2007年南京大虐殺70年東京証言集会報告から
講演「被害と加害の証言から見えてくるもの」−内海愛子さん
加害証言と被害証言から、南京大虐殺を描いた「閉ざされた記憶」の上映と証言をうけ、「被害と加害の証言から見えてくるもの」というテーマで内海愛子さんの講演。
内海さんは、被害者と加害者の証言を比較し、被害者の証言がいつも具体的で非常に細部にわたり、怒りと悲しみの感情をもって、自らかの体験を話されるのに対し、加害者の証言は、どこか抽象化されている。このフィルムに出てくる日本兵たちは、自分のやったことがまだ見えていない。「この人たちが、自分たちが戦場で悪魔になった、その悪魔になった自分をどうやってとり戻していくのか」と問いかけた。
中国帰還者連絡会の湯浅さん(元軍医)が、悪魔になった兵士から自分を取り戻していく例を紹介しながらも、加害者が自らの加害体験を語ることは本当に難しいと語る。そして、「おふたりの証言を伺って、いかに日本兵が『悪魔』という表現がぴったりするような行為を犯したかがよく見えてきます。しかし、彼らは特別な日本人ではない。ひとりの普通の市民が戦場に出れば、誰でも同じようなことをやるんです。どんなにきれいなことを言っても、戦場では同じようなことが起こる。ベトナム戦争でもそうですよね。私たちはソンミの虐殺を知っています。中帰連の湯浅さんに、私の教えている学生たちに話してもらったときの最後のメッセージは、『どんなことがあっても戦争だけはしてはいけない』でした。『私が悪魔になっただけではなく、これから戦場に駆り出されていく人たちも同じように悪魔になる』ということを訴えていました。」
続いて、内海さんはかつて、韓国の民主化闘争の活動家で、クリスチャンアカデミー事件でつかまって、後に、韓国で最初の女性の国務大臣となった韓明淑さんから、「日本人はなぜ、ここまで加害者意識が希薄なんですか。」と問いかけられたことを紹介し、私たち自身が、運動のなかでいつも身につまされている、この問題を切開していく。
確かに東京裁判で、中国侵略と南京大虐殺をもって、A級戦犯が裁かれたが、「しかし、食うに精一杯だった当事は、東京裁判で何を裁いていたのか、日常的に追いかけることはほとんどなかった」のが、日本の現状であり、さらにA級戦犯7人が処刑された1948年12月23日の翌日、「岸信介ら、本来ならば第二次東京裁判として裁かれる人たちが全員無罪釈放されています。これで日本の軍人、そして政治家から、侵略戦争を指導した人々を裁く裁判は事実上終わります。」と語った。
これはなぜか。内海さんはそこに「冷戦の激化」があったと指摘する。他方、内海さんは、横浜法廷では、アメリカの第8軍により、334件とも言われるBC級戦犯が裁かれたが、それはすべて連合国の捕虜虐待についてであり、「今日の証言のような中国で何をしたのか、そして日本がアジアで何をしたのかということが、戦争裁判のその中の認識からも落ちていった。」とも指摘した。逆に、巣鴨プリズンに収容されていた戦犯の兵士たち自身から「あの戦争はやはり侵略だった、という結論にいたるんですね。じゃあ自分たちのこの戦争体験を将来に生かして、平和を作るために何ができるのか、ということを彼らは議論して自分たちが中国で何をしたのか、一人一人の兵士が自分の体験をきちっと書くことだ、というふうに彼らは考えました。そして巣鴨プリズンの中で、この人たちは、ある時は匿名で、ある時は小説の形を借りて、戦争体験を記録していきます。それがあの『壁厚き部屋』とか『あれから7年』とか、こういう文書として刊行されるんですね。それと同時に、日本が独立した後、巣鴨プリズンは日本に移管されますが、そのことにより、彼らはかなり出入りが自由になるんです。そして外の平和運動に向かって一生懸命メッセージを出す。侵略戦争で自分たちは兵士として戦犯になった。そのことに対して、これを踏まえて再軍備反対の声を出す。しかし、当時の日本社会の受け止め方は、戦犯というものはA級もB級もいっしょくたにとらえられて、彼らの巣鴨の中の平和運動は、ほとんど広がりがないままに結局終結していきます。」
恥ずかしながら、私も初めて聞く歴史事実だった。撫順や太原の戦犯管理所に収容されていた元兵士たちが自分を取り戻そうとしていた、苦悶にみちた営為が、なんと巣鴨プリズンでも行われていたのだ。巣鴨プリズンの元兵士たちのメッセージが、日本の反戦平和運動のなかに浸透していかなかったそのなかに、私たちが深刻に総括すべき一つの問題があるように思う。
そして1952年、日本が独立すると、戦犯釈放の国民運動が起こり、B・C級戦犯兵士たちが巣鴨プリズンから出所する。戦犯として処刑された兵士たちは「公務死」とされ、靖国神社に合祀されるという流れができてしまったと指摘し、「私たちの戦争への加担を含めた、戦争指導者の責任を追及するという大きな動きを作れなかった。」と現在の靖国問題とのつながりをひもとく。
内海さんは、「加害者の証言は、隔靴掻痒で何かが語られていない、その語られていないのは何かということを、被害者証言のなかで考える。そして、同時に歴史の事実がどうだったのかを記録しながら平和運動をやる。私は、韓国の問題や東南アジアの問題に関心があって戦後補償運動に関わっていますが、この20年間、いろんな方がいろんな形で関わっている戦後補償裁判のなかで、今まで十分に問われてこなかった日本の侵略、占領、支配の実態が被害者の証言をもって、語られ始めたと考えています。そこで積み上げられた証言と証拠を次の世代に残していく。このことが私たちの課題だと思います。このノーモア南京の会もこの記録をずっと残す作業を続けていると思います。ノーモア南京・ノーモア広島という言葉がありますが、巣鴨プリズンに拘留されていた人たちは、「ノーモア巣鴨」という言葉を使っていました。田中宏さんが先ほど、しこしこ、こつこつやっていきましょうと言いました。けれど、一挙にというよりは、この集会も、日の丸・君が代で闘っている先生方の運動もそうですが、このような活動を今後も続けていきましょう。これは私たちにできることだと思いますので、これからも皆さん是非活動していってください。」と結んだ。