<赤い律動の月>の年B(年の後半)
1998.7.26〜1999.7.25
預言の第6年
目次
- 改暦と未来の文明
平和と時間に関する世界サミット/要約的な論評と結論
水晶の日の円卓の報告
- 水晶の手の日の報告(キン207)
倫理プロジェクト・ニューズレター
- 倫理プロジェクト・ニューズレター Vol.3, No.5
Original Copyright (c) 1999 by Jose & Lloydine Arguelles
Japanese Translation Copyright (c) 1999 by Japanese Translation Team
(水晶の月5日)
改暦と未来の文明
コスタリカ、平和の大学
「平和と時間に関する世界サミット」
その準備のための事前考察
預言の第6年、水晶の月24日〜宇宙の月1日
(グレゴリオ暦:1999年6月22日〜27日)
1.
平和と時間に関する世界サミットの目的は、前代未聞のものです。その目的は、日々の時間を管理する現在の世界基準である12か月のグレゴリオ暦を、それぞれ28日で13か月の万年暦に替えるという改革の、はっきりした具体的なステップを形づくり、またそれを提案することにほかなりません。このステップは、その意図の最も真剣な点、およびこのような改革が約束する深遠かつ幅広い含みの認識とともに踏み出されます。現在の暦を、それとはまったく異なった尺度基準に代替することは、私たちが文明と呼ぶあらゆるものの基礎に影響を及ぼす根本的な変化を引き受け、それに着手することです。そしてまさにこの変化が予告する深遠な変化により、この改暦はまた地球上の世界平和をもたらす行為としても着手されます。だからこそ、「平和と時間に関する世界サミット」なのです。
改暦は、歴史の最終的な行為であり、銀河文化のゆりかごの中で地球再生に向かう最初のステップです。いま暦を替えることは、歴史の進路を変え、地球上の文明の未来をまるごと改革することです。この一掃行為と正確な声明をするにあたって、もし私たちがこれまでの改暦の簡単な歴史を述べないのであれば、怠慢のそしりを免れないでしょう。なぜなら改暦の歴史を知れば、私たちはこのような改革の持つ微妙な点やその影響の広大さについて、よりよく把握できるようになるからです。私たちはまた、この改暦のタイミングがきわめて重大であり、見過ごすことのできない人類進化の機会を表わすものであることも、理解しなければなりません。
暦と改暦の話題は単純な理由により、一般的なものではありません。その理由とは、現在、使用されている暦が、ひとつの教義として機能しているため、それを疑問視する理由(理性)がほとんど生じないからです。ほとんどの人は、現在の暦の由来、すなわちそれがどこから来たのかを考えたことがありません。ほとんどの非西洋化社会に生きる人々は、いわゆる太陰暦と呼ばれるもので動いていましたが、同時により最近ではグレゴリオ暦を使用しています。
太陰暦もまた、時間の感覚を教義化するものです。たとえば、アラブ、ヘブル(ヘブライ)、中国の太陰暦と言っても、心にとどめておかなければならないことは、ただひとつの月があるだけであり、したがってすべての太陰暦は実際には同じ尺度だということです。使用されている太陰暦は、月の朔望周期の新月から新月までを測ります。これは、29日半ほどの周期です。これら朔望月の12か月は354日になり、地球の太陽(公転)軌道よりも11日短くなります。これに対して月の公転周期(恒星月)、すなわち月が天空のある地点から再びその同じ地点に戻るまでの周期は、27日半ほどにすぎません。この朔望月と恒星月の尺度のあいだにあるのが、平均的な28日の月の周期です。
さまざまな世界の文化により使われている太陰暦は、まったくのところ太陽暦、すなわち地球の太陽軌道の尺度ではないのに対して、今日使われているグレゴリオ暦は、太陽暦に似たものです。私たちがここで「似たもの」だというのは、いっぽうでグレゴリオ暦が365日の太陽周期を勘定に入れて、そこには4年にいっぺんの余剰日も含めているにもかかわらず、その尺度基準は不規則で、どんな自然周期にもまったく対応しないからです。
曖昧にでなく明確に理解しなければならないことは、不規則な尺度基準、特に不規則な時間の尺度基準は、心(や思考)に深遠な影響を及ぼすということです。なぜなら時間は、五感により知覚される空間とは異なり、心的に知覚される現象だからです。不規則で一様でない尺度基準は、生まれつき問題を抱えているのです。私たちの時間の感覚は、根本的な知覚です。もし私たちの使っている時間の尺度基準が不規則であるなら、そのとき私たちは、それが何世紀にもわたって長引いた使用により、私たちの心にどのような影響を与えたかを深く考え、また理解しなければなりません。
自然でもなく、また調和的でもない尺度基準で、加えて不規則性や人工性に向かう心理学的な傾向を強化するグレゴリオ暦はまた、直線的かつエントロピー的な時間の感覚も強化します。12月31日の翌日は1月1日、ひとつの年が終わり、別な年がはじまるという年の切り替えに際しても、そこには大きな調和性や超越的な意味がまったくありません。なぜかと言えば、グレゴリオ暦は大きな時間の科学に属するものではなく、単なる変則的な事例にすぎないからです。一様でない尺度基準は、生まれつき問題を抱え込んでいるだけでなく、究極的にそれは時間におけるどんな解決策も支持することができません。これがゆえに、この時間の尺度により束縛された生活の歩調は、スピードを指数関数的(急激)に加速し、その問題はますます困難なものになり、多様化するばかりで、解決のめどがまったくたちません。これらのことを考慮すると、必然的に改暦は、それみずからを表わすものとなります。
31 28(4年に一度、+1) 31 30 31 30 31 31 30 31 30 31 = 365
28 28 28 28 28 28 28 28 28 28 28 28 28 (+1) = 365
私たちは、変則的な事例であるグレゴリオ暦の世界中での使用もまた、歴史上の思いがけない異例の出来事であることを理解しなければなりません。グレゴリオ暦は、ユリウス暦の改革であり、それは最初に1572年、グレゴリウス13世によって提案され、1582年の10月、教皇の勅書により制定されました。今から416(13×32)年ほど前のことです。しばしば語られるのは、この改革の目的が、当時10日ずれていた冬至・夏至や春分・秋分のタイミングの遅れを元に戻すためというものですが、グレゴリオ暦への改暦の時点については、もっと指摘すべき点がたくさんあります。
1582年は、1452年に「発見の教義」を表明したニコラウス5世の教皇勅書から130年目をしるします。「発見の教義」とグレゴリオ暦への改暦のあいだの期間に、教会の保護下でヨーロッパ人は、新世界──南北両アメリカ──全体を事実上、征服し、植民地化しました。すなわち、歴史上はじめて地球を包囲し、世界が丸く、植民地化可能であることを裏付けたのです。メルカトル(Gerhardus Mercator/1512〜1594年)が地球を経度と緯度に分割し、ヨーロッパ人の空間の征服をしるした頃、グレゴリウス13世は暦を「改革」し、それを世界に課したのです。それは、大砲により、あるいは説得により、世界のその他の地域が、ほとんどその暦を受け入れなければならない時期に一致していました。このグレゴリオ暦の受容は、今日のグローバル化と呼ばれるものにおける、最初の大きな第一歩だったといっても過言ではないでしょう。それまでユリウス暦を使っていたほとんどの西洋諸国が、グレゴリオ暦を採用するのに200年かかり、またいっぽうで非西洋諸国は、たとえば日本は1873年、中国は最も最近の1912年にそれを採用しています。
しかしながら、ここでの要点は次のようなものです。すなわち、ヨーロッパ人の航海とそのテクノロジーの力が無敵だったことが証明されたために、世界のその他の地域にヨーロッパ人の時間の感覚と尺度を課すことが容易だったということです。世界が時間において統合される準備の整っていたときに、それが受け取った暦が変則的な事例で、不規則な尺度基準だったことは、悲劇であり、不幸なことです。今日、少なくとも公式的な政府や財政問題においては、グレゴリオ暦を使わない国家や人間集団は、事実上、存在しません。そして、このことは特別、指摘しておく価値があるでしょう。
ひとつの暦は、実際には信条体系全体を具体化しています。グレゴリオ暦も、その例外ではありません。非西洋世界の太陰暦が、月の朔望周期に対応して、太陰年を12の太陰月に分割するに対して、グレゴリオ暦は12の尺度を使用するものの、太陽年を分割しています。グレゴリオ暦により使用される12の尺度は、12の太陰月に基づくものではなく、それぞれ30度ずつの12の等しい部分へと分割する、空間におけるひとつの円の尺度──360度──に基づくものです。360度は、365日とは一致しません! 12によって分割された365=グレゴリオ暦、なのです!
12の尺度の慣習は、古代メソポタミアにその起源を持っていました。空間におけるひとつの円を分割するのは、(本来の)時間の尺度ではありません。そのことを理解するのは大切です。そして、空間におけるひとつの円の分割に基づいた時間の尺度を元にすると、知覚におけるゆゆしき過ちを引き起こします。紀元前3000年頃、シュメール人がすでに一日を12時間あるいは24時間に分割して、それぞれの1時間を60分、それぞれの分を60秒に分割していたことも注目すべきことです。また、事実上、世界あるいは地球のあらゆる地図が一日24時間を示す時計によりしるされた24の経度分割を表示していることも注目すべきでしょう。地理学的な形──空間における二次元平面──の分割に基づいたグレゴリオ暦は、機械時計と親密に結びついています。したがって、グレゴリオ暦により神聖化された信条システムは機械化の信条であり、この暦によりしるされる時間(時代)は、機械の時代となります。
機械的な計時装置としての時計の最終的な完成は、グレゴリオ暦の改革の瞬間とほとんど正確に同じ時に生じています。歴史のはじまりに考案されたひとつのプロセス──時間の尺度として空間におけるひとつの円を分割すること──は、それから約4,500年後の1582年に、機械時計とグレゴリオ暦が結びついて現われるという形で、その完全な成果を受け取ったのを見てとることができます。この時点から、私たちは機械の時代をはじめることができます。この二重的な(機械時計とグレゴリオ暦の)顕現はまた、12:60──不規則で人工的な12か月の暦と機械的な60分1時間──だと認識される無意識の心的な計時周波数の起源ともなっています。上述した歴史的な理由のために、この12:60の計時周波数は、今日のグローバル化の基礎となっています。12:60の計時周波数とは、完全に人工的で機械的な、無意識に組み込まれた計時周波数と時間の感覚のことを指しています。したがってこの計時周波数は、人類の環境の自然秩序である生物圏を司る、本来的に行き渡っている計時周波数とは調和しません。
この分析により、機械の信条であるグレゴリオ暦、機械時計、グローバル化は、すべて同じプロセスの一部であるのを理解することが容易になります。グレゴリオ暦を改革ないしは別なものに代替することは、したがって、機械の時代の信条体系全体を信用せずにそれを別のものに代替することなのです。
2.
