野宿者にとって厳しい冬が終わり,すっかり春の陽気になりました.冬の間は, 皆様の暖かいご支援,ご協力,本当にありがとうございました.おかげさまで 渋谷の地においては,一人の死者も出さずに冬をのりきることができました. あらためてお礼を申し上げる次第です.
さて突然ですが,「いのけん」の今後に関して皆様に大切なお知らせがありま す.それは要約すると以下のようになります.
以下にそれぞれの点について詳しく述べさせていただきます.
越冬期間中,私たち「いのけん」と野宿の仲間たちで立ち上げた「97-98 渋谷・ 原宿冬をのりきろう! 実行委員会 (冬のり実)」は,皆様に支えられて様々な 取り組みを担ってきました.「冬のり実」は越冬終了に伴い,3 月 14 日には解 散いたしましたが,その日の集約会議の中では,以下のような点が総括として 挙げられました.
これらを受けて,私たちは「冬のり実」をさらに発展させた態勢の必要性を強 く感じ,翌 15 日の第一回準備会において野宿の当事者が主体となる団体の結成 を決定しました.新団体の名称は,「渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる 自由連合 (略称・のじれん)」です.
3 月 28 日,渋谷宮下公園の野宿の仲間の寄り合いで,「のじれん」の立ち上げ が確認され,正式に発足しました.それを受けて支援団体であった「いのけん」 は,現場において「のじれん」の中に解消されました.「のじれん」が当事者 と支援者が対等な関係を結ぶ運動体である以上,支援団体である「いのけん」 が存在する意義はなくなり,このまま団体として残しておくことは当事者・支 援者双方にとって意識の中でマイナスになると考えたからです.
「いのけん」は今まで野宿者支援と,現在はその活動のほとんどが休止状態に ある外国人労働者支援の二本建てで活動してきました.今回の事態について内 部で議論をした結果,前者は「のじれん」へ,後者は現在検討中ですが新団体 (後述) へ,それぞれ移行を前提に団体として発展的に解消していくことを確 認いたしました.
以下に二つの活動領域におけるこれまでの活動の総括と今後の展望について, 現時点での私たちの考えを簡単に紹介させていただきます.
「いのけん」は 1992 年 3 月の発足当初から,野宿を強いられている人々の支援 を指向していましたが,外国人労働者支援活動での多忙さにかまけて,野宿者 支援については長らく越冬期のみの態勢しか組めずにきました.しかし 94 年 2 月に新宿西口で起こった東京都による強制排除に際してはいち早く現場に駆け つけ,同時期に新宿での支援活動を開始した「山谷労働者福祉会館人民パトロー ル班」との協力態勢を確立し,新宿の野宿の当事者が主体となる運動団体「新 宿連絡会」 (新宿野宿労働者の生活・就労保障を求める連絡会議) の結成に向 けた動きの一端を担うことができました. (「新宿連絡会」はその後,独立し た団体として活動を行っています.)
一方,もともとのホームグラウンドである渋谷では,95 年以降,通年的なパト ロール態勢を組み,福祉対応や追い出しへの抗議活動を行なった結果,一部で 成果を挙げることができましたが,野宿の当事者が主体となる取り組みは作り 出せないまま,96 年秋にはいくつかの野宿地での排除を許してしまいました.
97 年春になり若者による野宿者襲撃事件の頻発に危機感を持った私たちは,襲 撃を未然に防ぐための泊まり込み行動,行政に対する要請行動などを通じて野 宿の当事者との信頼関係を築いていく第一歩をようやく踏み出しました.更に 隔週だったパトロールを毎週化し,炊き出しを定点化して野宿の当事者が参加 する共同炊事形式にすることで,一歩一歩,「仲間のことは仲間で決め,取り 組んでいく」方向へと近づいていきました.そして 12 月には「冬のり実」を結 成し,今越冬期の活動を通して「のじれん」発足につながる大きな飛躍を遂げ ることができたのです.
「渋谷・野宿者の生活と居住権をかちとる自由連合」 (のじれん) の今後の活 動の方向性は,その名称に示されています.
「渋谷」の地名を冠したのは,地域に限定した活動を行なうのではなく,この 地から発進していくという意味です.「生活」とは,路上で単にその日その日 を暮らしていくことではなく,人間が持ちうるはずである生き生きとした人生 の営みであり,居住権とは,(1)そのための拠点としてより良い適切な住居に 住む権利,そして(2)どのような居住形態であれ望まない形での立ち退きを強 制されない権利のことです.「自由連合」とは,これらをかちとるために,野 宿者全体の利益に立った仲間や支援者が,個人の自由意志に基づいて連なり合っ ていく運動体のあり方のことを指します.この名称そのものが,私たちの理念 であり,関係であり,目的を表します.
私たちは,この春から「のじれん」として出発します.渋谷をはじめ全都の仲 間の希望ある未来を紡ぎだしていく新たな出発です.その一歩はまだまだ小さ なものかも知れませんが,路上という闇に放り出された仲間の手に必ずや光を かちとることができると確信しています.
いのけんが,外国人労働者支援の領域でこれまで行ってきた主要な取り組みと しては,以下のことが挙げられます.
この問題は,「原宿のイラン人問題」としてマスコミにセンセーショナルにと り上げられました.この取り組みで,外国人排斥の問題の存在を明確に社会に 認知させたことを,私たちは積極的に評価しています.しかし,最終的には, 原宿から外国人は一掃されてしまい,原宿でのいのけんの行動も終わりました.
