陳情者 新潟県高等学校教育正常化推進会議 会長 星野新一郎 (要旨)学校教育、特に義務教育課程の主たる目標は、「国家及び社会の形成者とし て必要な資質を養う」所にある。しかるに、平成9年4月から使用される予定の中学校 社会科歴史分野における文部省検定済み教科書7冊すべてに、「慰安婦」問題をはじめ として事実を歪曲し、ことさらに自国の歴史をひぼうする様な、史実と相違する記述 が多く認められることは、明らかに「学校教育法」第36条並びに「教科用図書検定基 準」(平成元年4月告示)の規定に反し、本来の目標からはずれていると言わねばなら ない。 文部省の「義務教育諸学校教科用図書検定基準」(平成元年4月告示)には、各教科 共通の条件としてその正確性を求め、 (1)図書の内容に、誤りや不正確な所、相互に矛盾しているところはないこと。 (2)図書の内容に児童、生徒がその意味を理解するのに困難であったり、誤解したり するおそれのある表現はないこと。 また「社会科」の条件としては、 (4)未確定な時事的事象について断定的に記述しているところはないこと。 (6)著作物、資料などを引用する場合には、評価の定まったものや信頼性の高いもの を用いること。 と定めてある。 ところが、来る平成9年4月から使用される予定の中学校歴史教科書二は、上述の検 定基準に照らせば、7社、7冊の教科書すべてに「慰安婦」問題をはじめ明らかに事実 と相違し、あるいは評価がいまだに定まらず、信頼度の極めて低い記述のあること が、歴史の専門家ほか多くの識者たちにより、具体的かつ客観的事実を基に数多く指 摘されているところである。取り分け「慰安婦」の記述は、生徒たちがその意味を理 解するのに困難であったり、誤解する恐れのあることが充分に認められ、教育上むし ろ有害であると言っても過言ではない。 ついては、文部大臣が「教科用図書検定規則」第13条の定めにより、各発行者に対 して所要の訂正の申請を、速やかに勧告するよう、国に意見書を提出されたい。
提出者:新潟市沼垂東4-2-23(内山正義方) 新潟子弟教育正常化推進会議 議長 丹羽 昭 要旨:平成9年4月から使用される予定の中学校社会科歴史分野における文部省検定済 み教科書7冊全てに、「慰安婦」問題を初めとして事実を歪曲し、ことさらに自国の歴 史を誹謗するような、史実と相違する記述が多く認められることは、明らかに「学校 教育法」第36条並びに「教育図書検定基準」(社会科)の規定に反し、かつ自国を大 切に思う子供を育む公教育にそぐわないと思われるので、政府文部省において早急に 検定済み教科書の再点検を行い、日本人として生きることに誇りを持てる内容に改訂 することについて、内閣総理大臣並びに文部大臣宛に意見書を提出されることを新潟 市議会で決議されますよう陳情いたします。 理由:文部省の「義務教育諸学校教科図書検定基準」(平成元年4月公示)には、各科 共通の条件としてその正確性を求め、 (1)図書の内容に誤りや不正確なところ、相互に矛盾しているところはないこと。 (2)図書の内容に児童、生徒がその意味を理解するのに困難であったり、誤解したり する恐れのある表現はないこと。また「社会科」の条件としては、 (3)未確定な時事的事象について断定的に記述しているところはないこと。 (4)著作物、資料など引用する場合には、評価の定まったものや信頼度の高いものを 用いること。 と定めています。 ところが、来る平成9年4月から使用される予定の中学校歴史教科書には、上記の検 定基準に照らせば、7社、7冊のすべてに、「慰安婦」問題を初め、明らかに事実と相 違し、あるいは評価がいまだに定まらず、信頼度の極めて低い記述のあることが、歴 史の専門家他多くの識者たちにより、具体的かつ客観的事実を基に数多く指摘されて いるところであります。とりわけ「慰安婦」の記述は、生徒たちがその意味を理解す るのに困難であったり、誤解する恐れのあることが十分に認められ、教育上むしろ有 害であると言っても過言ではありません。 つきましては、文部大臣が「教育用図書検定規則」第13条の定めにより、各発行者 に対して所用の訂正の申請を、速やかに勧告するよう、地方自治法第99条第2項の規 定に基づき、国に対して意見書を提出して下さるよう陳情申し上げます。
地方自治法第99号第2項の規定により、関係諸官庁に対し、文部省検定済 み平成9年度使用中学校教科書改訂に関する意見書を別紙のとおり提出するも のとする。 平成8年12月6日 提出 提出者 栃尾市議会議員 嶋田 進 賛成者 同 平林豊作 同 同 大塚一夫 同 同 荒木幸男 平成8年度12月 6 日 議決 栃尾市議会議長 西川洋吉 文部省検定済み平成9年度使用中学校教科書改訂に関する意見書 文部省検定済み平成9年度使用の中学校教科書に慰安婦問題をはじめ、南京大虐 殺、三光作戦など歴史的事実としては充分な検証が成されていないとされる事柄が記 述されており、極めて自虐に満ちた内容となっている事は誠に遺憾であります。教科 書に書かれている内容の信頼性を疑問視する事は、歴史観そのものの認識が未成熟な 中学生段階において皆無に等しいものと見なければならず、自国を大切に思う子ども を育くむ公教育の場にそぐわないものと思われます。よって政府、文部省においては 早急に検定済み教科書の再検討を行い、日本人として生きる事に誇りをもてる内容に 改訂する事を強く要望いたします。 以上、地方自治法第99号第2項の規定により意見書を提出いたします。 平成 8 年 12 月 6 日 新潟県栃尾市議会議長 西川洋吉 提出先 内閣総理大臣 様 文部大臣 様
(97年5月改訂最新版)
※この資料は、96年12月新潟県議会に提出された「中学校歴史教科書の訂正について の意見書提出に関する請願」について討論するために、私たちが作成した資料で、12
月13日、議会内各党会派に配布しました。さらに本年に入って各地に提出されている 陳情・請願の主張に対する反論もカバーするために全面的に再編集・加筆しました。
現在、1995年5月最新版バージョンです。
作成に当たり「日本の戦争責任資料センター」と「半月城」さんに大きな御協力を得 ました。
日本政府は従来、「従軍慰安婦なるものにつきまして・・・やはり民間の業者がそ うした方々を軍とともに連れて歩いているとか、そういうふうな状況のようでござい
まして、こうした実態について、わたしどもとして調査して結果を出すことは、率直 に申しましてできかねる」(90年6月の韓国のノテウ大統領(当時)の来日に関連し、慰
安婦問題の質問に対する90.6.6参議院予算委員会答弁)という立場だった。
しかし、下記のように92年の防衛庁資料の発見を契機にした一連の調査結果によ り、当時の軍や政府の関与については自民党単独政権の時から既に公式に認めている
のである。地方議会の自民党議員団や地方組織がこうした見地に異論を唱えるとは理 解しがたい。事実関係の発覚と政府見解の経緯は以下に示すとおりである。
●92年1月11日、防衛庁所蔵資料の中から吉見・中央大教授が慰安婦関係資料を発見 したことが新聞等で報道された。
●翌12日には当時の加藤紘一官房長官が日本軍の関与を正式に認め、13日には謝罪の 談話を発表。また訪韓した当時の宮沢喜一首相は17日、日韓首脳会談で公式に謝罪。
●政府は慰安婦問題について調査を進め、その結果を同年7月6日発表した。報告書は 慰安所の設置や経営・監督、慰安所関係者への身分証明所の発給などの点で、軍隊の
みならず「政府が直接関与」していたことを初めて公式に認めた。
●この調査資料は防衛庁、外務省、厚生省などから127件も集められた。その公表資 料は次のような内容を含んでいる。
(1)軍占領地で「日本軍人が住民の女性を強姦するなどして反日感情が高まっているた め慰安施設を整備する必要がある」という内容の軍の指令。
(2)軍の威信を保持するため、慰安婦の募集にあたる人の人選を適切に行うよう求める 指令。
(3)慰安施設の築造、増強のために兵員の提供をもとめる命令。
(4)部隊ごとの慰安所の利用日時の指定、料金のほか、軍医の慰安婦に対する定期的な 性病検査を定めた「慰安所規定」
(5)慰安所解説のための渡航には、軍の証明書が必要とする指示。
●同じ日、当時の加藤官房長官は記者会見で、韓国を始め中国、台湾、フィリピン出 身などの元慰安婦に対する日本政府としての謝罪の意を次のように表明。
「政府としては、国籍、出身地を問わず、いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くし がたい辛苦をなめられた方々に対し、改めて衷心よりおわびと反省の気持ちを申し上
げたい。このような過ちを決して繰り返してはならないという深い反省と決意の下に たって、平和国家としての立場を堅持するとともに、未来に向けて新しい日韓関係お
よびその他のアジア諸国、地域との関係を構築すべく努力していきたい。
この問題については、いろいろな方々の話を聞くにつけ、誠に心の痛む思いがす る。このような辛酸をなめられた方々に対し、われわれの気持ちをいかなる形で表す
ことができるのか、各方面の意見を聞きながら誠意を持って検討していきたい。」
●日本政府は7月26日、ソウルで元慰安婦16人から聞き取り調査を始めた。そして報 告書で「慰安婦強制」を認め謝罪。報告書は92年8月4日(宮沢内閣退陣の前日)に発