もし時計が時間の機械化を表わすものであれば、グレゴリオ暦は時間の機械化をその毎月の日数の不合理な不規則性と切り離せない、ひとつの心的な制度として規範化する手段です。このようにして現代人の文明は、不合理な社会問題、犯罪や戦争の主人となっていることと切り離せない、制度化された機械効率の質を獲得しました。グレゴリオ暦への改暦の先頭に立ってそれを支援したバチカンそれ自体に加えて、事実上、現代世界のすべての発明、国家、制度は、この暦に組み込まれています。現在の市民暦を改革するというどんな試みも、この暦の中に組み込まれているあらゆるものを受け入れなければなりません。
グレゴリオ暦への改暦から200年ほどを経て、フランス革命が生じ、新しい暦への呼びかけがありました。1793年の共和暦は、それぞれ30日の12か月の枠組みで、年の終わりに5日間がある暦で、グレゴリオ暦の代わりに用いられました。このフランス共和暦は、本質的に一年をそれぞれ30日の12か月で分割し、年の終わりに5日の浄化周期があるという、バビロニア型の暦と同じ分割法を用いています。4年ごとに、フランス共和暦のこの5日間の期間は、4分の1日を勘定に入れて、6日間に拡張されました。1週間7日は、デカローグと呼ばれる10日周期にとって代えられました。このフランス共和暦は、再びグレゴリオ暦にとって代えられる1803年までの10年間続きました。
フランス共和暦を活性化した反教会主義の合理主義推進派の所感は、19世紀のフランスの思想家、オーギュスト・コント(1798〜1857年)の改暦提案の背後にもありました。現代的な社会学の原理の創始者として最もよく知られ、また哲学者でもあり、数学者でもあったオーギュスト・コントは、1840年代に、それぞれ28日で13か月の暦について学ぶ機会を持ちました。それは、タヒチを訪ねたことのある旅行者たちからの情報で、この暦がポリネシア人のあいだでよく知られていたのです。この普遍的な先住民の暦は、女性の生理周期に時間を合わせており、その調和的な形と生物学的な真実が、コントを強く印象づけました。彼は最終的にそれを「実証主義暦」として実証主義者協会の1849年の会合で発表するまで、その研究に数年間費やしました。
コントの13か月の暦の提案は、その必要から余分の「時間の外にある日」(時間をはずした日)を取り入れています。それ以外にも、改暦の呼びかけはフランスやヨーロッパのその他の地域でも続きましたが、それは12か月の周期と1週間7日を維持することに焦点が当てられたものでした。1890年代、20世紀をはじめるために、新しい暦に向けた少なからぬ扇動がありました。1900年、グレゴリオ暦の改革の研究のため、ドイツのアイゼナハでひとつの会議が組織されました。これらの試みすべてに対して、教皇の返答は常に典礼的な理由により、現在の暦を猛烈に弁護し、守るものでした。
しかし、バチカンによるさらなる弁護が出されました。それは、どんな改暦であれ、1週間7日の連続性を尊重すべきであるというものでした。バチカンのこの論拠は、改暦に関する論議を非常に制限し、それを行き詰まらせてしまうものであり、「はい、あなたは暦を改革することができます。ただし、それは1週間7日の連続性が保たれ、また12か月でなければなりません」と述べる、「キャッチ22」(※訳注:アメリカでベストセラーになったJ・ヘラー著の小説の題名。映画化もされた。兵士が脱走不可能な一種の泥沼あるいは悪夢とも言える状況にはまり込む姿を延々と描写している。「どっちに転んでも勝算のない不合理な状況、板ばさみ」の意として口語化し、一般に使われている)として本質的に機能するだけです。問題解決に優れた者であれば誰でも、これらのガイドラインが改暦の可能性をかなりの割合で制限するものであることがわかります。事実それは、過去150年にわたる改暦の試みが不成功に終わった、その原因となっていました。確かにこの論拠は、結局のところ、まさにその暦を世界基準として維持しようとする、カトリック教会の権力を表現しているにすぎません。
にもかかわらず、タヒチのポリネシア先住民にもともと由来するコントの13の月の実証主義暦は、1908年12月25日から1909年1月5日まで、チリのサンチャゴで開かれた「汎(全)米科学会議」において、再び姿を現わしました。この将来性を持った催しで、カルロス・A・ヘッセという名前のペルー人が、オーギュスト・コントのそれと同一の13か月の暦を使った改暦案を紹介しました。ペルーにいたヘッセが、彼のその暦をどこから引き出してきたのか私たちは正確に語ることはできないものの、ちょうどタヒチ人もそうであったように、(ヨーロッパ人によって征服された)アンデス文明が13の月の暦を持っていたことを、彼が知っていたという可能性も十分にあります。今日でも使われているペルーの13の月の暦は、500年のパチャクティ周期と相互に関連づけられており、現在(グレゴリオ暦のAD1998〜1999年)が、11番目のパチャクティ周期にあり、年は5506年となっています。
13か月の暦の論理的な性質は、英国の鉄道王、モーゼズ・B・コッツワースを魅了し、彼は「国際固定暦連盟」(the League of the Internatinal Fixed Calendar)をつくりました。1921年、英国ロンドンの国際商業会議所は、その暦を世界中で促進することを決定しました。そして、その問題が国際連盟に持ち込まれたのです。1920年代、コッツワースは、イーストマン・コダックのジョージ・イーストマンの関心を引き、イーストマンは、国際万年暦のために大きなキャンペーンを組織しました。国際連盟では、改暦の問題を研究する委員会が、数多くの提案を受け取りました。しかし、はるかに、疑いなく、最も一般的だったのが、国際万年暦でした。米国だけでも、たいへん多様な利害関係を持つ100以上の産業が、13か月の万年暦を採用する用意を整えていました。国際連盟は、1933年1月1日を、この新しい暦をはじめる日付とすることを決定しました。というのは、その年は日曜日からはじまる年で、その万年暦が常に日曜日ではじまり、土曜日で終わるものだったからです。
グレゴリオ暦の月の伝統的な名前と密接な結びつきを維持しながらも、13番目の月はトライセンバー(Tricember)と呼ばれました。特定の年の最後の土曜日と次の年の最初の日曜日のあいだの「無効日」(null day)に反発して、その暦に反対する意見も出されました。これは、28×13=364日あるいは完全な52週間(この仕組みは産業界の会計士をひきつけた)で、太陽年は365日を数えるからです。13か月の暦の形の、まったくの自立的な完成度にもかかわらず、それに対する抵抗派は、この独自の「無効日」に反対する大きなキャンペーンに的を絞りました。その暦が万年暦の完成度を維持する、まさにそのポイントをターゲットにしたのです。このようにして、制度化された無知と不調和の惰性が、そうでなければ改暦における最も成功に満ちたものになるはずだったこの試みをやめさせることができたのです。
1931年、国際連盟の42の加盟国からの111人の代表者が、準備委員会の28ページの報告書に耳を傾けました。米国、ブラジル、フランス、スイス、ドイツを含む数多くの国々が、13か月の暦に賛同したのに対して、ハンガリー、イタリア、オランダは、「補足日」(無効日)の導入を暗示する万年暦の制度化に対して反対しました。
この相入れない見解を支持することで、さまざまな天文学者の異議が生じてきました。たとえば、リスボンの天文観測所のフェデリコ・オオムと教皇ピウス11世は、1週間7日の連続を途切れさせることは、混沌と災難をつくりだすものだと主張しました。教皇はさらに、イースター(復活祭)の日付を固定するという問題は、独占的に彼の管轄下にあると主張します。この見解は、さらに一流新聞の論説でもさらに支持されました。たとえば、「ロンドン・タイムズ」(1931年10月13日)は、宗教的な良心のとがめに賛同すると述べ、「ニューヨーク・タイムズ」(1934年12月16日)は、週の連続性を途切れさせること──その連続性がほとんど古代の聖書の時代以来、途切れたこととがないと主張された──によって生じる損害に関する理由づけに共鳴する記事を発表しました。
宗教と週の連続性に対する攻撃であるとみなされた、13か月の暦を促進するキャンペーンには、多くの資金が費やされたにもかかわらず、そのプロジェクトは頓挫。保守的な教会や科学者、先導的な新聞・雑誌などの定期刊行物の所感に耐えることができなくなりました。グレゴリオ暦の廃止に対して、好意的な雰囲気づくりを望んでいたさまざまな組織の反乱に助けられ、1939年1月1日日曜日からはじまる中庸的な12か月の暦に味方する最終的な試みがなされました。しかしながら、この暦もまた悪名高い「無効日」を含んでおり、そして1937年9月4日、ジュネーブの「国家協会コミュニケーション委員会」(the Committee of Communications of the Society of Nations)が、改暦する時にいまだ至っていないという結論に達したのです。1950年、ピウス12世は、「教会は改暦に反対するものではないが、1週間7日の曜日を持たない<普遍日>("universal days")を含むそれらの提案には反対する」という意見を述べました。この所感は、バチカンの第2全教会協議会に対する結論となった、1962年の改暦宣言の際にも繰り返されました。20世紀の中ごろの時点で、グレゴリオ暦は世界中に広がっていました。
3.
第二次世界大戦まで生じていた改暦に関する論争は、西洋(グレゴリオ暦の)心のレンズの中に完全に浸っている状態を反映しています。暦を替えることが宗教に対するひとつの脅威になるという論拠は、改暦の議論の対象となっている暦を持つ宗教によってだけ主張されます。バチカンの暦が世界基準として位置づけられたという歴史的な事件は、その擁護者の立場を頑なにするだけです。改暦に対する主要な異議が、週のサイクルの外側にある日を含む(したがって、91日間のそれぞれ等しい四半期あるいは13週間になる)ことに対してであることは、このような改革により獲得されるであろう調和的な規則性の観点からすると、驚くべきことです。
創造のはじまりのとき以来の1週間7日の途切れることのない連続という、まさにその観念こそが、実際にはまったくの直線的な時間の概念にほかなりません。この連続性が途切れることが世界中を混乱、野蛮な状態、宗教の退廃に陥れるという主張は、第二次世界大戦以来、あるいはこの20世紀全体を通して生じた出来事の現実、すなわちこれまでの歴史上どんな時代にもなかった、大量の戦争、暴力殺人による死の多発、大量破壊兵器の増産といった人類の進路を熟慮すれば、影が薄くなります。この原因は、人類が、事実上、調和を否定する尺度を持つ暦、またどんな真の改革の可能性も否定する制限により、その改革を防衛する主唱者を抱えた暦に支配されているからなのではないでしょうか?
1956年、国連の「経済・社会協議会」は、改暦の問題に関する論争を無期限に延期しました。グレゴリオ暦の教義の、次第に累積した惰性がそのまま保たれ、それとともに文明の支配がその影の中で成長しました。私たちは、週のサイクルの途切れることのない連続という概念が、西洋の偏狭さであることを主張しなければなりません。1週間7日という考え方は、その他多くの文明や文化の暦では共有されていません。私たちは、グレゴリオ暦によって維持されているような、途切れることのない連続における1週間7日だけが、唯一の真の方法だと言うべきなのでしょうか? そうではないでしょう。これでは、(私たちもまた)それによりグレゴリオ暦が第一にその卓越した地位についた、盲目的な偏愛主義や帝国主義の一種へと落ち込んでしまうからです。
グレゴリオ暦の改革に関する議論や、世界市民暦が休止状態に至った頃、冷戦の問題だけが増大し、妨げられることのない地球産業化の道と混合しました。その結果、核の脅威がエスカレートしただけでなく、地球環境に対して制御されない、産業主義の否定的な効力も生じました。このような社会およびテクノロジーの勢力の複合により、改暦は遠のき、的はずれのものに思えるようになったです。
1987年、『マヤン・ファクター』と呼ばれる本が、出版されました。その本は、中央アメリカの古代マヤにより生み出された思考体系を理解するための、はじめての包括的な試みで、地球の歴史からすると独自な暦法数学や天文学に焦点を当てたものです。歴史のプロセスにより、この本はそのときにただ生じただけですが、この時点でようやく古代および現代の先住民マヤのことが、十分に知られるようになったのです。
後期マヤ文明は、16世紀にスペイン人征服者により崩壊しました。1562年、カトリック教会の司祭、デ・ランダ司教は、見つけることのできた書物のすべてを燃やしてしまい、可能なかぎりたくさんの彫像や芸術作品を壊しました。それは彼が、キリスト教会や聖堂の建築を拒んでいた、イサマルというマヤの巡礼センターの大ピラミッド神殿の石を取り除かせていた頃のことです。デ・ランダ司教のこの「アウト・デ・フェ」(※訳注:宗教審問の判定宣告)により、彼は自分の上司にそのことを報告するべくヨーロッパに戻ることになりました。1572年、グレゴリウス13世がその地位につき、その10年後に改暦を呼びかけることになるその年に、デ・ランダ司教は破壊し、改宗させた、マヤ人の知識に関する自著を出版しました。デ・ランダの著書に書かれている以外の古代マヤの知識は、いまや時間の中に、そしてジャングルの中に置き去りにされ、何世紀もあとの、忘れられた物語の断片をつなぎ合わせようと試みる考古学者たちのチームによる「発見」を待つようになりました。
『マヤン・ファクター』は、ツォルキンあるいは神聖な260日暦で作業を継続する「デイ・キーパー」(日の守り手、日の番人)として知られる、現代マヤの生存者たちの粘り強さの背後にある理由を説明しました。またそれだけでなく、著者のホゼ・アグエイアス博士は、ツォルキンに基づいた数学的かつ歴史的な分析にも入り込み、それが「ただの暦」以上のものであることを示したのです。『マヤン・ファクター』が真に指摘したことは、時間に関する観点が精巧かつ詳細に形づくられていること、および暦あるいは実際には暦の体系のあり方が、グレゴリオ暦あるいは旧世界の太陰暦とは、まったくかけ離れていたことです。確かに、現代マヤの思想家で儀式家であるフンバツ・メンによれば、マヤはその文明の全盛期である1,300年前に、少なくとも17種類の暦を使っていたと言います。皮肉にも、バチカンがその天文観測所を持つ、アリゾナ州トゥーソンの外側にあるキット・ピーク観測所には、マヤ文明のモザイク壁画があり、そこには「マヤの暦は、グレゴリオ暦よりも正確で科学的だった」と述べた一文が掲げられています!
