<非暴力平和隊実現可能性の研究>

第3章 現地諸関係の最善の実践例

ドナ・ハワード、コーリー・レヴィン

3.2 平和隊

3.2.5 関係に影響を与えるその他の事項
3.2.5.1 現地への入国(ビザ、当局への登録、その他)
チームメンバーは旅行者ビザで現地に入国しなければならないことが多い。ユーゴスラビアのBPTしかり、グアテマラの初期の段階でのPBIしかり、CPT、MPT、SIPAZやWfPの殆どのチームメンバーしかりである。チアパスでは平和隊にとり旅行者の身分は問題であった。MPTボランテイアは現地に溶け込もうとする努力にも拘らずバリケードで停められ“旅行者立ち入り禁止”と告げられた。Robert PoenはチアパスのSIPAZチームに対するビザの状況に非常に苛立った。ウルガイからのボランテイアは2ヶ月毎にビザを更新しなければならなかった;アメリカのボランテイアは運が良ければ6ヶ月のビザが貰える。ビザ更新の為の旅行は“財政的にも大変な重荷となり膨大な時間を浪費する。メキシコでは旅行ビザでは国内政治問題に介入することは出来ないし、些細なことで国外退去となる。我々のボランテイアは追放されたことはないが道路の封鎖でしばしば停められ目的地に進むことが許されない。”
グアテマラでの仕事の早い段階では、PBIのボランテイアは旅行者ビザでしか入れなかった。正式な滞在の申請はいつも遅延を伴った。PBIに滞在許可の変更が許されたのは国外退去と再入国の後であった。チームメンバーは警官の発砲を目撃したし、外交部で詰問され、“女性の死に至る事件に不法に関与”したという判決で合法的に国外退去するか大使館の保護のもと本人の意思で国を去るかの選択に15分与えられた。ボランテイアはもし彼等が去ることを拒否すればPBIチームの全員が追放され彼等の生命が危険にさらされるであろうと告げられた。彼等は協力して国外退去を受けた。しかし、PBIは、殺人と国外追放の後、それらの話を公にし彼等のプレゼンスの正当性を主張した;そして最終的にはグアテマラ議会は特別なビザを許可した。コロンビアでは、政府はPBIのプレゼンスが人権に対するコミットメントの点で一貫性があることを考慮しチームメンバーに対し“特恵”ビザを許可したが、それはやがて登録され正式に認可されるものとなった。これは平和隊のプロジェクトの歴史ではユニークなものである。
SIPAZの報告によるとメキシコの選挙期間中30名の国際監視委員はFM3ビザ(人権監視の為の)の取得を要求されたが、これは信じられないくらいの時間を要し又彼等の活動を制約するものであった。新政府はFM3ビザなしで追放されることなく国際監視団の仕事をすることを可能とした。
しかし、MPTは監視団のビザが農村での通常の業務を非常に制約するものであることを知った。
PBIは各地でのプログラムを始めるにあたり軍民の国や地方の当局を訪問することから始めた。例えば、コロンビアでは、PBIは当局に対し同行の役割と方法論について説明し、同行の存在による抑止的広報効果と、同行による政治えの影響力を実現した。彼等は外交団にPBIの仕事を常に知らせておくことで彼らからの支援を引き出した。保護を受けているコロンビアグループは又、彼等が受けている同行について政府に正式に通知した。
バルカンの全てのプロジェクトは、多くのプロジェクトがそうであるように例え旅行者として入国するにしても、法律により警察への登録が要求される。彼等はCroatiaにおけるINGOとして登録を試みたが、法制化の段階である為、非常にスロウであった。CPSの人間は現地入りに際し必ずしも国の機関にコンタクトする必要はないが、BiHとKosovo/aでは国際人として登録される。

