「追悼平和祈念懇」に対する見解
昨年12月19日、福田康夫内閣官房長官主催、10名から成る「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」(今井敬経団連会長・略称「追悼平和祈念懇」)の第1回会合において、以下のような「趣旨」が述べられた。
「何人もわだかまりなく戦没者等に追悼の誠を捧げ平和を祈念することのできる記念碑等国の施設の在り方について幅広く議論する」、と。来る12月までの1年間の「懇談会」を経て、報告書も作成・提出することをめざし、発足以来会合を開き、今日に至っている。
私たちは、現状を直視し、以下の通り、私たちの反対の見解を表明する。
1.もともと「追悼平和祈念懇」発足の背景は、小泉首相の靖国神社参拝に対して、鳩山 由紀夫民主党党首、土井たか子社民党党首らが首相の参拝に批判的立場を持ち、国立戦 没者墓苑を含む新しい国立墓苑に言及したことにある。
しかし、上記懇談会の発足に際して、内閣官房長官が小泉純一郎首相の靖国神社参拝 に対する心情・信条を無視し得ず、首相の参拝を不問に付し、事柄をすすめることを示 唆した。
この事実は、「追悼平和祈念懇」の存在理由をあいまいにし、首相の参拝を事実上肯 定するものであり、問題の本質的解決にならないことを意味する。
2.過去においてくり返し議論された事例に徴しても、真の意味で私たちの良心を納得さ せるとは思われない。幾つかの事例をあげれば、次の通りである。
@三木武夫首相による「全国戦没者追悼之標」から「全国戦没者之霊」への標柱変更 問題(1975.8.15、日本武道館)。
A鈴木内閣の閣議決定(1982.4.13)による「戦没者を追悼し平和を祈念する日」の制 定。
前者は、宗教的に無色たるべき政府(現厚生労働省)主催「全国戦没者追悼式」が事 実上特定の宗教的「慰霊」式典と化した事例であり、後者は、「英霊にこたえる会」の 運動の一環としての靖国神社国家護持・「公式」参拝実現をめざす運動に屈服し、制定 された事例である。
3.今回は小泉内閣の内閣官房長官主催の下、発足した「有識者懇談会」であり、「追悼」 とか「平和祈念」あるいは「記念碑」などそれ自体問題はないと思われているが、有識 者による懇談会にあって、「追悼」と「慰霊」の峻別についての真摯な話し合いは見ら れない。追悼はすぐれて死者との個人的・人格的な関係を意味する人間自然な感情の発 露であり、「慰霊」はすぐれて神社神道的宗教用語である。しかし、この重大な質的差 異について、一般には何の違和感も感じられていない。
したがって国立の戦没者「追悼式」の名の下に式典が行われても、言葉の厳密な意味 で、追悼(死者の生前をしのび、その死を悲しむこと)の名に値しない場合が多い。ま して、「英霊」・「祭神」の「慰霊」・顕彰を当然視する多くの政治家にとって、国立の 戦没者「追悼式」と「英霊」顕彰をめざす「慰霊祭」とを峻別することなど考えられな い。
4.戦後57年の今日、小泉首相、福田内閣官房長官、中谷元防衛庁長官(現在は石破茂 防衛庁長官)始め各閣僚が、連絡を密にしながら、有事法制関連3法案の早期成立をめ ざし、野党との協力の下、戦争のできる国づくりに懸命になっていることを直視する時、 私たちは、内閣が、今なぜ、先の大戦において戦死・戦病死した人々を改めて「追悼」 し「平和を祈念する」ための「記念碑等国の施設の在り方」について議論すること自体、 極めて政治的と言わざるを得ない。
5.旧植民地の犠牲者が国の関与によって靖国神社に合祀されている事実について何ら顧 みない現状を知る私たちは、内閣は今こそ、20世紀における長い侵略・加害の歴史の 事実に思いを馳せ、21世紀を平和の世紀とするために、近い国々を始め、アジア太平 洋地域の国々・民衆に対して、日本は何をしたのかを深く顧み、一日も早く“負”の遺 産を清算するために過去の克服の課題を誠実に履行することこそ不可避の課題であるこ とを強調したい。
私たちは、内閣が改めて憲法尊重擁護義務(日本国憲法99条)を始め、真の意味で 平和主義(第9条)に徹し、同時に、信教の自由(信じる自由と信じない自由)・政教 分離(国家と宗教とは関与しない原則)(第20条)の実施にこそ意を注ぐべきことを 要望したい。
最後に、日本キリスト教協議会靖国神社委員会は、戦争責任・戦後責任が今なお未決である状況にあって、国(政府)が死者を選別する行為にかかわることは許されないことを警告し、国立墓苑・国立記念碑・国立追悼施設の建設に反対し、ここに改めて私たちの反対の意志を表明する。
2002年11月20日
日本キリスト教協議会
靖国神社問題委員会