『マヤン・ファクター』の出版から2年後、著者とその妻は(グレゴリオ暦というよりも、マヤ暦の周期に応じて生きる実験をそのだいぶ前にすでにはじめていたのですが)、スイスのジュネーブにある「時間博物館」を訪ねました。アグエイアス夫妻は、もうひとつの、時間の「外側の」観点に浸っていたことにより、改暦の進路に深い影響を与えることになる驚くべき発見を成し遂げました。これが、12:60と13:20の計時周波数の発見で、後に彼らが「時間の法則」と呼ぶようになるものの基礎となるものです。
アグエイアス夫妻が「時間の博物館」で見たものは、実際には時間の機械化の歴史でした。機械時計と同じように、空間の測定法による分割にその歴史的な根(ルーツ)を持つグレゴリオ暦に組み込まれた、機械時計と不規則な暦の組み合わせが、人工的な計時周波数を生み出したのです。その無意識の受容および人類の心を支配する働きは、自然の周期からますます逸脱する人類を生じさせました。この計時周波数をアグエイアス夫妻は12:60であるとみなし、いっぽうでその時点で彼らが知っていたそれとは対照的な自然の計時周波数は、13:20であるとみなされました。この13:20の周波数は、彼らが調波(ハーモニック)モジュールとも呼ぶ、13×20=260単位の順列マトリクスである、ツォルキンから引き出されました。あまりにも多くの暦が古代マヤの人たちによって使われ、また生じたというこの非凡な性質は、マヤ人が宇宙の実際の計時周波数、13:20を知っていた結果であるといまや理解されます。その計時周波数は、地球上のその他の人々すべての意識のうえでは未知だったものです。
この発見により、アグエイアス夫妻はすぐに人類の環境との不均衡の原因、すなわち産業や新しいテクノロジーの増殖、そして人口の「爆発」の理由は、すべて同じひとつのこと──自然の諸法則から逸脱した計時周波数を採用し、受け入れたこと──にあると気づきました。
アグエイアス夫妻は、、改暦の初期の試みについては何も知りませんでしたが、彼らの12:60−13:20の計時周波数の発見から最初に導かれた結論は、暦を替えることでした。彼らは、13か月でそれぞれ28日の月の暦が、適切な解決方法であることを本能的に知っており、同時に人類が最初に踏み出すべき第一歩は、自然周期に再び順応すること、そうすることでみずからとその生物圏を破壊から救うことでした。そのさまざまなマヤ暦の知識から、彼らはまたマヤが13の月の暦、トゥン・ウクあるいはムーン・カウント(月の数え方)と呼ばれるものを所有していたことも知っていました。マヤのチラム・バラムの預言的な伝統に従い、そしてシリウスのヘリアカル・ライジングに一致する形で、新しい暦の同期あるいは新年の日付は、7月26日に設定されました。したがって、7月25日は、「時間をはずした日」(「無効日」と同じ)となりました。それをアグエイアス夫妻は、銀河の自由の日、あるいは緑の日とも呼びます。そしてそれは、負債や罪を許し、記録をきれいにぬぐい去る目的のためにあります。アグエイアス夫妻は、12:60のシステムでは「時は金なり」であるのに対して、13:20のシステムでは「時は芸術なり」であることにも気づきました。
「13の月の暦」を「時間の法則」の研究の基礎として、アグエイアスは、「ドリームスペル、時間船地球2013の旅」(1991年)と呼ばれる新しい時間の「ツール・キット」をつくることに向けて、前進しはじめました。すでに全体系の思想家となっていたアグエイアスは、独自なマヤの20進法の数学と、四次元の数学──すなわち時間の現代物理学の根本的な改訂の根拠──が同一のものであることを認めました。人類の環境との関わりについての研究により、アグエイアスは、ロシアの生物圏の科学者、ヴラジーミル・ヴェルナツキイ(1863〜1945年)の著作を研究することになりました。アグエイアスが捜し求めていたものを見いだしたのは、ヴェルナツキイの最後の著作、『生物地球化学の諸問題U』の中でした。それは、現代の(グレゴリオ的な)科学は、時間の尺度として空間の測定法を応用することにより時間の本質を完全に誤ってとらえており、その結果、時間の実質をすべて曖昧なものにしているという、アグエイアスの感知したことを裏付ける記述でした。言い換えれば、時間は、空間とは別な、あるいはそれより大きなものであり、ヴェルナツキイによれば、時間の観点からすると、空間は無限に位置可能なポイントなのです。
この土台をもとに、アグエイアスは、『それみずからの次元から見た時間に関する論文』(『パカル・ヴォタンの呼びかけ』として出版される、1996年)を書くことができました。この本の結論は、四次元の計時基準の分析という観点からの、ヴェルナツキイが「生物圏から精神圏への移行」と呼んだものと同じです。この分析によれば、現代人の地球文明はすでに、その働きにおける根本的なシフトを予兆し、ヴェルナツキイが「精神生代」と呼んだものへと進化的に前進する、その移行のさなかにあります。アグエイアスは、「13の月の暦」に替えることは、人類がその周波数を変え、このクライマックスの進化的な変化に積極的に参加するための、最も知性的かつ唯一の平和的な道であることを納得しました。
アグエイアス夫妻はまた、グレゴリオ暦の無意識の心的な効力により、地球社会に本来備わった矛盾が、その解決方法よりも大きなものになっているにもかかわらず、環境に対してその問題がつくりだしたことは、自然がみずからを回復し再生する能力よりもはるかに大きくなっていることにも気づきました。何か劇的なことが、起こるべくして、起こらなければなりませんでした。古代マヤの象形文字を解読する彼の継続的な試みにおいて、1993年7月26日、いささか劇的なことがアグエイアスに生じました。彼は、パレンケのパカル・ヴォタン(603〜683年)の墓の石棺を解読しはじめ、「13の月」の預言に仰天させられたのです。この預言は、「テレクトノン」として知られ、簡潔に次のように述べています。「テレクトノンがあなた方の前に立ち現われる。地球上の平和に対する神の計画、霊的な改革と救いにおける最後で唯一の希望:28日、13の月の道、カレンダー<テレクトノン>の瞬時の受容と採用」。ここから、「世界規模で13の月の暦に替える平和の運動」が生じました。
4.
テレクトノンは、1993年7月26日から、2000年7月25日までの期間を、「預言の7年」として確立します。この期間のうちの最初の5年間、アグエイアス夫妻はラテン・アメリカ、ヨーロッパ、極東、北米へと旅をして、「13の月の暦」のメッセージを広げ、ひとつの世界平和運動を喚起しました。彼らの任務の本質は、「13の月の暦に替える平和の計画」(1995年)として要約されており、その核心は、もし改暦が生じるのであれば、世界はその変化を見守るためにいつたん静止するようにならなければならないというものです。その変化を見守るために世界を止めること、それが普遍的な停戦を呼びかけ、古い市民暦の中に閉じこめられている諸問題を軽減する戦略をたてるための口実(pretext:弁解、言い訳)です。その試みにより、彼らは「第一回生物圏の権利の惑星会議」(1996年、ブラジル)、そして「時間の法則に関する世界会議と審判の日の法廷」(1997年、日本)を開催しました。
「審判の日の法廷」の本質は、現在の世界秩序の創造と維持におけるバチカンとその暦が演じた役割を明るみに出すことでした。これがゆえに、それまでの改暦の試みに関する知識が乏しかったにもかかわらず、アグエイアス夫妻は暦を替えるための試みにおいて、バチカンと国連の支持をとりつける外交キャンペーンを立ち上げました。1998年1月1日、ブラジルからの法律チームとアグエイアス夫妻はローマに到着し、その提案を持ってヨハネ・パウロ2世との接近を試みました。法王の個人秘書のひとりとの会談により、彼らは国連の支持が必要なことを説得されました。後に科学司教アカデミーの長官および国連事務総長のコフィ・アナンからの返答を受け取ったにもかかわらず、さらなるコミュニケーションの試みはバチカンからの沈黙により、止まったままです。
12:60の世界が、Y2Kのグレゴリオ暦の日付の問題と、エスカレートするバルカン半島における現在の戦争により繰り返される、量子的指数関数的な無秩序の中にあることを認めるアグエイアス夫妻は、いま「平和と時間に関する世界サミット」を呼びかけます。改暦を調整する際に、いまだにバチカンと国連の協力に的を絞っているものの、同時にアグエイアス夫妻は、時間は本質的なものであり、変化を導入するために確立された手続きに依存することは、時間を無駄にするということも知っています。それがゆえに彼らは、完全に人民主義的なアプローチが、ひとつの暦とひとつの時間から、別な暦と別な時間に移行する唯一の方法であるかもしれないことを認めています。文明の未来──そしてまさに生物圏の未来──は、戦略的に時間を合わせ、よく設計された改暦に完全に依存していることに疑問はありません。そしてこの改暦は、人類存在すべての側面を考慮に入れます。なぜなら、時間によって影響を受けないものはないからです。
この「平和と時間に関する世界サミット、その準備のための事前考察」の記述は、粘り強く13の月の暦について触れています:コントの実証主義暦は、タヒチに由来するものでした。アンデスの13の月の暦で、現在も使われている「パチャクティ」。マヤは13の月の暦を知っており、それを使い、トゥン・ウクと呼んでいました。古代のイギリスとヨーロッパでは、同じ暦がドルイド・カレンダーとして知られていました。日本の考古学では、この暦は日本の祖先の人々に知られていたことを示しています(※訳注:高松塚古墳の天井壁画にある四方向に7宿ずつ配置された「28宿」の図を指すのかもしれない。ただしこれは中国伝来のものとされている)。28日周期の記憶、つまるところ人間の女性の生物学的な周期は、中国やインドの月の28宿の伝統においてその記憶をよみがえらせており、いっぽうラコタの人々のあいだで、ティーピーをつくるために使われるのは常に28本のポールです。そして28は、月の周期の日数の平均値であるだけでなく、それはまた太陽が自転するのにかかる日数でもあります。この暦の使用に「戻る」ポイントは、それが女性の生理周期に対応すると同時に、深遠な自然の調和と規則性を持っていることです。人類が、その進化的な理想に向かって前進し、自然の周期に戻るうえで、これ以上の何か良い道があるでしょうか?
週のサイクルの連続という神話は、生まれながらに問題を抱え、解決方法を持たない暦の継続的な使用に直面すると、なんの力も持っていません。この神話は、それが実際にはグレゴリオ暦の最終的な教義であると、みなされなければなりません。今世紀の前半における改暦の試みすべてが失敗したあと、グレゴリオ暦は残りの半世紀の執行猶予期間を過ごしました。しかしながら、次のように尋ねなければならないでしょう。たとえば、NATO勢力はどの暦に依存しているのでしょうか? 人類は(現在いる時間の場所から)抗議の意志をもって退場し、1週間の曜日の中に含まれない「時間をはずした日」を体験しなければなりません。それは混乱としてではなく、芸術や文化を再び増大させる平和の実践がなされる、すべての負債を取り除く最初の可能性と、許しや和解として体験されます。
最後に、調和と規則性を持つ新しい暦によって補償される平和の約束を考慮すると、「時間における、組み込み(組織編入)、解消(組織解除)、再生」の原理によって表わされる機会についても考えるべきでしょう。事実上、すべての既存の制度は、グレゴリオ暦の中に組み込まれています。これが意味するのは、その時間における主権(統治権)は、グレゴリオ暦の中に組み込まれた日付によるということです。この暦を断念することは、実際にはこれらの制度のすべて──企業であれ、国家であれ──を解消することです。完全な改暦において、時間におけるすべての主権は、平和裡に再び取り決められなければなりません。
これは、「7つの委任事項」の目的を定義します:もし古い秩序の時間における解消があるのであれば、新しい秩序の時間における再生があります。したがって、時間における主権を持っている制度ではなく、人間であることが確定されますが、その移行は、どのように生じるのでしょうか? グレゴリオ暦に組み込まれていたこれまでの既存の制度すべては、いまや解消され、それまでの管理者は時間の新しい人間的な理解、および真の平等、正義、人類の同胞愛の創造に導かれなければなりません。そこでは、もはや暴力は許容されず、平和が、私たちを毎日の瞬間瞬間を生きる方法になります。ひとつの暦を別なものに替える機会を与えられた、この7つの委任事項(委員会)は、それぞれ次のように尋ねなければなりません。「新しい暦の規則正しい週と調和的な月のように、生命(人生、生活)が生きとし生けるものすべてのために宇宙の秩序と調和に回帰する際、人類が創造的かつ平和裡に新しい時間に確実に入り込むためには、最初にどんな実際的なステップがとられなければならないのか、そしてどんな手続きが踏まれなければならないのだろうか?」と。
これらの「準備のための事前考察」を届けるにあたって、私たちはこの改暦によって着手されるあらゆることが平和裡に行なわれるものであることを宣言して、締めくくりたいと思います。13の月の暦は、平和の暦です。それは、古い暦あるいは古い制度に対する反動ではなく、深遠な良識と、自然にひそむ法則、すなわち「時間の法則」の発見を代表して、この改暦が引き受けられるのです。私たちはまた、これら初めの考察において、ここでは言及されなかった改暦に関連する深い神学的、心理学的、科学的な性質の数多くの論点があることに、はっきりと気づいています。しかしながら、それらについては、私たちは7つの委任事項(委員会)および「平和と時間に関する世界サミット」の総会審議のあいだに議論され、話題にのぼることを望んでいます。
私たちは平和裡にやってきます。私たちが平和です。地球上の真の平和の文化を確立することを手伝うのが、私たちの使命です。私たちは、それを銀河文化と呼びます。なぜなら、自然の時間周期へと解放されていくことで、私たちが真に宇宙的な存在であること、そして銀河の全体秩序に私たちを親密に結びつける、霊的な進化プロセスに加わっている者としてみずからを体験し、知るようになるからです。戦争と時と、平和の時があります。戦争の時には、私たちは戦争しか知ることができませんでしたが、平和の時には平和だけを知ることができます。平和が広がりますように! いまこそ地球が平和になりますように!
