「世界社会フォーラム/持たざる者のフォーラム」報告

金津まさのり  

(釜ヶ崎パトロールの会/グローバリゼーションを考える日雇・野宿者運動準備会

ブラジルへ

 2005年1月25日夕刻、南半球。大阪から3度飛行機を乗り継ぎ、30時間以上の移動を終えた私は、ボルゲス・デ・メデイロス通りのゆるやかな坂道を登っていた。ここブラジルはポルトアレグレの地で今日から取り組まれているはずの「持たざる者のフォーラム」へと参加するためである。市内の目抜き通りであるボルゲス通りの歩道は広く、露店が立ち並んでいる。真夏の熱気のなか、半袖の人々に混じって見える色鮮やかな世界社会フォーラムのTシャツやバナー。石造りの壁にちらほらと落書きされているイラク占領抵抗闘争連帯のスローガンや、アナキスト系のグループのものらしいステッカーも目を引く。
 ほんとうは、昼すぎにはここに着いているはずだった。経由地のサンパウロ・グアルーリョス空港が私を含めた第5回世界社会フォーラムへの参加者でごったがえしており、予定の飛行機にオーバーブッキングで乗ることができず、半日も足止めを食ってしまったのだ。待ち時間中、空港のネットカフェで、私が日本を発った日の朝に名古屋・白川公園の野宿者に対して行われた強制排除について詳細を知る。7人の仲間のテントを潰すため、600人以上の市職員・ガードマン・公安警察を動員してなされた蛮行に、はらわたが煮え繰り返る。白川の現場の写真をプリントアウトし、大阪から持っていった分とあわせて日本の野宿者の状況を紹介するためのキャプションをつけているうちに、時間は過ぎていった。
 日本ならとっくに日が暮れている時間だが、ポルトアレグレはまだ明るかった。空港から電車でセントロ(中心街)へと向い、地図を見ながら目的地へと歩き出したものの、焦ったあげく遠回りをしてしまう。人に道を聞きながらなんとか、No-Voxフランスのメンバーからのメールにあった、マトリス広場近くの教会学校へとたどりつく。ここで会議が行われているはずだ。礼拝堂のなかに荷物とイス、ビラが散らかっているが、誰もいない――と、ドアに小さな走り書きが貼り付けられていることに気付く。

「日本からの友人へ。現在、MNLMの仲間たちとともに、昨夜占拠したビルを防衛中。場所はすぐ近く、行き方は然々。No-Vox」

 10分後、ボルゲス通りに面した古いビルの前で、窓という窓からはためくMNLMとNo-Voxの旗の下、ようやく私は仲間たちと合流することができたのだった。

声なき者のネットワークNo-Vox

 No-Voxとは「声なき者」の意である。グローバル資本主義のもとで日々強化される搾取と抑圧にさらされ、同時に社会的に排除され周辺化された「声なき/持たざる」存在、すなわち失業者、野宿者、移住労働者、スラム住民、被差別カースト、先住民族などの人々。
 2003年、今回と同じくポルトアレグレで行われた第3回世界社会フォーラムの際、主としてフランスの「持たざる者の運動」−住宅への権利運動(DAL)や失業者運動(AC!)−からの呼びかけのもと、「声なき者の第1回世界会議」が開かれた。以前よりフランスなどの運動との交流を進めていた東京の日雇・野宿者運動のメンバーもここに参加した。会議では世界社会フォーラムのようなグローバル資本主義に対抗する「もうひとつの世界」を目指す運動が「ミドルクラスの運動と化している」という批判がなされ、「持たざる者」が声を上げていくことの重要性と、「持たざる者」の運動のネットワーク=No-Voxを五大陸に広げていこうという「声なき者の宣言」が確認された。No-Voxには現在、フランスのほか、ポルトガルの移住労働者連帯運動であるMigrant Solidariedade、インドのダリット(被差別カースト)運動であるNCDHR(National Campaign on Dalit Human Rights)、ブラジルの都市貧困者による土地・住宅占拠運動MNLM(Movimento Nacional de Luta pela Moradia)などが参加しており、今回の「持たざる者のフォーラム」にはこのほか、イタリア、ウルグアイ、アルゼンチンなどからの参加があった。