表。そのなかの「慰安婦の募集」の項では「斡旋業者らがあるいは甘言を弄し、ある いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが多く、さらに官憲等
が直接これに荷担する等のケースもみられた」と強制連行を明確に認めている。
●さらに、この報告書に付け加える形で河野洋平官房長官が談話を発表し、慰安婦の 募集や移送、管理などが、甘言、弾圧によるなど「総じて本人たちの意志に反して行
われた」と述べて、募集だけでなく全般的に「強制」があったことを認めた。そして 「心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気
持ちを申し上げる」と、日本政府として改めて謝罪した。さらに「このような歴史の 真実を回避することなく、歴史の教訓として直視していきたい」と述べ、歴史教育な
どを通じて「永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない」と決意を表明し た。
●第1次橋本政権の見解
「いわゆる従軍慰安婦問題は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深 く傷つけた問題でございました。私は、日本国の内閣総理大臣として改めて、いわゆ
る従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒(いや)しがたい傷を負 われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ちを申し上げます。
我々は、過去の重みからも未来への責任からも逃げるわけにはまいりません。わが 国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴
史を直視し、正しくこれを後世に伝えるとともに、いわれなき暴力など女性の名誉と 尊厳に関わる諸問題にも積極的に取り組んでいかなければならないと考えておりま
す。」(1996.10. 「従軍慰安婦」への「おわび」の手紙、橋本首相)
●現内閣小杉隆現文部大臣の態度
現文部大臣の小杉隆氏は、就任時の記者会見で、来春から中学校の教科書に登場す る従軍慰安婦の記述について、アジア諸国に対する日本の侵略行為などを謝罪した昨
年八月の村山富市首相(当時)の談話に「全く賛成だ」とした上で「率直に事実は事 実として載せる教科書検定調査審議会の判断を支持する」と述べ、また、同様の主旨
で国会でも答弁している(96年11月)。
さらに「昭和史研究所」の会員らが文部省に小杉文相を訪ね「従軍慰安婦」記述の 削除を要請した際も、「検定は基準に沿っておこなわれている」「削除・訂正を教科
書会社に求める考えはない」と突っぱね、さらに97年に入って「新しい歴史教科書を つくる会」の呼びかけ人代表七人が中学校教科書の「従軍慰安婦」関連記述を大臣勧
告で削除するよう申し入れた際もこれを拒否している。
今回自民党が採択の方向で検討している「陳情」は、こうした日本政府及び自民党 の歴代幹部・党首などの公式見解、現内閣の文部大臣の姿勢を真っ向から否定するも
のである。
●国連はすでに92年に日本政府から「従軍慰安婦」に関する資料を入手して検討を始 め、国際法に関する論議なども人権委員会で扱ってきた。同委員会は早くから慰安婦
の問題について関心を寄せ、日本政府が初めて公式に謝罪した翌月(92年8月)に は、差別小委(差別防止及び少数者保護小委)で特別報告官が「日本政府に資料提出
を求める」など本格的な調査を開始している。この委員会は、90年に予備報告、91年 と92年に中間報告、93年に最終報告をおこなった。その中で、特に従軍慰安婦などの
ように国際的に違法だと認識されている人権侵害は個人に国家賠償を請求する権利が あり、加害国はこうした行為を行なった責任者を処罰し被害者を救済する義務がある
と結論づけている。
※加害国による救済に関して言えば、アメリカは過去、戦時中に強制収容した日系 人に対し大統領が謝罪し、一人あたり2万ドルの謝罪金を支払ったのは記憶に新しい
ところである。
●同人権委員会差別小委ではこの報告をさらに深めるために、旧日本軍による従軍慰 安婦・強制労働問題などの人権侵害を調査する「特別報告官」の設置を決めた。
●こうした調査と討論の結果、日本軍の慰安所は国際法違反であるとするIFOR(国際 的な人権擁護組織)の提案が採択され、正式な国連文書として配布されている。つま
りこの時点で、日本軍の慰安所は国際法違反であるという、国連の正式な認識がすで に成り立っているのである。
※IFORの提案は、(1)従軍慰安婦問題は、時効による免責規定がない国際条約「強制労 働に関する条約」(日本の批准は1932年)などに明確に違反する。(2)日本は批准
後、条約の精神を具体化する法整備を怠っている。(3)過去にさかのぼって責任者の処 罰をおこなうための立法化を進める義務がある。とする内容を含んでいる。ちなみ
に、近代法では「法の不可遡及」、すなわち法律成立以前の行為については責任を問 われないというのが原則である。しかし、にもかかわらず、責任者処罰は先進諸国で
は国際的な流れになっている。過去の戦争犯罪者を裁けるように、ドイツでは79年 に、カナダでは87年、オーストラリアでは88年、イギリスでは91年に国内法の整備
をし、時効を停止するなどして戦犯を裁いてきた。
●クマラスワミ調査報告
この問題はその後「女性に対する暴力問題」特別報告官のクマラスワミ氏に引き継 がれた。クマラスワミ氏はスリランカの民族学研究国際センター所長としてアジア地
域の女性問題に取り組んできた女性法学者で、94年4月に特別報告官に任命された。
クマラスワミ氏はこうした「国際的な認識」を基本に、各国政府やNGOから得た 資料を検討し、慰安婦問題を「犯罪」と認定する立場を明らかにした予備報告書を人
権委員会に提出した。なお、クマラスワミ氏は「国連調査団」として同年7月に日本を 訪問しているが、国連調査団が日本を訪れたのは旧国際連盟が「満州国」問題で派遣
したリットン調査団以来のできごとである。
さらにアジア各国での調査をもとに、96年3月、最終報告書が人権委に提出され た。なおクマラスワミ報告が短期間の調査に基づく、信憑性のないものとする批判が
あるが、こうした経緯からわかるように同報告はそれまでの数年間に及ぶ一連の人権 委員会の調査の成果を引き継ぎそれを深化させるものとなっていることに留意すべき
である。
調査は日本政府からも資料の提出を受け、慰安婦からの聞き取り調査も行なわれ た。そしてまず調査団から見た日本政府の見解を、以下のように評している−
「・・・日本政府が我々に渡した文書には、いわゆる『慰安婦』問題について道義的 責任を受諾する声明や呼びかけ文が含まれている。河野洋平官房長官による1993年8
月4日付談話は、慰安所の存在及び慰安所の設置・運営に旧日本軍が直接・間接に関与 したこと、及び募集が私人によってなされた場合でも、それは軍の要請を受けてなさ
れたことを受諾した。談話はさらに、多くの場合『慰安婦』は、その意思に反して集 められたこと、及び慰安所における生活は『強制的な状況』の下での痛ましいもので
あったことを承認した」。また、こうした政府の見解や資料と慰安婦の証言との関係 についても、「(慰安婦の証言は)性奴隷制が軍司令部および政府の命令で組織的方
法で日本帝国軍隊により開設され厳重に統制されていたことを信じさせるに至った文 書情報と符合している」として、その整合性を認めている。
この報告では、第二次大戦中、旧日本軍が朝鮮半島出身者などに強制した従軍慰安 婦は「性奴隷」であると定義し、奴隷の移送は非人道的行為であり、さらに「慰安婦
の場合の女性や少女の誘拐、組織的強姦は、明らかに一般市民に対する人道に対する 罪にあたる」と断定した。
その上で、従軍慰安婦問題を現代にも通じる女性に対する暴力の問題とする観点か ら、次の六項目を日本政府へ「勧告」した。
(1)日本帝国陸軍が作った慰安所制度は国際法に違反する。日本政府はその法的責任 を認める。
(2)日本の性奴隷にされた被害者個々人に補償金を支払う。
(3)慰安所とそれに関連する活動について、すべての資料の公開をする。
(4)被害者の女性個々人に対して、公開の書面による謝罪をする。
(5)教育の場でこの問題の理解を深める。
(6)慰安婦の募集と慰安所の設置に当たった犯罪者の追及を可能な限り行う。
なお、オランダを始めとする諸外国はこの報告書を高く評価したが、日本政府はこ の報告内容に抵抗した。しかし当初は膨大な反論資料を作成し各国に配布したもの
の、むしろ反発を招き撤回した。この報告に対し日本政府は未だに「事実関係につい ては留保」という態度を示し個人補償などの必要性を認めていない。補償問題は今回
の議論にはなっていないのでおいておくが、日本政府自身、この報告を「留意する (take note)」という決議に賛成していることを無視すべきでなく、なによりこれが
国際的な公式評価であることを忘れてはならない。
国連で安保理非常任理事国に選出された日本は特に国連機関の決議を尊重すべきで ある。なかんずく人権委員会は「国連精神」具現の一つの場として国連機関の中で特