サミットのコーディネーター、ホゼ&ロイディーン・アグエイアス博士により差し出され、提示される
預言の第6年、水晶の月5日、キン201
近々、用意される資料:
新しい時間の最初の年の四半期のための7つの委任事項と予定される行ないのためのガイドライン。新しい暦の専門的な詳細。
真実は愛。寛容は正義。平和は永遠。
ヴァルム・ヴォタンとボロン・イク
(水晶の月11日)
水晶の日の報告:魔術の亀の日
調波52:宇宙の保存
存在の気品を思い出す
キン207:青い水晶の手
私は知るために捧げる
癒しを普遍化しながら
私は協力の水晶の音で
遂行の保存を封印する
私は自己発生の力に導かれる
水晶の月の水晶の音は、「魔術の亀の日」をつくりだします。
すべての惑星キンに世界平和のご挨拶を申し上げます。
親愛なる同胞たちへ、
この魔術の亀の水晶の日の報告は、コスタリカへの旅と、「平和と時間に冠する世界サミット」の準備に関して、みなさんに最新情報をお届けするものです。このサミットは、「改暦の人民宣言」を用意するため、私たちがその他の人々とともに参加するまさにその瞬間です。チリのキン、アロンソ・ウレア、磁気の風の思慮深さのおかげで、私たちは最近、一冊のテキストを受け取りました。それは、1950年代の初期にアルゼンチンで出版された「改暦に直面した文明」というものです。このテキストには、歴史書から隠されていた驚くべき詳細が説明されています。あなたは、改暦が今世紀の新しい考えではないということを知っていましたか? 国際連盟は、1933年1月1日が、13の月・28日の万年暦の初日になるように提案していたのです! この提案は、バチカンによって退けられました。バチカンは、時間の直線的な進行、すなわち創造のはじまりからの1週間7日の途切れることのない連続という論拠を用いて、無効日(null day/364+1の最後の1日)の可能性を否定しました。その日は、いま私たちが「時間をはずした日」と呼んでいるものです。
私たちはいまやコスタリカのサミットに対して、今世紀に片づかなかったこの仕事──改暦の議題──を締めくくるように要請されているという認識でアプローチします。
不規則なグレゴリオ暦を、平和の「13の月の万年暦」に替えることにより、私たちは世界情勢において前代未聞の変化を見届けることになります。きたる「時間をはずした日」、1999年7月25日は、人類がそのエゴのアイデンティティを溶解し、その宇宙的な振動への解放を体験することのできる、銀河の自由の日となるでしょう。日本の柳瀬氏が先頭に立つ、この日の準備は、私たちすべてを「協力」と「すべてを含むこと」の新しいレベルへと鼓舞することでしょう。
平和の「13の月の暦」を1999年7月26日に受け入れることで、私たちは時間の中でその至高性(統治力)とともに再構成されるようになり、滅亡的な運命や破壊の古い預言を打負かすことができるようになります。「13の月」の完全な52週間の中に生きることで、私たちは真の時間における生活の、本来の生得権を見いだすことでしょう。
過去もなく、未来もなく、問題もない
いまこそ、地球規模の平和を!
この美しい惑星地球に住む人間ひとりひとりが、平和を選ぶまさにこの瞬間を手にしています。平和は、あなた自身の真実の中に、時間として、時間において、時間のために、立つことから生じます。平和になりましょう。あなたの意志を平和に向けて主張し、能動的に、もはや明らかに制御不可能になっている戦争の勢力を拒否しましょう。すべての戦争に対しての、人類の反感をはっきり表明する声がなければなりません。同様に、戦争を促進するすべての武器、また戦争を継続させようとする物質的な機械に対しても、反対の意を唱えるのです。経済的な詐欺は、終わらなくてはなりません。惑星地球上には、すべての人類をそれにふさわしい形で養うに足る食糧、衣服、住居など、十分な豊かさがあります。人間の価値に近寄る手段を均等化するために、私たちは飢えた人たちに食を与え、あらゆる種類の殺人、暴力、貪欲を即座にやめなければなりません。最も高い夢を夢見るようにしましょう。
いま平和の考えを拒否する自分を見いだすのなら、そのときは平和があなたとともにはじまるものであることをもう一度見て、知ってください。あなた、そうあなたと、私たちのまわりのあなたがたすべてを私たちはどんな形であれ非難したくなります。いま責任を担い、平和にチャンスを与えてあげてください。人類は、私たち次第です。ですから親愛なる惑星キンよ、地球規模の覚醒という生物圏−精神圏のシンク・タンクの中で、私たちみんなが自己選択を続けるようにしましょう。
平和により
芸術が高められ
想像力が深められ
人々が統治される
私たち自身のために、そして私たちとつながりのあるすべての者たちと、来るべき七世代のために、夢が新しい平和を目覚めさせるようにしましょう。
ドリームスペルで会いましょう。ボロン・イク。
真実は愛。寛容は正義。平和は永遠。
ヴァルム・ヴォタンとボロン・イク
(宇宙の月1日)
平和と時間に関する世界サミット
要約的な論評と結論
すでに表現した(見解を表明した「改暦と文明の未来」の文書を参照)改暦の問題を締めくくるという目的のために、「平和と時間に関する世界サミット」が、コスタリカの平和の大学で1999年6月22日から27日(水晶の月24日〜宇宙の月1日)にかけて開かれました。このサミットは「改暦の宣言」を批准し、「7つの委員会」を組織し、その宣言に付随する「決議の7つの条項」を用意するために、地球人民を代表して呼びかけられました。
サミットには、50人ほどの招待された委員、および同じくらいの人数の「世界規模で13の月の暦に替える平和の運動」に集う惑星キンの人々を含めて、百人以上の人々が集まりました。国連の事務総長コフィ・アナン、ユネスコの事務総長フェデリゴ・メイヤー・サラゴサ、ダライ・ラマに宛てて、「安全保障のための弁護士同盟」のジナサン・グラノフにより、礼状が送り届けられました。また参加はできなかったものの、国連に対する世界銀行特別環境代表のアルフレド・スフェール−ユウニス博士および国連の霊的フォーラムのラマ・ガンチェンは、関連資料と支持声明に寄与しました。
サミットは、山本有仙師による祈りのセレモニーではじまり、その後にコスタリカの前大統領で「平和の大学」の創始者であるロドリゴ・カラソ博士の開会宣言が続きました。カラソ博士に随行したのは、「平和の大学」の新任の学長モーリス・ストロングの代表で現職牧師のジェラルド・ブドウスキーでした。それからロイディーン・アグエイアス夫人が歓迎の挨拶を述べて、彼女の夫ホゼ・アグエイアス博士を紹介。アグエイアス博士は、このサミットの目的と目標を概括した準備声明書「改暦と文明の未来」により、このサミットを公式的に開催した人物です。最後に、グローバル・ダイアローグ研究所に所属し、今回のサミツトの現場コーディネーターであるアショク・ガンガデアン博士が、7つの委員会(委任事項)の基本原則を述べました。
ガンガデアン博士は、エゴ的な言語と高次の「ロゴス」とのあいだを区別する手段として、「深い対話」のプロセスを定義することにより、7つの委員会それぞれが直面する重要な任務につくための示唆に満ちた提案を行ないました。彼は、その委員会のカバーする7つの分野のそれぞれひとつに対する決議事項を1ページの文書にまとめました。その決議事項とは、時間、教育、富、生物圏、霊性、平和、そして芸術と文化です。ガンガデアン博士は、2日目の昼間の会合でさらに「深い対話」のテクニックを詳述しました。
翌日からの4日間をより中身の濃いものにするため、7つの委員会はその仕事に取りかかりました。昼食の時間は、参加者全員にとって共に集う場を提供しました。しかしながら、サミットの中心となる活動を提供したのは、小集団です。それぞれの委員会は、ファシリテイターと書記、および二つの主要言語であるスペイン語と英語のあいだを通訳するバイリンガルを任命しました(その他にも日本語、ロシア語、ブルガリア語、ポルトガル語、さらにはキチェー・マヤ語、ペルーのケチュア語、チリのマプチェ語など、さまざまな先住民言語が使われました)。委員会への参加は、程度の差はあれ自発的なものでした。興味深いことに、最も小さな委員会は「富」と「平和」で、それに対して「芸術と文化」、「時間」、「教育」、「霊性」は多くの人を集めました。当初の考えでは、委員会は招待された委員たちにより中核グループが形成され、惑星キンが外側の輪を構成して、その場を保つという予定でした。しかしながら、いくつかのセッションが繰り返されるうちに、ほとんどの集団では、これらの境界は溶けてなくなりました。
3日目の朝には、グアテマラのケツァルテナンゴから来たキチェー・マヤのデイ・キーパーであり神官であるロベルト・ロスが、全参加者の前でセレモニーを行ないました。この段階での参加者の中には、国連の前事務総長補佐官のロバート・ミューラーも含まれていました。このセレモニーは、その伝統的な形により、最も深い内的な所からの声を語る機会となりました。その結果は、強力かつ浄化的で触媒的な催しとなり、その中で歴史的な傷や誤解が表に出て、分かち合われ、癒されました。参加者がそれぞれ委員会に戻っての作業を続ける前に、ロバート・ミューラーは、平和の大学のある場所の考古学や歴史を個人的に案内し、それは彼の住居の近くまでの散歩で締めくくられました。
翌日、ガンガデアン博士による「深い対話」に関する所見が述べられたあと、参加者は諸問題とその興味すべてを発言する午後の一般セッションを行ないました。これは、ときには苦しくまた疲れ果てるようなプロセスとなったにもかかわらず、全体の効果は非常に有益なものでした。次の日、サミットの5日目には、「女性たちの癒しの集い」のあと、委員会がそれぞれまじめに作業につきました。最終的に午後4時に、最後の全員出席のセッションが「決議の7条」を聴聞する目的だけで開かれました。最初の3つの委員会の報告は、ひとりの代表によって読み上げられました。しかしながら、残りの4つのグループは、委員会の構成員すべてを招き、その人たちの出席のもとで報告がなされました。その報告すべてに対する反応は、圧倒的多数の賛同でした。
それからの2日間の報告は、よく練り上げられ、まとめられたものでした。「決議の7条」はいまや有効になり、それぞれは委員たちのひとつのグループの産物です。これが意味するのは、条項のそれぞれは、真に人々の意志の結果となり、今までこのような方法では会ったことも集まったこともない人々によって、そのほとんどの部分がまとめあげられた決議だということです。改暦を実施するために前面に押し出された、その雰囲気のまじめさや実際的な提案が、改暦そのものの真実と適時性を物語っています。
サミットの最終日の6日目は、そのほとんどが儀式的な締めくくりとなり、それは平和の大学ではいままでになかった催しでした。戸外のパティオ(中庭)で、アステカの踊り手によるパフォーマンスではじまった儀式は、その残りがコスタリカの首都サン・ホセのダウンタウンにある歴史的なファナル劇場の中で行なわれました。生物圏の委員会を手伝ったエリザーベート・サートリス博士は、はじめの宣言を行ないました。それは、現在の惑星地球の通過する儀式、すなわち「平和と時間に関する世界サミット」によりしるされる儀式のために、生物圏のメタファーについて念入りに仕上げられたものでした。
サートリス博士の宣言に引き続いて、ロイディーン・アグエイアス夫人が、すべての参加者の共通の同意により批准された、改暦の宣言を公式的に読み上げました。ホゼ・アグエイアス博士は、二つの平和使節チームの自己選択によるリーダーたちの勇気を奮い起こさせました。そのリーダーとは、国連への使節に対してはボリビアのマーティン・ゾラー氏、バチカンへの使節を率いるのがブラジルのヴァンディール・ナタル・カサグランデ氏でした。これら二つの使節に付け加わったのが、リビアへの第三の特別な使節、世界議会協会の会長であるラインハルト・ルーゲ氏でした。山本有仙氏はこのおごそかな機会の無言の証人として仕えました。
これら三人の代表者たちに対して、「改暦と道徳的な請訓書(※)の人民宣言」(決議の7条)の公式的なプレゼンテーションがなされるとともに、「平和と時間の世界サミット」の作業は次の段階に入りました。すなわち国連の事務総長コフィ・アナン氏、バチカンのヨハネ・パウロ2世、そしてリビアの大統領モアマール・カダフィ氏をはじめとした世界のリーダーたちに改暦を知らせることです。これらの使命は、グレゴリオ暦の1999年7月17日、宇宙の月21日に締めくくられる予定です。
