南京大虐殺76カ年 証言を聞く2013年東京集会
-- もう二度と虐殺をくりかえさないために --
日時:12月14日(土)午後1時半から5時半
幸存者証言:王津さん(82歳、女性、南京市)
講演:山田昭次さん(「関東大震災朝鮮人虐殺の国家責任を問う会」共同代表)
王津さんは1931年9月12日生まれ。その当時からずっと南京中華門外南珍珠巷676号、堀から歩いて2,3分の所に住んでいる。
1937年12月13日、日本兵が雨花台の方からやって来た。翌日の朝目覚めたら、辺りの様子がすっかり変わっていた。隣近所のおじさんたちが服は焼かれ裸に近い状態で、数人亡くなっているのが見えた。14日の10時ごろ日本軍が再びやって来て、父親と劉志峰おじさんの二人が連行された。後に、劉おじさんから父親が殺された話しを聞いた。一回日本兵に見つかった。強姦の噂もあるから怖かった。まだ30代だった母は私を抱っこして逃げた。肩越しに後ろを見ている私に「日本兵はまだ来ているか?」と聞きながら走って逃げた。その当時中華門では兵隊もたくさんの普通の人も殺されていて、家の近くに在った防空壕も死体がいっぱい詰まっていで、死体収集の時には凄い腐敗の臭いがした。
講演:山田昭次さん
『関東大震災時朝鮮人虐殺とその後90年−虐殺の国家責任と民衆責任をめぐって−』
今年は南京大虐殺から76年目になります。同時に関東大震災から90年目でもあります。
中国の古都南京を蹂躙した南京大虐殺は、「人類と文明に対する冒涜(ぼうとく)」といわれるすさまじいものでした。南京住民に対する無差別の大虐殺、捕虜の大量虐殺、女性への強姦、略奪と放火、阿鼻叫喚の地獄図が現出したと言われました。
しかし、日本の歴史における大虐殺は、戦場に出た兵士によってだけではありませんでした。1923年9月、関東大震災時には6000人以上の朝鮮人、700人以上の中国人、そして社会主義者たちが、警察、軍隊、自警団などによって虐殺されました。この日本国内の関東において、民衆の直接の関与による虐殺です。
明治維新以来の日本の歴史は他民族に対する侵略と虐殺の歴史でした。朝鮮、中国大陸、台湾で万余の虐殺、略奪をくり返しました。また朝鮮植民地支配に対する民衆抗争への血の弾圧がありました。関東大震災のあとには、南京大虐殺を初めとする泥沼の中国侵略戦争です。
今、安倍政権のもとで、かつての「侵略の歴史」が否定され、「美しい日本」「誇りうる国家」がやたら押し出されています。「平和憲法と基本的人権」もないがしろにされ、憲法改悪・解釈改憲による軍事大国化の動き、教科書への不当な介入、また街頭のヘイトスピーチのような排外主義が強められています。
関東大震災から90年を迎える今日、もう二度とこのような虐殺をくりかえさないために、南京大虐殺の幸存者から生々しい証言を聞き、関東大震災時の大虐殺に眼を向け、その国家責任、民衆責任を考えることは、ぜひとも必要なことではないでしょうか。