に重要な存在である。我々は−特に公党や公の議会関係者は−その機関の決議や公式 見解を軽んじるべきではない。
●慰安婦問題について、「強制ではなかった」とする主張ばかりでなく、驚くべきこ とに「そうした事実はなかった」あるいは慰安婦本人やこれに関わった人々の証言を
「デマ」とする主張まである。
そうした人々が論拠としているのは、当時山口県の労務報国会で動員部長をしてい た吉田清治さんの「 1942年から終戦までの3年間に、陸軍西部軍司令部などの指示
に従い女性千人を含む朝鮮人6千人を強制連行した」という証言をめぐっての評価で ある。これに対して秦・千葉大教授が吉田証言の舞台となった済州島に出向き、島民
の証言からそうした強制連行はなかった、とする調査報告をおこなった。「デマ」と 主張する人々はこの件を引き合いに出し、「慰安婦証言=デマ」とするほとんど唯一
の根拠としている。
しかしこの「なかった」とする調査を行った秦氏本人が、数万人に及ぶ慰安婦の存 在自体は認めていることを無視するべきではない。調査についても、慰安婦の多くが
名乗りたがらない、家族・親族・地域の人々もそれを隠そうとする韓国の文化的風土 を考えれば、島民の回答を言葉通り受けとめるわけにはいかないとも思われる(現地
を取材したテレビ局もそうした雰囲気を報道した)が、もちろん島民の表向きの証言 が符合しない以上、この吉田証言は歴史事実の冷静な検討の際にはその材料からはは
ずすべきで、国連クマラスワミ報告もこの証言については反対意見を併記して引用す るにとどめている。
※なお、中央大・吉見教授らの調査では吉田証言には決定的な矛盾は見あたらなかっ たが、上記の理由により同教授はクマラスワミ報告の価値を防衛するため同証言の採
用をやめるよう要請している。吉見氏はその手紙の中で「吉田氏の本に依拠しなくて も、強制の事実は証明できる」と述べている。しかし、厳正な歴史的事実の検証材料
としての学問的価値としては100%ではないものの、当時の状況を示す当事者の証言 としては充分な価値があると多くの人が考えていることも付記しておく。
慰安婦問題を問題にしている人たちも事実関係の検討の材料としては取り上げてい ない証言だけをとらえて、これを「デマ」とし、それをほとんど唯一の論拠として
「事実と異なる」と主張することこそ「本当のデマ」であり、これは」詐欺師のやり 方である。
●ここでは、「証言」によらなくとも削除派の論理がいかにデタラメなものであるも のかを証明するために、「慰安婦」の方々の悲惨な体験は敢えて収録していない。だ
が削除派が「慰安婦」の「証言」に疑問があると考えたとしても、当事者の声にまず 耳を傾けてみるべきことはどのような実証、論争、調査、研究においても最低限かつ
必須の作業であると言わなければならない。身を切り裂くような思いで明らかにされ た多くの「証言」は、他の様々な文書資料との符号、証言間の整合性などを考慮すれ
ば、充分すぎるほど価値のあるものであることだけは指摘しておきたい。
削除派は、全ての教科書で慰安婦が奴隷狩りのように強制連行されたかのよう記述 されている、と言っているが、教科書の記述を見ればわかる通り、これは事実ではな
く、ためにするデマである。
また、「強制性」を連行時の「奴隷狩り」のような形態のみに限定し、「そういう ことは無かった」「無いとは言えないがそれが全てではなかった」とするのも、意図
的なすり替えである。
ここでは、これら「強制性」や「商行為」「公娼制度」などの問題について明らか にする。
●何事にも例外は無数にあるが、大まかこれら幾つかの要素を重ねて一つ一つの事例 を見ないと、木を見て森を見ないことになる。現在繰り広げられているキャンペーン
の多くはそうした手法によるものである。部分的で強制に見えない事例を並べ、そし て最後に、「彼女たちは悲痛な顔付きをしていなかった」という「経験」まで駆り出
される。軍人がいつもいつも狂暴ではなかったように、彼女たちもいつも泣いて暮ら しているわけにはいかなかったのである。こうした問題を検証するためには、その歴
史的経緯をきちんと見る必要がある。
●現在知られている最初の軍慰安所は、海軍によって上海事変(1932.1)直後に設置さ れた。1932年から敗戦の45年のあしかけ14年にわたって慰安婦が集められたわけで
あるが、その集め方は、当然にもこうした戦線の拡大の時期によって状況が異なって いる。初期には数は多くなく、1937年の「南京事件」を契機に急増した。この時期、
慰安婦集めはややもすると度が過ぎ、派遣軍が選定した業者が時には誘拐まがいの方 法で募集を行ない、このような不祥事が続けば日本軍に対する日本国民の信頼が崩れ
ると恐れた陸軍省副官は「各派遣軍は徴集業務を統制し、業者の選定をしっかりおこ ない、業者と地元の警察・憲兵との連携を密接に行うよう行うよう」命じた(注1)。
なおこの通牒は兵務局兵務課が立案し、梅津陸軍次官が決裁した。この通牒の最後 には「依命通牒す」とあり、杉山陸軍大臣の委任を受けて発行されたことが明記され
ている。日本政府の認識を決定的に変えさせたこの資料は、「従軍慰安婦」の必要性 自体を暗示しており、この当時、陸軍省は「従軍慰安婦」の果たす「役割」を高く評
価しており、その認識にたち、慰安婦の意義を説く教育参考資料「支那事変の経験よ り観たる軍紀振作対策」も各部隊に配布している。その内容は、軍慰安所は軍人の志
気の振興、軍規の維持、略奪・強姦・放火・捕虜虐殺などの犯罪の予防、性病の予防 のために必要であると説いているものである(注2)。
41年に対米宣戦布告し本格的に太平洋戦争に突入すると、こうした慰安所も泥沼化 していった。戦線が拡大し「慰安婦」の需要が増すと、陸軍省は従来派遣軍にまかせ
ていた軍慰安所の設置を自らも手がけ始めた。1942年9月3日の陸軍省課長会報で倉 本敬次郎恩賞課長は、「将校以下の慰安施設を次の通り作りたり」としてその結果を
報告した。それによると、設置された軍慰安所は、華北100、華中140、華南40、南 方100、南海10、樺太10、計400ヶ所であった。
また、台湾軍が南方軍の求めにより「従軍慰安婦」50人を選定し、その渡航許可を 陸軍大臣に求めた公文書(注3)なども発見されている。この申請はもちろん許可され
実行にうつされた。
戦争末期になると兵士の数も増え、それにともない慰安婦集めも激しさを増し、朝 鮮では44年8月に「女子挺身勤労令」が出された。(注4)。
初期には余裕があり、中には望んで応募した者も当然いるだろう。事実、「慰安 婦」問題を調査する市民や研究者の呼び掛けで1992年末、「日本の戦後補償に関する
国際公聴会」が東京で開かれたとき、韓国からの研究報告は、慰安婦として名乗り出 ている人の26%が「奴隷狩り」であり、68%が「だまされて」であったことを明らか
にしている(戦争犠牲者を心に刻む会編『アジアの声』第7集、東方出版)。台湾で もその数値に近く、さらに限られた数だが「自発的に」というものもある。もし「強
制」を狭く「連行」時の「暴力」に限定するならば、問題のないケースも少なくない ことになる。しかし、たとえ自
ら志願したものであっても、あるいは甘言にだまされていても、現地に到着し自分が いったい何をされるかが明確になった時点で、それを拒否して自由に帰国できる経済
的・法的保障がなければ、そしてその後軍事的圧力下で性行為を強要されていたとす れば、それはたとえお金を得ていたとしても「強制」以外のなにものでもない。こう
して「自ら応募させ」て集めて慰安婦とし、欺き、強制的に性行為に従事させること を「自発的に応じた」として切り捨て、「強制の事実はない」などと強弁することは
絶対にできない。
(注1)陸軍省副官通牒、「軍慰安所従業婦等募集に関する件」
支那事変地に於ける慰安所設置の為、内地に於て之が従業婦等を募集するに当 り、故らに軍部了解等の名義を利用し、為に軍の威信を傷つけ、且つ一般民の誤解を 招く虞あるもの、或は従軍記者、慰問者等を介して不統制に募集し社会問題を惹起す る虞あるもの、或は募集に任ずる者の人選適切を欠き、為に募集の方法、誘拐に類し 警察当局に検挙取調を受くる者ある等、注意を要する者少なからざるに就ては、将来 是等の募集に当たりては、関係地方の憲兵及警察当局との連繋を密にし、以て軍の威 信保持上、並に社会問題上、遺漏なき様配慮相成度、依命通牒す。
(注2)「支那事変の経験より観たる軍紀振作対策」
事変勃発以来の実情に徴するに、赫々たる武勲の反面に略奪、強姦、放火、俘虜惨 殺等、皇軍たるの本質に反する幾多の犯行を生じ、為に聖戦に対する内外の嫌悪反感 を招来し、聖戦目的の達成を困難ならしめあるは遺憾とするところなり。・・・犯罪 非行生起の状況を観察するに、戦闘行動直後に多発するを認む。・・・事変地におい ては特に環境を整理し、慰安施設に関し周到なる考慮を払い、殺伐なる感情及び劣情 を緩和抑制することに留意するを要す。・・
特に性的慰安所より受くる兵の精神的影響は最も率直深刻にして、之が指導監督の 適否は、志気の振興、軍紀の維持、犯罪及び性病の予防等に影響するに大ならざるを 思わざるべからず。
(注3)台電 第602号
陸密電第63号に関し、「ボルネオ」行き慰安土人50名、為し得る限り派遣方、 南方総軍より要求せるを以て、陸密電第623号に基き、憲兵調査選定せる左記経営 者3名渡航認可あり度、申請す。
