小さな親切、大きなお世話
〜日本人よ、ネパールの子どもを
むし歯にすることなかれ!〜

徳田 良子



■『ギブ ミー チョコレート!』

 「ネパールの子供の歯をむし歯にしているのは、観光客それも、ほとんど日本人なんだ。」と友人に言われた私は「はぁ〜?」と何の事やら分からずに、首を傾げました。

 これは、1989年にネパールに行ったときのことです。彼は、敬虔なラマ教徒でネパール人のサントシュ・ラマ。サントシュは、大変な親日家で、日本にいた時に見た雪がとても綺麗っだったことから、愛娘に“雪子”と名付けました。そんな彼が初めて日本人に対する不満をもらしたのです。たぶん、私が歯科衛生士で、その旅の途中で、ネパール歯科学術調査隊と短期間合流することも知っていたから、言わずにはいられなかったのかも知れません。

 サントシュがいうには、ネパール人はもともとむし歯が少ないのに、お寺などの観光地の周りの子供達はむし歯なっている。それは、観光客が子供達にアメやチョコレートをあげているからだと。また、ネパールでむし歯になると治療をしないままか、或いはひどくなって抜くしかなく、日本とは違う医療状況の悪さ故に、治療時に感染したりするので、むし歯とはいえ大問題なのだそうです。

 この話を聞いた後、ある日本人の観光客のおじさんが、「ネパールは、昔の日本のようだ。『ギブ ミー チョコレート』と子供達がやってくると、戦後の日本で、我々が米兵に言っていたあの頃を思い出すんだ。この貧しい子供達が他人事とは思えず、ネパールに行く度に、アメをたくさん持ってきてプレゼントするのが楽しみで、一緒に行く仲間にも、プレゼント用のアメやボールペンを持ってくるように勧めているんだ。」と満足げに語っていました。おじさんがいうように、確かにアメをもらった子供達もその時は、喜んでいることでしょう。でも、その後は?!

■ネパールの医療事情

 ネパールの乳幼児死亡率は非常に高く、出生児1,000人あたり145で、平均寿命は44歳です。これを他国と比較すると、1989年の調査で、1,000人あたりの乳幼児死亡率は、インドネシア-71、フィリピン-46、シンガポール-9、日本-5です。

 歯科については、1984年の調査で、国民10万人あたりの歯科医師数は、0.14人と皆無に等しい状態です。ちなみに、日本では、10万人あたりの歯科医師数は53.3人です。

 また、ネパールには歯科大がなく、インドかバングラディッシュで歯科大を卒業し、自国に戻り開業するケースがほとんどです。

 そして、ネパールで歯科医療の恩恵に浴することができる人は、治療費を支払うことの出来るごく一部の上流階級の者と外国人に限られるのです1)。

■恐ろしや、ネパールの歯科治療

 それでは、ネパールの一般の人たちは、歯が痛いときどうしているのでしょうか?

 私は、カトマンズの通称デンタルストリートを探索してみました。ここは、バザールの一角で、“歯の神様”が奉られています。ご神体は木にコインがたくさん釘で打ちつけてあり、形はまるでモンスターが口を開けているかのようです。人々は、この“歯の神様”の口の部分に手を入れて、その手で自分や子供の頬を撫でたり、コイン(50パイサ程度のお金=約1.5円)を打ちつけて、歯の痛みを取り除いてくれるようにお願いをするのです。

 その“歯の神様”の周囲に、本物の歯医者さん、にせ者の歯医者さん、歯抜き師、入れ歯師等がいるので、1軒ずつ見学をさせてもらいました。本物の歯医者さんは必要最低限度の設備は整っているのですが、やはり、一般の人たちには高嶺の花。治療費が高いため、患者さんはいませんでした。にせ者の歯医者さんは、大繁盛なのですが、、、絶句。

 気の良いにせ歯医者さんは、私に色々と説明をしてくれました。「消毒の機械を持っているんだ。」と誇らしげに“煮沸消毒器”を見せてくれました。埃まみれでコンセントがはずれていたので、いつもは使っていない様子。治療中だったのに、日本人歯科衛生士の突然の来訪に、いいところ見せようと思ったのか、消毒をし始めました。しかし、消毒器の中はドロドロとした汚いお水で、ほんの2、3分煮沸すると、取り出しました。その取り出した器具が誤って地面に落ちたが気にする様子もなく、それをひょいと掴み、一応消毒済み(?)の物と一緒に並べてしまいました。これ位はまだ序の口で、診療がもっと凄い。麻酔用の注射は使い回しで、針は錆びています。麻酔薬は貴重なのでしょうか、ほん少しの麻酔で抜歯をされている女性は、痛さのあまり椅子の上でもがき、それを助手の女性と子供が押さえていました。

