2002年5月10日発行170号ピースネットニュースより
【連載】もうひとつのグローバリゼーションを求めて(通算13)
フランス大統領選挙が示すもの
ATTAC Japan 事務局 田 中 徹 二
今回から、タイトルを「反グローバリゼーション運動のいま」から「もうひとつのグローバリゼーションを求めて」に変えます。今日、経済のグローバリゼーションに異議申立て運動を行っているところで、日本のように反グローバリゼーション運動と呼んでいるところはなくなっているようです。これは、民衆の運動もグローバル化しないと、経済のグローバリゼーションに太刀打ちできないとの認識が強くなったためであるようです。従って、私も運動のグローバル化を指向するという意味から、先の世界社会フォーラムでのスローガン、「もうひとつの世界は可能だ」を借りて、「もうひとつのグローバリゼーションを求めて」とすることにしました。ご了承下さい。
さて、今回の「もうひとつのグローバリゼーション」は、4月に行われた第1回フランス大統領選挙の結果の意味するものをお伝えします。この選挙での衝撃は、ほとんど誰も想像できなかった極右政党のルペンが第2位になり、決選投票に進んだことです。しかし、冷静に分析するとルペンが圧倒的に得票数を伸ばして躍進したわけではありません。また、ルペンの勝利に対して、フランス国民の大規模な抗議行動は空前の規模に達しました。とくに中学生以上の若者が全土で街頭に繰り出し、NON!を叫びました。これらの抗議行動の結果、ルペンは決選投票で彼の言う勝利の線としての得票率30%をはるかに下回って、18%程度しか獲得できませんでした。フランス民主主義の根の深さ、強さを垣間見た気がします。
ところで、日本でも人種差別や排外主義、ナショナリズムに凝り固まった和製ルペンがおります。そう、石原慎太郎東京都知事がそれにあたるでしょう。もし、小泉首相がこけてしまって次がいない場合、和製ルペンが登場し、首相の座を射止めるかもしれません。そうならないよう私たちは現在から和製ルペンに警戒し、排外主義の芽を摘んでいくことが求められています。
フランスの事態は決して他山の石ではありません。この選挙の意味するものをクリストフ・アギトンの報告から見てみることにしましょう。また、5月1日のデモ(マニフ)について、ポワティエ市(パリ南西800?にある人口8万人ほどの都市)に在住する長塚さんからの報告を送ります。
■第1回フランス大統領選挙後の状況
クリストフ・アギトン(ATTAC France国際部)報告
第1回大統領選挙は気分の悪い驚きだった。極右の台頭である。極右政党「国民戦線」の党首、ジャン・マリエ・ルペンが、右派の共和国連合(RPR)のジャック・シラク現大統領に次ぐ得票を獲得して、決選投票に残ることになった。この結果は政治への激震であり、直ちにフランス全土で抗議行動が起きた。選挙日の翌日、4月22日(月)には、自然発生的にあちこちで極右に反対するデモが行われ、約10万人が参加した。さらに翌日23日も同規模のデモが行われ、とくに高校生や大学生が多く参加した。
〈新自由主義政策の拒否〉
この結果を、フランスの政治が右旋回していて、民主主義勢力や社会運動が後退していることを示している兆候であると見ることは誤りであろう。また、より一般的に、1980年代初頭にサッチャーやレーガンが登場し、勢力関係が逆転して、労働組合運動が長期にわたって低迷し、経済自由主義が推進されたが、最近の欧州の選挙で見られた一連の右シフト(イタリア、デンマーク、ポルトガル、そして今回フランス)をこうしたサッチャーやレーガンの勝利になぞらえるのは誤りであろう。
イタリアの状況は実際の力関係を明確に説明している。ベルルスコーニが勝利したが、3月22日のデモや4月16日のゼネストなどに見られるように、ジェノバ・サミット後、若者の間で大規模かつ広範囲な決起がある。
第1回フランス大統領選挙で投じられた得票数から見ると、結果を右翼と極右の間の競走として要約することはできない。1995年の前回の第1回大統領選挙では、最左翼を含む左派勢力は全体で1,235万7,000票を獲得したが、今回の2002年選挙でも左派勢力は同じレベルの得票数、1,220万票を獲得した。一方、今回の選挙で、極右を含む右派勢力は全体で200万票減らし、1,802万2,000票から1,628万2,000票になった。またこの得票数には、右派勢力の一部である動物愛護政党(狩猟・漁労・自然・伝統党)が獲得した4%の120万票も含まれている。
