2001年8月10日発行161号ピースネットニュースより
【連載】反グローバリゼーションの運動のいま(5)
反サミット行動に全世界から20万人が結集、
日本でもATTAC設立へ
環境と金融リサーチ 田 中 徹 二
「8 VS 6,000,000,000」――7月20日からのイタリア・ジェノバサミット(主要国首脳会議)での反対闘争には、NGO、労働組合、農民など様々な社会運動を構成する人々たち、実に20万人以上が結集した。イタリア当局の暴力的弾圧や事前規制、それに「ブラック・ブロック」などの破壊分子の跳梁がなければ、デモ参加者はさらに増えて空前の数字になったと思われる。明らかに、99年のシアトル以降の反グローバリゼーションのうねりは1つの転換点に差しかかったと言える(別項、エリック・トゥーサン「ジョノバG8反対行動を終えて――これからの運動の発展に向けたメモ」参照)。
一方、ひとり反グローバリゼーション運動から取り残されている日本でも、7月25日ATTAC日本設立のための相談会が開催され、様々な社会的アクターの人々が参加し、日本での運動の高揚に向けた第一歩が印された。
「彼らは8人、私たちは60億人」――要塞に閉じこもるサミット
これは、全世界から1,000余の団体を結集した反サミットの連絡センター「ジョノバ社会フォーラム」(JSF)のメインスローガンであった。このスローガンを裏付けるように、イタリア当局はジョノバ市内を戒厳令の状態におき、G7・G8首脳らはあたかも要塞に閉じこもった状態でこそこそと会議を行った。「EU(欧州連合)のプロディ欧州委員長は、治安部隊に守られ、市民から隔離されて開催せざるを得ないような『会議のあり方を考え直そう』と、呼びかけた」(7月21日朝日新聞夕刊)。
イタリア当局の、「暴徒対策やテロ対策」に名を借りた暴力的弾圧は、欧州ではしばらく見られなかったほど酷いものであった。まず、サミット会場周辺1?が封鎖され、レッドゾーンが設けられた。その上で、当局は住民に恐怖を煽り、町から離れるよう求めたのである(実際、50%以上の住民が町を離れた)。次ぎに、EU内での国境の往来の自由を保障するシェンゲン協定を停止し、活動家などの入国を阻止した。その上で、治安警察2万人、陸海空軍から3千人を動員し、市街戦に対応する特殊部隊や空からの攻撃に備えた地対空ミサイルまで配備するというものものしさであった。
ATTAC(市民のために金融投機に課税を求める協会)イタリアは、サミットに先立ちジョノバ警察長官に申し入れを行った。G8の開催阻止を目的として「レッドゾーン」の包囲を平和的・非暴力的手段で検討していることを明らかにしたが、この際警察長官は、スウェーデンの警察がイエーテボリで行ったような銃の使用は行わないと確約した。しかし、20日には治安警察はデモ隊の先頭にいた青年を射殺した。また、治安警察は「ブラック・ブロック」などの挑発的行動を利用し、平和的デモを行っている人々にも襲いかかった。そのため負傷者が数百人という単位で、20日、21日のデモ参加者に現われた。その上、連絡センターであるJSFを「暴徒を扇動した組織」としてでっち上げるために、21日深夜現地本部などを急襲し、多数の負傷者と逮捕者を出した。
このような民主主義とはほど遠い雰囲気の中で、G8首脳も動揺し、フランスのシラク大統領は「これだけ大きな抗議行動が示している人々の不安を考慮しないわけにはいかない」と述べたという(同上朝日新聞)。
サミット後の24日、警察の暴力に抗議してミラノで10万人、イタリア全土で30万人のデモが行われた。このことからも21日の抗議デモは、暴力的弾圧等がなければ空前の人々が結集していたであろうと推測される。まさに、イタリア当局・G8は暴力で民主主義を押さえ込もうとしたのである。
サミットの成果はあったのか? 「仲間内の同窓会めいたもの、暴力そして首脳による決定を世論は支持していない。サミットを見直す次期だ」(仏ル・モンド紙)、「役に立ちそうもない、数週間前に決まっていたエイズ基金を発表するためだけの会合だった」(英デイリー・メール紙)――以上、7月23日読売新聞より。実際、世界の貧困対策についても、世界経済についても、地球温暖化やミサイル防衛計画についても何一つ有効な対策を打ち出すことが出来なかった。唯一具体化されたエイズを含む「世界保健基金」20億ドルだが、それらの資金は先進国の制約会社に対する公的補助金にすぎない。さらなる抗議デモと「もう1つの世界は可能だ」を合言葉とするオルタナティブが求められている。
