ポコ・ア・ポコ(少しずつ、少しずつ) |
万葉集を読んで援助について考えた |
万葉集が読めない 先日、古谷信孝さんが書かれた「万葉集 ― 歌のはじまり」を手に取りました。その本の中で古谷さんがまず指摘したのが、現代語に訳すだけでは歌を読んだことにはならないという点でした。高市黒人が旅先で詠んだ「磯の崎漕ぎ廻み行けば近江の海八十の湊に鵠多に鳴く」という歌を例にとって、現代人にこの歌が読めるかと問いかけています。古語を現代語に一語一語移しかえていけば、「この作者は、琵琶湖を船で旅しながら、港ごとに鶴の鳴き声が聞こえて旅愁を感じているのだろうな」と解釈することができます。けれどこの歌は旅の安全祈願のために詠まれた、呪術的なものだったのです。万葉の時代の旅は様々な危険をはらんだものだったでしょう。無事に家に帰りつくよう願いを込め、旅人自身も、家で待つ妻も安全祈願のために呪術をおこなっていました。「鶴の鳴き声」とは、旅人にとっての呪術なので、この歌は無事に旅を終えるための呪術の歌となるのです。現代のわたしたちはそんなことはしません。観光旅行に出かけるのに、無事に帰ってこれるかなどと不安に思ったりなどしないでしょう。そのため、知識としてこの歌が呪術的なものだとわかっても、高市黒人が抱いたであろう、旅や、旅先にいる神々への畏怖の念を共有し理解することはできません。
理解を阻む障壁 いくら古語だとはいえ、同じ日本語でありながら万葉集を理解できないとは情けないことです。異なった時代にいるがために、万葉の時代の背景や人々の心情をわたしたちはなかなか理解することができないのです。この時代という言葉を、国や民族に置き換えても同じ問題が出てくるでしょう。千年の昔にわたしたちが場所を位置しなければ、万葉の歌々を本当に理解できないように、ニーチェやキルケゴールといった実存主義者たちが語った神を理解するためには、キリスト教の世界でなければ不可能なのかもしれません。それぞれの国や民族が持っている宗教、文化、伝統などは、千年という時間と同様に大きな障壁であるのでしょう。南北問題では、そのことがもっと難しく複雑になります。ヨーロッパ文明と、非ヨーロッパ文明。北による富の独占。支配、被支配。アメリカ合州国の人権外交と、それに対しての「中国には中国の人権がある」との中国政府の反論は、米中双方がこの相互理解を阻む障壁を、自分たちに都合よく利用しあった結果だったのではないでしょうか。
日本人の尺度 ODAであろうとNGOの援助であろうと「先進国による援助」の難しさはやはりそういった障壁にあると思います。本号でも歯科衛生士の徳田さんが「日本人よ、ネパールの子どもをむし歯にすることなかれ!」で同様のことを指摘されていらっしゃいます。先進国といわれている国に住むわたしたちが、良いことをしたと思っていても、相手にとってみれば、よけいなお世話でしかないかもしれません。それどころかODAについては、現地の人たちの生活の場を奪ってしまうような開発が、平気でおこなわれているとよく耳にします。こうなるともう、よけいなお世話どころではありません。わたしたちは日本人の尺度で相手をみてしまいがちです。また、相手が相手の尺度でわたしたちを見ることもあります。ブラジルのある路上生活化防止プロジェクトで子どもたちのお昼を、一緒に食べさせてもらったことがあります。そのとき横で食べていた小さな男の子が「どうだ、こんなにお腹一杯食べたことないだろ!」と自慢そうに話し掛けてきました。彼にしてみればどう見ても金持ちには見えないわたしは、彼の友達と同じように、いつも腹を空かしていると思ったのでしょう。彼の生活環境の中では、わたしの日常の食生活は想像もできないはずです。わたしもまた、彼は貧困ラインぎりぎりの生活をしているのではないかと、想像することしかできません。ただこの想像するということが、障壁を乗り越えるきっかけを作ってくれるかもしれないとわたしは思うのです。障壁を越えるとは、お互いを理解しあい、援助をするとかされるとかいう形ではなく、対等の立場での関係を作っていくことです。そのためにわたしたちはどうしていけばよいのか。次回もこのことについて考えていきたいと思います。
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