(注4)内務大臣請議「朝鮮総督府部内臨時職員設置制中改正の件」44.6.27
勤労報国隊の出動をも斉しく徴用なりとし、一般労務募集に対しても忌避逃走し、 或は不正暴行の挙に出ずるものあるのみならず、未婚女子の徴用は必至にして、中に は此等を慰安婦となすが如き荒唐無稽なる流言巷間に伝わり、此等悪質なる流言と相 俟って、労務事情は今後益々困難に赴くものと予想せらる。
●日本軍関係者資料も「慰安婦を酷使した」と証明
中国で第10軍の参謀をしていた山崎少佐は1937年12月18日付けの日記で、「参 謀が指揮し慰安婦を憲兵が集め・・・慰安所は大繁盛で・・・慰安婦を酷使に至
る・・・兵はおおむね満足」と述べている。商行為ではなく、強制性は明らかであ る。
●「純粋の商行為」などでないことは、これまで明らかにしたような強制の事実が何 よりも具体的に物語っている。強制を伴っている以上、そこで行われていることは強
姦であり、強制猥褻、監禁、強制、脅迫、略取・誘拐などの罪を併発させる。確かに 慰安婦の多くは金に相当する者を受け取っていたがそれは価値の危うい「軍票」で
あった(敗戦時にはただの紙切れとなっている)。またそれとは別に兵士が直接払う 場合も少なくなかったが、このような形でたとえ金銭が支払われたとしても、元来が
自由な契約に基づいて行われたものでないこと、また異境に無一文で連れて来られて いる者にとって、金銭を受け取ることはまず生きるためであり自力での帰還のために
も必要なのだから、それを受け取ることは「純粋な商行為」など決して意味しない。
●また、「商行為」論を強調するために、「彼女たちが得る収入は、一般兵士の給料 に比べてはるかに多かった」という主張が秦教授の説として、クマラスワミ報告書で
も「紹介」されている。確かに一部の「従軍慰安婦」は高給だったかも知れないが、 しかし同時に、同報告やさまざまな聞き取り調査は、一方でお金をもらっていない
「従軍慰安婦」がいたことも指摘している。時期、地域、各慰安所の状況などによっ て、「お金を受け取っている」「受け取っても管理人に渡す」「受け取っていない」
などさまざまな実態があったことが、こうした調査で明らかにされている。また、 「従軍慰安婦」たちが得ていたお金は、正確には「軍票」である。中国で軍慰安所を
開設した平原大隊長によれば、戦争末期になると軍票の価値が暴落し、「従軍慰安 婦」の生活は楽でなかったことが示されている。それでも軍票がまだいくばくかの価
値がある内はまだましだったが、無惨にも軍票は終戦とともにただの紙くずになって しまったのである。こうした事情を抜きに、全ての慰安婦が「高給」を得ていた、し
たがって悲惨な生活などあり得ない、などと言うのも手のつけようのない詐欺師のデ マと言うべきであろう。
●「戦前の日本では、売春は公然と認められていた・・内地で売春が営業として行わ れていたのと同じく、戦地でも売春業者が男性の集団である軍隊を相手に商売をし
た。これは違法なことでも何でもなかった。よい・わるいの問題ではなく事実の問題 である。日本で売春が法的に禁止されたのは、戦後何年も経ってからのことだ。」と
する主張がある。たしかに、戦前、売春は公然と行われていた。これが公娼制度と呼 ばれるものだ。しかし、そこにはいくつかの原則があったことが意外と知られていな
い。
一つは、許可を受けた特定の場所と特定の人にしかこれが許されなかったことだ。 つまり、誰でもどこでも自由に売春が公認されたというものでなく、貸座敷と呼ばれ
る定められた屋内で、警察署が所持する娼妓名簿に登録されている女性だけに許され たのである(娼妓取締規則二、八条)。もしそれに違反すれば、拘留または科料に処
せられた(同一三条)。第二には、強制をともなう売春は、当然にも許されない建前 だったことである。したがって、強制売春を排除するために、当事者本人が自ら警察
署に出頭して娼妓名簿への登録を申請しなければならず、また娼妓をやめたいと本人 が思うときは、口頭または書面で申し出ることを「何人と雖も妨害をなすことを得
ず」(同六条)とされていた。
これらの規定は、彼女たちの人権を擁護しようとする当時の活発な廃娼運動に押さ れて制定されたものであり、内務大臣は右の娼妓取締規則を公布する際、その目的の
一つが「娼妓を保護して体質に耐えざる苦行を為し、若しくは他人の虐待を受くるに 至らざらしむる」(1900年内務省令第四四号)ことにあるとしたことからも明白であ
る。したがって、もし「慰安婦」とされた女性が、どこかの警察に出頭して娼妓名簿 に登録し、軍隊内にある「貸座敷」で売春していたというのであれば、それは公娼制
度の枠内の出来事であり、当時、少なくとも国内法では違法とは言えなかった。しか し、だまして連れてこられたような女性が娼妓の申請をするはずがないばかりか、軍
隊内に貸座敷があろうはずもない。貸座敷とは、「貸座敷、引手茶屋、娼妓取締規 則」によって警察の許可を受けた建物であり、あえてさらに付言すれば、他に「芸娼
妓口入業者取締規則」というものもあって、娼妓への紹介業者も取り締まられていた のである。だから、もしこれらの法令に基づいていない娼妓がいて、あるいは許可を
得ていない貸座敷や斡旋業者があれば、それらは公娼でなく私娼、貸座敷でなく私娼 窟であり、口入れ業者でなくヤミ・ブローカーなのであった。だとすれば、当時の日
本軍は、自ら私娼窟をその体内に持ち、そこで法的に私娼に位置づけられる人々を監 禁し、強姦したことになる。
こうした意味で、従軍慰安婦制度は、「公娼制」の立場から見ても極めて無法な状 態のもとに存在していたのである。
●さらにつけ加えると、削除派が「仕方がないこと」として依拠しようとするこの 「公娼制」すら、当時でも大きな社会問題となっており、粘り強い廃娼運動の結果、
1930年を前後して廃娼決議をおこなう県(1928年の埼玉・福井・福島・秋田を皮切 りに、以後1940年までの間に、新潟、神奈川、長野、沖縄、茨城、山梨、宮崎、岩
手、高知、愛媛、三重、宮城、鹿児島、広島、富山、滋賀、宮崎(再決議)岡山の計 21県)、あるいは実際に廃娼を実施する県(群馬がすでに1893年、その後1930年に
埼玉、以後1941年までの間に、秋田、長崎、青森、北海道:部分的に実施、富山、三 重、宮崎、茨城、香川、愛媛、徳島、鳥取、石川の計14県)が続出した。こうした議
会決議の中では、「公娼制度」を「人格の尊厳を知らない封建時代の遺風」「人道に もとり」「国際条約を無視し帝国の対面を傷つける悪制度」「人身売買と自由拘束の
二大罪悪」「事実上の奴隷制度」などと断罪している。これが削除派が依拠しようと する「過去の道徳」の一端である。過去の人々も、この制度の非人間性を認識し、強
く憤り、その声は当時の各県議会(当時、選挙権は男性にしかなかった)でも共通の ものとなったのである。「公娼制」と「過去の道徳」を盾に「慰安婦制度」を仕方が
ないとする人々は、「従軍慰安婦制度」が「公娼制」と同様に「封建時代の遺風」で 「人身売買」「事実上の奴隷制」であることを自ら認めなければ論理矛盾を来たすこ
とになる。今まさにこの同じ地方議会を舞台に、「当時も公娼制があったから」など とうそぶくのは、60年も前におこなわれた先人達の議論や取り組みに泥を塗るような
ものであり、歴史の歯車を大きく戻すような暴挙と言うべきであろう。
さらにつけ加えておけば、いわゆる日本の本格的な太平洋戦争突入に伴う総動員体 制下においては、実際この公娼制度は停止されている。国内の公娼制度と従軍慰安婦
制度が並行して存在し続けたという認識は、事実としても明白に誤っている。
「戦時下だからある程度のことは仕方がない」とする論調もある。しかし、どんな に激しい、生死をかけたような猛烈な企業間競争でも一定のルールがあるように、戦
争でも一定の法や条約やルールがある。端的なものが捕虜虐待を禁じた国際条約など である。
確かに戦争下ではこうした国際協約などをしばしば逸脱する行為がおこなわれるの も事実だ。しかしだからといってそうした行為が許されるかどうかは別である。日本
の「従軍慰安婦制度」は、こうした国際法や国際的ルールに照らしても完全な無法・ 違法状態であって、許されざる行為がなされたことを無視するわけには行かない。い
わゆる従軍慰安婦問題は、以下のような国際条約や国際合意に違反していると考えら れている。
A.婦女売買禁止条約(注1)(注1)次の4条約で日本はa,b,cのみ加入 a.醜業を行わしむるための婦女売買取締に関する国際協定 1940年
1938年、内務省は軍人相手の売春婦の渡航に関し各知事あてに重要な通達を出し た。「日本国内で売春目的の女性の募集・周旋の取締を適正に行われないと憂慮され る事態は、1)帝国の威信を傷つけ、皇軍の名誉を損なう。2)銃後の国民、特に出征兵 士遺家族に悪い影響を与える。3)婦女売買に関する国際条約に反する。」などと警告 をだした。この2)の理由で「従軍慰安婦」は本格的に植民地出身者に切り替えた。ま た、売春婦を21歳以上としたのは、未成年の場合たとえ本人の承諾があろうと売春は 国際法違反であったためである。
