津田道夫
日の丸はデザイン的には美しい、しかし強制はゴメンだといわれる。 強制ゴメンはいうまでもない。 しかし、日の丸は美しいか。 私には美しいとは思えない。 美醜の問題は、或る対象物件に、 歴史認識にかんするどういう積み重ねが刻印されているかによるからである。
当時の子どもは、いまとちがって、遊びながらも、三三五五道を行きながらも、 よく歌を歌った。 世にいう「支那事変」勃発以後は、調子のいい戦時歌謡が一世を風靡した。 そのいくつかを歌詞の一部のみ紹介してみる。
♪土も草木も火と燃える/果でなき曠野踏みわけて/進む日の丸鉄かぶと・・・ (露営の歌、1937〈昭12〉年)
♪母の背中に小(ち)さい手で/振ったあの日の日の丸の・・・ (日の丸行進曲、1938年)
♪翼に日の丸乗組は/大和魂の持主だ・・・ (荒鷲の歌、1938年)
♪お前の背(せな)に日の丸を/立てて入城この凱歌・・・ (愛馬行進曲、1939年)
♪あああの顔であの声で/手柄たのむと妻や子が/ちぎれる程に振った旗、/ 遠い雲間にまた浮かぶ(暁に祈る、1940年)
そして何といっても極め付きは、「わが大君に召されたる」と歌いだされる
「出征兵士を送る歌」(39年)であった。
第6連の全体を左にとりだしておく。
♪祖父の血潮に色映ゆる/国の誉れの日の丸を/世紀の空に燦然と/
揚げて築けや新アジア/いざ征(ゆ)けつわもの日本男児!
(下線はすべて引用者)
これが全国的に大ヒット。 出征兵士を送るに際してつねに歌われた。 以上何れも日の丸が歌いこまれている。 何れも41年12月8日以前のものからの引用にすぎない。
或る記者は書いている。
「必要あって『日の丸』と軍歌・軍国歌謡の関係を調査して、
予期していたとはいえ、やはりおどろいた。
戦中によく歌われた歌曲から無作為に抽出した百十九曲のうち、歌詞に日の丸、
日章旗(日の御旗)が含まれるものが20曲。
同一曲で2回以上歌われるものもあるので延べ回数にすれば24回におよんだ」
(『赤旗』99年9月10日)。
私は昨99年11月14日、 所用あって優れたドキュメンタリー作家である土本典昭監督を訪問したが、 その際、 38(昭13)年につくられた「南京」という戦争記録映画を見せてもらった。 いうまでもなく当時の軍部の意に添うた作品である。 万才、万才と南京城城壁の上で日の丸を揚げる日本軍の映像も去ることながら、 それ以上に私のこころをとらえたのは、 占領下南京の中国人大衆が腕に日の丸の腕章をつけ、しかも、 それが如何にも急ごしらえのごとく、 梅干のようにみすぼらしい日の丸だったことである。 38年1月になると、 高冠吾(こうかんご)を代表とする日本の傀儡南京政府ができるが、 その庁舎上に翻る日章旗がまた、白地に梅干のような代物なのである。 この見ずぼらしい日の丸が何を意味するのか。 それは日本軍占領下ゆえの止むを得ざる日の丸であり、 南京人民の自発性などによるとは、どうしても考えられないのだ。
ついでに言っておけば、その画面に映し出 される南京市街は、 いま右派歴史修正主義者が市街の破壊を なるべく小さく画きださそうとしているにも拘らず、 ほとんど廃墟というに等しいものであった。
また、南京大虐殺記念館の朱成山館長は、朝日新聞記者に、 国旗・国歌の問題は「日本人が決めることだが、 日の丸が南京の人々を殺したと我々は思っている」と語ったという (朝日、99・8・14朝刊)。 朱館長は「内政干渉」に至らぬよう慎重に言葉を選んでいるが、 ここには中国人の本音が現れている。 因みに朱館長の祖父も南京大虐殺の体験者である。 つまり朱成山が、「日の丸が南京の人々を殺した」というとき、 それは前引「出征兵士送る歌」「揚げて築けや新アジア」とそのまま対応している。 「揚げて築けや」と呼びかけられる「新アジア」とは、 天皇制日本国家を盟主とする「東亜新秩序」以外にないのである。
日の丸にかんして歴史的につくりだされた私のイメージは、凡そ以上のごとくである。 私は一日本人として、日の丸を掲げたり、これに敬礼したりすることはしない。 それは私の思想・信条の自由にかんする問題である。
結局、この問題は連邦最高裁で争われたが、国旗制定記念日の43年6月14日、 国旗への敬礼強制は「憲法で定められた地方当局の権限」を超えており、 国民の良心の自由を犯すものであり、合衆国憲法に違反するものであると断罪された。 今日、米国の権威ある司法解説書のひとつ、 『オックスフォード・コンパニオン・米国の最高裁判所』(92年)は、 この判決文を「米国の基本的な法律と歴史のなかでもっとも偉大な声明の一つ」 とたたえ、「バーネット事件の真の遺産は、 法律学上よりも自由の原則をまもったことの方が大きい」と指摘しているという。
ここで考えなければならぬのは、戦争が始まり、 米国人一般がいささかクレージーになっていたときの、 つまり戦時下であるにも拘らずの判決だったということである。 だが、戦時下であるにも拘らずの判決は、 戦時下であったが故にこそ殊更に尊いといわねばならぬであろう。 つまり、法律で制定された米国国旗への敬礼いかんの問題よりも、 憲法で保障された個人の思想・信条の自由の問題のほうが優先するというのである。
このことは、国旗としての日章旗にたいする態度の問題と、 主権在民の原則を宜明した日本国憲法第十九条の思想・良心の自由の問題と、 どちらが憲法論的・思想論的に優先するかという選択の問題と重なり、 人類普遍の原理ともなってきている。
スポーツの国際試合などで、日本選手が優勝したさいなど、君が代が吹奏され、 日の丸が掲揚されるのを見たくない。 21世紀は、スポーツと国家を切り離すべきときにきている。 それは、「諸国家の体系」の世紀から、 人類と個人の世紀に転換させられなければならない。
日の丸が国旗として法制化されたということは、 その法律をかえるたたかいが提起されたということでもある。 このことを、はっきりと自覚したい。 ということは、 いまこそ国民的論議がなされなければならぬということでもある。
卒業式や入学式も近づいている。 大いに議論が望ましい。 一人一人が、理性的に判断するのと併せて、 事に当っては柔軟に対処するべき時期に来ている。
以上は、私の個人的見解であり、 どのようなグループをも組織をも代弁するものではない。 ただ、 このような問題提起の機会を与えてくれた月刊『人権と教育』の編集部に感謝する。 批判をもふくめた皆さんの討論を切望したい。 (2000年2月11日)
「人権と教育」編集部のご厚意により再録させて頂きました。