※訳注:原語はreferendumで、一般に「国民投票」「住民投票」の意だが、同時に外交官などが本国政府に訓令や指示を求める「請訓書」という意味もある。「請訓」とは、おもに外国に派遣された使節が本国政府に命令・指示を求めることの意。今回のサミットの決議事項は、国連に提出され、国連に指示やその履行を委ねるという面が強いと思われるため、従来、「国民投票」「住民投票」としていた訳語を、この文書では「請訓書」と訳してある。
サミットの成果を祝うため、コスタリカの青年オーケストラが選び抜かれた交響曲を何曲か演奏ました。そのあと、クリメの集団により、コスタリカの民族バレエと伝統音楽を披露されました。音楽演奏に引き続き、コスタリカの世界サミット調整委員会が、ステージ上でその栄誉を称えられ、それから「平和と時間の世界サミット」の参加者たち全員に「名誉の証明書」が贈呈されました。請訓書「改暦の問題は、いまや地球人民の代表によって取り扱われる」。今世紀のはじめから唯一可能な頼みの綱であり続け、国際連盟がその機会を持ちながらも不履行に終わり、それに対してバチカンが改暦への扉を開いたままだったもの──それが改暦でした。人々は、自然の周期と調和を保つ暦に対する道徳的かつ科学的な必要性を裏付ける言い分を持つようになり、それが13の月・28日の平和の暦により完全に代表されます。
「平和と時間に関する世界サミット」は、人類のさまざまな側面に適応すべく組織され、その参加に対しては、可能な限り型にはまった面をなくしました。この催しに関するすべては、出席するすべての人の自由意志の応答を引き出すように意図されました。科学者、芸術家、弁護士、教育者、霊的な長老、先住民のリーダー、地位や暮らし方の違うさまざまな人々、老いも若きも、このサミットにすべてを打ち込みました。それぞれの人が等しい力と場を持っています。全参加者の一覧は、可能なかぎり早く入手可能になるでしょう。
改暦と道徳的な請訓書の人民宣言
平和と時間に関する世界サミット
コスタリカ、平和の大学、1999年6月22日〜27日
惑星の道徳的な緊急自体の存在を認め、生物圏を保護し、苦しみを最小限にして、戦争の損害を取り除き、地球上の正義と真の平和の文化の新しい時間を確実なものとするために、私たち、「平和と時間の世界サミット」の代表者は、ここに改暦の宣言とそれに付随する決議を正当なものと認めます。この決議には、「道徳的な請訓書」および、この改暦の宣言が包括する普遍的な目標を達成することが含まれ、私たちはここに国連とバチカンの最も高いレベルのリーダーたちが、「改暦と道徳的な請訓書の人民宣言」を実施することを求めます。そして、それは白い共振の魔法使いの年の磁気の月の初日、古い暦で1999年7月26日に、地球のすべての人々に対しての改革を意図した共同宣言によってなされます。
このようにして、私たちは以下の事柄を、おごそかかつ神聖に宣言します。すなわち、グレゴリオ暦がAD1582年に法王の布告により制度化されたこと、そしてそれ以降、事実上、すべての国家で、世界共通基準として採用されたこと。そして、
理性的な論議と良識により、グレゴリオ暦は真のあるいは正確な尺度基準を表わすものではなく、またどんな時間の体系的な科学に属するものでもなく、したがって改革に値するものであること。そして、
国際連盟がこのような改革を1933年1月1日、そして再び1939年1月1日に効力を持つものとして提案したが、どちらの試みも包括的なものではなかったこと、そして
国連は、1956年、討論を終結させることなく、改暦に関する議論を再開したこと、そして、
1962年、バチカンの第2協議会は、「改暦の宣言」を発布し、新しい万年市民暦に対して反対するものではないことを述べたこと。
以上の理由により、私たち「平和と時間に関する世界サミット」の代表者は、人種、主義、宗教的な信条にかかわらず、地球人民すべてのために、そしてこの惑星の生命維持システムである生物圏のために、そして平和、自由、平等、正義、そして新しい時間における新しいはじまりを確実にするため、ここにグレゴリオ暦の使用を廃止し、これ以降、「平和の暦」として知られる生物学的に正確な万年暦の28日・13の月の尺度を、世界共通の基準として即座に採用することを正当であると認めます。
私たちはさらに、「無効」日、今後は「時間をはずした日」として知られる日に対してこれまでなされた反対意見が、今世紀の後半半分における出来事の進路に光を当てると、もはや正当化できないものであることを裏付け、そして地球人民が共通の神聖な祝いにより「時間をはずした日」の性質をテストしたことにより、この毎年の「時間をはずした日」、古い暦での7月25日、新しい28日・13の月の市民暦の年の365番目の日が、今後、普遍的な許しと、「文化による平和」の祝祭の高揚のための日とすることを宣言します。
「平和と時間に関する世界サミット」はここに、改暦により予測される根本的な変化と並ぶもののない機会を認識し、惑星地球人民すべてと生物圏のために、そして28日・13の月という新しい平和の暦の尺度の採用により表わされる、平等、正義、調和、平和の原理に一致した形で、以下のことを正式に認めます。すなわち、「人民の道徳的な請訓書」により構成される「決議の7条」、「平和と時間に関する世界サミット」の7つの委員会により決定され布告される世界の市民社会に対する変化、そしてこれらの決議条項が人類の努力と関心の次の7つの分野──時間、平和、富、生物圏、教育、芸術と文化、霊性──により決定される良識を反映するものであることです。
「平和と時間に関する世界サミット」の7つの委員会の委員と惑星キンの代表すべてのために提示される。日付:グレゴリオ暦1999年6月27日、新しい平和の暦・宇宙の月1日
次に掲げるのは、この改暦の宣言につけ加えられた、7つの条項の形をとった7つの委員会の決議です。
第1条:時間に関する委員会の決議
第2条:教育に関する委員会の決議
第3条:富に関する委員会の決議
第4条:生物圏に関する委員会の決議
第5条:霊性に関する委員会の決議
第6条:平和に関する委員会の決議
第7条:芸術と文化に関する委員会の決議
決議条項
■第1条:時間に関する委員会
●前提
起源の知恵に回帰し、人類の未来の進化的な開示を保護するために、私たち、惑星地球人民は、時間の調和的な尺度の確立を求めます。生物圏をさらに冒涜することを防ぐために、この尺度はこの惑星の自然のパルスを反映したものでなければなりません。時間は、第一義的に意識のひとつの機能であり、三次元的な空間の直線的な幾何学でモデル化されうる以上に、はるかに豊かな構造を持っています。私たちの分析によれば、機械時計とグレゴリオ暦は人工的で、エントロピー的な時間のテンプレートであり、それに従うことは、人類の心のふるまいに不調和な効力を持ち、地球文明の組織全体に敵対する影響を投げかけます。この敵対する影響力は、この人工の時間測定システムが人類全体に広がったことにより、ひとつの全体としての生物圏の生命授与リズムから逸脱する人間生活のパターンが生まれ、自然から人類を切り離すことに効力を持ちました。「平和の暦」は、人類をその生命維持システムの自然秩序と調和させることにより、意識における地球規模のシフトを促します。
私たちは研究の道筋で、人間の体験の質を高め、すべての生命に対する敬意を深めるために、自然時間の領域の中に心から入り込まなければならないと納得させられました。自然時間の中に生き、成長することが、普遍的な人権であると私たちは宣言します。
●時間に関する請訓書
平和の暦の基準へ向かって、市民社会の改革をはじめるにあたっての第1段階は、次の作業を実施するのに必要な協議会を設置することです。
1.一般的な13の月・28日の暦の生産と地球規模の配布。この暦には、260日のツォルキンを含む。それは、13の月の枠組みがどのようにして使われうるか、その世界の「平和の暦」の中にあらゆる霊的・文化的な伝統を統合していく方法を示すためである。
2.地域、生態地域の変換、また13の月の「平和の暦」の履行のためのマニュアル類の製作と出版。
3.13の月・28日の尺度と互換性のあるコンピューターのオペレーティング・システムの創造と普及。
4.これらの第一歩のための資源や財務的な支援を活発に捜し求めること。
5.現われつつある新しい時間の科学を討議し、探求するための、生態地域的に組織された協議会の地球規模のネットワークの確立。それぞれの協議会は、「平和の暦」に一致した形で定期的にみずからの生態地域に集まり、それぞれ13週間の終わりに、その他すべての協議会と成果を分かち合うこと。出版物や成果は、目覚めつつある地球規模の平和の文化を支援するために年ごとに発行される。
■第2条:教育に関する委員会
●決議
“エジュケア(Educare)からインジュケア(Inducare)へ:人類を無知の時代から、暮らしの芸術へと導く”。
新しい千年紀へと移行するこの時期に、人類の潜在力を完全に表に出し、地球を保護する選択的かつ継続的な学習プロセスを創造するために、私たちは次のような地球規模の教育モデルを提案します。今日の私たちの道徳的な緊急事態の観点からすると、生物圏の崩壊を防ぎ、自然に対する人類の謙虚な理解とその統合を促進するために、教育の全体系的な再構築および再活性化が必要です。時間の認識と、人類に固有のその周期やリズムとの関係は、教育の新しい時代のための基礎をもたらします。高い道徳意識を具体化する教育は、全包括的(ホリスティック)で、生涯全体にわたり、文化交流的、経験的、自己に力と権限を与え、ダイミナックで、創造的な自己表現を育むものでなくてはなりません。
平和の新しい時代のためのカリキュラムの履行に対する提案をするため、教育に関する委員会は、以下の事柄を推奨します:
*ファシリテーター(新しい教育を促進する人)は、平等の精神で、共同学習に対する継続的な意欲を維持する。
*ファシリテーターは、自律性、自己鑑賞、学習の喜びを喚起し、内なる子供を育む。
*ファシリテーターは、それぞれの存在の独自の必要に敬意を払うために、学習に対しての直線的、非直線的なアプローチや分かち合いを統合する。
*ファシリテーターは、地域、生態地域、地球規模のワークショップと経験的な性質を持つ合宿などの形での継続的な教育に参加する。
*ファシリーテーターは、刺激を奨励するために、循環する(ローテーションを組んでの)学習環境を選択できるようにする(おそらくは3年ごとから5年ごと)。
●A.核となるカリキュラム
1.芸術
多重感覚的な体験による、暮らしの芸術に対する伝統的かつ革新的なアプローチで、問題解決、自己表現、全体性との共同創造に対する創造的アプローチを刺激する。
2.維持可能な暮らしと生活技能
資源の使用および再使用により、ぬぐい去ることのできない生命のバランスを尊敬する自己保存、永続文化(パーマカルチャー)と有機園芸、コミュニティ生活の技能、そして自然世界に生きる能力。
3.包括的な科学
理性的かつ合理的、論理的かつ体験的なアプローチにより、自然と神秘の既知および未知の法則を探求する。
4.心−身体−霊の統合と養成
全包括的な治癒技術、意識的な健康と栄養の実践、そして微細エネルギーに対する認識と応用を活用した、ポジティブで感情的、肉体的、霊的な開発により、自己の生命力学に敬意を払う。
5.世界の諸言語、文化と霊性
地球規模のコミュニケーションを促進する、全先住民と現代社会の知恵と道に対する真の鑑賞能力と尊敬を育む。
6.人間の進化:過去、現在、そして未来
時間のひとつの連続体とコミュニケートする、神話、預言、元型により表わされ、認められる、すべての人々の中にある人類の時系列線の物語を再発見する。
7.時間
新しい平和の文化の差し迫った誕生のための準備として、惑星的、太陽的、恒星的、銀河的な周期の影響を理解する。
●B.学習環境
1.共同で教えること
幾人かの「ファシリテーター」が、その特定の興味と才能を子供たちとともに発掘することができるようにする。
2.レベルの混ぜ合わせと年齢別クラス
古参の「学習者」が、より若い「学習者」を鼓舞し、励まし、導くことができるようにして、クラスのふるまいとリズムなどが伝えられ、規律に割く時間が軽減される。
3.自然との相互作用
動物や植物は、学習環境に不可欠である。
4.普遍的な学習環境
「教室」は、学校の建物を離れて、町、地域、国、地球、銀河を含むものとなるべきである。
●チャート:
その放射状の関係における核となるカリキュラムの7つの分野の説明
■第3条:富に関する委員会