ATTAC日本設立のための相談会開催される
7月25日、新宿文化センターにおいて、田中徹二(環境と金融リサーチ)、榊原裕美(ピープルズ・プラン研究所)の両名の呼びかけによる表記相談会が開催された。相談会には、NGO、労働組合、野宿者問題支援者、社会学者・フランス語翻訳者、農業ジャーナリスト、在日フランス人など42名が参加し、活発な論議が行われた。
まず、呼びかけ人から今回の相談会に至る経過を、次のように述べられた。「(1)国際的に高揚している反グローバリゼーションの運動から抜け落ちている日本で、どう運動を盛り上げていくかとの問題意識から、フランス・ヨーロッパを中心とする反グローバリゼーション運動の結集軸となっているATTACに注目し、ニュースレター『サンド・イン・ザ・ホイール』(週刊)の日本語版プロジェクトの準備を行っていた。(2)こうした中、5月にATTAC議長のベルナール・カッセン氏が来日し、『日本でもATTACを、来年1月のブラジル・ポルトアレグレでの世界社会フォーラムに参加を』という提案がされた。(3)カッセン氏提案に応え日本で反グローバリゼーションの運動のために何ができるのか、何をなすべきかを相談したい」、と。
続いて、 問題意識シェアリングのために稲葉奈々子(茨城大学)さんから「フランスの社会運動とATTACについて」の情況報告が行われた(要旨は以下の通り)。
1)ATTAC設立経緯――1997年12月「ルモンド・ディプロマティーク」(月刊誌)の社説でイグナチオ・ラモネが「市民のために金融取引に課税を求めるNGOを地球規模でつくる」ことを提案。この提案に対して、折からのアジア金融危機を突破口とする世界的な経済危機もあり、市民団体、労組、ジャーナリズムなどからどんどん手紙が来て、このイニシャチブを支持した。98年3月、これらの賛同団体、個人が会合をもち、目的として新自由主義のヘゲモニーを断ち切ること、そのオルタナティブ・目標として金融取引に課税するトビン税導入を定める。98年6月、綱領が決められ、執行委員長にベルナール・カッセン(ルモンド・ディプロマティーク編集長)が就任。99年6月ATTACに賛同する80カ国からの代表者1200人がパリで集会。
2)ジレンマとオルタナティブ――97年6月、「失業と社会的排除と社会的に不安定な地位に反対する失業者のヨーロッパ行進」がEU首脳会議が開催されるアムステルダムに5万人集結。以降、首脳会議のたびヨーロッパ行進を行うが、ジレンマに。つまり、経済のグローバリゼーション下では多国籍企業が決定的に影響力を保持しており、失業問題や貧困問題について個人はもとより一国レベルやEUレベルでも解決できないということである。そのジレンマを解決するオルタナティブがトビン税である。トビン税導入が実現できるかどうかは別として、そこから示唆されることは多国籍企業の決定に市民社会が影響力を及ぼす回路がありうるということである。ここからヨーロッパ行進とATTACの運動が並行的に取り組まれるようになった。
次ぎに、横山喜一(郵政全労協)さんから「フランスSUD(連帯・統一・民主)労組との交流」について報告してもらった後、 フリー討論を行った。
まず、呼びかけ人から「連続勉強会(トビン税など)、共同行動(典型的な新自由主義的グローバリゼーションに抗する闘い)、国際会議への参加(来年1月のポルトアレグレでの世界社会フォーラムへなど)」を叩き台として提案された。これに対して、「勉強会や共同行動も大事だが、"小泉改革が実は新自由主義的グローバリゼーションを貫くものだ"という視点を持って、倒産や首切り反対の運動や野宿者の運動など様々な運動を促進していく場としての位置付けが必要である」という意見、「農民や環境NGOや労組などそれぞれかかえている運動を、反グローバリゼーションという観点で分析してみてそれぞれ共有化していく作業がまず必要ではないか」という意見などがだされた。まとめとして、「相談会を続けながら、当面各運動アクターがかかえている運動・課題を反グローバリゼーション、国際連帯という観点から分析し、互いに共有化していく」ということを全体で確認した。
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