なおこのシネマ宝石箱
〜子どもが輝く瞬間〜  第一回

『ミツバチのささやき』

親松 尚子



ミツバチのささやき (El Espiritu de la Colmena)
製作/エリアス・ケレヘタ・プロ (Elias Querejeta Produccion)
監督・原案/ビクトル・エリセ (Victor Erice)
スペイン:1973年作品・ イ−ストマンカラ−・ビスタサイズ・1時間39分



 子どもを描いた映画といって、わたしが真っ先に思い浮かべるのは「ミツバチのささやき」というスペイン映画だ。その映画はわたしに、子どもはいつから大人になるのだろう、あるいはいつから子どもではなくなるのだろう―。そんなことを考えさせてくれ、少しでも大人びて見られたいと思って、背伸びがちだったわたしに、忘れていた大切な事どもを思い出させてくれたのだった。

 日本で公開されたのが1985年だったことを思えば、公開年に見たわたしは、それから10年が経過していることになるのだが、不思議とそんな気がせず、まるで昨日見てきたばかりのように、美しい詩のごとくあれこれが刻み込まれていて、まったく色褪せていないことに驚かされる。

 映画の舞台は1940年、スペインはカスティーリヤの田舎。ある日、その町にも移動巡回映画がやってきて、「フランケンシュタイン」が上映される。主人公の少女、アナは姉のイサベルと一緒にその映画を見るのだが、映画に出てきた怪物のことが胸にこびりついて忘れられなくなってしまう。―映画を見ただけでは、はっきりした年齢はわからないが、すでに小学校に通っていることを思えば、アナが6歳、姉のイサベルが10歳前後といったところだろうか―アナは姉に見たばかりの映画について質問する。「怪物はなぜ少女を殺したの? そしてなぜ怪物も殺されたの?」と。

 この問いは根源的な問いであり、難問で、もちろん姉のイサベルには答えようもないのだが、アナに何度も聞かれて、姉としての威厳を保つためもあったのだろうか、それこそ口から出まかせを言う。「映画の中の出来事は全部ウソ。怪物はじつは精霊で、村はずれに隠れて住んでいるのをわたしは見たのよ。精霊なんだから、あなたがお友達になれば、いつでも話ができる。目を閉じて、私はアナですと言って彼を呼べばいいのよ」と。

 幼いアナはそれをすっかり信じ、学校帰りに村はずれにある一軒家に行ってみると、そこには負傷した脱走兵が隠れていた。アナには脱走兵と怪物(精霊)とが重なり、怖々ながら近づいていく。ふたりの間に会話は交わされないが、通じ合うものがあり、アナは内緒で家から食物や父親のオーバーを持ち出すのだった。アナにとっては初めての異世界との関わりであり、また初めて持った秘密だったのだろう。

 結局、脱走兵は追っ手に捕まり、銃殺されてしまうのだが、その男が持っていたオーバーや懐中時計にアナの父親の名前が彫られていたのだろうか、父親は警官に呼び出される。もちろんその脱走兵と何の関係もないことは明らかなので、おおかた盗まれたのだろうと、オーバーと懐中時計は返されるのだが、この直後の家族の食卓のシーンは息を呑むほどの緊迫感にあふれた見事なものである。

 父母とイサベルとアナのいつもと変わらない4人で囲む食卓だが、食事の途中で、何げなく時間を確かめる風を装って、父親が懐中時計を取り出す。この時計は蓋を開けるとオルゴールが鳴るのだが、その音が流れるなか、どぎまぎしているアナを父親はもちろん見逃しはしなかった。時計が父の手元に戻っていることで不安になったアナが一軒家に行ってみると、中はもぬけの空だった。そしてそこで振り返って、父親が後ろに立っていることに気づく。

 さてこの後、アナがどうなったのかは映画を見ていただきたいと思うのだが、人の心の美しいものだけを集めて作られた宝石のようなこの映画を作ったのは、ヴィクトール・エリセ。1940年、スペインのカスティーリヤ生まれの監督だ。エリセ監督は、「フランケンシュタイン」の川のほとりで怪物と少女が花を摘んでいる光景のスチール写真を眺めているうちに、自分の幼い日の経験が凝縮されて存在していることに気づいたそうである。そこから「ミツバチのささやき」は生まれたということだが、わたし自身、映画を見終わって、幼い日の記憶が蘇り、心底驚いてしまった。幼い日のわたしもまた、そういった異世界の住人たちといとも容易くつながっていたことが思い出されたのだった。

 なかでも当時、アニメ化されTV放映されていた「ゲゲゲの鬼太郎」はわたしのお気に入りの番組だった。人間に悪さをする妖怪たちをその霊力を使って退治する少年、鬼太郎は、子どもたちのまさにヒーローであったのだが、とりわけわたしには大切な近しい存在であり、生き生きと活躍する鬼太郎がお話の世界の人だとはどうしても思えなかったようだ。というより、一点の疑いもなく、鬼太郎やその鬼太郎が存在する異世界を受け入れ、そちら側の世界に自分の半分がはまり込んでいたような状態とでもいったらよいだろうか。

 わたしはお話の中で子どもたちがそうするように、妖怪ポストに手紙を入れれば、鬼太郎に絶対会えるのだと信じていたので、まだ外出といったら母に連れられてお買い物に行くぐらいだったが、その際にはキョロキョロと道路脇を眺め、妖怪ポストを探したものだった。しかし当然のことながら妖怪ポストを見つけることはできなかった。それでも子どもというのはたいしたものだ(といっても自分のことなのだが)。鬼太郎は全知全能なのだから、これほど会いたいと思っているわたしの気持ちが伝わらないはずはないと確信にも近い思いを抱き、ある日意を決し、まだたいして字も書けなかったように思うのだが、鬼太郎宛に手紙を書いたのだった。 当時住んでいた家は父の仕事場と一緒になっていたので、空き部屋もあり、中2階にあったお客さんの布団やらを置いていた部屋は、半分物置のようで薄暗く、寂しげで、子ども心に妖怪たちの住む異世界にもっとも近しく思われた。ひとりでそこに入るのは怖くてかなり勇気がいったはずだが、わたしはその部屋に入り、手紙を置いてきたのだ。一晩経ち明日になって、その手紙がなくなっていれば、鬼太郎の下に届いているはずなのだとひとり勝手に思い、どきどきしながら眠りについた。

 翌朝、目覚めたわたしはいつもどおり、朝ご飯を食べた後、ひとりその部屋へと行ってみた。ドアを開けようとして触れたドアノブの冷たさが、一瞬緊張させたが、何のことはない、手紙は置かれたときのままそこにあった。しかしだからといって、それで鬼太郎がいないと思うようになったわけでもなく、「あんなに忙しい鬼太郎のことだもの、特に困っているわけでもないわたしのところにまで、なかなか来れないんだろうな」などとごく自然に思ったように記憶している。その手紙にどんなことが書かれていたのかは、自分のことでありながら、まったく覚えていないので、もし手紙が残っていたら感涙ものだが、もちろん紛失している。

 そんなあれこれが、この1本の映画を見たために自分の内から立ちのぼってきて、くらくらと目眩を感じた。そして幼い日のわたしが「やあ、こんにちは」と目の前に現れたような、驚きと懐かしさとうれしさがないまぜになって、わたしを包んだ。映画が、時を経て自分の内で結晶していた宝石の存在に気づかせてくれたのだった。

 写真家の奈良原一高氏はこの映画を「幼い神様の物語」と讃えていたが、その一言こそがすべてを言い尽くしているように思える。




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