2002年7月26日

 内閣総理大臣小泉純一郎様

                                  日本キリスト教協議会
                                         議 長  鈴木伶子
                                         総幹事  大津健一

 武力攻撃事態での国民の権利制限についての政府見解に抗議する

 7月24日の衆院有事法制特別委員会の質疑で、福田康夫官房長官は、武力攻撃事態での国民の権利制限についての政府見解を示し、その中で「思想、良心、信仰の自由が制約を受けることはあり得る」として、思想や信仰を理由に自衛隊への協力を拒否することが認められないケースがあり得ること、また、「内心の自由という場面にとどまる限り絶対的な保障」があるとしながら、「外部的な行為」具体的には、自衛隊法改正案が定める物資の保管命令に対し、思想や信仰を理由として自衛隊に協力しないことに対し、「制約を受けることはあり得る」と言い、作戦行動の中で「教会や神社、仏閣の収用はあり得る」と述べました。

福田官房長官の発言は、基本的人権を侵すもので憲法に違反します。思想・信仰の自由とは、人が何を考え、何を信じるか、さらに、何を願い、何を大事にするかという、人間の生き方の根底に関る事柄であり、その自由を侵すことは、人間の生きかたを左右する基本的人権の侵害です。また、その人が何を考え、何を大事にするかという内面の価値観は、そのまま、その人の生き方として外面の行動に現れるものです。外部的行為が制約を受けても内心の自由は保障される、ということはあり得ません。この発言の内容は、特定の思想家や宗教者に限らず、すべての人の生き方を制約し、戦争協力を強制させるものです。

また、教会、神社、仏閣などの宗教施設を自衛隊の作戦行動のために収用することは、それぞれの宗教が大事にしている平和や命を重んじる宗教儀式の場所を、戦いのための場所とすることであり、宗教の本質を歪めるものです。

かつて15年戦争遂行を支えた2本柱は国家神道と軍国主義でした。国民は、国家神道により思想・信教の自由を奪われ、軍国主義により自分の命を奪われ、あるいは他人の命を奪うよう強制されました。ふたたび、政府の行為によって戦争の惨禍が起こることのないようにと、日本国憲法は、戦争放棄の規定と並べて思想・信教の自由を規定しました。

私たちキリスト者も、戦争に巻き込まれ、聖書の教えに反して、日本のみならず近隣諸国を侵略し、人々の命を奪うことに加担しました。戦後、日本の教会とキリスト教団体は、その罪を深く悔い、神と隣人に謝罪をし、許しを求め、ふたたび罪を犯すまいと堅く決心しています。

今回の発言は、人を殺すことは嫌だと言う人を、その人の意思に反して、戦争、つまり人殺しに組み込もうとするものであり、人間が人間らしく生きることを許さないものです。すでに、日本がふたたび軍国主義化していることに対し、アジア・太平洋の国々の人々は、大きな不安をもっています。私たちは、日本が軍事大国になることではなく、平和のために働く国になることで、国際社会で名誉ある地位を占めたいと願っています。この私たちの気持ちを踏み躙り、私たちの思想・信仰に制約を課し、戦争協力へと引きずり込もうとする、今回の福田官房長官の発言に対し、私たちは強く抗議し、日本政府が有事法制関連法案を廃案にし、世界に和解と平和をもたらすために働くことを心から願います。


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