このように国際法を認識していながら、現実には朝鮮人・中国人の未成年者にまで 売春をさせていたわけだからこれは国際法違反である。しかし、これには「抜け道」 があった。1910年の条約は植民地などに必ずしも適用しなくてもよいとの規定があっ た。これは世界的に一部の植民地で行われていた持参金・花嫁料などの社会的風習 (朝鮮にはない)を容認するために作られたものであるが、日本政府はこの条項を悪 用し積極的に植民地出身者の女性を「従軍慰安婦」にしたのである。この点に関して は国際法違反でないと強弁できるかも知れない。しかし、さすがに今の日本政府はこ の点を積極的に主張しない。条約本来の趣旨に反するし、また植民地出身者に対する 明白な民族差別をみずから告白することになるからである。
しかし、よしんば婦女売買条約が植民地に適用されないと強弁しても、植民地出身 の「従軍慰安婦」を船舶(日本の本土とみなされる)で連行したり、徴集の指令を陸 軍中央で行ったのは国際法違反とされるのは間違いない。
B.強制労働に関するILO29号条約(1930)
まず、「従軍慰安婦」の強いられた行為が「労働」にあたるのかどうかであるが、 NGOの国際法律家協会(ICJ)は当初これを条約で言う「労務」とすることにつ いては慎重だった。しかし、労務とは「あらゆる労務およびサービス」をさすので、 最近は「従軍慰安婦」もやはりこの条約の検討対象と考えるのが大勢を占めるように なっている。
今年3月4日、国際労働機関(ILO)の条約勧告適用専門家委員会は1995年の一 年間に検討した問題の年次意見報告書を発表したが、その中で旧日本軍の『慰安所』 に監禁された女性たちへの大きな人権侵害や性的虐待にふれ、「こうした行為は、条 約に違反する性奴隷として特徴付けられる」との意見を表明している。
C.奴隷条約(1926)
奥野議員や板垣議員の思惑がどうであれ、クマラスワミ報告でも「従軍慰安婦」は 「性奴隷」であったと断定され「性奴隷」の認識は国際的に広がった。こうした認識 からすると「従軍慰安婦」は奴隷条約違反になる。
しかし、日本はこの時はまだこの条約に加入していなかった。こうした言い逃れに 対しICJは「20世紀初頭には慣習国際法が奴隷慣行を禁止していたこと、および すべての国が奴隷取引を禁止する義務を負っていたことは一般に受け入れられてい た」とし、奴隷条約違反であると主張している。当時単に条約に加入していないから 形式的に国際法違反ではないという主張は、少なくとも良識ある国なら言い出すべき ではない。
D.ハーグ陸戦法規(1907年)
この条約の付属書である「陸戦の法規慣例に関する規則」第46条は、占領地で「家 の名誉および権利、個人の生命、私有財産」の尊重を求めている。ICJは、この中 の家の名誉には「強姦による屈辱的な行為にさらされないという家族における女性の 権利」を含んでいるとしている。
ただし、この条約は全交戦国が加入しなければ適用されないという総加入条項があ るので直接には適用されない。しかし、ICJはこれも慣習国際法を反映したものな ので日本を拘束するものであるとしている。従って、総加入条項にかかわりなく、女 性は戦時において「強姦」や「強制的売淫」から保護されていると主張している。
E.人道に対する罪
人道に対する罪は戦後、ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例第5条で定められた。 この罪は戦前または戦時中の非人道的行為を裁くものである。日本政府は人権委員会 に提出した「非公式見解書」の中で、戦後生まれた法規で戦争中の犯罪は裁くのは伝 統的な国際法に反すると主張していた。
しかし、この「人道に関する罪」については「極東国際軍事裁判所条例」でも取り 入れられており、その裁判自体を日本政府は1951年の平和条約で承認しているので、 結果的に「法の不可遡及」を間接的に認めたことになる。したがって今日、日本がこ の「人道に対する罪」を過去に遡って適用できないと主張しても国際的には通用しな い。
この事実に気がついたのか、日本政府はそれまでの主張を撤回している。
削除派は「日本だけでなくどこの国でもやったことであり、そのようなことをどう して教科書に載せなければならないのか」と息巻いており、各地の「陳情・請願」に
もこの主張が反映されているものが少なくない。まあこれは「○○ちゃんもやったの になんで僕だけ叱られるのか」という幼ない子どもの言い訳の域を脱しない滑稽な論
理ではある。−もちろん、他の国において同様の制度や行為があればそれは糾弾さ れ、歴史が明らかにするべきことである。その上で、自国の教科書においては、まず
自国の行為を掲載した上で、教育上の必要に応じて、そして事実の解明と共に、それ ら海外の事実を記載すべきだろう。だが、現在わかっていることで言えば、やはり日
本軍「従軍慰安婦制度」の特異な性格に目を向けなければならない。
削除派の秦教授は自らの著書で、あえて「(削除反対派の)吉見義明氏の『従軍慰 安婦』を参照」、などともっともらしく注釈をつけながら、「(日本の慰安所に)類
似の慰安所制度は第二次大戦期のドイツ、イタリア、アメリカ、イギリス、ソ連など にも存在したのに、日本だけを処罰せよというのは公平を欠くのではないか。」と述
べている。
しかし吉見氏が明らかにしていることはこういうことである。まず英米軍につい て、軍が民間の売春宿を監督下に置いたり軍用の売春宿を作ろうと試みた例があり、
そのこと自体は指弾されなければならないだろう。しかしほとんどは命令によりすぐ に閉鎖されており、他の軍隊と比較して日本軍の特筆すべき特徴は、女性の強制連
行・強制使役、未成年者の使役などの問題であり、また問題が明らかになった時、そ の閉鎖命令を出したかどうか、という点である。何より、軍の中央が計画し、推進し
たという点で、イギリス軍やアメリカ軍と日本軍とでは、決定的に違っていた。さら に吉見氏はソ連軍については、「ソ連軍が軍専用売春宿をもっていたかどうかは分か
らない。ただし、ソ連軍が数多くの強姦事件をおこしたことは事実であろう。(中 略)そして、(日本軍降伏後)このとき日本側が強姦を防ぐために、(ソ連軍に対し
て)慰安所設置を申し出たことが伝えられている。(中略)日本人は、ソ連軍に対し ても、若い女性を犠牲として提供していたことになる。」と指摘している。まさにここに、女性を軍事物資や取引の材料としか考えない恥ずべき日本軍の姿があらわれて
いる。
結局のところ日本軍と類似の慰安所制度があったと考えられるのは、我々が手にす る資料から考えうる限り今のところドイツ軍だけになりそうだが、戦後ドイツは、自
らの侵略・残虐行為について、まだ多くの限界を抱えつつも、日本とは比較にならな い積極的な立場と政策をとっていることは言うまでもない(日本と同様な立場にある
ドイツの場合、ナチスの過ちや犯罪について学校では子どもが12歳になった時点で1 年間かけて教育するとのことである。また、ドイツが侵略した隣国ポーランドと共同
で教科書を作ろうという取り組みも行われており、これらは、もう二度と過去のよう な過ちは繰り返さないという強い決意のあらわれであろう。こうした教育を藤岡教授
や西尾教授は、ドイツ版「自虐史観」というのだろうか)。
このような日本軍の「従軍慰安婦」制度が特異であるゆえに、旧ユーゴの民族主義 指導者による「民族浄化」という名の組織的な大量強姦・残虐行為と同等の問題とし
て、国連人権委員会などにおいて厳しい批判の目が向けられているのである。
あえて項目を立てて取り上げるようなことではないが、多くの「陳情・請願」にも 反映されている「用語問題」をここでは取り上げる。
削除派は、「従軍」とは「軍属」のことを指し、「従軍慰安婦」は「当時使われて いなかった造語」である、したがって「従軍慰安婦」そのものが存在しない、と論理
を飛躍させ、さらに、だからこれは歴史の歪曲である、と言うまでに至っている。ま た、削除派はあたかも全ての教科書で「従軍慰安婦」と記述されているかのように描
き出しているが、これも誤りである(補助資料参照)。
ところで、「当時使われていなかった」言葉を使用することは、本当にできないの か。では「縄文式土器」や「弥生人」、「前方後円墳」、あるいは「幕藩体制」とか
「安土桃山時代」「江戸時代」などという言葉はどうか。また、聖徳太子(当時は厩 戸皇子と言った)や日蓮宗(そう呼ばれるようになったのは「江戸時代」に入ってか
らである)という「用語」もある。まさか削除派は「聖徳太子」や「日蓮宗」が歴史 の偽造であるなどとは言うまい。歴史学で「当時使われていなかった」言葉を使用す
ることは必要上当然のことである。
ではその上で、「従軍慰安婦」という用語は適切か不適切か。まず右派が主張する 「『従軍』とは『軍属』のこと」とするのは意図的な矮小化である。「軍属」という
用語には明確な定義が与えられているが、例えば「国防用語辞典」(防衛学会編、朝 雲新聞社)には「従軍」という言葉は収録されておらず、右派が主張するような
「『従軍』=『軍属』」という定義は成り立たないし、正しくない。従軍という言葉 は、確かに軍務に属した限定的な部分を指すことにも使用された。しかし「従軍」の
一般的な意味は、多くの各種辞典等では「軍隊に従って戦地に赴くこと」とあり、慰 安婦たちの置かれた状況と何ら矛盾することはない。また、こうした意味からすれ
ば、「従軍」は必ずしも軍務に直接属さない部分を含んでいるものと考えるのが常識 的解釈である。むしろ、日本軍によって慰安所が設置され「慰安婦」が募集・管理さ
