「人権と教育」月刊308号(1999.7.20)
中国紀行印象記・3

北京、併せて
産経新聞の記事(99・6・2)にこたえる

津田道夫


話が前後する。 北京空港に着いたのは4月9日20時頃(中国時間)であった。 中国抗日戦争史学会の呉廣義氏その他が出迎えてくれる。 呉氏は、私より頭一つ分ほども長身の学者肌の人で、 足かけ3日間の北京滞在中、私たちのホスト役をしてくれた。
ここでもハードスケジュールで街をゆっくりブラつくなんてことはできない。 ただ、各種催し物の会場への行き帰り、 クルマのなかから街区を眺めることができただけだ。 私はクルマの左側に陣どり街の風景に目を凝らした。 北京の街は後から行った南京に比べ、空気がかなり乾燥していて、 薄い黄褐色ににごったような感じである。 クルマの排ガスの故か。 四月中旬、ここではまだ街路樹の芽吹きは始まっていない。 大通りの両側の落葉した裸木に、 大きな大きなマリモみたいな形の鶴の巣が散見される。 アパートかマンションと覚しき新築された建物の合間に、 粗末な一戸建ての民家が散在しているのだが、 それが全体として北京市の変貌を象徴しているのでもあろう。 ちょっと東京の60年代を思わせる。 と、同行の西村秀樹が「津田さん、右が天安門広場ですよ」と教えてくれる。 途端、右に首をまわすと、あったあった、テレビや写真でおなじみの、 紛う方ない天安門広場である。 だが一瞬の間に通過。 クルマの中からでは、何か天安門広場の模型を眺めるような感じだ。
夕景、街をクルマで通ると、場所により道路端に無数の屋台が出ていて、 市民が三々五々、大きめの串焼きのようなものを食ったりしている。 ああ、こういうところで飲んだり食ったりしたいな、とは思うものの、 今回の訪中では時間的に到底無理とあきらめざるをえない。

産経記事に利用された水谷らの発言

なか1日おいて4月11日午前中は、 中央テレビの人気番組「実話実説」という番組の録画どりがあった。 少し整理しすぎた嫌いはあるが、日本でいえばトーク・ショーみたいなもので、 東史郎をはじめ日本側6人、中国側の学者6人がパネリストとして出演、 まん中にキャスターがいて司会をし、われわれと向い合う位置に、 視聴者代表というのであろうか、百人弱が招待されて来ていた。
この番組は編集されて4月18日、25日の両日、 2回に分けて放映されたらしい。 「らしい」というのは、私は、産経新聞6月2日号の記事で、 初めて知ったからである。
産経新聞(6・2)は第4面全体にわたって、 「東史郎氏は中国で何を語ったか」「歴史認識日中間の断層露呈」 「『事件』への一方的な姿勢」などの記事をかかげ、 併せて在北京・古森義久記者の「東氏を英雄扱い」 「中国の政治的意図明らかに」という解説をも掲載した。 この記事・解説は、東の、『わが南京プラトーン』の1箇所の記述をめぐって、 偕行社その他にそそのかされて東の元「戦友」橋本光治が起した 名誉棄損をめぐる裁判で、 東側敗訴(東京高裁・98・12・22)になった事実をとらえて、 南京大虐殺を無化しようとの意図で際だつ極めて意図的なもので、 産経ならではと思われるものであった。 特徴的なのは、当番組の討論のなかで、 北京の人民大学に留学している水谷尚子と堀地明という日本人学生が、 東の証言を極力貶しめ、私、津田道夫の発言などにも言及、 中傷的発言を繰り返していたが、産経記者は、鬼の首でもとったかにこれを扱い、 南京事件=無化工作に最大限利用していることである。 そのことで水谷尚子らは、 南京事件=まぼろし化キャンペーンの片棒をかつがされるという、 ”光栄ある”役回りを演じさせられた。 とくに水谷は、後から古森記者のインタビューにも応じ、 東史郎を中傷する発言もしているのだ。
ここでは「実話実説」での討論の流れの全体を紹介するゆとりはないので、 産経記事への最小限の反論をふくめ、水谷らの発言のデマゴギー性を暴露しておく。 (その際、私はビデオを見る機会にまだ恵まれていないので、 右産経記事と、私のメモ・記憶を素材とする以外にない)。

