小泉総理の靖国神社参拝をめぐって
はじめに
戦争の死者をどう悼むのか、そして私達は、戦争と死者をどう記憶すればよいのか。日本の人口のうち戦後生まれが7割となったいま、死者たちは歴史のなかでどのように記憶されて生きようとしているのか。小泉首相は8月15日に靖国神社に参拝すると言う。そして内外からの批判を受けて、「虚心坦懐、熟慮している」と発言は微妙にぶれて、日本中の関心を集めている。中国や韓国、ドイツなど世界もまた注目しているなかで、日本が第二次世界大戦における8月15日の敗戦をどう総括しているのか、いままた、象徴的に問われようとしている。
第151回国会、2001年6月25日、参議院決算委員会において、わたしは、小泉総理に対して、持ち時間わずか10分の質問の機会を持った。以下は、靖国をめぐる質疑の全容である。
決算委員会における質疑
大脇 総理は、6月23日、太平洋戦争最後の激戦地である糸満市摩文仁の丘の「平和の礎」を訪問されました。まず、その感想をお尋ねします。
総理大臣 第二次世界大戦後50年以上経過しても、なおかつ戦争の傷跡は深いなと感じました。戦争ほど悲惨なものはない、二度と戦争を起こしてはならないという気持ちで追悼式に参列いたしました。
大脇 総理は、8月15日、靖国神社に参拝されるということですが、これは公式参拝ですか、それとも私的な参拝でしょうか。
総理大臣 公式とか非公式とか問われる気持ちがわかりません。あえて言う必要はないと思います。
大脇 それでは細かくお尋ねします。まず、内閣総理大臣と記名(記帳)されますか、本殿で神道儀礼にのっとり二礼二拍手一礼で行われますか、玉ぐし料はささげられますか、公費で出されますか、他の閣僚を同行されますか、みずから独自に行かれますか、遺族会主催の会に参加されるのでしょうか。
総理大臣 内閣総理大臣である小泉純一郎が参拝するものであります。それだけであります。
大脇 これは、公式参拝が憲法の20条3項に禁止している国の宗教活動に当たるのか、あるいは憲法89条に違反してその財政を出動する行為なのか、首相として答えられずに済む問題ではございません。中曽根首相が公式参拝をされ、その後さまざまな経過の中でそれを取りやめられましたが、しっかりとお答えいただかないといけないと思います。
もう一度お尋ねいたします。総理大臣として記名されますか、本殿で神道儀礼にのっとり二礼二拍手一礼で行われますか、玉ぐし料はささげられますか、公費で出されますか、他の閣僚を同行されますか、みずから行かれますか、遺族会主催の会に参加されるのでしょうか。これは、法的な公式参拝がこれまでの政府見解とどう違うのかという問題点でありますから、きっちりとお答えいただきたいと思います。
総理大臣 いろいろご指摘がありますが、総理大臣である小泉純一郎が独自に参拝するつもりでございます。
それ以上とやかく言われる筋合いはないと思います。
大脇 宗教的行為は、宗教的な活動にわたらないさまざまな儀礼とか儀式、祝典をも意味します。――国家の宗教的な中立性は非常に重要なものでありますから、総理の靖国神社の参拝が公式参拝なのか私的な参拝なのか、しっかりとお答えいただかないといけない、もう一度お答えいただきたいと思います。
総理大臣 公式だの非公式だの、厚生大臣のときに参拝したときもいろいろ質問されました。一切答えなかったわけであります。今も答えるつもりはございません。
大脇 それでは質問を変えまして、靖国神社への参拝は憲法20条3項に禁止している国の宗教活動に当たりますか、当たりませんか。
総理大臣 戦没者の霊に対して哀悼の誠をささげる、二度と戦争を起こしてはならないという気持ちで靖国神社に参拝することが憲法違反であるとは毛頭思っておりません。
大脇 慰霊の意味あるいは追悼の意味で故人をしのぶということは、我が国の伝統的な祖先を敬うという感覚から、(これまでの政府見解からすれば)――私的な参拝なら問題にはならないと思います。
