『リオの路上から - イボネと子供たち』 |
宮川正明 宮川智惠子 |
「リオ街頭の子8人を射殺」−1993年7月の事件直後から、記事を送り続けた宮川政明さん(当時 朝日新聞サンパウロ支局長)は、この出来事を世界に報せる橋渡しをしたイボネさんを同年末の特集「暮らし・人さまざまに・・・'93 地球/『喜怒哀楽』」(朝日新聞'93.12.24)で大きく取り上げた。引き続き、宮川智恵子さんは、7年もの間路上の子どもたちの世話をしてきたイボネさんの、母国を愛するがゆえにブラジル社会を透徹したまなざしで告発する著作を邦訳。以下は、ご夫妻による邦訳版出版にあたってのメッセ−ジ。
著者:イボネ・ベゼラ・デ・メ−ロ 原作は、ブラジル人女性のイボネ・ベゼラ・デ・メ−ロさんが1993年暮れにポルトガル語(ブラジルの公用語)で著した『迷える子羊たちとその処刑者たち−路頭に迷う世代』です。ブラジルでは毎年のすぐれた出版物に授与される「ジャブチ賞」がありますが、その1994年ルポ部門の受賞作品でもあります。 国際観光都市として知られるリオデジャネイロのスト−リ−トチルドレンと、彼らを助けるボランティアとして奮闘するイボネさんとの交流について、彼女自身は率直な筆致で描いています。原作出版のきっかけは、1993年7月にリオ市街地のカンデラリア教会の前で起こったストリ−トチルドレン虐殺事件です。現場の地名から「カンデラリア虐殺事件」と呼ばれる悲劇的な出来事でした。 ブラジルのストリ−トチルドレンを描いた本としては、ジャ−ナリストであるジルベルト・ディメンスタイン氏の『子供たちへの戦争』(邦訳:『風みたいな、ぼくの命』、訳者:神崎牧子、発行所:現代企画室、1992年)があります。その後、リオデジャネイロの路上で子供たちが集団で銃殺される「カンデラリア虐殺事件」が起こりました。事件に巻き込まれた子供たちを世話していたイボネさんの場合は、路上で子供たちと交流することが「生活の一部」になっているという点で、今回の彼女の本は〃実践者自身のルポ・主張〃として注目されるわけです。 ストリ−トチルドレンは、多くの市民にとっては「やっかいもの」「かかわりあいになりたくない連中」と見られています。しかし、子供たちが次々に銃殺されて8人が死亡した事件の衝撃は大きいものでした。心ある人々は、路上の子供たちの実態に目を向けました。子供たちが、いとも簡単に銃殺される事態は、単なる刑事事件ではなく、地域コミュニティ−の崩壊や貧困、暴力、差別などの社会の不安定性の象徴でしょう。ブラジルだけでなく先進諸国でもその不安定性が実感されつつあります。だからこそ、彫刻家であり、実業家の妻であり、3人の母親でありながら、ストリ−トチルドレンの世話をし続け、「路上の学校」を主宰するイボネさんの存在は、ブラジルだけでなく国際的な注目を集めたのです。組織に頼らず自分のできる範囲で試行錯誤を繰り返しながら、何とか子供たちに「生きる幸せの実感」をつかませようとするイボネさんの姿は、まさに孤軍奮闘といえます。CNNが取り上げ、日本では、アムネスティ・インタ−ナショナル日本支部編『アムネスティ人権報告3/子ども・世界・人権』(明石書店)や岩波書店の月刊誌『世界』1995年4月号の記事がふれています。 こうした社会の危機に対する認識は、国際政治レベルでは1995年3月のコペンハ−ゲンの国連社会開発サミットで共有されました。そう難しく考えなくても、日本の市民生活でも、学校でのいじめや無差別テロ、大災害による混沌によって社会のへ閉塞感と無力間の深まりが気づかれ始めるとともに、どこかしら強い管理を求めるような風潮が強まっているようです。これに対して、「まずひとりの市民として何ができるのだろうか」と考え始めた人々にとって、イボネさんの心構えや路上のでの姿は、示唆に富む実践例であるだけでなく、「あなたも自分のできる範囲でがんばって」と、はるか遠くのブラジル・リオデジャネイロの路上から元気づけてくれるようなものだと受け止めることができます。 邦訳版の出版への“思い”は、「訳者(宮川智恵子)あとがき」にしるしました。そのうえでなお、私たちが強調したい点は、この本を、社会への善意を自分の中で維持し続けたいと思っている人々、最近とみに注目され始めたボランティアを志す若者たちに読んでほしいということです。イボネさんは、この本にしるされた実体験の報告を通じてボランティアの原点‥‥自分の信念への潔癖さ、節度、勇気、愛情といった心構えを明確に伝えているからです。 実際のところ、今回の邦訳版の出版への過程は、平坦ではありませんでした。日本のいくつかの良心的な出版社でさえも「ブラジルの話に興味を持つ人は少なく、採算がとれる見込みはない」という理由で、出版企画は断られてしまいました。無理からぬ理由だと納得もしました。しかし同時に、遠い国のなじみのない話だと思われてしまう本だからこそ、是非出版したいという意地のような気持ちが強まったのも事実です。結局は、事実上の自費出版になりましたが、出版社の丸善およびその関連会社の丸善プラネットの協力とその担当者の丁寧な仕事ぶりがあって、この本が日本の流通網に参加できるチャンスを得ることができました。労力と時間と資金を、ストリ−トチルドレン救援への寄付に直接あてるのではなく、子どもたちの路上生活の実情を日本でも知ってもらうための自費出版に費やすという形の“ボランティア”があってもいいのではないかと考えました。そうすることが、図書出版の経験のない私たち夫婦に邦訳版権を快く許可してくれたイボネさんとブラジルの出版編集者エニオ・シルベイラ氏の気持ちにこたえることでもありました。「日本ブラジル修好100周年」のことしですが、私たちなりのささやかな“記念行事”です。 カンデラリア事件報道の直後、新聞社の特派員としてブラジル・サンパウロにいた私(政明)の手元に、日本の主婦から「わが子のために使う代わりにストリ−トチルドレンのために」と現金が寄せられ、また、救援ボランティアに取り組みたいという日本の青年も現われました。 1994年春に私たちはブラジルから帰国し、あれこれの事情と思いを経て、やっとこの1冊の本ができあがりました。 |