「同じ日本人として」という言い方

東や山内小夜子、私などの発言を一通り終え、 視聴者代表との討論みたいな形になった。 中国人の視聴者代表とのやりとりの後、先述水谷尚子が、 日本での裁判の結果を中国にきて批判するような言動はおかしいという趣旨の発言をし、 「東さんは裁判でも自分のしたこと、見たこと、 聞いたことの3つがあいまいな点が問題だとされた。 また、自分を批判する人たちを右翼、右翼というが、 実際には日本側で日中友好に努める人や抗日戦争を研究する人、 社会運動家なども(東氏の主張を)非常に批判的にみているのをどう思うか」 とおらんでみせた。 だが、東(ないし私たち)は、東史郎=南京事件裁判について、 それが民事という形式をかりた政治裁判にほかならぬゆえんを、 日本国内でも可能な限り暴露してきた。 被害国である中国に来て、その同じことを公然と語るのが、どうして悪いというのか。 同じことを語らなければ、 むしろ日本人民をも中国人民をも謀る(たばかる)ことになると思うのだが、 いかがか。
日本で「日中友好に努める人や抗日戦争を研究する人」の一部に 東日記の信憑性に疑問を投げかける人がいるのを、私も知らぬではない。 だが、それは公然たる討論の場で−−しかも共通の土俵を設定したうえで−− 問題にされるべきことを提案しておきたい。 東には、「批判はその人の自由だ。 人の口を私がとめるわけにはいかない」としか答えられなかったのは、 まことに宜なるかなというほかない。 なお水谷は、東の主張は自分も「判決文を読んでいるので存じている」というのだが、 この段階で水谷が判決文を読んでいたというのは殆ど信じられない。 東訪中団の幹事をしてくれていた山内小夜子が、録画終了後、 水谷尚子に確かめたところ、彼女はシドロモドロであったことでも、 それは明らかである。 それに何の調査もなしに私、津田道夫を、 赤旗記者だったなどときめつけていたことにも、 水谷のデマゴギストとしての本質が露呈されていた。 日本の歴史学者からも批判がでているというなら、 どこがどうおかしいかを具体的に明示して討論するのでなければ、 その発言は誹誇・中傷に終るということなどに、 水谷はいっさい気づかないらしいのだ。
録画中の討論に戻す。 水谷は、私の発言にも非難をむけてきた。 「津田さんらは日本の若者が南京虐殺を知らないとか、教わらないとかと述べたが、 日本の国民や若者を十把ひとからげにするのは困る。 いまの日本では高校の教科書でもほとんど、南京大虐殺について記述をしている。 南京大虐殺を若者が知らないわけがない。 十把ひとからげ的な表現を国外でされると、同じ日本人として迷惑だ。 宣伝めいた誤った印象を外国に与える発言は慎んでほしい」と。
「東日記」=インチキ説など、「宣伝めいた誤った印象」を与えたのは、 水谷のほうか私のほうか。 だいたい「同じ日本人として」などといってもらいたくない。 私は確かに日本人だ。 しかし「同じ日本人」のなかにも南京大虐殺一つについてすら、デッチ上げ説から、 殺害者数をめぐるさまざまな説をなすものまでがいて一定しない。 他人の発言に対し、「同じ日本人として迷惑だ」などというのは、 そこに新しい国家主義の一粒すら感じられる。 そのうえでいうのだが、産経新聞記事は、 私の回答をわざわざ矮小化して伝えているので、水谷にたいする津田発言の要旨を、 私なりに再現しておく。 私は南京大虐殺について自分の問題として考え行動している 少数の日本人の存在を否定したことはない。 そのうえで、大量現象としては戦争の記憶、 とくに後ろめたい記憶は認識内面の無意識部分に心理的に抑圧して、 戦後的な日常を生きてきたものが大部分であり、 そうした戦後的偸安(とうあん)のなかで、戦後生まれの人びとも、 この問題を己れの問題として対象化しえなかったが故にこそ、今日、 大虐殺=まぼろし化キャンペーンが巾をきかせる余地がひらけていると、そう述べた。
さらに、いまの高校教科書は、みな南京大虐殺について記述しているから、 南京虐殺を若者が知らぬ訳がないなどといういい方は、 済度し難い短絡思考というほかない。 しかも、文部省が止むを得ず規範化した「近隣国条項」にもとづいて、 教科書に数行の記述があるからといって、 それが実際の教育実態を反映しているなどとは殆ど考えられない。 (教科書にどんな記述があるかについては別に論ずる)。
なお、水谷といっしょに出席していた堀地明は、中国人の側が、 「30万人が虐殺されたと(学校で)教えるのか」「30万殺害を認めるか」 (カッコ内は津田)と言ったのに対して、「何人が殺されたかは根拠が不明で、 わからない」と答える始末。 これにたいする私の発言も、産経記事では全く戯画化されている。 私は、日本にも30万説、20万説、1万6千説、 南京大虐殺は全くのデッチ上げだとする説などさまざまあって、 被虐殺者数の最終的特定はなお出来ていない、 とすれば被害者側の中国が主張する30万という数字を、 さしあたりは出発点として議論する以外にないのではないかと、 加害国民の一員としての当然の衿持を語ったのだ。 それを「何人が殺されたかは根拠が不明で、わからない」などというのは、 一方的な被害国民である中国人民の感情にたいして、 人間的想像力が全く及ばない言い分としかいいようがない。 事実問題としても、南京大学教授の高興祖は 「中国侵略日本軍による南京大虐殺の残虐行為の真相」(97年7月)という論稿で、 「被害総数30万人以上」説を実証的に明らかにしていることも付言しておく。

