スーダンにおける女子割礼

レイラ・アブデルラヒム
(Leila AbdelRahim)



 先日開催された北京女性会議でも、女子割礼の問題は「女性器切除」として大きく取り上げられましたが、今年6月、スーダン人の父親を持つレイラ・アブデルラヒムさんから、スーダンでの女子割礼の問題についてお話をうかがいました。

文責:小池 彰



 私はレイラ。モスクワ生まれです。父はスーダンの北部出身ですが、母はモスクワ近郊の出身ですので、私の国籍はロシアです。

 私は、モスリムの女性割礼についての、リサーチャーとしての仕事をしています。特にヨーロッパに在住のモスリム女性の文化的アイデンティティーや、割礼にたいする意識の調査などをおこなっています。昨年、米国ワトソン基金奨学金留学生に選ばれ、今年6月には、米国に向かいます。

 女子割礼について日本の方はあまりご存じないと思いますので、少し説明させてください。割礼そのものは、イスラム教以前からすでにアフリカに存在していました。男子の割礼と異なり、女子割礼は、男性優位の世界の中でおこなわれています。女性は力を持ってはいけないのです。それなのに男性性器の名残として、クリトリスがあります。だからクリトリスは悪魔のシンボルといわれています。出産の時、赤ん坊がクリトリスに触れると、死んでしまうという言い伝えまであります。

 割礼には約4種類のタイプがあります。スンナ割礼、陰部摘出、陰部封鎖、陰部刺切です。スンナ割礼は、陰核包皮を円周状に切除することです。陰部摘出は、包皮のみでなくその他の部分まで含めて切除します。陰部封鎖は、切除する部分の大きさは地方によって異なりますが、切除した後、膣下端を完全には塞がらないようにしながら、切除部分を縫いあわせたり、癒着させたりします。癒着させるためには割礼を受けた子どもの太股を縛り、何日間かそのままにしておきます。陰部刺切は会陰部を裂いたりもします。

 女子割礼をおこなうことは、なぜ男にとって必要なのでしょうか。宗教上のこととか、昔からの習慣だともいわれていますが、それだけではありません。男性にとって女性は性欲を持ってはいけないのです。割礼により女性の性欲をなくし、ほかの男に走らないようにしようとしているのです。女性は女性で、男性に快楽を与えるためはこの行為が必要だと思っています。つまり、男はいつでも自由であるのに、女は小さいときから男に従属しなければならないという考え方なのです。

 割礼を受ける年齢はまちまちで決まってはいません。ただ、女の人がその行為をおこなうので、あまり大きくなると、女では抵抗できないよう体を押さえることができないので、小さいときにおこなうのが普通です。私の従姉妹二人は、12才と14才で受けました。フランスのスーダン人の子供の例ですが、生後3週間で受け、出血多量で死亡したこともあります。また、妊娠後割礼を受ける場合もあります。

 割礼により死亡する場合もたくさんあります。消毒もしていない剃刀によって感染症となったり、炎症を起したり、出血多量によったりです。あるいは、生理の血が体外に出なくなったためという場合もあります。ただ、割礼後何年も経ってから死亡するようなケースは、それが割礼のためなのかどうかはっきりしないこともあります。

 割礼による内面的な問題として、母親が娘にそれをおこなうことにあります。そのために、母子関係に精神的苦痛をおよぼし、そのことを引きずっていかなければなりません。そういった意味で、女性同士の友人関係は、表面的になってしまいます。心の奥では相手を信用してはいないのです。

 はじめにもお話しましたように、私はヨーロッパでモスリムの女性の割礼についてのリサーチをおこなってきました。その結果、ヨーロッパと、スーダン本国との割礼にたいする考え方の興味深い相違についてはっきりしました。

 ヨーロッパのスーダン人は、貧しい人たちはこの習慣をやめたいと思っているのですが、裕福な人たちは、続けたいと望んでいます。その理由として彼女達は、経済的には不自由がなくても、差別されていることをはっきりと感じているのです。そのため、伝統的なほこりを捨てないためにも、割礼をおこなっているのです。

 それにたいし、スーダン国内では、貧しい人たちは習慣として続けようとしていますが、裕福な上層階級は悪い習慣としてやめたいと思っています。つまり、ヨーロッパ在住の人と、国内にいる人では、とらえかたが全く逆になっているのです。直接ヨーロッパの内にいるか、ヨーロッパの目を気にするかの違いです。

 ですから、スーダンはイスラム法による政策をおこなっていますが、割礼を法的に認めている場所と、認めていないところとがあります。

 男優位の世界が割礼をおこなわせているのです。スーダンでは、常に男が一番で女はその次でしかありません。そして子どもたちは一番最後です。ですから子どもたちはいつでも飢えています。兵隊が、ノートや本を買いに行く子どもたちに銃をあて、金を奪うような状態なのです。

 外国からの援助にかんしてですが、スーダンにいる国連の人たちは、ベンツを乗り回しています。そのベンツのガソリンで、1年分の村の食料がまかなえるのです。彼らはただ、金をつかうだけです。割礼は大嫌いです。でも、日本人にとってスーダンは遠すぎます。スーダンだけではなく、第三世界すべてがそうです。援助はとても難しい問題です。



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