 抜歯の後は、抜いた歯の部分を補うため、入れ歯に人工歯を追加する作業です。

 抜いた部分は止血もされずに、傷口から血が出ている状態です。入れ歯の材料のプラスチック(レジン)は、固まるまで揮発し刺激が強いにもかかわらず、それを抜いた直後の傷口にグイグイ押しつけるからたまらない。患者さんはまたもや、激痛のためもがいていると、にせ歯医者さんは怒鳴り散らし、彼の手や患者さんの顔や衣服、入れ歯は血だらけで、もう修羅場と化しています。オカルトチックなその光景に、私は目眩と寒気でクラクラしてしまい、そそくさと退散することにしました。すると、そのにせ歯医者さんが「待ってくれ、頼みがあるんだ。」と、歯科材料を手に「これは何に使うんだ。」と訊ねてきました。日本や欧米のボランティアで持ち込まれた歯科材料が闇で流れているらしく、入手はしたが使い方が分からなかったようです。見てみると、その材料は矯正用でそこでは使いようがないような物でした。残念がる彼は、今度は「私の歯を治療してくれ。」と頼むのです。もちろん出来るわけがなく断りましたが、彼はひどい診療をしていることを自覚していて、自分の歯は治せないでいるのだろうと思いました。

■むし歯は文明・社会病

 むし歯は親や本人の責任と思っている人が多いのですが、それだけではありません。

 むし歯は、イギリスの貴族から始まったといわれ、日本でも、戦後・高度成長期と共に増え続けてきたのです。すなわち、文明によって人工化された食事形態、経済的な豊かさの副作用とでもいうのでしょうか1)。世界的に見ても、先進国ではむし歯が増え、その後むし歯予防が施され減少しています。日本はむし歯が増え、先進国の割にそのままむし歯予防が施されずに多いまま横ばい状態。(むし歯予防とは、お茶等に含まれるフッ素を水道水や給食やうがい水の中に入れて、強い歯を作り、むし歯になりかけた歯を元に修復する作用があります。先進国の中で唯一日本は、この実施が遅れているので、むし歯が減っていないのです。)

 経済成長中の韓国・中国などは、増えている最中です。しかし、韓国は、日本のようにならぬよう予防に取り組んでいるようです。また、発展途上国は、むし歯は少ないようです。

 日本の中でも、漁村や農村では、歯科保健の認識が少なく祖父母がお菓子を与えるため、むし歯が多く、都市部は、むし歯が少ない。もちろん個人の歯の質や唾液等にもよります。

 このことからも分かるように、たまたま生まれたその時代その場所によって、むし歯なるかどうかは変わるのです。ネパールの場合は、むし歯が少なく、一人平均むし歯罹患歯数(むし歯になった経験のある歯の数。治療した歯も含まれます。)は12歳-1.5本、15歳-3本です。なお、日本では、12歳-4.93本、15歳-8.22本です2)。

■余計なありがとう

 ネパールの子供達は、むし歯にあまりならないのに、たまたま、お寺などの観光地に住んでいたためにそこの子供達は、日本人をはじめとする観光客から、むし歯にさせられているのです。アメを欲しがったからとはいえ、子供達の責任といえるでしょうか?

 私も南インドで、中年男性から『ギブ ミー チョコレート』と言われたことがあります。その他色々な場所で、お金等の物乞いに遭遇することがありますが、彼らの生活のためにならない物を差し出して、自己満足に浸るのはどうしたものかと考えてしまいます。もちろん、その観光客達は、むし歯にしていることやネパールの歯科医療の現状を知らずに、善意でアメ等をあげているのだと思います。しかし、援助というものは、相手のことを理解し、必要なものを事をするのが、本来の援助だと私は考えます。

 この“プラッサ”もそのような主旨で発刊されたようですね。

 もしも、皆さんの周りのおじさんやおばさんで、こんなことを楽しみにしている人を見かけたなら、そっと『ダメヨ!』と注意してあげて下さい。



追記;

 中村氏らのNGO団体、“ネパール歯科医療協力会”では、1989年に“ネパール歯科学術調査隊”として、リサーチを目的としていました。しかし、口腔保健はもとより、保健衛生・教育面での強いニーズを感じ、現在では、口腔保健を通して、飲料水・トイレの整備・ネパール人の医療専門職の育成、ヘルスプロモーションセンターの設立等、現地の人たちが、自立して運営できるような形を目指して、毎年、多数の日本人ボランティア(歯科医師・歯科衛生士・看護婦・栄養・農業専門家・学生等)がそれぞれの分野をサポートしています。

 むし歯は、その社会に影響され、個人の責任では負いきれない要素があるという事を書きましたが、個人で対応する事が出来ないわけではありません。日本に住んでる私たち・子供達は、昔とは違い手に届くところにお菓子やジュース類が溢れています。この甘い誘惑を最小限に抑え、正しい歯磨きとフッ素を利用(フッ素洗口・フッ素入り歯磨剤)する事によって、健康な歯を保つことが出来ます。『日本に住んでいるからむし歯になっても仕方がないんだぁ!』と思われないためにも、念のため追記させていただきました。

歯科衛生士 徳田良子



参考文献

1)中村修一他:『ネパールにおける歯科学術調査と歯科医療協力』〈上〉ネパール歯科学術調査隊の概要       「歯界展望」 Vol.8,1991.

2)仙波伊知郎他:『ネパールにおける歯科学術調査と歯科医療協力』〈中〉口腔疾患の実態調査と治療協力      「歯界展望」 Vol.9,1991



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