国家権力と結託したジャーナリズム

さて、右産経記事は、最後のところで、 北京の日本大使館ではこの「実話実説」をビデオにとり、 詳しい内容を外務省に報告したと、 全体の記事の流れからは凡そ無関係なことを述べている。 これは端的にいって、中国に来たら、”発言に気をつけろ”という威しではないか。 そして、同大使館は「三権分立の日本の司法判断を政治的と非難することや、 高裁判決が南京事件自体を否定したと断じることは事実に反し、 日中友好を損なう」と批判しているとも付記している。 三権分立の建前の陰で戦後どれだけの政治裁判がやられて来たか (例、狭山事件裁判)、いまいちいちその具体にふれるゆとりはない。 日中友好を損っているのは、ごく最近のものでは石原慎太郎の妄言であるか、 東史郎の発言であるか、言うも愚かであろう。 また、古森記者の署名のある解説記事では、今回の東のテレビ出演が、 中国の政治的意図に沿うもので、「この点、 北京の日本大使館も懸念を表明している」と書いている。
これとは別に、『週刊新潮』99年6月24日号は、 「中国でヒーロー『南京大虐殺』を叫ぶ元日本兵」という記事で、 「東氏の発言をもとに、中国側は”南京大虐殺”はあったと大々的に宣伝するので、 北京の日本大使館は対応に苦慮しているんですよ」という「現地特派員」 の言葉を冒頭で紹介している。 私たちは、日本大使館の「懸念」や「苦慮」など、 いっさい関係なく今後も同じ発言を繰り返して行く。 いったい、国家権力の意向を気にかけて、 市民社会における偏見なき自由な発言が可能だとでも思っているのか。 産経新聞記者や「現地特派員」は、国家権力をカサに着て、 東や私たちの言動を誹謗・中傷してみせた。 本来、その在野精神で際だち社会の木鐸たるべきジャーナリストとして、 風上に置けぬ所業としかいいようがない。 もっとも、ここに産経新聞の地金が露呈させられたといえば、それまでであるが。 とはいえ、この種の国家権力をカサに着た威しは、 自由なる言論活動にとってはコケ威しでしかない。(99・6・28)


「人権と教育」編集部のご厚意により再録させて頂きました。


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