れていたという実態からは、広い意味での「従軍」よりも、もっと強く軍の関与のあ る位置にあるとさえ考えることができる。こうした点から、軍の管理のもとに性行為
を強制されたという意味で、国連クマラスワミ報告では軍隊による「性奴隷」という 用語を用いている。その他、多くの研究者や支援グループもこの「性奴隷」あるいは
「軍隊慰安婦」などの用語を提唱している。しかもすでに「従軍慰安婦」という言葉 自体が書物、新聞、いくつかの辞典などで定着しており、これらの歴史的事実関係と
社会的常識のレベルにおける歴史用語として「従軍慰安婦」という用語が教科書に反 映されていると理解することは全く合理的なことであるし、「従軍慰安婦」という用
語が少なくとも実態からかけ離れたものであることを想起させるものではないことは 明らかである。
さらに、この「従軍慰安婦」という言葉が最初に使用されたのは、右派が指摘する ように確かに1973年に発刊された「従軍慰安婦」という著書(千田夏光氏著)である
と考えられている。しかしこの千田氏の著書は、現在アジア各地の駐箚(さつ)大公 使館をはじめ外交出先機関に配備されていて、新たに赴任してきた外交関係者に、こ
れによりアジア各地で旧軍がしてきたことの一部でも知らしめようという目的で必読 書にされているという。それほど、「従軍慰安婦」という用語も、その事実関係も、
アジア諸国や日本の外交部門にとっては「常識」となっているということも強く指摘 しておく。 こうして、削除派の「用語問題」に関する主張は、論理的にも、実体的
にもほとんど根拠のないものであることは明らかであると言える。
「『従軍慰安婦』をとりあげることは、そもそも教育的に意味のないことである。 人間の暗部を早熟的に暴いて見せても、とくに得るところはない」(「論争・近現代
史教育の改革歴史教科書批判運動の提唱」『現代教育科学』96年9月号)とする論調 がある。また、「このような自虐的な歴史観は、子どもたちに希望を与えることはで
きない。」とする主張もある。
たしかに、多くの教師は戸惑っているかもしれない。いったいどのようにして「慰 安婦」問題を子供たちに教えればよいか、特に中学生などに、どのように話しかけれ
ばよいのかという疑問は大きいだろう。その戸惑いに乗じて「自虐的歴史観を教える べきではない」とする主張がされている。しかし性関係に強制やいやがらせや虐待が
あってはならないことを教えるために、そして、女性の、ひいては等しく人間の尊厳 や人権を理解させるためにも、この問題は教えられていく必要がある。現在の中学生
の年齢で慰安婦とさせられた女性もいるのである。何よりも「国際化」時代にあって 若年からそうした海外文化との交流の機会がより多くなってくる今日、歴史事実を認
識しておくことは重要な必要条件である。
また、かつて日本が多数の「慰安婦」を作り出し深刻な被害をアジアに与えたこと を、日本人がいかに記憶し、心にとどめるか、そして将来に向けて再び同じ事を起こ
さないため、つまり再発防止のためにどうすべきかという課題は、歴史教育の本質的 目的の一つでもある。被害者は、再び地獄を見ない権利がある。そうできるか否かの
鍵の一つは教育にあるといってよい。
また、「自国の歴史に誇りと自信を持たせる歴史教育」というが、自国の都合の悪 い事実を歪曲・隠蔽する動きに、どうして「誇り」など持てようか。反省すべき、謝
罪すべきこと、補償すべきことをきちんとおこなって、それを自ら明らかにする歴史 教育こそ、そうした国や教育の姿勢に「希望」や「誇り」を持つことができるように
なるのではないか。
「自虐的」とレッテルを貼ろうと、事実は事実である。今や慰安婦の事実、その強 制性は証明され、その認識は国際的にも共有されたものである。これに目をそむけ続
ける限り、「国際化」時代にあって世界の各地でさまざまな精力的なボランティア活 動や国際交流活動を行なっている青年・若者達の成果を全く水泡に帰すものにしてし
まう危険すらあるのである。
「・・軍隊に召集されるようになった。さらに、朝鮮から70万人、中国からは4万 人もの人々を強制的に連れてきて、工場や鉱山・土木工事などにきびしい条件のもと
で働かせた。朝鮮・台湾にも徴兵制をしき、多くの朝鮮人・中国人が軍隊に入れられ た。また、女性を慰安婦として従軍させ、ひどいあつかいをした。」
「・・多くの人々を強制的に日本へ連行しました。この人たちは、鉱山・軍需工場・ 土建業などで、危険でつらい労働に従事させられました。
これらの地域の出身者のなかには、従軍慰安婦だった人々、広島や長崎にいて原爆 で被爆した人々、戦前日本領だった南樺太に終戦で残留させられた人々などがいま
す。日本のこれらの地域にたいする国家としての賠償は終わっていますが、現在、個 人にたいしての謝罪と補償が求められています。」
「・・生や女学生も動員され、苦しい農作業や危険な機械操作に取り組まされた。植 民地の台湾や朝鮮でも、徴兵が実施された。慰安婦として戦場の軍に随行させられた
女性もいた。国内の労働力が不足していたため、朝鮮から約70万、中国から4万人 の人々が強制連行・・」
「・・また、中国人も4万人ちかく強制連行した。朝鮮人や中国人は、苛酷な労働を 強いられた。1945年、秋田県花岡鉱山で、激しい虐待にたえかねた中国人が蜂起
し、鎮圧された事件がおきた。また、朝鮮や台湾などの女性の中には戦地の慰安施設 で働かされた者もあった。さらに、日本の兵力不足にさいし、朝鮮や台湾の人々に対
しても徴兵制をしき、戦場に動員した。」
「・・朝鮮からは約70万人、中国からも約4万人を強制的に日本へ連行して鉱山な どで働かせました。また朝鮮などの若い女性たちを慰安婦として戦場に連行していま
す。さらに、台湾・朝鮮にも徴兵令をしきました。
「(用語の解説の項で)『戦後補償問題』: 太平洋戦争終決から50年が過ぎても なお、日本はアジアを中心に世界各地から、戦争責任を問われています。従軍慰安婦
や強制連行、日本軍に動員された台湾の人々、国籍による戦後補償の差別などが大き な問題となっています。」
「・・労働力不足を補うため、強制的に日本に連行された約70万人の朝鮮人や、約 4万人の中国人は、炭坑などで重労働に従事させられた。さらに、徴兵制のもとで、
台湾や朝鮮の多くの男性が兵士として戦場に送られた。また、多くの朝鮮人女性など も、従軍慰安婦として戦地に送り出された。」
「『戦後補償問題のゆくえ』: 戦後50年を過ぎた現在、戦争被害の補償を求めるア ジアの人々の声は、今までになく高まっている。そこには、元従軍慰安婦、虐殺や強
制連行・強制労働の被害者などが含まれている。日本政府は、サンフランシスコ平和 条約などのよって、補償問題は解決済みとする姿勢を崩していない。しかし、日本
が、被害者一人一人の対する加害責任をどのようにとっていくかによって、過去の清 算だけでなく、将来、日本がアジアで平和国家として歩んでいけるかどうかが試され
ている。」
「戦争の長期化と中国・朝鮮」の項:「・・しかし、もっとも多くの犠牲を出した のは中国であった。戦闘や強制連行などによって多くの人的被害を出したほか、多く
の経済的被害を出した。
また、国内の労働不足を補うため、多数の朝鮮人や中国人が、強制的に日本に連れ てこられ、工場などで苛酷な労働に従事させられた。従軍慰安婦として強制的に戦場
に送りだされた若い女性も多数いた。」
【この資料に関する問い合わせ】
市民新党にいがた
新潟市真砂1-21-46
電話025-230-6368 FAX025-267-8602
e-mail:nnpp@ppp.bekkoame.or.jp
URL:http://www.bekkoame.or.jp/~nnpp/
12月新潟県議会に対し民間団体が「『従軍慰安婦』は事実と異なる。自虐史観だ。 中学生にこんな事は教えられない」として教科書から削除するよう要求する陳情が提
出された。「自由主義史観」と呼ばれる歴史観に基づく右派勢力などによる一連の全 国運動の一環であり、これはエイズ問題では被害者の側に立った漫画家の小林よしの
り氏なども巻き込んでおこなわれている「教科書偏向」キャンペーンとも軌を一にし たものである。昨秋以来いくつかの地方議会を狙って同様の陳情が提出されており、
県議会レベルでは今回の新潟と岡山、鹿児島が初めてだったようだ。
■市民新党にいがたは63名の議会定数の中で武田貞彦県議1名を抱えるのみで、しか もこの陳情が付託された総務文教委員会には属していない。しかし私たちは考えうる
あらゆる行動を展開した。市民グループ、女性グループ、宗教団体、高教組などの労 働組合、そしてアジア諸国の大使館や報道機関にもこの問題をアナウンスした。さら
にインターネット上の市民運動関係のメーリングリストにもアナウンスし、そこから 間接的にいくつかの団体へも広がって、激励や助言なども寄せられた。
さらに私たちは、インターネット上に公開されている、この問題に関連する多くの ページからデータを収集し、さらに右派側の論理もチェックした。右派勢力の論調は
だいたい以下の点に終始していることもわかった−すなわち、(1)連行時に必ずしも常 に「強制」があったわけではなかった (2)慰安婦は本土にもあった公娼制の範囲内
である (3)「慰安婦集めをした」とした山口県の労務報国会動員部長(当時)の吉田 清治氏の証言はその後の調査で信憑性がない−等である。私たちは、これらの主張に