グローバリゼーションに対抗する野宿者運動

 日本における野宿者激増の最大の原因は失業であり、新自由主義グローバリゼーションときわめて密接な関わりがある。日雇・野宿労働者とその運動が置かれている状況を再度、グローバリゼーションの文脈から捉えなおしていこうという視点のもとに、新たな取り組みがはじまっている。
 「声なき者の世界会議」での呼びかけを受け、2003年10月には東京で「持たざる者の国際連帯行動」が取り組まれた。2004年1月のインド・ムンバイでの第4回世界社会フォーラムにも野宿者運動から数人が参加し、No-Voxの会議やアジアの貧困者運動の会議そして「ダリットの行進」に参加した。2004年6月に、世界経済フォーラム東アジア会議に反対する日韓共同行動(6月ソウル行動)へ東京・大阪の野宿者2名を含めたメンバーが参加し、ソウルで行われた自由貿易推進のための密室会議に反対するデモに参加し、また対抗会議として開かれた「アジア社会民衆運動会議」において韓国の全失露協(全国失職露宿者宗教・市民団体協議会)とともに「貧困とホームレス」分会を開き交流を持った。
2004年10月にはNo-Voxフランスからの招請を受け、ロンドンで行われた第3回ヨーロッパ社会フォーラム(ESF)へ筆者が参加した。まずフランスのカレーでの難民申請者の待遇改善を訴えるデモに参加し、そこでNo-Voxと合流した。深夜にロンドンへバスで移動し、翌日からESFに参加した。ESF会場ではNo-Voxが独自の分科会・集会を企画し、「持たざる者」の団結を訴えた。
ESF開催に合わせて、ロンドン各所でAutonomous Spaces(自律空間)と称される複数の取り組みが行われていた。一部の政治党派が強い影響力を持ち、また労働党のロンドン市長に公式支援を受けていたフォーラムへの批判を込めてWomblesやIndymedia UKその他多数の団体・個人によって企画されたものであり、例えばそのひとつBeyond the ESF(ESFを超えて)では、ESF会場から近いミドルエセックス大学を会場に、住宅占拠、反監視社会、非正規雇用化、移住労働者支援、サパティスタ支援などのテーマのもとに活発な議論が交わされていた。アナキストや野宿者が共同で住宅・ビルを占拠し、そこを地域にも開かれた政治・社会・芸術活動の場へと変えていく「社会センター」計画がとりわけ興味深かった。No-VoxとしてもESFに対しては「一歩は内に、もう一歩は外に」とのスタンスのもと、これら自律空間での取り組みに参加し、注目を集めていた。
 2004年11月3日、「社会的排除に抗し、グローバリゼーションと戦争に反対する『持たざる者』の連帯行動」が前年に引き続き東京で取り組まれ、各地から集った日雇労働者・野宿者のほか移住労働者、日韓FTA反対闘争のために来日した韓国民主労総、セックスワーカー、フリーター、障害者、フランスSUD、タイのスラム・野宿者運動団体など多様な「持たざる者」の参加のもと、集会・渋谷デモを貫徹した。また同日、パリの日本大使館に対してNo-Voxフランスがこの集会に連帯する抗議行動を行った。
 このほか、筆者の参加する釜ヶ崎パトロールの会ではこの間、アメリカ・オレゴン州ポートランドの野宿者テント村「尊厳の村」やカナダ・オンタリオ州トロントのOCAP(貧困に反対するオンタリオ連合)などの海外運動団体との相互交流をつづけてきている。
 こうした流れのもとで、私は今回のポルトアレグレでの第5回世界社会フォーラムおよび「持たざる者のフォーラム」へと参加してきた。

