1 月 24 日未明から早朝にかけて,東京都行政はついに新宿西口四号街路へ 機動隊・ガードマン・都職員約千名を動員し,徹底的な暴力をもって, ここに暮らす野宿労働者約 200 名を厳冬の寒空へ叩きだすという信じられない 暴挙を強行した. さらに,全力で抗議,抵抗した我々に襲いかかった機動隊 権力は我々の仲間 4 名の仲間をでっちあげ指名逮捕し,我々の団結を崩すための 蛮行を繰り返した.
このため,新宿西口地下一帯は非常に混乱し,四号街路は一日たったいまも 封鎖されたままの状態にある.
ここにはっきりと表明したいのは,この混乱の責任は全て東京都政の傲慢極まる 対応にあるということである.
我々は「動く歩道」建設計画の発覚以来,一貫して「話し合い解決」を模索し, 具体的に申し入れ行動を重ね,都に対する取り組みをこの事態の直前まで繰り返して きた.
ところが東京都側は 23 日昼,「立ち退きは予定どおり実施する」と回答し, 我々の話し合い要求を拒否した.このことについて東京都は新聞やテレビ等で, 「団交には応じられないとしただけだ」などという嘘の言い訳を繰り返しているが, まったくふざけた話である.
考えてもみてほしい.野宿労働者叩き出しの口実「動く歩道」建設には 13 億円もの 巨費が都民の税金から投ぜられる.年間の維持費は 6 千万以上!そんな金があるの だったら,もっと他に使い道があるのはあきらかだ.そんな出鱈目な行政に対し 粘り強く話し合いを求めていった我々の忍耐は並々ならぬものだった.
こういった我々の努力をも東京都は暴力をともなう実力行使によって一気に打ち砕いた のである.
青島都知事は「支援者の暴力的な行為でああなったことを都民によく理解してほしい」 などという本末転倒なコメントを出しているが,全く言語道断である. 野宿労働者追い出しについて嘘にまみれた言動を二転三転させながら繰り返してきた 青島のペテンはここに極まった.
新宿西口四号街路は,野宿の仲間 200 人がお互い厳しい状況の中で助け合い, なんとか生き抜いていくためのコミュニティ=「ダンボール村」であった. 国連人権委員会 (1993 年 77 号) でも指摘されているように,強制立ち退き行為は 「人や家族や集団を無理矢理に家族やコミュニティから連れさることによって ホームレス状態を悪化させる」人権侵害行為である.都は芝浦の「保護」施設に, 追い出した人々をたった 2 ケ月間収容することで,「追い出し」との批判を かわそうとしているが,あのような有刺鉄線に囲まれ,外出もままならない 収容所に誰が望んで行くのだろうか.
我々は,コミュニティから引きはがされ,収容所入りを選択せざるを得なかった 仲間の苦渋に心を寄せ,行政による仲間の分断を許さず,仲間同士のつながりで これらを乗り越えていくつもりである.そして 2 ケ月たって収容所を出された 仲間が新宿に戻ってきたときには,再度殺人行政を許さない闘いへの合流を かちとっていく.まいた種は刈り取らなければならない.
東京都.青島都政は今日の愚劣極まる暴挙のツケをきっちりと支払うことに なるだろう.このことを我々は行動でもって明らかにしていく.
野宿者を人間として扱わず,野垂れ死にへと追い込んでいく殺人行政.東京都との 闘いにひとりでも多くの方々が合流されんことをここに呼びかける.
1996 年 1 月 25 日