しかし、内閣総理大臣として公的な参拝、公式参拝をなさるということに関しては、これまで、1985年当時の中曽根総理大臣のころ(の政府統一見解や靖国懇談会報告書、藤波官房長官談話)、あるいは1980年の鈴木内閣における社会党稲葉誠一議員の(質問趣意書に対する)政府の答弁書、それからまた衆議院議院運営委員会理事会の答弁に見られるように、公式参拝と憲法上の問題はさまざまな議論をよんできたのです。したがって、公式参拝の場所、そして形、これは憲法の20条3項に違反するかどうかということについては大変大きな問題です。
もう少しきっちりとした答弁を私は首相からいただきたかったということを申し上げて、次の質問に移ります。
では、摩文仁の丘の「平和の礎」と「靖国神社」は、首相にとって同じですか、違いますか。その歴史的意味をどう認識しておられるのでしょうか。
総理大臣 沖縄と靖国神社という、地域的には違いますが、二度と戦争を起こしてはいけない、戦没者に哀悼の誠をささげるという気持ちにおいては共通のものがございます。
大脇 違うところはどこだと認識しておられますか。
総理大臣 沖縄という地域と東京という地域は違いますね。それと、沖縄に参列しても皆さんから非難されないけれども、靖国神社に参拝すると毎回毎回こういうふうな批判をいただきますね。こういう点が違いますね。
大脇 なぜ違うのかということについて、もう少し質問したいと思います。
摩文仁の丘は戦争の敗者も勝者も(敵味方の)外国人も含むという意味で、それを貫くのは不戦、反戦の意志であります。しかし、靖国神社はA級戦犯が合祀され、そしてほかの方たちは軍神として祀られているのであります。このことから、そして靖国神社の沿革から見ても、(靖国神社)は国家神道の象徴的な存在で、戦争中は陸海軍両省所管の別格の官幣社であり、国費が支出され、神官の任命は国の機関が行っていて、戦争推進の精神的な支柱でありました。だからこそ、アジアの人たちの警戒心を呼び起こし―――だからこそ靖国神社に対する公式参拝は慎重に行われてきたのだと思います。
そこで、最後にお尋ねいたしますが、村山元総理が戦後50年目の節目に、アジアの諸国の人たちに対して多大の損害と苦痛を与えたことをおわびし、痛切な反省の意をあらわし、歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念をささげました。この首相談話と靖国神社の公式参拝は、首相にとってどのように心の中で統一するのか、矛盾離反するのか、あるいはどんな考えを持たれるのでしょうか。
総理大臣 当時の村山首相の談話と私が靖国神社に参拝する気持ちと矛盾するものではありません。
(委員長より「時間です」と注意あり)
大脇 終わります。
小泉首相の歴史認識と靖国神社参拝が意味するもの
私は、「平和の礎」と「靖国」の距離を、小泉首相がどの様に認識しているのかに関心があった。その後首相は、広島と長崎の慰霊祭に行き、その延長線上で靖国に参拝することで、慰霊の境界を曖昧化しようとしているように見える。平和の礎や広島、長崎の碑は、ともに、敵も味方も同じように、戦争の犠牲者を差別なく平等に扱っている。国籍や信条を問わない。一方靖国神社は、明治維新以来「天皇の忠臣」を選別して祀つり、多様な戦争の被害者すべてを対象にしていない。日本古来の神道の本義は、山川草木、生きているものすべての死を区別なく祀つって、慰霊することにあり、靖国神社のように、戦争の犠牲者のうち、天皇に忠義を働いた人のみ「軍神」として崇める国家神道は、つくられた天皇支配体制の精神的装置なのである。首相の参拝は、「国に尽くす正しい死に方」を国が基準とすることを意味する。