MNLM−家なき人々の占拠闘争

 さて、話をブラジルへと戻すことにしたい。
 ボルゲス通りのビル占拠を行ったMNLM(Movimento Nacional de Luta pela Moradia)は、1980年代から活動しているブラジルの貧困者運動であり、全国で30万家族を組織し、土地・建物占拠を戦術の中心に据えている。ブラジルでは、多くの貧困者が路上やスラムに住む一方で、都市部には多数の空家・空きビル、また農村部には地主に放置された未耕地が存在している。ポルトアレグレ市内にもいくつかのスラムが存在し、人口1万人を超えるかなり大規模なものもある。私自身滞在期間中、公園や教会の軒下で露宿する人々や、川岸でテントを張って暮らす人々(社会フォーラムの会場のすぐ近く)をよく見かけた。アルミ缶やペットボトルを集めて歩く人々の姿は、日本の野宿の仲間とまったく同じものだった(ロバを曳きながら集めている人には驚いたが)。スラムに住む人々とあわせると「家なき人々」の数は非常に多いと思われる。
 土地占拠というとMST(土地なき農民運動)が有名だが、MNLMはMSTの手法に学びつつ、都市部の貧困者の組織化に尽力してきた。
 今回、MNLMはNo-Voxとともに、世界社会フォーラムの開催に合わせてポルトアレグレでビル占拠を行った。対象に選ばれたのはINSSという社会保障部門の行政機関が所有する7階建てのビルで、5年にわたって空家になっていたという。
 1月25日の未明、鍵を破って占拠が開始され、一時は警察に取り囲まれるなどかなり緊迫した状況となった。私が着いたころには警察は去っており、内部の大そうじが行われている最中だった。中に入れてもらい、階段を上がっていく。数年分の埃と格闘している大人たちにまじり、はしゃぎまわる子どもたちの姿が印象的だった。壁には何ヶ所か大きな穴が開けられ、電気配線がつなぎかえられ、自前の新しい水道管が各階に張り巡らされているところだった。このビルの一室が、ポルトアレグレ滞在中の私の寝床となった。(→写真1写真2
 ビル占拠成功後、MNLMは市当局と交渉を行い、社会フォーラムが終わる2月1日まで家族の居住を認め排除を行わないこと、水道を開通させることなどを認めさせた(後の交渉で、フォーラム後の占拠も認めさせる)。
 「持たざる者のフォーラム」において、この占拠行動はもっとも重要なものとして位置づけられていた。会議や集会だけではなく、世界社会フォーラムに大勢の人々が集まる中で「持たざる者」が直接行動によって声をあげ、その存在を誰の目にも明らかなものにしていくこと。実際に数十の家族がそこに住み、ともに食事を取り、語り合い、歌い、踊り、眠る・・・長年放置されてきた建物が、仲間たちの力で活き活きとした共同空間へと創りかえられていくさまは、ほんとうに勇気付けられるものだった。
 またこの占拠は単なる「フォーラムに合わせたイベント」ではなく、海外からの参加者が去ったあとも長期にわたって占拠を維持し、また街の中心部に位置するこのビルを社会運動の拠点にしていくことが目指された(ちなみに前々回の2003年の世界社会フォーラムの際にも同様なビル占拠が取り組まれ、現在に至るまで維持されている)。
 MNLMは、以下のような方針を掲げている。1.占拠の準備段階として、スラム・路上の家族に呼びかけ、組織化していくプロセスを重視する。2.排除に反対する。占拠の際の警察による排除だけではなく、貧困という社会的排除そのものに反対する。3.新しい技術の開発。占拠した土地に住居を建てる際、環境に配慮した材料や工法を用いる。・・・など。
 彼らは、占拠行動それ自体のみを目的化するのではなく、占拠以前の組織化プロセスから占拠以後の取り組みにいたるまでを射程に入れ運動をつくっている。半年以上の時間をかけて行動を準備し、占拠が成功したあとはその場をさらなる行動のための拠点としていく。今回の占拠においても、毎晩全居住者が参加する会議が持たれ、ビデオの上映や学習会なども行われていたのが印象的だった。

