2002年3月10日発行168号ピースネットニュースより
【連載】反グローバリゼーションの運動のいま(11)
第2回世界社会フォーラムの全世界から8万人が結集!
反グローバル化のネットワークで社会的公正と平和を実現しよう!
ATTAC Japan 事務局 田 中 徹 二
はじめに
「もう一つの世界は可能だ(Another world is possible)」をメインスローガンに、第2回世界社会フォーラム(WSF2002)が1月31日から2月5日までの期間、ブラジル南部の都市ポルトアレグレ市で開催された。このフォーラムは、世界経済フォーラム(WES、通称ダボス会議)に対抗して昨年より同じ時期に開催されてきた。経済フォーラムが世界を動かしている経済や政治のエリートたちの、つまり経済のグローバル化を推進する人たちのフォーラムなら、社会フォーラムはそれに異議申立てをしている人たち、つまりNGO・市民、労働組合など持たざるもののフォーラムである。第2回目の今年は、昨年の4倍から5倍といわれる8万人もの人々が、文字通り「インド・アフリカのNGOからアメリカの先住民代表まで、パレスチナの戦士からイスラエルのNGO代表団まで」、国境、民族、言語の壁を超えて集まった。
日本からは、ATTAC(アタック)Japan 関係者10人が参加した。「日本の労働者が直面する現実」というワークショップを主催するとともに様々な社会運動団体との交流を行ってきた。
残念ながら、日本のマスコミはこのWSFについてほとんど報道しなかったが、フランスから6人もの閣僚が参加したこともあってルモンド紙などフランスのマスコミ、またイギリスのガーディアン紙やBBC放送、アメリカのニューヨークタイムズ紙などは連日のように報道していた。ここにもグローバリゼーションに対する関心の度合いの違い――そしてそれは日本における反グローバリゼーション運動の弱さの反映でもある――を痛感した。
WSF2002はどれほどの規模であったか?
WSFはついてある人は「貧者の国連」と名付けたが、世界131ヵ国から約5,000の市民団体、15,000の市民社会の代表団など8万人近くが結集した。まず、どれほどの規模の民衆のフォーラムであったかを数字で見ることにする(公式数値と地元新聞の報道より)。
1)参加者――51,300人(前もって締め切りまでに登録した団体とその構成メンバー)
2)傍聴参加者――35,000人(フォーラム開催中に登録した団体と個人と思われる)
3)ユースキャンプ――40ヵ国11,600人
4)参加国――131ヵ国、使用言語――186ヵ国語、人種――210
5)NGO、社会運動、労組など市民社会の代表団――15,230代表
6)市民団体、市民組織――4,909団体
また、国別に参加者数が多い順に見てみると、ブラジル(何万人にもなる)、イタリアとアルゼンチン(ともに1,400人)、フランス(800人以上)、米国(420人)、以下スペイン、ウルグアイ、カナダと続き、アジアではインドが多かったようだ(韓国、中国・香港、日本からはそれぞれ10数人)。目立つのは、昨年少なかった米国から多くのNGO、研究者が参加したことでありる。
このようにWSFは巨大なフォーラムであった。プログラム案内は3ヵ国語で書かれた分厚い新聞紙のようなものにびっしりと書かれており、朝8時30分から夜9時まで会議、セミナー、ワークショップが記されていた(その後、夜を徹してコンサートが催されている)。さらにプログラムには書かれていない会議、交流会、討論会などがあり、こちらはウェッブサイトで探すか、有力組織から情報を聞き出さなければならなかった。
WSF2002で何が討論されたか?