対して綿密な論証を加えて反駁するために、インターネットで収集した膨大な資料の 中から、「慰安婦」の方々の証言よりむしろ、発見された旧軍の資料、宮沢政権から
現政権に至るまでの歴代政権の公式見解、国連や国際人権組織などの調査報告などを 中心として整理して討論資料を作成し(これがこのページで公開してる討論資料で
す)、そして私たちの意見を付してこの資料を議会内各派に配布した。
さらに私たちはこの問題が中央政治のレベルにおいても自・社・さ連立の歴史認識 に関する合意にも関わる問題だと考え、自民・社民の何人かの国会議員らにも、何ら
かの行動をとってくれるよう要請した。
多くの団体・グループが申し入れ行動などをおこない、市民グループによる集会も 開催された。
■この問題が付託された総務文教委員会では、自民党の某県会議員が「現在の道徳で 過去の道徳を縛ることができるのか」「戦後も残されていた公的な売春、いわゆる公
娼制度の範囲内だ」と発言した。傍聴席からは「売春じゃないぞ」と不規則発言が飛 び、某氏は「売春だ」と強弁し、「あの傍聴人を退場させて下さい。これじゃあきち
んと議論できない」と発言した。
だが、当時のいわゆる「従軍慰安婦」のおかれた状況が一般的な「売春」や「公娼 制度」と比較してもきわめて非人道的なものだったことは上記資料を参照いただけれ
ばわかる通り明白である。あまりに非常識な発言に野次を飛ばしてしまった傍聴人に 退場を迫って「こんなんじゃあ議論できない」と言うより、まず自分できちんと勉強
してからじゃないと、文字通り「きちんと議論できない」のである。報道機関の記者 達もあきれていたほどだ。いやしくも県民の貴重な税金で活動しておられる議員が、
学会の中ではほとんど問題にされない「自由主義史観」の先生方のご教示ばかりを鵜 呑みにして好き勝手に発言していたのでは、取り返しのつかないような恥ずかしい事
態になる、と警告しておきたい。
■自民党以外の全ての会派およびほとんどの無所属議員はこの陳情に対し「不採択」 もしくは「保留」の態度を示し、議会内多数の自民党も「継続」としてとりあえず今
回の議会での採択は見送られることとなった。
(1997年3月記) 市民新党にいがた 中山 均
■経緯と背景
現在の一連の動きは、1955年の第1次、1979〜80年の第2次教科書攻撃を引き継 ぐ「第3次教科書攻撃」というべき性格を持っている。そしてより直接的には、94年
から95年にかけておこなわれた「英霊にこたえる会」の全国キャラバンによって地方 議会を舞台にしたいわゆる「戦争賛美決議」攻撃の形態・手法をそのまま引き継いで
いる。今回も昨年9月から1カ月間、「日本を守る国民会議」による全国キャラバンが おこなわれ、各地で民間右翼団体や自民党地方組織との会合が持たれ、ここで請願・
陳情・意見書などの「雛形」が配布されたものと推測される。実際、各地の陳情・請 願を見るとほとんど同じものがいくつもあり、さらに御丁寧にも議会が決議する「意
見書」の「雛形」まで添付している例(青森県黒石市)などもある。
さらに自民党の右派などの動きを注意深く追ってみると、今回の動きのルーツは93 年、当時の細川首相の「侵略戦争」発言に危機感を持った同党の靖国関係協議会が設
置した「歴史・検討委員会」に求めることができる。この検討委員会は20回以上に及 ぶ内部勉強会などを重ね、これが昨年4月に結成された「『明るい日本』国会議員連
盟」の母体となっている。この「検討会」の第1回会合では、「自民党が表に立って やるとまた変な誤解を生む」「(学者などに)資金その他でバックアップする」こと
などが議論され、アジア諸国の反発ばかりを招く国会議員の「失言」のような形では なく、民間から草の根で包囲していくという戦略を立てた。そして95年には藤岡らの
「自由主義史観研究会」も発足した。藤岡などを中心とする学者・研究者グループや 各地の民間右派団体が今回の表向きの「主役」となっているのは、基本的にこの路線
によるものである。各書店で彼らの書物・刊行物が売り上げ上位を占めるのは、右翼 的に再編されつつある教育現場の教師らを中心としてその支持層が増加していること
を反映しており、このことを過小評価するべきではないが、極めて稚拙で粗雑な彼ら の論理がここまでクローズアップされているのは、こうした政治的背景と豊富な資
金・人脈・組織がその基盤にあることがひとつの要因である。
■日本政府・自民党・保守層の路線と内部矛盾
この教科書問題に関して、政府と自民党は、相互にあるいはそれぞれの内部におい て、当然ながら矛盾を抱えている。日本政府は、防衛庁資料が発見された92年の宮沢
政権当時から、公式に「慰安婦問題」への政府・軍の関与を認め、そうした事実関係 と外交的・経済的理由から、そして現在では社民・さきがけへの配慮もあって、アジ
ア諸国の民衆に対して「謝罪」する立場に立っている。基本的に現在の橋本政権もこ の立場を引き継いでおり、小杉文相は国会でも自民党議員の質問に答えて「適正な記
述である。教科書の記述をかえさせるつもりはない。」と述べ、「新しい歴史教科書 をつくる会」代表の学者・文化人との面会の際にも同様の立場で削除要請を突っぱね
ている。橋本首相も、基本的にはこの小杉文相の立場を支持している。
しかし自民党内部では異論が渦巻いている。前述の「明るい・・議連」は実に衆参 議員116名が参加し、また党内の様々な会合では教科書問題に対する批判がまきおこ
り、文部省担当者を呼びつけて聴取するなど、有形無形の圧力を各所に加えている。 そのような自民党内部の動きに活気づけられ、連動して、右翼団体は教科書会社や執
筆者などへの「街宣」という恫喝を繰り返し、脅迫状を送りつけるなどの卑劣な活動 を続けている。地方の自民党組織は、言うまでもなく今回の一連の陳情・請願の動き
を支持・支援している。
一方、新進党においてはこの問題に対する態度のスペクトルは恐ろしく広い。公式 には現在の政府と同様の立場だが、やはり内部には「正しい歴史を伝える国会議員連
盟」が結成(95年)され、自民党系の「明るい・・・議連」とともに、地方議会での 右派の動きと連動して活動している。新進党内には「平和」路線を掲げる旧公明勢力
もあり、この影響もあって少なくない地方議会では「不採択」派に回っているが、全 体としの対応はバラバラである。今年の1月には自民・新進系のこの「明るい・・議
連」と「正しい・・議連」の2つが連携する方針を打ち出し、この”明るく正しい” 両議連に名前を連ねている衆参議員は合わせて総勢177名、一大勢力と言っていいだ
ろう。
もちろん、自民党組織内部や保守系議員、それに民間保守層たちは「削除派」の一 枚岩で固められているわけではなく、地方においてもその不均一性は見て取れる。そ
れは次の項で述べる。
■地方議会における状況
地方議会への陳情・請願の一連の動きの最初のものは、こちらで把握する限り昨年 の全国キャラバン直後に提出された岡山県の瀬戸町議会・同大原町議会・同北房町議
会のもので、9月議会で既に意見書が採択されている(ただし北房町の意見書は議長判 断で提出されず)。岡山では続いて12月県議会で陳情が「趣旨採択」された。岡山は
橋本首相の地元である。これは遺族会の代表だった橋本の首相としての「立場」を地 元から揺さぶりをかけようとするものでもあるだろう。また新潟県栃尾市も昨年9月か
ら動きがあり、12月議会で早々に意見書が採択され、続いて県議会・新潟市議会に陳 情が提出されたが、新潟は白川勝彦自治大臣の地元(自民党県連会長)であり、やは
り「自治体」を舞台にした右派内部からの攻撃宣言として標的にされた感がある。ま た新潟は、新進党の「正しい・・・議連」会長の小沢辰夫の地元でもある。同様に昨
年12月に陳情が提出された熊本は、右翼勢力の強固な拠点であるとともに、「侵略戦 争」発言をおこなった細川元首相の地元である。こうして見ると、深読みしすぎかも
しれないが、12月段階で県議会レベルで陳情が提出された新潟・岡山・熊本・鹿児島 の各県は、はじめから何らかの理由による狙い撃ちだったのかも知れない。
また、県議会よりも市町村議会の自民党・保守系組織の方が、より「攻撃的」であ り、陳情・請願の採択は市町村議会の方が多い。陳情・請願の結果、政府への意見書
がこれまで採択されたのは、上記岡山3町(うち1町は提出せず)と新潟県栃尾市の 他、青森県金木町議会、同柏村議会、同黒石市議会、山形県南陽市議会、京都府加茂
町議会である。県議会レベルではまだひとつも意見書は採択されていない。岡山県議 会の陳情は「趣旨採択」されたが、賛成は多数とは言え自民党会派のみで、自民内部
でも慎重論が出され、新進などを含め他の5会派は反対、陳情が要求する「文部大臣へ の意見書」は結局見送られている。同様に、採択までした意見書の提出を見送った例
(岡山県北房町議会)、請願そのものが取り下げられた例(熊本市議会)、あるいは 保守グループ内部(特に女性層)からの批判や市民団体の迅速な行動で陳情・請願自
体がとりやめになった例(新潟県上越市議会、東京都北区)などもある。
陳情・請願を行なっている団体は各地域で多様であり、文書の内容も「雛形」があ ると類推されるとはいえ、一定の幅といくつかの類型、力点の置き方の違いがあるよ
