2001年12月10日発行165号ピースネットニュースより
【連載】反グローバリゼーションの運動のいま(9)
ポルトアレグレでの
世界社会フォーラム2002に参加します
環境と金融リサーチ 田 中 徹 二
9.11事件以後、後退を強いられた反グローバリゼーション運動
あの想像を絶する9.11テロ事件以後、明らかに反グローバリゼーション運動は後退を余儀なくされている。以前にも書いたように、この事件がなければ9月末のワシントンでのIMF(国際通貨基金)
・世界銀行合同総会は、10万人のデモに包囲されているはずであった。7月のイタリア・ジョノバでの反G8サミット(主要国首脳会議)での怒れる20数万人のデモに引続く米国での運動の高揚は、昔流に言うと反グローバリゼーション運動が燎原の火のようにとめどなく燃え広がることになったであろう。
しかし、グローバリゼーション推進派はこのテロ事件を利用し、これまでの反グローバリゼーション運動こそテロリストを生み出したとの一大キャンペーンを行ってきている(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2001年10月号などhttp://www.netlaputa.ne.jp/~kagumi/)。日本では元々反グローバリゼーション運動が弱いため、そのような攻撃もほとんど行われていないが、欧米ではかなりの威力を発揮しているようである。そのため、NGOはじめ社会運動側は行動の規模も縮小し、直接行動も自粛せざるを得ない状況のようである。
とはいえ、この間の反戦行動では各国で数万人が集まっており、日本での労働組合の動員がなければ2千人がようやっとという状況とは違うようだ。また、最近の11月9日からドーハで開催されたWTO(世界貿易機構)閣僚会議に対し、ローマで5万人、パリで1万人(フランス全土で5万人)など世界30ヵ国以上の国でデモと行動が行われた(ATTACニュースレター11月14日号)。このように、反グローバリゼーションの運動は大規模とはいえないが、運動のエネルギーそのものは衰えていない。
さて、この不意打ち的ともいえる9.11事件とそれを口実とした攻撃に対し、世界のNGOなど運動側が統一的に対応していくことは、世の中がいかにインターネットの時代とはいえ、困難であった。情勢をきちんと分析し、クリアーな戦略をたてていくには、顔を見合わせての十分な討論が必要であった。それがようやく10月31日〜11月1日にかけて、世界社会フォーラム(WSF)の第2回事務局会議で行われたということである。
来年の世界社会フォーラム(WSF2002)には5万人が参加予定
この事務局会議の簡単な報告が、世界社会フォーラム・ニュースレター第7号として送られてきたので、紹介したい。その前に、世界社会フォーラムとは何かであるが、下記にあるように今年の1月にその第1回が行われた。しかし、日本のマスコミはまったく報道しなかった。日本経済新聞だけが一月後に"世界の動向の基調としてのグローバリゼーションに対立する運動"というような内容で報道されただけであった。
《世界社会フォーラム(WSF)とは?》
ブラジル南部の都市ポルトアレグレで第1回世界社会フォーラムが今年1月開催された。WSFブラジル組織委員会の構成は、ブラジルのABONG(NGOブラジル協会)とCUT(中央労働組合協議会)とMST(土地なき農業労働者運動)などであり、ここに、ATTACやジュビリーサウスなどが連携してフォーラムが準備された。特に、リオグランデドスル州(RS州)とポルトアレグレ市は、ブラジルの最大野党で労働者政党でもあるPT(労働党)が首長に選ばれ、「住民参加型予算」(後述)を実践している地域でもある。
スイス・ダボスの世界経済フォーラムが、多国籍企業やグローバリゼーションを推進する政府の代表を集め、いかに新自由主義的グローバリゼーションを発展させ、多国籍企業の利潤を拡大するか、その支配を安定させるかと議論してきたことに対抗し、NGO団体、労働組合などが世界から集まり、新自由主義に抗する世界規模でのオールタナティブを模索し、議論しようと呼びかけられたものが世界社会フォーラムであった。