「持たざる者のフォーラム」と行動

 ビル占拠以外の行動としては、フォーラム中に数次にわたりNo-Voxとしての会議を持った。初めて顔を合わせる者同士が多いこともあり、自己紹介的な要素が強く今後の取り組みについて具体的な話はあまり進まなかったものの、排除に反対する各国での抗議行動への連帯(昨年11・3のパリでの日本への連帯行動を例として)のネットワークをつくっていくことが合意され、またブラジルの先住民グアラニ族の運動からの参加者や、スラムの若者が組織するヒップホップ運動、アルゼンチンやウルグアイのスラム運動からの参加など新しい出会いがあった。また社会フォーラム初日の夕方に行われた全体デモには最後尾近くまで占拠ビルからシュプレヒコールを上げ、「持たざる者」の存在と占拠への支持を呼びかけたあとで合流し、にぎやかなデモを貫徹した(全車線を占有、規制がまったくない!)。
 世界社会フォーラムの中でNo-Vox参加団体によりいくつかの分科会「都市貧困問題」「移住労働者の権利」「ダリットとの連帯」などが持たれたようだが、英語の通訳が保障されなかったこと、スケジュールの都合などがあり残念ながら私はほとんど参加できなかった。
 1月29日の晩には「持たざる者の連帯の集い(Solidarity Night of Have-Nots)」という催しをフォーラム会場内の船上ビアホールで行い、多くの人が集う楽しい夜となった。
 一方、日本から参加した私たちはこのほか、1月29日にポルトアレグレ市内で行われていたハビタット国際連合(Habitat International Coalition, HIC)の総会に出席し名古屋・白川公園の強制排除について抗議を呼びかけるなどの取り組みも行った。
 また並行して、ポルトアレグレ市郊外の最近建設がはじまったばかりのスラムを訪問し、そこが強制排除の危険にさらされているとのことで、即座に市当局へ押しかけ行動を行うなどの取り組みも行った。

世界社会フォーラムにおける「持たざる者」の位置

 「持たざる者」としては、世界社会フォーラムについて「一歩は内に、もう一歩は外に(One step inside, one step outside)」というスタンスを保っている。前述したように「ミドルクラスの運動と化している」という批判からである。では具体的には、何が問題なのか。
 一つには、物理的アクセスの問題がある。フォーラムに参加するには登録料が必要で、それほど安くはない(とはいえ、勝手に会場に入って話を聞くことは可能で、前回のフォーラムに比べればマシになっていたということだ。ロンドンESFでは警備員のチェックを受けなければ会場自体に入れなかった)。旅費についても国内海外を問わず「持たざる」人々への補助などはもちろんない。No-Voxフランスは今回、かなり大変な思いをしてカンパを集め、元野宿当事者の参加者を含めて10人前後がフランスから参加し、私を含めた海外参加者への旅費補助もしてくれたが、入国時に2名のメンバー(1人はアラブ系、もう1人は元野宿者)が不明確な理由で入国拒否されてしまったという。そもそも参加する時点でハードルがある、というのは明らかだ。
 二つには、フォーラムの内容に関する問題である。規模が大きく、豊富な資金を持つ運動体やNGOが会場内で目立つ一方、フォーラム自体がブラジル政府や企業からかなり大規模な支援を受けていることの批判があちこちで聞かれた。
 意志決定プロセスの問題もある。No-Voxフランスのメンバーが「持たざる者」としての主張を最終日の宣言文に盛り込みたいと努力をつづけていたものの、結局果たせず「要領のいい団体、政治力のある団体だけが宣言に自分たちの主張を盛り込むことができるようになっている」と嘆いていた。
 こうしたことから、「持たざる者」としては世界社会フォーラムそのものに過大な期待はしていないといえる。しかし、良くも悪くも社会運動に関わる非常に多くの人々が集う場ではあり、「持たざる者」のアピールの場としては重要であるし、「われわれはここにいるぞ」と声を上げつづけていくことが必要である、というところである。同時に、こうしたイベントが持たれることを機に世界の「持たざる」仲間たちが集まり、独自に開かれた取り組みを行っていくこと。これが「一歩は内に、もう一歩は外に」ということのようだ。実際、私自身非常に多くの出会い(と再会)があったし、前回のムンバイを経てダリット運動の仲間たちが、今回はブラジルの仲間たちが、そして私たちも同じような経緯を経てNo-Voxに関わるようになってきたわけである(しかし本来、社会フォーラムの理念とはそのようなもの=出会いの場、であるのかもしれない)。私にはこれは優れたバランス感覚であるように思えた。