このフォーラムの目的を一言で言えば、第一にオルタナティブ(代替案)のための会議と討論の場であり、第二に交流・連帯の場であった。昨年4月、第1回WSFの成功を受け、ブラジルの7つの諸団体(NGO、労働組合、農民団体、人権団体など)とフランスのATTACによる組織委員会は、WSFの目的として「新自由主義に反対する地球規模の市民社会の諸団体によるオルタナティブのための民主的討論や経験の自由な交流の公開会議場」と位置付けた(世界社会フォーラムの宣言の基礎)。
さて、会議やセミナーには、ノーム・チョムスキー、イマニュエル・ウォーラースティン、リゴベルタ・メンチュー、バンダナ・シバ、ベルナール・カッセン、スーザン・ジョージ、ウォールデン・ベロー、モード・バローなど日本でもよく知られている著名な論者や多くの学者・研究家が参加した。
会議(コンフェレンス)では、4つのテーマに基づく6つのカテゴリーを1日1テーマづつ4日間、午前中に行われた。そのテーマとは、(1)富の生産と社会的再生産、(2)富へのアクセスと持続可能性、(3)市民社会と公共空間、(4)新しい社会における政治権力と倫理である。カテゴリーとして(1)は国際貿易、多国籍企業、金融資本規制、対外債務、労働、連帯経済、(2)は知識・著作権と特許、医療・健康・AIDS、持続可能な環境、水−公共財、先住民、都市・都市住民、(3)は差別と不寛容への闘い、コミュニケーションとメディアの民主化、文化的創造・多様性とアイデンティティ、市民社会の国際運動としての展望、暴力−家庭内暴力を容認する文化、移住者・人身売買(女性、子ども)・難民、(4)は国際組織と世界権力構造、参加型民主主義、主権・国民・国家、グローバリゼーションとミリタリズム、原則と価値、人権の経済学・社会と文化的権利、というどれもこれも魅力的内容で行われていた。
交流・連帯では、大陸別・地域別会議や労働組合などの社会運動別会議、ATTAC 世界総会など国際NGOの会議などがセミナーやワークショップと平行して行われ、ネットワーク化が飛躍的に進められた。女性、青年、先住民、労働、反戦平和(アジアやラテンアメリカなど大陸別に)ほかで宣言・決議などが上がった。また、フランスからの6人の閣僚の参加のほかに世界から多くの国会議員も参加し、世界議員フォーラムが行われ、米国の戦争を糾弾する決議が上がった。
さらにATTACフランス、ブラジルCUT(中央労働組合評議会)、ヴィア・カンペシーナ(農民の道;ラテンアメリカ・ヨーロッパを中心に世界各地に支部を持っている)、フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウス(タイ)などのイニシャティブによって、「ポルトアレグレ2:社会運動団体からの呼びかけ/新自由主義、戦争、ミリタリズムへの抵抗を:平和と社会的公正のために」という宣言が採択された(http://www.jca.apc.org/attac-jp/ )。この宣言を作るために、連日様々な運動体がこの指とまれ方式で断続的に集まり、最終日までにまとめあげた。実は、第1回目と同じく今回もWSFとしての決議や宣言は出なかったので、この呼びかけの内容が、WSFに参加した団体の中で社会運動をより強化していこうという諸グループの今後1年間のいわば運動方針になると思われる。
そして2月5日の最終日、来年のWSF開催は三度ポルトアレグレで、04年にはインドで、05年はアフリカで開催することがに発表された。
世界経済フォーラムで途上国の貧困対策の声上がるが?
ところで、ニューヨークでのWESでは「途上国の貧困対策」を求める声が相次いだと報道されている。この対策をおろそかにすれば9.11米国テロ事件のような事件に先進国はみまわれ、せっかくの繁栄も露と消えるかもしれないというわけである。しかし、貧困対策が必要という問題提起はよいとしても、実際世界のエリートたちがその対策のために動くかははなはだ疑問である。こう否定的に思うのは私ひとりではあるまい。
今年は「リオプラス10」という国連持続可能な開発のための世界サミットが開催される年である。ひるがえって、10年前の92年リオデジャネイロでの地球サミット(国連環境・開発会議)で、貧困と環境対策資金として1250億ドルが必要と試算され、先進国のODA(政府開発援助)拡大、GEF(地球環境ファシリティー)の役割拡大などが合意された。しかし、その後資金が集められ実行性のある対策は講じられてこなかった。それどころか、グローバリゼーションの名のもとに弱肉強食の市場原理主義が地球を席巻し、途上国は貧困から脱却できず先進国との格差が歴史上はじまって以来というレベルにまで拡大してきた。さらにこのグローバリゼーションは先進国でも優勝劣敗をもたらすリストラをもたらし、失業者やホームレスを増大させる一方である。地球環境といえば、地球温暖化ひとつ取っても明らかなようにその危機は止めどなく進行している。
今やどれだけの資金が貧困・環境対策費として必要になっているのだろうか。世界人口60億のうち、その半数が1日2ドル以下で、5分の1が1日1ドル以下で生活しているという(世界銀行調査)。そうした中にあって、すべての子どもが最低限の生活水準を達成できるようにするためには、年間800億ドルが必要との試算がユニセフから出されている。この数字が緊急かつ最低限の資金となるであろう。しかし、世界のODA総額が560億ドル程度であるように、この最低限の資金すら国際社会は講ずることが出来ないでいる。
こうした経過を知るものにとっては、どれほど途上国の貧困対策が声高に叫ばれようが、世界のエリートたちが真剣に貧困対策に立ち向かうとはとうてい考えることが出来ないのである。
おわりに
「社会運動団体からの呼びかけ」にもあるように、今回のWSFでの議論の一方の柱は、米国の戦争政策に典型的に現われているグローバリゼーションとミリタリズムについてであった。議論のほかに私たちが感じたことは、何よりも人間としての尊厳と社会的公正を求める全世界の運動を担う人々の熱気にふれたことであった。
今日の日本列島を覆うリストラ・失業、民営化の攻撃は、経済のグローバル化の中で日本資本主義が生き延びるための攻撃である。したがって、それに抗する運動も一国で完結することはなく、グローバルな規模での闘いが意識的に追求されなければならない。そして米国の戦争政策とそれに追随する小泉政権に立ち向かっていくことが求められている。
こうした運動の積み上げで、来年のWSFには今年を倍する人数を派遣しよう。
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