●イントロダクション
グレゴリオ暦に基づいた暦は、現在の地球の混乱、苦しみ、物質主義、支配行為、意識の貧困、および社会的な不正に反映されている。13の月の平和の暦による測られる時間は、平等と、惑星地球の自然周期との連携をもたらす。
1.私たちのおもな挑戦は、地球人類の意識と富の概念を変えることである。富は、生命のあらゆるレベルにあまねく普遍的な愛が現われたものである。霊は富である。自然世界は富である。家族とコミュニティは富である。健康は富である。時間は富である。寛大さは富である。芸術は富である。
2.この意識におけるシフトを達成し、真の富の認識を促すために、私たちはすべての社会の変容における指針として使うことのできる道具を必要とする。この道具が、「13の月の平和の暦」である。なぜならそれは、時間の調節と尺度のための正確なモデルだからである。このシステムで、コミュニティにおける個々人は、等しい価値と必要不可欠な役割を持つ。
3.自然を司る法則は、人類の進化を司る法則と同じである。したがって、人類と自然の資産は、資産と富の創造の劣った形態の集積よりも優れている。後者は、決して、優れた発達形態を創造する結果にはならない。適切な富の創造と分配に対して偏った経済システムがあるため、発達プロセスに関わる資産のすべての形態に対してのバランス維持については、公平を考慮することが不可欠である。
4.富の真の概念の意義に関する地球社会の再教育が欠かせない。母なる地球を大切にする先住民文化は、この再教育プロセスのための価値あるモデルをもたらしてくれる。それらの文化は、人類によって学ばれるべき事例である。それは、地球、太陽、星々の自然周期との意識的なつながりゆえである。
5.霊的なガイダンスとともに、私たちは再定義された富の概念の応用を強化する実際的な暮らしを計画し、創造する。それは、宗教的、文化的な制度のパラメーターを超越するものとなる。この特定のプロジェクトに対して、特別な種々異なった委員会が作業することを推奨する。
6.次の経済は、きびしい地球の浄化作業に直面しなければならない。私たちは、この新しいヴィジョンの物理的なモデルをつくり出す才能を集めた機動部隊(タスク・フォース)をすぐにつくることを提案する。惑星奉仕の13の月のリズムに従うことで、作業はゴールを見いだす磁気の月にはじまるだろう。私たちは、十分な自信とともに、<白い共振の魔法使い>の年に、豊かさの統一された地球経済への着手を心に描く。
■第4条:生物圏に関する委員会
●私たちは次のことを認める:
・平和は、すべての生命がそれによって生きている自然の原理を尊敬するプロセスである。
・種、豊かな土壌、清らかな水、そして自然の時間周期は、人類を含む地球上のすべての植物や動物にとっての基礎である。
・唯一、自由に手にはいる有機的な種子だけが、生命の継続性を保証できる。そして、地域の自給自足が、実行可能な世界経済に対しての基礎である。
1.私たちは、地球を意識した文化の伝統における、地域の種子の聖域(保護区域)をつくる世界規模の運動を求める。それらの文化は何千年にもわたり、それぞれ互いに収穫ごとに最も良い種子を贈り物として提供することで、それらの種を保存してきた。これらの聖域の庭園は、自然の原理を応用して、土壌をつくり、水の供給を増やし、人工的な化学肥料を使うことなく、多様で豊かな収穫をもたらすようにする。またそれにより、有機的な種子に熟達した信頼のできる供給元をつくりだす。これらの正式な成長する種子は、美しい壷に保存され、次の事柄を伴う:
a)歌や物語などの形で、自分たちのコミュニティに対する価値を文化的に表現する。
b)種蒔き、世話、収穫、加工、保存、食物、医薬、その他の目的での使用、そして、
c)地域のエコ・システムにダメージを与えることなく確実に成長させることのできる、大地の適切な場所に関する情報。種子の保存は、コミュニティの決断により、種蒔き用の配分がなされ、その他のコミュニティに対する贈り物としても分かち合う。また種子は、地球の全コミュニティが必要なときにその種子を手に入れることができるように、その全体的な目的を踏まえて、未来の必要なときのための予備(備蓄)としても保存される。
2.私たちは、有機的な先祖伝来物や土着の種子の保存、配布、種蒔きをするすべての人々が、インターネットを含むコミュニケーション・ネットワークを通して、共に集まることを求める。私たちは、その人たちを励まし、その他の成長しつつある、伝統的あるいは(パーマカルチャーなどの)新しいシステムに基づいた地域の自給自足的で経済的にも維持可能なコミュニティの種子聖域ネットワークとの協力を促す。それを可能なかぎり早く地球のすべての地域にそれぞれの豊かさをもたらすという目標に向かって行なう。
3.私たちは、このようなすべての有機的な種子とすべての生命形態が、聖なるもので、パテント化やあらゆる種類の法的な所有権、また遺伝子工学的な操作から守られなければならないことの承認を求める。これらの種子は、その他のコミュニティとの自由な(無料の)交換のためにコミュニティに委託されるべきものである。
4.私たちは次の点を世界に訴える:
a)人工的な国境なしに、ひとつの共通の大地、ひとつの地球に回帰すること。それは自然の原理に敬意を払って生きることを意図するすべての人に対して開かれている。
b)ダメージを受けた大地や水を、その自然で健康的な、非汚染の状態に回復することを手伝う。
c)愛、共感、地球に対する奉仕を生き、実践するあらゆる年代の賢者たちを、地球とともに自給自足的に生きるという古代と現代の知識でコミュニティを強化する教師として支援する。私たちは、聖なる種子、肥沃な土壌、清らかな水、意識的な種蒔きと収穫が、季節、月の位相、すべての自然時間周期と調和することの大切さに焦点を合わせた経済が再び回帰することを推奨する。
平和をつくり、平和に暮らす
■第5条:霊性に関する委員会
1999年6月26日、霊性に関する委員会により提案された「平和と時間に関する世界サミット」の総会により引き受けられる活動。
●前文
私たちの特定の信仰を持つ共同体の、特定の信条や実践は、それぞれさまざまに異なるものではあるが、私たちは惑星と人類家族全体が深刻な道徳的、霊的な危機に直面しているという事実を認める。さらに私たちは、私たち個人の、そして集合的な人類の意識を、無限の一元的な意識と再び結びつけることが、私たち人類家族が直面している現在の経済的、社会的、政治的な危機を解決するために必要不可欠なステップであることを認める。なぜなら、この危機は究極的には、霊的な危機だからである。
●提案
霊性に関する委員会としての私たちは、「平和と時間に関する世界サミット」の総会で、世界平和のための霊的な委員会(あるいは国連の世界平和のための霊的なフォーラム)が、2000年6月26日(水晶の月28日)に、カリフォルニア州サンフランシスコのプレシディオで開催され、次の霊的な行動ステップを引き受けることを求めます。
A)13か月の暦にひそむ科学的な発見、およびそれらの科学的な発見と人間存在の「霊的な生活」や地球規模の危機に対する解決の可能性との潜在的な関連性を検討し、議論する。
B)宗教連合組織(the United Religions Organization)、世界宗教議会(the Parliament of World Religions)、教会の世界協議会(the World Council of Churches)、ヨハネ・パウロ2世、イスラム教、ユダヤ教、仏教、ヒンドゥー教の霊的リーダーたち、世界の先住民族の霊的協議会やリーダーたち、私たちの人類家族のその他すべての霊的なコミュニティのリーダーたちに公式的にアプローチして、その人たちの活発な参加を求める。また世界平和の霊的な協議会のメンダーたちと共に、「13の月の暦」の科学的、霊的な支持について検討と議論を行ない、これらの霊的なリーダーたちによるその発見の承認をめざす。さらに、公的かつ私的な生活の双方において「13の月の暦」を公的に採用する、霊的な伝統を持つそれらのリーダーたちによる公的な推薦状を作成する。
C)人類のあらゆる霊的な伝統における、大祭日、礼拝や典礼の予定、またすべての神聖なセレモニーや儀式の日付を守るため、「13の月の暦」の履行を見届けるのに必要なステップを踏み出す。
D)それぞれの霊的な伝統のリーダーたちが調査を行ない、その霊的な伝統に従うすべての人たちに対して公式声明を発することを要請する。その声明では、「13の月の暦」がその霊的な伝統の信仰や実践とどのように調和するか、またそれをどのように確固たる態度で支援するか、そして「平和の13か月の暦」の公的な採用が人類存在の前向きで霊的かつ心理学的な生活、および私たち人類家族の科学的な知識をどのように支援するものかが述べられる。
E)主要な霊的な伝統のリーダーたちに、世界のそれぞれの国家の大統領に対しての公式な要請をするため、その研究、草稿、発行、配布を行なうことを公式的に要請する。この要請書は、大統領国家が、これらの霊的なリーダーたちによって決定された特定の将来の日付に、「13か月の暦」を公的に採用することを述べるものである。またそれは、大統領たちがその国家間で平和を前向きに促進する「13か月の暦」を使った集合的方法を採用するための会合を持つことを述べる(おそらくそれは、相互の同意のもとに行なわれる月や曜日の新しい名前を採用することにより行なわれる。また、それは現在のグレゴリオ暦の月や曜日のように戦争の源泉になっている名前であるというより、愛情あふれる発想に基づくものになるだろう)。
F)これらの霊的なリーダーたちに、「13か月」の1年の365番目の日が共通の「霊的な和解と許しの日」となるように明示するよう要請する。その日は、世界中で、平和の断食、瞑想、浄化に捧げられ、すべての負債を免除する日とみなされる。
G)それぞれの霊的な伝統の霊的なリーダーたちに、毎週の7番目の日が、私たちの惑星のエネルギー的な力のある特別な場所で平和の瞑想を行なう特別な時であることを明示するよう要請する。
H)「13の月の暦」の採用と使用に関する完全な科学的、霊的、文化的な意味内容についての教師を養成するために、世界のそれぞれの国家において公的な学習コースをはじめる。
■第6条:平和に関する委員会
13の月・28日の暦は、「平和の暦」である。平和は、リアリティの深い構造に固有のものであり、どんな種類の行為であれ、その結果として生じるものではない。平和は、人類の行為によって生み出されるものであるというより、調和が広がるときに現われ出るものである。したがって、生きた地球の自然周期と調和と人間生活のパターンの同期が、平和をつかむための実際的な戦略である。その本質および地球の自然周期との一致により、13の月の「平和の暦」は、惑星平和を生じさせるための創造的な手段となる。「平和の暦」の大きな利点のひとつは、それが人類の協力を育む調和的な時間の鋳型(テンプレート)をもたらすことである。平和の惑星文化をよみがえらせ、平和への集合的な人類の意志を再構築する、人類の共同的な努力のオーケストレーション(調和的な組織化)が、新しい世界暦である「平和の暦」を使う主要な目標のひとつである。
「平和の暦」のこの機能に従事するため、私たちは、来年の磁気の月1日(グレゴリオ暦:1999年7月26日)にはじまる一年で実施されるべき3つの戦略を推奨する。
1.全人類の永続する平和の文化に向かって動くために、私たちは戦争と暴力のすべての手段を緊急に廃止し、無効にする必要を認める。惑星地球の非武装化は、永続的な惑星の平和文化のための道を開くうえで不可欠である。私たちは、この方向に向かっての具体的なステップとして、世界中の武器生産の出所を見いだすための、詳細でかつ完全な調査を実行に移す、生態地域的に組織され、かつ地球規模でネットワーク化された機動部隊の確立を求める。人類家族全体の中で、武器の実際の製造、市場調査、配送に対しての責任を持つ国家、企業、その他の集団に注意を呼びかけるため、惑星上の武器の生産とその流通経路の地図作成が完遂されなければならない。これは、死と惑星地球の破壊の武器の生産、販売に的を絞り、それを解除し、無効にする集合的な行為のオーケストレーション(調和的な組織化)に向かっての必要なステップである。
このようにして「平和の暦」は、私たちの惑星から戦争、暴力の苦しみを取り除き、人間存在の中にある地球平和の解決策をよみがえらせることに向けて、具体的かつ集合的な行為を同期させるために使われることになる。もう二度と戦争が生じないように!
