見ていかなければいけないんだということ本当に感じました。エリックとエリックソンはクーデターの後、ポルト・プランス近郊の村に逃げましたよね。
五十嵐 ええ。クーデターが起きたあとは、おとなだろうと子どもだろうと、ほとんど毎日だれかが殺されていた時代ですから。彼ら自身の中にもスパイというか、軍部がわざと作ってお互いに密告させあったり、イジメみたいなもんですね。あいつがなんかしたとか。あいつが軍部の悪口言ってたとか。そういうことで殺されたりということが随分あったようですよ。その時代は。それで恐くてというか、それから逃れるためにあの二人は田舎に逃げたんです。
― 二人が田舎に行ってた頃に、路上の子どもたちというのは急速に増えたんですか。今は1万人ぐらいっていわれてますけど。
五十嵐 その後に、アリステッドが復権してそれで皆田舎から戻ってきて、おとなも子どもも莫大に増えたんです。
― アリスティドが大統領に就任する前は、子どもたちは殺されていたわけですか。
五十嵐 もちろんそうだと思います。ただ子どもたちよりも、やはり圧倒的におとなを狙った、政治的なものだったと思います。軍部に反対しているという。ちょっとでも悪口をいうとそれだけですぐ連れていかれるという。
僕はもう信じない。
アリスティドだって
何もできないに決まってるんだ。
・・・金持たちは、
貧乏人をずっと貧乏にしておけば、
金持ちでいられるんだもの。
―エリックソン―
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臭くないゴミの山
― 話はかわるんですけど、ジャッキーと家族が住んでいるゴミの山のことでちょっとお尋ねしたいんですけれど、国連のトラックが捨てた食べ物を拾ってましたよね。で、「軍隊がここにきて俺たちは腐敗した」というのが書いてあって、アメリカ軍や国連がくる以前はビニール袋だとか、いわゆる再生可能なものを拾ってそこでジャンクショップでお金にするってことはやっていたわけですか。
五十嵐 ハイチはそれはないです。買う人もいませんし。
― そうすると拾うのは国連とアメリカ軍の残飯だけですか。
五十嵐 そうです。食べるためだけです。匂いがうつらないんです。私も前にフィリピンのスモーキーマウンテンで取材したこともあるんですけど、あそこは本当に臭いんです。鼻が曲がるほど。すっごい臭いんです。ハイチでまたゴミ捨て場があるということを聞いて行こうと決めたときに「あ、臭いだろうな」ということを覚悟して行ったんです。でも、ぜんぜん臭くないですよ。それでよく考えてみたら、その光景を見てると、これは全部腐るものをみんな彼らが食べるから、残るのはプラスティックとか紙とかそういうものだけなんです。乾いてるんです。ゴミ捨て場が。腐るものは無いんです。すごいなあと思ったんです。
― ほかの国のゴミの山だったらば、最初に拾われる再生可能なものは、ずっと残りつづけているということになるわけですか。
五十嵐 そうですね。フィリピンのスモーキーマウンテンだったらばプラスティックとかそういうものはみんな取ってしまうから、後、残るのは腐るものばかりですね。生ゴミとか。だからものすごく臭いんです。
― そうするとハイチのゴミの山では、食べ物を取ることができなかったらば、食べることができない状態になっちゃうわけですね。
五十嵐 そうです。あそこに行っても結局大きい子が先にわあっと争ってちゃんとした残飯を取っちゃうんです。で、小さい子は結局残りかすだけみたいな感じなんです。だから、今日一日何も見つけられなかったって子どももたくさんいたし、そういう時は何も食べられない。
― じゃあ逆に国連や多国籍軍がいなくなったらば、食べられるものが極端に減ってしまうことになるわけですか。
五十嵐 そういうことにもなります。
― ゴミの山で生活しているジャッキーの兄はエイズで亡くなりましたが、相当広まっているんでしょうか。
五十嵐 みたいですよ。私はそっちのほうはほとんど取材しなかったんですけど。NHKの番組でエイズを取材したものがあって、かなり広がっているみたいですよ。少年たちの売春が多いということで。昔フランスの植民地でしたから、そのころから染み付いてる習慣というか、貧しい子どもたちがヨーロッパから来るホモセクシュナルの人たちに売春をするという習慣はその頃から染み付いてる。それがたぶん、エイズを蔓延させているんじゃないかとね、NHKの番組ではそういってましたけど。私はお会いしなかったんですけど、日本人のシスターの方がいらっしゃって、確かエイズ患者の人たちを看てると思いますけど。
路上には出ていかないよ。
路上の彼らには、何が間違っているか