うだ。新潟県・新潟市への陳情は、それぞれ高等教育・中等教育に関わる民間の右派 教育団体によるもので、岡山県のもの遺族会をはじめとして数十の団体が名前を連
ね、陳情の内容も「従軍慰安婦」にとどまらず「南京大虐殺」や「三光作戦」などに 言及している。青森県の4市町村は全て「日本世論の会青森県支部」によるもので、県
内自治体に手当たり次第攻勢をかけているようだ。削除を求める文書が2つの団体から 別個に提出されている例(鹿児島県・山形県米沢市)もある。また、「夫婦別姓」反
対とセットで提出されているところも(鹿児島県など)ある。陳情・請願を経ずに議 員発議でただちに採決・採択された例(京都府加茂町、8対7で可決)などもある。
さらに、いくつかの地域では、陳情・請願をおこなっている団体があまりにも右翼 ゴロツキ集団の色彩が強いために、保守層自身が一定の距離を置こうという意志も働
いていると思われる動きもある。例えば今年2月、鹿児島県琴海町の陳情が同町議会の 委員会で全会一致で「不採択」となったが、この陳情をおこなったのは、「天皇の戦
争責任はあると思う」と発言した本島等前長崎市長に短銃の実弾入りの脅迫状を送っ た人物である。彼は現在長崎県教育問題協議会代表で、地元でも日頃から右翼的言動
や市民運動に対するいやがらせ常習犯として有名で、「産経新聞」(96年12月6日 付)によれば、鹿児島や新潟の陳情はこの人物の呼びかけに「応えた」のだそうだ。
現在の全国的な「陳情・請願」運動の主唱者のひとりであるわけだが、その地元で 「全会一致で不採択」という「不名誉な」事態がおこったことは注目しておくべきだ
ろう。「こういう人間の陳情にはやすやすと応じられない」という空気が保守層にも あったのかもしれない。 他にも保守系の強い市町村で、このような力学も働いてか、
いくつかの陳情・請願が不採択となっている(鹿児島県市来町議会では12月に「不採 択」が決定済み。青森県中里町議会では12月議会で継続審議になっていたが、2月議
会の民生文教委員会で「不採択」)。
これらの「見送り」や「不採択」の動きは、政府の立場や世論、周辺諸国との関係 に「配慮」したものであり、自民党や保守層内部の意見の相違の表現であると同時
に、言うまでもなく当該の地域や全国の仲間達の粘り強い抗議・申し入れ活動の成果 でもある。岡山県や琴海町などでは地元市民グループの呼びかけによって自民党議員
団や議会事務局宛に抗議のFAXが山ほど届けられたという。熊本市、東京都北区、新 潟県上越市などは迅速で大衆的な行動が、「取り下げ」や「見送り」を勝ち取った。
私たちの地元新潟県議会では、わが市民新党にいがたは63名の議会定数のうち県議1 名を抱えるのみで、しかもこの陳情が付託された総務文教委員会には属していなかっ
たが、考えうるあらゆる行動を展開し、12月当初、いち早く市民グループ・女性グ ループ・宗教団体・労働組合、そしてアジア諸国の大使館や報道機関、そして国会議
員にもこの問題をアナウンスし、何らかの行動を取ってくれるよう要請した。さらに インターネットを活用してこの問題に関わる主要な論争点について明確かつ冷静に整
理した「討論資料」を作成し、そしてこれを議会内各派に配布した。この討論資料は 議会内外で重要な武器となり、自民党にとっても私たちの冷静で断固とした反論の論
理として受けとめられたことは間違いない(現在、この「討論資料」はインターネッ トやパソコン通信を介して全国で活用されており、地元の自民党議員達も、あらため
てこれをインターネットからダウンロードして、反論と対策を練っているようだ)。 こうして、多くの団体・グループが申し入れ行動や集会をおこない、自民党と1人の保
守系無所属を除く全ての会派と他の無所属議員がこの陳情に対し「不採択」もしくは 「保留」の態度を示し、結局12月議会で採択は見送られ「継続」扱いとなった。この
他、熊本・鹿児島・福井の各県、富山県高岡市、新潟県新潟市などの各議会における 「継続」の結果も、それぞれの地域の市民グループの様々な奮闘の結果であり、その
ような奮闘は今議会を攻防の舞台にして、今もなお引き続きおこなわれている。
一方最初のいくつかの突破口を開けた右派は、この攻防の様子を見ながら、今年の2 月・3月議会になって、東京都、秋田・福島・栃木・神奈川・長崎・香川などの各県
、横浜と山形県米沢の両市、そして東京都江東区などで一斉に「陳情・請願」の攻勢 をかけている。おそらく、我々がフォローしきれていない自治体、特に町村レベルで
はこの他にもあるだろう。ただ12月段階では市町村議会に比重がかけられていたの が、ここにきて一気に各地の都・県レベルで動き出してきたことには注意を払わなけ
ればならない。都道府県の次は、当然にも国である。現在、各地の市民グループは互 いに連絡を取ってニュースなどを発行し、反撃を続けている。集会や署名活動、ある
いは右派の陳情請願を採択しないよう要望する請願活動なども各地で取り組まれ、教 科書問題に関するいくつかのホームページも開設されて、インターネットを利用して
活発な議論や情報交換が行なわれている。
■「従軍慰安婦」問題と教科書攻撃の根幹にあるもの
私たち「市民新党にいがた」は、前述のように右派の論理に対して、ともすれば丁 寧すぎるくらいに綿密に反論するための討論資料を作成した。これは多くのグループ
から「論理的に構成されていて、説得力がある」などと評価され、内容の更新の作業 も重ね、右派の稚拙な論理を打ち破るに充分な内容であると自負している。私たち
は、こうした具体的な反論・反証の作業を怠ることなく、そして同時に、この教科書 攻撃と「従軍慰安婦」問題が私たちに突きつけている問題についてより深く考える必
要があると認識している。
ひとつには、「従軍慰安婦」問題と、女性やこどもに対する現在の買春・性的虐待 などは同じルーツを持っているということである。「慰安所」は軍中枢の命令によっ
て設置され、軍部によって管理・運営され、兵士はそこでシステム上許されたレイプ をおこなった。戦後の日本は、そうした侵略戦争の総括・謝罪・賠償・補償が全く不
十分なまま出発し現在に至った。そして今、日本社会は、性的虐待に対して女性やこ どもを守るための法的・社会的整備が一向に進まない国として、国際機関やNGOから
名指しで非難されており、「売春防止法」を見ても、女性に対するさまざまな性的被 害に対する司法の対応を見ても、性的暴力であるポルノグラフィに対する法的・社会
的な対応・認識から言っても、ほとんど「強姦」がシステム上許されている国であ る。そういう社会環境の中で育ち、経済的侵略とともにアジア各国に進出した背広を
着た日本の多くのビジネス兵士達が、国内外で、より弱い社会のより弱い存在を虐待 しレイプし続けているのが現在の状況であり、これは構造的には「従軍慰安婦」問題
とほとんど変わることがない。「従軍慰安婦」問題は、「過去の悲惨な」歴史や「歴 史認識」の問題としてばかりではなく、今も私たちの社会に生き続けている問題とし
て語られなければならない。真の謝罪と賠償・補償から目をそむけ、こうした右派の 動きを許しているこの日本社会は、今もなお心身に癒しがたい傷跡を抱えながら生き
ている「慰安婦」たちを、そしてアジアの女性やこどもたちを今、二重三重にレイプ し続けているのだという事を、深く認識しなければならない。
2つめに、ここで敢えて私たちの問題意識から言わせてもらえば、地方議会でこう した「陳情・請願」が採択されるかどうかは、各地の仲間達の粘り強い奮闘と努力と
いう要素を別にすれば、基本的には自民党が圧倒的多数を占める現議会の「方程式の 結果」でもある。地方においても国においても、議会という場は、この教科書問題の
ような「運動的課題」ばかりでなく、私たちの身の回りの道路、水道、税金や年金、 福祉政策、公共事業などおよそ私たちが生きていく上で関係のあるさまざまな事が決
められているか、あるいは少なくとも「決められている」ことになっている。議会と いうプロセスを通して、労働者から資本の、地方から中央の、そして第3世界から多
国籍企業の「収奪」システムのかなり重要な基本的・具体的構造を決定する手続きが 行なわれ、そこに財界・政治家・官僚の癒着構造が離れ難く結びついている。そうし
た構造自体が、普通に暮らす人々を疎外し、一方人々はそのような巨大な癒着構造に 嫌気をさして、ますます「政治」そのものから遠ざかっていく。それは運動領域に関
わる人々も例外ではない場合が少なくない。私たちは、そうした社会構造総体に対し て全体的に立ち向かう市民として−つまり、この社会システムをトータルにとらえ、
ひとつひとつの具体的な問題に取り組みながら、地域を、国を、そして国際社会を変 革しようとする自立した主体として−存在し続けたい。そしてそうした主体が政治勢
力となって各地で登場し、さらにその連携を作り出していくことが私たちの目指すと ころでもある。何より、右派の攻撃は「従軍慰安婦」にとどまらず、近現代史全体の
記述を「明るく」描き出すことが目的だと自分たちで言ってはばからない。それはさ らに言えば、現在非常に戯画的な形で突き出されてはいるけれども、この国の支配層
の全体戦略の一部の表現でもある。具体的な反論・反撃を重ね私たち自身の理論的中 身を充実させながら、同時にトータルな政治・社会構造にも立ち向かっていくような
政治主体を形成していこう、と私たちは呼びかけ続けていきたい。
(工事中)