3.2.5.2 地域の言語と通訳の使用について
SIPAZ、PBI、WfPは全て現地の言語に堪能であることが要求される。SIPAZチームへの参加について問い合わせた人にはスペイン語の情報と申請書類が送られる。BPTとAPSは訓練期間中に2週間の語学研修があり現地に派遣されても学習の継続が期待されている(BPTはその国での語学研修のクラスがある)。そうした施設は現地での使用のため最小となっている。ドイツのCPS(並びに開発サービス)は、現地に行く前に特別な組織による集中的語学研修を提供している。
MPTのボランテイア新入生はチアパスに行く途上でスペイン語専門学校に入り、そこでチームで誰一人スペイン語が堪能でないことを知った。彼女は本部にこう書き送っている、“言語に堪能でないままに事を進めることは個人的に問題があるだけでなく自分達が擁護しようとしている人達の生命を脅かすことにもなりかねない・・もしチーム内に言葉の流暢な人がいなければ自分はやめることも考えている・・・これは外国語旅行案内で言葉遊びをするような旅行者の旅ではない。”John Heidはチアパスで働いている時、たくさんの疑問、質問、提案を持ったが自分の語学力の不足からプログラム通りに進めるしかなかったと報告している。
コロンビアでは、全てのCPTメンバーはスペイン語に堪能でなければならない。最初は、チアパスチームでただ一人堪能であった;今は、いつでもチームに二人持つようにしている。Hebronでは、英語の出来る現地人とCPTの仕事を長く手伝い彼等の仕事を理解している通訳に頼っている。
チームの派遣団体は通常その国の言語や第2外国語に堪能であることは要求しない。例えば、PBIはグアテマラでの仕事で、ボランテイアの誰一人マヤ語を話せないことで特に農村地域でハンデイキャップを持った。
どの程度の堪能さが求められるか?「護衛プロジェクト」のBeth Abbotは“スペイン語を良く話せて且つ緊迫した状況下でもその能力を失わないこと”と言っている。WfPは志願者に対し次のように言っている。
「会話が堪能であることはスペイン語を自由に話せ、物怖じしないで自分の考えや計画を伝え、相手がそれを理解すると言うことである。又同時に相手の言っていることを理解しそれに応えることである。このことは、
(a)動詞の全ての時制を使えること:現在、過去、未来、不完全、仮定法、条件法、現在完了、過去完了、未来完了時制
(b)仕事に必要な語彙を持っていること。」

3.2.5.3 歓迎しない地方政府
グアテマラとエルサルバドルでのみ何れの平和隊も地方政府によって明白に歓迎されていないと言われた経験がある。グアテマラでは、Mejia Victores将軍は1985年、10名のPBIボランテイアが国内の政治に不法に口出ししているとして移民局を使って彼等のビザを取り消した。エルサルバドルでは1989年11月に5人のPBIボランテイアが拘束され、PBIチームの全員がグァテマラに追放された。
CPTとPBIは平和隊の“リレー方法”を実践してきた−チームの一人が追放されると、出来るだけ速やかに他の人で充足する。
PBIは有効な抑止力としての同行は国との十分な意思疎通に依存すると信じているが、このことが何時も有効な反応を得るとは限らない。グァテマラでは、PBIはEl Quicheの軍や民間の当局に会い、そこでの彼等のプレゼンスを伝えた。CERJに焦点を当てて保護と国際的な関心に注意を喚起した会合の積み重ねは相反する結果をもたらした。地方の市長達は丁寧で、ある人達は支援さえした。しかし知事は、ボランテイアたちがCERJの行事に参加して国内政治に関与するならば国外追放にすると脅かした。
PBIのもっとも強力な力は北半球の国々からの政治的影響力の行使である。彼等は、グアテマラから追放された後、公の声明文を発表し、大使館や政府関係者を訪問し、PBIの非暴力への決意やグアテマラの内政への非干渉や合法的活動に対するコミットメントを強調するなど政治力を巧みに行使した。彼等の国際的警報システムは小さな国なら怒らせたくないような処にいる政府関係者を含んでいる。PBIは存在感を出来るだけ示し国際的な圧力を使用することを主張し、地方の政府が彼等のプレゼンスに関心を持っていない時さえ現地での仕事での中立性を主張している。

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