新自由主義グローバリゼーションと野宿者

 最後に、日本の野宿者運動が国内そして世界の「持たざる」仲間たちと連帯し、グローバリゼーションに反対していくことの意義について述べてみたい。
 そもそも日本ではこの十数年というもの、新自由主義グローバリゼーションによる経済・社会再編が進行してきた。社会のあらゆる領域に弱肉強食の市場原理主義が導入され、利潤と効率性を基準にすべてが資本の論理で決められていく。政府は「自己責任」の名のもとに自らの責任を放棄し、社会保障を解体し矛盾をすべて個人に押し付ける。労働条件は年々悪化し、非正規・不安定雇用化が際限なく進められ、かつて闘いのなかで勝ち取られてきたはずの労働者としての権利がぼろぼろにされていく。
 もともと日雇労働者の集住地域=寄せ場は戦後高度成長期に国策として形成された。棄民政策は日本資本主義の伝統であり、都合のよい使い捨て労働力として下層労働者はその矛盾を一身に背負わされる存在でありつづけた。
 しかしバブル崩壊後、かつては失業層の受け皿となっていた寄せ場での建設日雇労働市場が解体し、仕事に就けなくなった多くの日雇労働者が野宿になり、またかつては寄せ場が吸収していた他業種からの失業者もダイレクトに路上へと叩き出される構造が作られていったのである。
 現在全国で3万人をはるかに超える野宿者は、このようにして生まれたのであり、新自由主義再編の最大の被害者であるといえる。
 こうした事態に対し、政府は当初何の責任も取らないどころか、1996年の新宿ダンボール村強制排除に代表されるような排除路線を押し進めた。しかしそれは野宿者自身の団結と社会的関心の高まりを生み出し、1999年頃から国としての「ホームレス対策」が検討され、2002年の「ホームレスの自立の支援等に関する特別措置法(ホームレス特措法)」として法制化された。大阪はこの「ホームレス対策」の先行実験場とされ、2000年に設置され2003年に解体された長居公園シェルターに代表されるような、「排除のための施策」が展開された。とりわけここ最近は、先述した名古屋・白川公園での行政代執行に代表されるような強制排除が全国化しつつあり、また大阪市が常套とする、一見ソフトな「説得排除」−市職員や巡回相談員が執拗にテントを個別訪問することによって野宿者を追い出し、あるいは施設収容していく手法−なども合わせればその件数はさらに多数に上るとみられる。
 並行して、生活保護飯場(野宿者を寮のような場所でまとめて生活保護を取らせ、保護費をピンハネする業者)や山梨県・朝日建設事件を典型とする暴力飯場(賃金不払いに抗議した労働者3名が社長に虐殺された)など、野宿者を食い物にする組織が激増している。これらは行政の排除施策を補完する「民間施設」としての役割を果たしているといえる。
 一方、根本的には「排除=野宿者一掃」が意図されているにせよ、国が法律をつくり予算措置を行うことによって、運動体の中にも矛盾と分裂が持ち込まれる。野宿者ひとりひとりにとっては「福音」に聞こえることがあるかもしれない「野宿からの脱却」「人生のやり直し」という言葉は、支配の側からすれば野宿者個人そして運動体への都合のよい責任転嫁となるのだ。
 野宿者、そして「持たざる者」の存在は、新自由主義と資本主義の矛盾をそのまま体現している。「持たざる者」は、搾取と排除の構造総体を変革することなしには解放されえない。だからこそ、国家と資本は「持たざる者」の団結の可能性に恐怖する。国家と資本は、「持たざる者」など存在しない、という振りをしつづけなくてはいけない。
 だからこそ私たちは、「我々はここにいる」と叫びを上げることからはじめなければならない。昨年11月3日、渋谷デモでのシュプレヒコール「オレたちはここにいるぞ!」のように、存在そのものを圧殺されることに抗して。
 そして「声なき」「顔なき」われわれは、今やこの世界の至るところにいるのだ。韓国で、イギリスで、ブラジルで、世界の仲間たちと出会うことで私が感じたことは、この「我々はどこにでもいる」ということだ。ここで起こっていることはあそこでも起こっているし、その逆もいくらでもあるのだ。
 「我々はここに在る」という地点から出発する運動こそが、世界を変えうる。
 すべての(そしてまだ見ぬ)「持たざる」仲間たちと結びつきつつ、グローバリゼーションを底辺から撃つ運動を!

※本稿は、『ピープルズ・プラン』30号(2005年春号)掲載の原稿に一部加筆したものです。