この選挙から学ぶべき最大の教訓は政権党の弱体化であるが、しかし、それは左右両方の政党に言えることである。左翼政府(社会党、共産党、緑の党)は150万票を失い、1,071万1,000票から924万6,000票に減少した。この数字には、約1年前に内務省を辞めて、治安問題を焦点に据えた選挙戦を展開したジャン・ピエル・シュベンヌマンの党(市民運動)への得票、151万8,000票(5.4%)も含まれている。また議会右派は約400万票を失い、得票数は1,345万票から960万4,000票に減少した。このような、政権についている政党の後退は、人々が不誠実なシステムや、ジャック・シラクを筆頭とする不誠実な政治的リーダーたちに明らかに拒否をつきつけたことを示している。それは、とりわけ、近年、右翼政府から左翼政府に至るまで様々な政権が採用してきた新自由主義的政策への拒否である。
棄権票が21%から28%に増え、意識的な無効票も100万(3.4%)を超えた。最左翼(3候補)は140万票増やし、297万4,000票(10.6%)を獲得した(前回選挙では161万6,000票(5.3%))。また極右勢力(2候補)は100万票増やし、547万2,000票(20%)を獲得した(前回選挙では457万1,000票(15%))。
〈労働者階級に根ざしていた極右〉
極右の成長は全く衝撃であった。ほとんどの人が、極右は永久に弱体化したと見ていたからである。極右は1997年総選挙と2001年地方選挙で敗北した後、大分裂があった。第1回大統領選挙期間中の論争にはそうした状況が反映されている。
犯罪の問題を焦点化して、シラクとジョスパンは、伝統的に極右が掲げてきた問題を取り上げた。一方、ルペンはむしろいつもより「穏やか」であり、移民問題を強調せずに、社会問題に焦点をあて、労働者と一般市民を守ると主張する選挙戦を繰り広げた。
出口調査は、このターゲット戦略がいかに成功したかを示している。
ルペンは失業者から30%、工場労働者から23%の支持を獲得したが、シラクは工場労働者からわずか16%、ジョスパンは11%の支持しか得られなかった。現在職についている全有権者の投票行動を見ると、ルペンへの支持はトップ(19%)であり、以下、シラク(17%)、ジョスパン(16%)と続く。
労働者階級における極右の成功は、最低賃金の引き上げや基本的な社会的権利を拒否して、人員整理による解雇や失業率の上昇に対して措置を講じなかったジョスパンに対する痛烈な非難である。しかし、それは、自由主義的グローバリゼーションと闘い、1995年の11月〜12月のストライキからシアトル後の大規模なデモに至る数々の闘争や動員によって極右を社会の隅に追いやることができたと考えたATTACなどの運動体や労働組合の問題でもある。
労働組合が挑戦すべきことは、失業者など社会で最も弱い者たちの権利要求を支持し、民間部門の労働者たちを結集させることである。
またATTACなどの運動体は労働者階級とつながるための手段を見つけることである。
〈動員〉
日曜日の夜、フランス全土で直ちにデモが開始され、翌日には高校生や大学生が街頭に出た。この自然発生的な抗議行動は、アソシエーションや左翼政党が動員計画を練るときの原点になるものである。
まず最初の合意事項はルペンと闘うことである。
決戦投票は5月5日に行われる。疑うことなくシラクが勝利するであろうが、ルペンの高得票率によってあとで反動が生じるだろう。よって、スローガンは、ATTACフランスが発表した宣言にある「ルペンが可能な限り最小の票しか得られないようにしよう」、「街頭で、投票箱で、思想を持ってルペンを打ち負かそう」か、または様々なアソシエーションや労働組合が発表した立場表明宣言の中にあるATTACフランスと同趣旨のスローガンである。
5月5日に向けて4月27日と5月1日に大規模な統一デモが行われる。
しかし、ATTACをはじめとしてほとんどの人が、国民戦線に抗議する大衆動員だけでは不十分であり、労働者階級の権利を防衛して、自由主義グローバリゼーションと闘うべきだとし、それこそが問題の根源ならびに極右の台頭原因と闘うための唯一の方法であると考えている。