教えてあげる人がいないんだ。
このゴミの山の方が少しはましさ。
でもどっちにしたってみんな
ゴミみたいなものさ。
埃になって終わるだけなんだ。
―ジャッキー―
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ハイチには地球の抱える
全ての問題がある
― 子どもとは別の話として、山村のことが紹介されましたよね。ハイチでは森林の96%が伐採されて、4%しか山林は残っていないと聞いたことがあります。経済制裁の影響もあり燃料は木炭しかない。木炭しか使えないということは北アメリカと、ラテンアメリカの差。あるいは北アメリカによって管理されているラテンアメリカとか、カリブ地域の悲劇という部分なのかなと思ったんです。ちょっと南に降りれば石油の産出国があるわけだし、北からだって石油はいくらでも買えるわけだし。でも木炭を使う。その木炭を作ることが唯一の現金収入の元となる。どうしようもなく木を切らざるをえない。木炭を売ることでしか食べることができない。長老のおばあさんが、「これが最後の炭焼きで、これ以上木は切れない」と言いますよね。「これで炭を売ってこれが最後のお金なんだ」と。そのあとどうするんですかと聞いたら、「このお金を少しずつ使っていくしかないでしょ」と。その僅かなお金を使いきってしまえば本当に何にもなくなってしまうわけですよね。だから見ている方として、すごく心の辛い部分に残ってしまうなと感じたんです。
五十嵐 今回のドキュメンタリーの場合はあの部分が余計なんじゃないかと。例えば構成を考えたりするときに。そういう意見をいう人もいたんですが、でもやっぱり環境とか、政治的な問題とか、昔からある南北問題とか全部あってああなるんだと思うんです。それは地球そのものも同じだと。私たちが抱えている問題も変わらないと思うんですね。全部がちょっと、ちょっと、ちょっとずつずれてるからおかしくねじ曲がってる。だからあの小さな島で地球そのものの抱えてる問題が全部ある。ただほんとにまあ面白いという言い方をしては変かもしれないけど、興味深いなと思って。
― そう思いました。路上の子どもたち、ゴミの山、それから山村の部分があって、三つに分かれていても一つの大きなテーマを持っている。そのことで、エリックがなぜ路上にいるのかということが、より鮮明に出てくるのですよね。
五十嵐 いってみればエリックたちの生き方が、今後の私たちの生き方に、示唆してくれるものがあるんじゃないか、教えてくれる何かがあるんじゃないかという気持ちでわたしたちは子どもを取材したんですけど。だから、子ども、なんかこう可哀想というある高みから見る子どもたちじゃなくって、逆に実は私たちが路上にいるんだって、地球の上で路上にいるのは私たちじゃないのか。で、そのなかでそのあの子たちが何か考えたり、生きるためにいろいろと考えた知恵とかそういうものが、私たち自身に何か跳ね帰ってくるものがあるんじゃないかと。元々のコンセプトはそれだったんです。
― そうですね。わたしたちになにができるか、どういうところで全く違う文化、違う言語を使っている人間同士が手をつなぐことができるのかというのが、お互いを知って勉強をしていくことから始めなければいけないんじゃないかってことですね。五十嵐さんが、子どもたちに教わったことの方が多かったという言葉は、とても重いと思うんです。子どもたちのことを真剣に考えている人って、いろんな表現のしかたはあるんですけれど、そうおっしゃいます。自分も子どももほんとうは一つのおなじ場所にいるわけで、その言葉を本当に実感としておっしゃるから、納得できるんですね。映像もすごくよかったし、五十嵐さんの言葉自体が、あの映像の後ろにあったんだって解ると余計その意味が鮮明に見えてくる気がします。
五十嵐 ハイチはね、悲しい島ですよ。行ってみられたらいかがですか。悲しい島ですけど、やっぱりすごく楽しい島でもあるんです。何か生きるエネルギーがあるというような。
デモクラシーとは分け合うこと。
そしてどんな人間でも、
みんな同じ人間だということ。
僕たちはあきらめない。
―エリック―
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「僕たちはあきらめない
〜混迷のハイチと子供たち〜」
共同制作:NHKエンタープライズ21
ドキュメンタリージャパン
プロデューサー:橋本 佳子
構成・編集 :五十嵐 久美子
本文中の子どもたちの言葉は、番組中のインタビューより引用させていただきました。 (聞き手:小池)
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