2.文化による平和、生物圏との調和による平和の普遍的な象徴としての、レーリヒの「平和の旗」の使用を再び活気づける地球規模で調整されたチームをつくる。このチームは、「平和の旗」の大量生産と配布、および文化、平和、環境団体、そして公共一般に生物圏と調和のとれた地球規模の平和の文化を促進するための「平和の旗」の重要性およびその創造的な使用を伝える教育宣伝プログラム拡張の実行責任を担う。
3.私たちは、「平和の暦」を活用し、促進する「地球平和の行進」を、アメリカ合衆国全体にわたって行なうことを求める。この「行進」はまた、機動部隊が発見した武器の生産と配布の事柄に対して注意を喚起し、そうすることで人類の集合的な意図や解決策を、私たちの「ひとつの世界家族」のあいだでの武器の生産と配布をやめるために動かしていく。私たちは、私たちの未来を憂慮している。私たちは私たちの人間生活を憂慮している。いまこそ世界平和を! もう二度と戦争が生じないように!
■第7条:芸術と文化に関する委員会
「芸術と文化は、広大で神秘的な宇宙の中を旅する私たちの地上的な旅の途上で、私たちを説明し、解釈し、高め、鼓舞する大きな責任を担っている」(ロバート・ミューラー、国連の前事務総長補佐官、コスタリカの平和の大学の学長)。
魂を癒すプロセスにおける芸術の役割を再び称える時がやってきた。人々の意識がハートとつながるとき、「時間としての芸術」の可能性が実現され、「地球文化」が科学、芸術、霊の統合から誕生し、多様性により統一を目覚めさせ、平和の生きたモデルとなる。
私たちは次のことを決議する:
●文化的な統一の構成要素として、神聖な儀式やセレモニーを再び制度化すること、および特に普遍的な祭日(聖なる日)である普遍的な「時間をはずした日」、惑星規模の休止を、芸術と文化の祝祭のための国際日として毎年の7月25日に認めること。この地球規模の同期の行為は、芸術と文化を共有するという焦点を合わせた意図を伴って、個人、コミュニティ、国家が、「祭り」の精神においてひとつになるための招待およびテンプレートとして役立てられる。それはまた、形において解釈の幅を持ち、創造性の行為においてすべての人々に力と豊かさを与えるものである。この多様性に対する敬意の念が平和を確実なものにする。
●「平和」の制度とともに、芸術のための地球基金(寄付制度)をつくり、芸術の教育とデモストレーションのための資料・資材を供給する。これらの基金は、すべてのコミュニティの教育、病院、リハビリテーション施設、産業、ヒューマン・ケア施設のプロジェクトに気前よく当てられる。
●自然のリズムに回帰しながら協同の大地を活用する、自己維持的な芸術コミュニティの形成。霊的な家族として参加し、パーマカルチャー、手工芸、治癒療法の創造的なプロセスにおいて地球を称え、尊敬しながら、人種や伝統をひとつにする。
●地球平和と自然との調和の概念を、この惑星のそれぞれの、そしてあらゆるコミュニティに浸透させ、統合するために、多文化的な芸術の交流、直観的な芸術プログラム、芸術のためのキャラバン隊を促進する。
●芸術は、人類をその最大の進化的な可能性に向けて鼓舞する手段である。芸術は、外部的な表現であるだけでなく、あらゆる人間存在がひとりの芸術家、創造者、地球平和の共同創造者であることを認める、目覚めた文化における生き方そのものである。創造の究極的な行為は、平和の創造である。
(宇宙の月20日)
倫理プロジェクト・ニューズレター Vol.3 No.5
地球の魔法使いのアルマナック・ワークブック
倫理プロジェクト、最終年が近づく:平和の虹の橋
1.地球の魔法使いのみなさん、準備しましょう!
預言の第6年はいまや終わろうとしており、倫理プロジェクトの最終年がもうすぐやってきます。これが意味するのは、倫理プロジェクトの素晴らしいゴールである「極をとりまく虹の橋の噴出」が、もう一年後に控えているということです! このスペクトル的な驚くべきゴールに達することが、自己存在の月8日から倍音の月28日にわたって地球の魔法使いの学校が開かれる理由です。もう3か月先のことです! 7週間の催しに備えるのに、あまり時間は残されていません。ですから、地球の魔法使いのみなさん、準備してください!
わたしたちは、多くの人々が、7週間ものあいだ自分の家をあけることができないことに、はっきりと気づいています。それで、7週間も時間をとることのむずかしいそういった人々のために、最小限の4週間の参加が可能なようにアレンジしました。「時間の法則」と「平和の13の月の暦」に関する初心者で、4週間だけしか時間のとれない人は、どうか最初の4週間に参加する計画を立ててください。同じく4週間しか時間のとれない上級の実践者たちは、プログラムの最後の4週間に参加する計画を立ててください。私たちは現在、予算を立てており、一人あたりの費用を算出して、申し込み用の質問票を準備しています。
もしあなたが7週間全体のプログラムあるいは4週間の初心者あるいは上級者のセクションのどちらかに関心があるようでしたら、どうぞRodirigo Urreaにすぐに連絡をとってください:espejo cristal
以下は、地球の魔法使いの学校の暫定的な概略およびプログラムです。
7週間の
「地球の魔法使いの学校と時間航行士訓練プログラム」
チリ、自己存在の月8日から倍音の月28日まで
地球の魔法使いの学校は、全世界に対してのものです。13:20において自分が上達していると思っている人々は、全般的に何らかの傲慢さに苦しんでいます。この学校(Seminary/学院)に対する教育学的な(教授法の)基礎は、「禅の心、初心者の心」です。このようにして、誰もがプログラムの基礎から学ぶ用意を整え、オープン・マインドでそのプログラムに近づくべきです。私たちは、申し込み者に対して質問票を送り、この7週間のプログラムに参加するその申し込み者の体験と成熟の度合い、および「時間の法則」に対してその方が初心者かあるいはもっと上級の実践者かを確定する予定です。
7週間の全プログラムは、「心のヘプタゴノン」と「法則の立方体」に基づいています。それぞれの週は、実用的なツールと哲学的なテーマを含んでいます。
祈りは、芸術の実践。
瞑想は、芸術の成就。
宇宙的な知覚は、芸術の果実。
第1週:自己存在の月8日〜14日
「13の月の暦」。時間の科学、周期的な秩序。
第2週:自己存在の月15日〜21日
ドリームスペル、時間の科学、共時的な秩序。
第3週:自己存在の月22日〜28日
テレクトノン。時間と預言。
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第4週:倍音の月1日〜7日
倫理プロジェクト。時間と生物圏
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第5週:倍音の月8日〜14日
「時間の法則の20の銘板」、テレパシーの科学、有機的な秩序。
第6週:倍音の月15日〜21日
7:7::7:7、テレパシーの科学、知覚的な秩序。
第7週:倍音の月22日〜28日
ウル、19=260。「極をとりまく虹の橋」の「地球の魔法使いの術」。
*1週間につき4日の、ヴァルム・ヴォタンとボロン・イクによるセミナー・ティーチング・プログラム、28セッション
*1週間につき3日の、学習と、地球の魔法使い−時間航行士の訓練時間
*毎日:祈り、瞑想、ヨガ、武道(martial arts)
*参加者により提示される芸術と新しい科学のワークショップ
*セレモニー
*参考文献一覧と読書スケジュールは、すぐに用意されます
2.パチャクティ(Pachacuti)−テレクトノンの対応、定まった二項軸(The Binary Axis)
地球の魔法使いの学校は、「倫理プロジェクト」の「人類の磁気的な再教育」の一部として、南米の南で意図的に開かれます。惑星スフェロイド(回転楕円)としての地球は、二つの軸を持っています:極の磁気的な(polar magnetic)軸と、重力的な赤道の(graviational equatorial)軸です。赤道軸は重力バランスを維持するのに対して、極軸は(複数の)磁気の流れを連合させます。前者は安定的で、後者は動的です。過去5,000年間、歴史周期のあいだ、帝国の実際の進路は一般的に重力平面にしたがっていながらも、北極の地域が惑星情勢を支配していました。これは、過去500年間に強調され、最も最近では、富裕な北の持つ者と、貧しい南の持たざる者について語られるのが一般的でした。これは、社会的な不均衡以上のもので、一般に北から南に向かって生じ、東から西に向かって動く、さらにきびしい生物圏的、電磁気的な混乱を結果的に引き起こしました。
十分に興味深いことに、新世界──北、中央、南のアメリカ──は、共通の地理的な特徴、すなわち北から南に向かって走る、北米のロッキーやカスケードから、メキシコと中米のシエラ・マードレの山脈の幅は、遠く離れたティエラ・デル・フエゴにいたる南米の堂々とした長さまで伸びるアンデスのコルディリェーラ山系となっています。この深遠で統一的な山脈ゾーンを、この惑星の脊柱と呼ぶことは、珍しいことではありません。もし北極がクラウン・チャクラなのであれば、ルート・チャクラはティエラ・デル・フエゴの向こうの南極で、その他のチャクラはそのあいだに散らばっていることになります。
赤道の南で発達した唯一の主要な文明は、アンデス文明です。その文明の中で、有名なインカ文明は、その王朝のひと連なりのいちばん最後となっているにすぎません。最も神秘的なプレ・インカのセンターのひとつで、また世界の中でも高度かつ主要なセンターのひとつが、現在のボリビアの標高3,000メートル以上の地域にある古代のティワナク(ティワナコ)の石造区域です。一年と少し前、私たちはチリのサンチャゴで開かれた南米のキンのサミットへ行く途中で、ティワナクに巡礼しました。これは、この聖なるセンターへの二度目の訪問にあたっていました。聖なるセンター、ティワナクについては、『アース・アセンディング』の地図30と地図31にはっきりと示されています。
そのとき私たちは、アンデスの新年にあたる、6月21日(水晶の月23日、舵取りの塔)の冬至(北半球での夏至)のセレモニーに行ってきたのです。その機会は、私たちの旧友であり仲間である、M.A.I.S.という組織のドミンゴ・ディアス・ポルタによってその一部が組織されたクンバ・メラ(kumbha mela)でした。そしてそこを離れる直前に、文通していたブラジル人が、私が知っていたものの、それまで検証することのできなかったもののコピーを送ってきました。それは、アンデスの13の月・28日の暦でした。
私のもとに送られてきたそのサンプルはパチャクティ周期5490(1982-1983)の年のものだったにもかかわらず、トゥン・ウクの13の月・28日のテレクトノン・カレンダーと同様に、アンデスの暦も万年暦で、その冬至(夏至)の日付は、「時間をはずした日」と新年の日付を提供してくれていました。もちろん、パチャクティの5506年のはじまり、預言の第5年、水晶の月23日にティワナクにいられたことはすばらしいことでした。さらにすばらしかったのは、水晶の月の舵取りの塔の日のサイ時間単位が「赤い律動の月」、預言の第6年と同じだったことです。ちなみにパチャクティは、500年周期について述べています。運命的な1992年は、11番目のパチャクティ周期のはじまり、すなわち5500年をしるしていました。これが意味するのは、パチャクティ暦がそのはじまりの時点を、BC3508年の冬至(南半球なので、北半球とは季節が逆になることを思い出してください)にしていることです! マヤの長期計算法がBC3113年にはじまっていることを心にとどめると、この13の月の暦は、驚くべき古代の遺物であることを知ることになります。