原宿での行動を通して,私たちは,関東在住のイラン人男性を主とする,多く の外国人と知り合いました.そこから,いのけんは,外国人の労働相談活動を 開始しました.持ち込まれる労働上の権利侵害のケース (賃金不払や労災など) は,最大時で年間 200 件以上にのぼり,いのけんの活動は,これらの権利侵害 の一部を解決することに貢献しました.
相談活動は,労働の領域にとどまらず,超過滞在や刑事犯などで摘発された外 国人への面会や弁護士との橋渡しなど,拘置施設内での人権監視活動にも発展 しました.
ところが,これらの相談活動は,「支援活動」の領域を出ず,外国人労働者自 らが自分たちの権利のために活動していくという流れを作り出せませんでした. 加えて,必要なだけの支援の人的体制を整えることもできなかったことから, これらの相談活動は 96 年以降,ほぼゼロに近い形にまで停滞してしまいました.
原宿その他で吹き荒れた外国人大量摘発の嵐の中で,警察の留置場や入管の収 容場で,当局による外国人への暴行事件が多発しました.いのけんは,これら の事件を社会問題化し,各事案での国家賠償請求訴訟の支援 (公判の傍聴やビ ラの発行) に携わりました.主要な事案としては,アリジャングさんの留置場 内での死亡事件,タオさんへの入管内での暴行事件,アムジャディさんの入管 内での暴行事件などがありますが,現在訴訟が続いているのは,アムジャディ さんの一件のみです. (これらの事件を通じて,「入管問題調査会」が結成さ れ,現在精力的な調査・研究活動を続けています.)
いのけんの発展的解消へ向けた流れの中で,私たちは,外国人労働者問題に取 り組む新団体の旗揚げの準備を開始したいと思います.そこでの基本的な考え 方を以下に示します.
現状は,数名の弁護士が手弁当で訴訟を進めており,それを社会的・金銭的に バックアップする体制ができていません.いのけんのメンバーを含む数名の支 援者が傍聴をほそぼそと続けていますが,この支援体制を強化し,裁判を勝訴 に向かわせると同時に,この裁判を通じて,入管体制のあり方を社会に投げか ける活動が求められています.
具体的には,「アムジャディ裁判を支援する会」 (仮称) を,多くの人々とと もに改めてたち上げていくことを目指したいと思います.
外国人労働者問題の原点は,常に,現場の一人一人の外国人の生活実態や権利 侵害の状況にあります.その原点に返って,一度破綻した相談活動を再開する ことを目指します.その際に,大切にしたいこととしては,支援を必要とする 外国人の生活している地域に出向くこと.そしてその地域の外国人当事者たち や近隣の日本人たちを含めた,自主的な問題処理能力を高めることに重点を置 くことです.
移住労働者の人権の問題は,もはや一国の問題では解決しません.
日本から送還され帰国したイラン人からは,「また日本に行きたい」,「今度 は韓国,タイ,キプロスなどで働く」といった声がある一方で,たとえば,麻 薬の所持や使用で送還されたイラン人が,帰国後も麻薬を止められず苦しんで いるといった現状があります.
これらの実態を考えると,日本の入管・労働・福祉政策が変わらなければいけ ないのはもちろんのこと,韓国など,日本以外の移住労働者受け入れ国の政策 も無視できませんし,また,移住労働者を送り出す国の問題,例えばイランで あれば,イラン・イラク戦争の傷跡や,隣国のアフガニスタンの内戦とそれに 伴う難民の流入 (さらには,麻薬輸出で資金を得ているタリバーンの問題) , イラン社会の民主化の必要性など,さまざまな問題が複雑に絡み合っています. こうした背景を踏まえなくては,難民の問題や,いわゆる「外国人犯罪」の問 題などを理解することはできませんし,解決への道筋もたちません.イランを めぐる諸問題についても関心をもって支援をしてほしいということは,日本国 内およびすでに帰国したイラン人の多くから,聞かされてきた言葉です.
すでに他の外国人支援団体が,韓国やフィリピンなどの国々と,NGO どうしの 連帯の関係を築いていることに学びながら,私たちは,これまでの 6 年間で築 いてきたイラン人との関係を手がかりにして,国境を越えた人権の活動を発展 させていきたいと考えています.
以上,裁判支援,相談活動,国際連帯を三つのテーマとして,今後取り組みを 進めていきたいと思います.組織形態 (一つの団体か複数の団体かも含め) と か,財政的見通しとかいったことは,まだ何も決まっていません.意欲ある皆 さんと協力し合いながら,「いのけん後」の外国人問題の新団体の準備を具体 的に開始したいと思います.
渋谷での活動の飛躍をきっかけに「いのけん」は発展的解消への道を歩み始め ました.活動の発展に向けた不可欠のステップとは言え,「いのけん」がなく なる,という重要なお知らせをこのような唐突な形でお知らせする非礼をお許 しください.
「いのけん」はこれから内部的な総括の議論を行ない,5 月末の「いのけん通信最終 号 (総括特集号)」の発行をもって解散する予定です.活動はそれぞれの新団 体に引き継がれます.上記にこれまでの活動の総括と今後の方向性について現 時点での考えを掲載いたしましたが,本格的な議論はこれからになります.
これまで物心両面で「いのけん」を支えていただき,誠にありがとうございます.
「いのけん」の名前はなくなりますが,私たちの歩みが止まるわけではなく, 「生命と権利をかちとる」という観点で行なってきたこれまでの活動を,より 具体性をもった形で発展・飛躍させていくつもりです.引き続き「のじれん」 など「いのけん」の活動を引き継ぐ団体への暖かいご支援をお願いいたします.
1998年4月11日 169 東京都新宿区高田馬場1-25-5-1Dながれや内