ストリート・チルドレンとともに
      イボネの生き方

松村麻理子



「もしも彼が貧しい家庭に生まれたのでなければ、そしてゲイであるために親から虐げられることがなければ、彼の人生は違っいたはず」とイボネは語り出した。

 彼とは、93年にリオのカンデラリア教会前で殺された7人のストリート・チルドレンのリーダーのマルコ・アントニオ(当時20歳)のことだ。

 コメ・ガト(猫好き、ゲイ)とよばれていたマルコは8才で家をとび出し、リオの路上を転々とし始める。頭が切れ、行動力に溢れ、かつ繊細だった彼は仲間たちから慕われ、そのカリスマ性ゆえ、皆の信望を集めるようになった。

「彼が生きていたら、この過酷な現状を覆す原動力になり得たのに・・・。彼だけでないわ、この国の未来を担うはずの若者たちが次々と路上で命を落としているのよ」とイボネは訴える。

 マルコの死後、教会前に残った子供たちの間では、リーダー争いが絶えず、以前は70名近くいたストリート・チルドレンも今では20名近くに減ってしまった。

 あの事件から既に2年が過ぎようとしているが、イボネの闘いは今も続いている。

 イボネの日課は、このカンデラリア教会前から始まる。人数分の朝食を配り終えるとすぐさま青空教室がスタートする。識字の勉強に取りかかった子供たちの頭上には、イボネ手製の横断幕が掲げられる。

〔裁判の遅延、犯罪の見逃しはいつまで続くの?あと何人子供たちが殺されるの?〕

 このメッセージには、事件後の政府の曖昧な対応に業を煮やすイボネの怒りの心情が込められている。

 観光地として名高い教会前は、人通りも少なくはないが、大半が足早にイボネたちの目の前を通り過ぎて行く。あたかも、ストリート・チルドレンとの関わりを拒むかのようだ。

 子供たちは様々な相談をイボネに持ちかける。「10時間も働いたのに一銭も貰えなかった」「警察官にラジオを持ち逃げされた」「恋人がエイズに感染しているようだが、どうしたらいいだろう」など、イボネにも解決困難な厄介な出来事が後を絶たない。

 イボネは子供たちの肩を抱いたり、髪をとかしたりしながら、子供たちの話しに熱心に耳を傾け、解決の糸口を探る。 親からこれっぽっちの愛情さえも受けることなく、野放し状態で成長したストリート・チルドレンにとって、イボネは母親以上の存在だ。

 愛情に飢えた子供たちは、懸命にイボネの気を引こうとする。しかし一方で、自分のわがままが聞き入れてもらえないと、とたんに反抗的な態度を見せる。その横暴ぶりには目に余るものもあり、時には犯罪へと発展することもある。しかしイボネは彼らの行動心理を次のように説明する。

「子供たちの攻撃的な性格には、原因があります。彼らは家庭で親から罵倒され、路上に逃れても警官やマフィアあるいは世間の人々から虐待されます。この子たちは、一度も家族に抱きしめられたり、愛されたことがないんです。そんな彼らに他人を信じたり、他人を思いやったりできるはずはないでしょう。」

 イボネでさえ何度も子供たちに裏切られてきたというが、彼らの過酷な人生を思うと自分の心の痛みなど、かすり傷程度だとという。

 イボネが現在支援している子供たちの総数は約二百名。活動範囲はリオ市の南部から北部までと幅広い。NGOでさえ行きたがらない治安の悪い北部のスラムにも、運転手と二人で出掛けて行く。ブラジル各地で現在ストリート・チルドレンを対象にしたNGOの活動は盛んになっているが、イボネのように誰からも援助を受けず、一人で資金を工面し、活動している例は稀だ。

 20年以上一貫して、ストリート・チルドレンの支援に情熱を傾けてきたイボネ自身の生い立ちについてここで触れてみたい。

 イボネは47年リオ市生まれ。父は造船会社の社長、母は政府の役人の秘書という裕福でかつエリートの家庭で育った。とりわけ自由な思想の母に影響を受け、イボネは子供のころから階級意識に惑わされることなく、社会の底辺で生きる人々に目を向け始めた。

 18歳のときイボネはNGOのボランティア活動に加わり、北部の貧困地帯セアラ州に滞在した。ある家庭を訪ねると、床の上で生まれて数カ月の赤ん坊が高熱で苦しんでいた。

 赤ん坊の全身は蟻に刺され腫れていて、痩せて腹が膨らみ、助ける術がなかった。ろうそくの灯りのもとで、赤ん坊の母親がイボネに言った。

「お嬢さん、もしも息子がまだ死なないなら、ろうそくを消させてくださいな。わが家に残ってる最後の一本なんですから」

 赤ん坊はたちまち息を引き取った。

 そのときイボネは自身の無力さを恥じ、これからは悲劇の傍観者でいるのはやめようと固く心に誓ったという。

 全ての悲劇の根底には貧困がある。スラムを取り巻く暴力的な環境、麻薬問題、政治腐敗、それら全てがストリート・チルドレンを生み出す原因となっている。

 少女が父親や養父から強姦されたり、少年が麻薬の運び屋として利用されやがて消されていく。ストリート・チルドレンが直面するそんな現実がまともである筈がない。

「先週コパカバーナの海岸に住むストリート・チルドレンが出産しました。少女は娘を抱えて路上で暮らしています。放っておくと次々二世が誕生していきます。子供たちは飢えと暴力に怯えながら育ち、やがて未来がないことに絶望し、犯罪、売春、麻薬などに関わり、命を落としていきます。一刻も早く子供たちに出口を開いてやることが私の使命です」

 イボネの言葉からは自らの命を賭けてでも、ストリート・チルドレンを守り抜くという強い意思と大きな愛情が感じられた。



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