というのは、パチャクティの5506年は、預言の第6年(のはじまり)よりも34日だけ先行しており、その日付のサイ時間単位が預言の第6年と同じですから、この特別な時にティワナクにいたことはさい先の良いことだと、私たちは気づいたからです。そして、この予告、預言の第6年のはじまりのために、ちょうど赤道のほんの少し南側にいたように、この周期を締めくくり、パチャクティの5507年、預言の第6年、水晶の月23日を祝うために、私たちは赤道のほんの少し北側にいるべきであることを知っていました。このようにして、サイ時間単位が同じであったことにより、私たちはパチャクティ暦の周期の中で預言の第6年全体をしるすことになったのです。これを行なう機会は、「平和と時間に関する世界サミット」のはじまる前日、コスタリカのサン・ホセの外側にあるボーイスカウト・キャンプで世界平和と祈りの日によってもたらされました。さらに重要なことに、この問題に対して継続意識を働かせたことにより、私たちは13の月のテレクトノンと、13の月のパチャクティ暦のあいだにひとつの同期をつくりだしたのです。
極の磁気的な(磁極)軸のさらなる安定化のために、私たちは次の同期表(シンクロニゼーション・テーブル)で、テレクトノンの13の月と、パチャクティの13の月の暦のあいだの関係を示します。私たちは、平和の「13の月の暦」をテレクトノン・カレンダーと呼びます。なぜなら、4つの塔の日のあいだにある、天上歩行と地上歩行、立方体の旅の区別(差別化)のためです。二つの暦のあいだの鍵となる同期の日付は、舵取りの塔、テレクトノンの23日です。この表では、パチャクティの13の月が二つの祝祭の名前を持っていることに注意してください:A.が男性名で、R.が女性名です。
パチャクティ暦の名前、テレクトノンとの相互関連
時間をはずした日−新年:A.マラタカ R.ワタピティ 水晶の月23日(冬至)
1.1の月:A.タガヤ R.インティ・ライミ 水晶の月24〜宇宙の月23日
2.2の月:A.ガサラ R.チャワワルカ 宇宙の月24日〜磁気の月22日
3.3の月:A.タララ R.ヤパキス 磁気の月23日〜月の月22日
4.4の月:A.アウティ R.クヤ・ライミ 月の月23日〜電気の月22日
5.5の月:A.サタウィ R.ウマ・ライミ 電気の月23日〜自己存在の月22日
6.6の月:A.ラパキ R.アヤマルカ 自己存在の月23日〜倍音の月22日
7.7の月:A.チカヤル R.ガパク・ライミ 倍音の月23日〜律動の月22日
(南半球の夏至=パチャクティの日付7.15=テレクトノンの6.9)
8.8の月:A.チフ R.カムニー 律動の月23日〜共振の月22日
9.9の月:A.クリウィ R.ヤトゥン・プオミ 共振の月23日〜銀河の月22日
10.10の月:A.アチュオア R.パカ・プオミ 銀河の月23日〜太陽の月22日
11.11の月:A.カルチ R.アリワキ 太陽の月23日〜惑星の月22日
12.12の月:A.ヤマユ R.アイムライ 惑星の月23日〜スペクトルの月22日
13.13の月:A.カシウィ R.ヤウカイ・クスキ スペクトルの月23日〜水晶の月22日
この相互関連表を学ぶにあたって、いくつか特記すべきポイントがあります。
改訂されたチラム・バラム−ドリームスペルの260日の数え方を使うと、パチャクティの「時間をはずした日」は常に通路家族の日付になります。パチャクティ5506年(水晶の月23日)は<10・魔法使い>で、パチャクティ5507年(水晶の月23日)は<11・嵐>でした。これが意味するのは、実際の13の月の数え方で、パチャクティの1番目の月の1日は、常に極性家族の日になります。パチャクティ5506年の数え方は、<11・鷲>(水晶の月24日)にはじまり、5507年は<12・太陽>(水晶の月24日)にはじまりました。これにより、パチャクティは、(時間をはずした日が常に信号家族の日で、新年が通路家族の日である)テレクトノン周期のひとつ先(ひとつ後)の家族になります。
第2に、最初のふたつのパチャクティの月の例外、そして残りの11の月がテレクトノンの月の舵取りの塔の日にはじまり、次のテレクトノンの月の立方体の旅の最終日(※訳注毎月の22日、立方体の位置16のこと)に終わることに注意してください。たとえば、原則としてテレクトノンの月の1日が、パチャクティの立方体の旅の初日になるという事実があるなど、すばらしい数多くの別位相の対応関係があることに気づくでしょう!
3.33日周期が11、28日周期が13、23日周期が16、最終的な人類の同期!
テレクトノン・カレンダーと、パチャクティの同期に対する例外は、水晶の月24日(パチャクティの年の数え方の初日)とテレクトノンの時間をはずした日(それは常にパチャクティの2の月6日になります)のあいだに生じます。テレクトノンの新年は、常にパチャクティ(月の)2の月7日(立方体1)にはじまります。二つの時間をはずした日のあいだ、すなわち水晶の月24日から宇宙の月28日までには、正確に33日間のインターバルがあります。そしてここに、南半球と北半球のあいだ、あるいは北と南の極軸のあいだの、変更不可能な二項的な惑星の同期を確立するうえで、この二つのカレンダー、パチャクティとテレクトノン−トゥン・ウクの正しい関係を裏付ける深遠な重要性のポイントがあります。
数字の33は、神秘の関係(※訳注:調波33がツォルキンの神秘対称の交差における中心になるなど)やその他の多くの意味を持っています。実際のリズムとして、33日周期はひと組のバイオリズム周期の3番目の周期です。このバイオリズム周期には、次のものが含まれています:23日の太陽バイオテレパシー周期は、「時間の法則の20の銘板」で調整され、1年につき16回のひと連なりとなります。28日のバイオテレパシー的な惑星のバイオリズム周期あるいはテレクトノンは、1年につき13の月として調整されます。そして33日の高次の心的・霊的なバイオリズム周期は、1年につき11回生じます。
太陽周期における日数、365を33で割ると(11×33=)363となり、太陽周期よりも2日短くなります。しかしながら、二項的な(二つの)13の月の暦の同期で、その2日は2つの時間をはずした日として勘定されます:水晶の月23日と時間をはずした日あるいは緑の日(パチャクティで2の月6日)です。これら2つの日のあいだは、完璧な33日間のインターバルです。これが意味するのは、テレクトノンの数え方で磁気の月1日と水晶の月の22日までは、330日あるいは完璧な33日周期が10あるということです。そして、パチャクティの新年−時間をはずした日があり、そのあとに神秘的な11番目の33日周期が来て、その締めくくりに、テレクトノンの時間をはずした日が来ます。
33日周期は、11×3なので(テレクトノンの石棺の蓋、「三つ組の円盤の11組」を参照のこと)、33日周期の鍵となる日は、1、11、22、そして最終日の33番目の日です。以下に掲げるのは、テレクトノンの13の月の暦に関連づけられた、33日の高次の心的・霊的なバイオリズム周期の鍵となる日付の対応表です。
33日周期、13の月の日付、11番目と22番目の日
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1. 1. 1 - 2. 5 1.11 1.22
2. 2. 6 - 3.10 2.16 2.27
3. 3.11 - 4.15 3.21 4. 4
4. 4.16 - 5.20 4.26 5. 9
5. 5.21 - 6.25 6. 3 6.14
6. 6.26 - 8. 2 7. 8 7.19
7. 8. 3 - 9. 7 8.13 8.24
8. 9. 8 - 10.12 9.18 10. 1
9. 10.13 - 11.17 10.23 11. 6
10. 11.18 - 12.22 11.28 12.11
12.23 パチャクティの時間をはずした日
11. 12.24 - 13.28 13. 6 13.17
パチャクティの2.6=テレクトノンの時間をはずした日
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パチャクティと、テレクトノン−トゥン・ウクという二つのカレンダーのあいだの相関関係で、私たちはいまや23日、28日、33日のバイオリズム周期のあいだの完璧な同期も持つようになります。これら3つの周期は、次の2日だけ完全に相互に関連づけられます:磁気の月1日と宇宙の月28日、平和の暦の364日の一年の、初日と最終日です。これは、他に比べるもののない、前代未聞の調和と共時性秩序のレベルを表わします。少し考えてみれば、これらのカレンダーや周期を、閏年を持つグレゴリオ暦に応じて相互に関連させることは、余剰日である2月29日を加えることで、この永続的な調和を破壊することが見てとれます。グレゴリオ暦をまるごと廃止することで、この問題は解決されます。
これがゆえに、平和の暦の改革の一部として、国連とバチカンの前で、いまや私たちは閏年の余剰日、2月29日を廃止がすぐに実効力を持つようになることを呼びかけているのです(次の閏年は、グレゴリオ暦の来年2000年に予定されています)。その代わりに、次の閏年の閏日を、あなたの52年の勘定の中に組み込むのだと考えるようにしましょう。そうすれば、52年であなたは13日間の「時間をはずした祝祭」を持つようになります。また、どうか覚えておいてください:この7月25日は、日曜日ではありません。それは「時間をはずした日」です。日曜日になるのは、その翌日、古い7月26日です。
4.平和の虹の橋
白い共振の魔法使い、預言の第7年にようこそ!
「そして、7番目の年がやってくるとき、<共振の魔法使い>がすべての預言の栄光で天と地を封印し、あらゆる真実の預言者、使者、使徒のあがないが生じるだろう」(テレクトノン、第19項「7つの完全なお告げ」、第125節)
冷戦の終結以来、世界は新しい論点を必要としています。いま、それがやってきました:改暦、です。平和の虹の橋は、新しい時間の労働者たち、時間船2013の惑星キンにより構築されることでしょう。
法則の立方体、クロノグラフの第2年
「倫理プロジェクト」、目に見えない大学の
教師および共同学習者、
ヴァルム・ヴォタンとボロン・イク
舵取りの塔、時間船地球2013、時間統制
宇宙の月20日(13:20の日)、リミ20、「私は二元的な思考を食べ物として消費する」
マニピュラ・チャクラ(太陽神経叢)
キン244、黄色い惑星の種
第3週:預言の勝利を宣言する
テレクトノン・カード20、立方体14、預言の第7年
年間のクロノグラフ、銘板2、1998〜1999年、
クロノグラフの月・キン26、白い宇宙の世界の橋渡し、−20,587〜−20,487
黄色い惑星の種−黄色い磁気の星の倍音色彩
惑星ホロンと人のホロンで、通路家族・ルートのセンター、南極
サイ時間単位、キン257、赤い惑星の地球
サイバンク・プレート3、北が青い磁石を送り、南が受け取る
週のコドン10、実践、銘板2
「行ないが踏み固める」
太陽バイオテレパシーのより糸、16.14
黄色い南の区域(四半期)、東の星の象限の白い北の区域
二相コドン27、「存在の神殿」、銘板11
「宇宙の気づきが空間に力を与える」
調波61、現われの開花を満たす
テレクトノンの預言を読む、第4項「テレクトノン:時間の枠組み」
「時間の力学」の今日の基礎条件:4.10:
「水晶とその二次的な反映である生命の弁証法的対立の複合としての生物圏の存続期間は、進化の可能性のスペクトルすべてにおける銀河脳の全体秩序を構成する。生物圏は、前意識を通して無意識へ、さらに無意識から、意識や継続意識を通り抜けて、超意識や潜在意識へと進化する」
預言の第6年、勝利は清める
真実は愛。寛容は正義。平和は永遠。
ヴァルム・ヴォタンとボロン・イク
<赤い律動の月>の年(3)(年の後半)・1998.7.26〜1999.7.25
7の魔法使いの年・自己存在の月15日IU/1999年11月1日 第1刷発行
著者:ホゼ&ロイディーン・アグエイアス
訳者:高橋 徹/パン・ジャパン翻訳チーム
協力:パン・ジャパン
編集・発行:PAN翻訳ライブラリー
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7の魔法使いの年・共振の月23日 1の人 Ver 1.1
(倫理プロジェクト・ニューズレター Vol.3 No.5の訳語一部変更) 7の魔法使いの年・自己存在の月15日 1の人 Ver 1.0
訳語の見直し等で、文章の語句を変更することがあります。
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