様々なアソシエーションと労働組合の間で会議が開かれた。上述した権利要求を主張し、動員と討論をするためのアリーナ(場)を作るという構想が進展している。それは、活動家のほとんどが求めていることである。木曜日の午後、パリで初の大会議が開かれる。そこには誰でも参加できる。
4月23日パリ
――フランス大統領選挙・第1回投票の結果――
〓19.88%:ジャック・シラク(共和国連合)
〓16.86%:ジャンマリー・ルペン(国民戦線)
〓16.18%:リオネル・ジョスパン(社会党)
〓 6.84%:フランソワ・ベイルー(仏民主連合)
〓 5.72%:アルレット・ラギエ(労働者の闘争派)
〓 5.33%:ジャンピエール・シュヴェンヌマン(市民運動)
〓 5.25%:ノエル・マメール(緑)
〓 4.25%:オリビエ・ブザンスノー(LCR)
〓 4.23%:ジャン・サン・ジョス(狩猟・漁労・自然・伝統党)
〓 3.91%:アラン・マドラン(自由民主党)
〓 3.37%:ロベール・ユー(共産党)
〓 2.34%:ブルーノ・メグレ(全国共和国運動、極右)
〓 2.32%:クリスチャン・トービラ(左翼急進党)
〓 1.88%:コリンヌ・ルパージュ(Cap21、右翼エコロジスト)
〓 1.19%:クリスティーヌ・ブータン(社会共和フォーラム)
〓 0.47%グリュックシュタン(労働者党)
■5月1日(水・祝) メーデーの反極右1万人マニフ
ATTAC Japan 長塚 真琴
大統領選第1回投票当夜からのポワティエの様子は、私の掲示板で詳細にレポートしてきましたが(http://ko-na.com/non_bbs/non_hyouji.cgi?kee=seminar)、アンチ・ルペンの街頭行動は、この日頂点に達しました。
マニフの案内は、4月26日(金)にD.L氏からメールでもらっていました。それによると、労組、左翼政党、ATTAC・AC!(失業者団体)・国民戦線反対運動などの社会運動団体、女性団体、ポワティエ地区フランス・パレスチナ委員会、同性愛者団体など17団体が呼びかけ団体となっています。
ATTAC86の集合時間の9時45分に集合場所(いつものマニフと違って、中心街の外)に行ってみると、すでにたくさんの人。ATTACの旗を持った知らない女性が案内係をしていて、仲間たちのところまで連れて行ってくれました。私が作った「もう一つの世界は可能だ」の日仏対訳プラカードは好評で、その説明などをしているうちに、マニフ全体の集合時間の10時に。旗を持った仲間が続々到着します(旗は10本以上20本以下というところか)。ML#255の宣言をチラシに刷ったもの、ATTACフランスが作ったかっこいいシール、D.L氏が作った完成度はいまいちの大きなシールなどがみんなの間を回っていきます。
10時45分頃に出発。川沿いの集合場所から昔の市壁=今の外周道路を回って、最後は中心街に入って市役所前広場で解散するコースです。各種団体のチラシを参加者どうしで渡しあったり、沿道の人に渡したり車のワイパーにはさんだりしながら進んでいきました。
先頭のほうには労組がいて、自動車に積んだスピーカーから音楽を流したりもしていたようですが、ATTAC86は比較的後を歩きました。第1回投票直後に頻発したマニフとは違って大人の参加者が多く、若者たちがときどき「Fはファシスト、Nはナチ、倒せ、倒せ、国民戦線」「私らみんな移民の子、倒せ、倒せ、ジャンマリー・ルペン」などとかけ声をかける他は、鳴り物もなく静かでした。子供連れの人なども目立ち、平和な雰囲気でした。市役所前広場に着くと、マニフでよく見るような打楽器の音楽をやっている人たちがいて、F3のローカル番組の取材も入り、人垣ができていました。しばらく広場にたまって正午すぎに流れ解散。
マニフの参加者は、F3によれば1万5千人、地方紙ヌーヴェル・レピュブリック(NR紙)の独自集計では1万人です。F3によればこの日、フランス全土で130万人(うちパリ40万人地方90万人)が街頭に出たそうです。これまで街頭に出たことがない人もたくさん参加したのが特徴で、F3・F2・NR紙も、「○○ちゃんの初めてのマニフ」「××老人の40年ぶりのマニフ」といった感じの報道をしていました。
http://www.edu.otaru-uc.ac.jp/~nagatuka/seminar/
(ポワティエ写真集あります)
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