その結果は、開会式の後のデモには約2万人、4つの主要テーマ会場には、毎日計3千人以上、午後からのワークショップは4日間で400近く設けられ、毎日1万人近くの人が議論を重ねた。そして、ダボス対ポルトアレグレの構図、「ダボスには金勘定が、ポルトアレグレには人間の連帯がある」を世界に知らしめ、「新しい世界は可能だ! アナザーワールド・イズ・パシブル!」は合い言葉になった。
議論の一部ともなったRS州とポルトアレグレ市の「住民参加型予算」というのは、過去12年続く労働党中心の左翼ブロックの政策であり、住宅、交通、学校、病院、ゴミ回収、下水道、環境行政、治安などの施策決定に、市内各地区の住民がその予算配分を討論と採決によって決めている。もちろん、左翼ブロックはブラジル国内では野党側であり、州政府や市行政の自治の範囲も憲法の制約下にあるし、右派や大メディアからの攻撃もある中、2000年10月の市長選では、労働党市長が再選されている(支持率は63%とあった)。
《ニュースレター第7号より》
1)セネガル・ダカールで国際事務局会議を開催し世界社会フォーラムの今後の方針について協議
10月31日〜11月1日、世界社会フォーラム第2回事務局会議が開かれ、作業チームの設立を決めた。このチームは、とりわけ世界社会フォーラム2003に関する現実的な基準を評価するために設立される。この事務局会議には、28ヵ国から80団体、約100名が出席した。世界社会フォーラム2002の組織化に関する議題の他に、もう一つ重要な事項が討議された。米国に対するテロリストの攻撃と、アフガニスタンにおける野放図な戦争である。9月11日の事件以来、世界各国のNGO、ネットワーク、社会運動グループ、労働組合が一堂に会したのは今回の会議が初めてである。
2)テロと米国の反撃
経済のグローバリゼーションに対する国際的抵抗を再構築し、オルタナティブを求めて運動しならないことが指摘された。さらに、偏見と民族排外主義に対する解決策は国際主義の運動に他ならないことが参加者の間で強調された。ATTACフランスのベルナール・カッセン議長は「アラブ人もユダヤ人も、黒人も白人も、南米人も北米人も、ムスリムもクリスチャンも同じように暮らしていて、ともに国際連帯を求めている」と述べた。
フォーカス・オン・ザ・グローバル・サウスのウォールデン・ベロー代表(フィリピン)は「米国の長年にわたる好戦的な経験を過少評価してはならないし、過去の失敗から学ぶ米国の力量も過少評価してはならない」と警告を発して、「まさしく最初から帝国主義的な戦争目標は明確である。貿易センターがまだ燃えているとき、米国商務長官が『テロと闘う最良の方法は自由貿易を拡大することだ』と語っているのだ」と発言した。
紛争地から離れていないカタールで、11月9日〜13日にWTO会議が開催されたが、いくつかの国際会議が中止されたことを参加者全員で確認した。
3)世界社会フォーラム2002の構成
残りの時間は世界社会フォーラム2002の構成に関する討論に充てられた。主催者は第2回フォーラムへの参加者は5万人を超えると見ている。すべての参加者が積極的に討論に参加できるように、4つのタイプの活動をプログラムに盛り込む予定である。会議、セミナー、ワークショップ、声明発表である。世界社会フォーラム2002の活動は、カソリック大学やリオ・グランデ・スル国立大学の構内のみならずポルト・アレグレ市の至るところで行われる(2001年は主にカソリック大学の中で開催されていた)。会議は2000人収容の大講堂で開かれ、ワークショップやセミナーは午後行われる。さらに、グローバル化した新自由主義経済に対抗するための声明発表に関する討論はパネリストを交えて、終日行われる。
世界社会フォーラム2002に日本から10人ほどが参加予定
ATTAC Japanのメンバーを中心に10人ほどが、来年の1月31日から2月4日までのWSF20022に参加します。詳しくは次号で。
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