またこれまでの公式参拝に道を開こうとする「政府見解」の変遷の中で、小泉首相はどのように政府見解を変更するスタンスをとろうとしているのか、聞こうとしたのだが、全くこれまでの国会における長く複雑な論争の外に身をおいて、答えなかった。慎重派が多数を占める世論調査が出て、このところ問題の所在がわかってきたようでもある。しかし政治的対立はより激化して、8月9日には、公式参拝賛成の議員106名、参拝反対の議員107名の各集会も持たれて、それぞれ首相に申入れをした。もはや論議は公的参拝のみならず、私的参拝ですら、8月15日という日が意味を持ちはじめ、日本が、あれほどまでに内外に惨禍を与えた過去の戦争にどう向きあうのかと、同義になりつつある。
A級戦犯の合祀は、極東軍事裁判の受諾の意味や中国の戦後補償請求権放棄問題と絡み、憲法20条3項「政教分離の原則」や89条「公費支出及び利用の制限」に違反するかどうかの問題は、宗教法人靖国神社における参拝の形式を突き抜けて、合祀された人とや遺族の気持ちを忖度せずに、合意なく、通知の紙一枚で宗教法人靖国神社に合祀できるのかという、基本的人権の問題に論点が深まりつつある。死者の魂は、すべて靖国にはない。日本が被害をもたらしたアジアの犠牲者にも想いをはせ、反省と謝罪と不戦の誓いをあらたにすることが、生きている私たちの死者への重い責任である、と思う。(8月8日記)
追記
8月13日、小泉首相は、国内外の批判や反対を押し切って、靖国神社に参拝した。「苦渋の決断」というが、15日の参拝を13日に前倒ししたからといって、問題の本質はいささかも変わらない。
「首相の談話」(「首相談話」ではない。閣議決定を経ていないことに留意)は、「植民地支配と侵略を行った……悔恨の歴史を虚心に受け止め」て、「深い反省」をしている点で、1995年の村山談話を継承している。しかし、熟慮の結果が参拝中止とはならなかったことで、行動として矛盾し、「首相の談話」は結果的には、免罪符としての効果を目論んだと言われても弁明できないのではないか。
小泉首相が「私の真情を」と語る時、そのまなざしは、特攻隊員や遺族会の人たちのところで立ち止まり、第二次世界大戦の戦いや空襲で生命を失ったり、傷ついたりした女性、子ども、老人など、非戦闘員にまで届くことはない。まして近隣諸国の被害を受けた人たちや遺族の痛み、あるいは民族として受け継がれる恨みにまでは、はるか遠く及ばない。政治家として、過去と現在をつないで、民衆の痛覚をどこまで共有できるのか―実は、政策の土台となるヒューマニズムや民主主義、そして真の対話と共生の胚はそこにある、と私は確信する。だからこそ、靖国参拝が日本におけるナショナリズム再生の動きに連なるものとして、アジアの人たちの不信感と警戒心を増幅し、国家間の無益な対立を誘発したことの首相の責任は重い。
8月15日、福田官房長官は、記者会見で「国立墓地」に関する私的懇談会を官房長官のもとに設置することを表明した。しかし、靖国論争を「国立墓地」建設問題に矮小化してはならない。単に「宗教法人性」をなくしてすむ問題ではない。真の戦争の死者への追悼は、過去のあらゆる問題に勇気をもって対峙し、いま問われている従軍「慰安婦」、強制連行、捕虜への虐待、在日外国人の市民権問題等に、国としてまっすぐに向き合うことなしにはありえないと思うからである。新しい墓地の建設と歴史認識、そして過去の問題の処理は、「対」なのである。例えば、当面政府が早急に取り組むべきは、「アジア歴史資料センター(仮称)」に、近現代の戦争に関する史料(すべての省庁の公開・未公開の公文書のみならず、民間人の記録、手記、写真、日記等の私文書)、文献、図書、写真映画、ビデオ、オーラルヒストリー、裁判関係資料等、他国に散逸したあらゆる記録をも収集して、「戦争の記憶」を未来の世代のために、整備し保存することである。日本人が戦争をどう受けとめ、総括するかが問われている。戦争の記憶を消し去り、忘却の歴史のなかで、まがまがしい墓地の建設をしても、死者たちは浮かばれない、と思う。
(2001年8月 「インパクション」 No.126 p1-5 所収)
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