イタリア核廃棄物処分場探し続く
ITALY'S QUEST FOR A NUCLEAR WASTE SITE CONTINUES


2003年12月19日
WISE/NIRS ニュークリア・モニター600



最終的な判断を下したのは、天候だった。15日間にわたる11月の大衆的決起に続いて、イタリア南部の小さな町、スカンツァーノイオニコとその支持者たちは、そこを核廃棄物処分場にするという政府の計画を打ち砕いた。決定的な証明となったのは、先週のたった24時間降った雨だった。

(600.5562)リンダ・ガンター、NIRS−住民達が洪水から財産を守ろうと四苦八苦しているとき、今や不名誉な廃棄物処分場候補地となったテルツォ・カヴォネは水没し、そこに至る道路は通行不能となった。「核の墓場」となるべき「国中でもっとも安全な場所」は、水中墓場と化していた。

世界自然保護基金(World Wildlife Fund)のトニーノ・コルッチは、国内で唯一最初の(核廃棄物処分場候補地)としてのスカンツァーノ選択は「稲妻のようにやってきた」と語った。

スカンツァーノは、原子力の加工作業を行なっているトリサイア研究センターの近くにあることから、スカンツァーノが(廃棄物処分場として)指名されるかもしれないといううわさがぱっと広まった。しかしながら、政府が発表した放射性廃棄物貯蔵に関する特別報告の除外基準によると、それはありえないように思われた。

バシリカータ州と町の住民は即座に結集し、抗議行動は11月23日、10万人という前代未聞のデモで最高潮に達した。津波のように押し寄せる反対に直面し、ベルルスコーニ政府はあわてて退却した。

12月初め、スカンツァーノ案は廃案となり、政府は低中レベルの廃棄物を現サイトに続けて保管すると言明した。高レベル廃棄物だけは今後12ヶ月以内に選定される廃棄物貯蔵所に移されることになる。

廃棄物処分の特別理事 カルロ・ジャン将軍は、ローマのグリーンピース・イタリアが開いた核廃棄物問題の説明会で話をした後突然解任された。ジャンの経歴がフリーメーソンで元諜報部員であることから、計画全体が秘密に包まれた軍事的企てなのではないかという疑惑がもたれている。

ベルルスコーニ政府はなぜそのような反対を予測できなかったのだろうか。かれらが見落としていたのは、地域住民の言葉によると、この地域固有の歴史だという。そこでは住民達の心の中に、無頼の山賊たちの物語が、共通の記憶として残っており、塩気の多い粘土の荒地を耕し、果樹、ぶどう園、そしてオリーブの木立が茂る肥沃な谷間に変えてきた近年の苦闘と重なっているのだ。やがて観光地としても有名になり、今日では州の大部分が厳しい失業状態にありながら、イオニア海に面したスカンツァーノは豊かに繁栄している。

バシリカータはかつて人々が出稼ぎに出て行く土地であり、政治的には穏やかで、貧しく、本当に田舎であった。今、土地を耕した結果、人々はそこで暮らすことができるようになった。「われわれが小さな楽園を建設したのです」と近隣の町ノバシリの公務員、ニコラ・ヴァッサロは語った。「人々がこの土地をこのように変えたのです。生活は苦難に満ちたものでした。ついに人々がかれらの楽園を築き上げたそのとき、政府がそこにとんでもないゴミを捨てようとしたのです。だから住民は立ち上がったのです。」

人々が闘いに立ち上がったわけは、またも南が北の犠牲になっているという直感であった。それは、住民への相談も、環境影響調査もなくスカンツァーノを指名し、軍隊式に押しつけたことへの激しい憤りといってよかった。スカンツァーノの闘いはなによりも民主主義のための闘いだった。

今日、バシリカータ住民は自分達が追い風に乗っていることを知っている。ヴァッサロは、「われわれは重要事項が広場(衆議)で決定されるという前例を作った」と語った。スカンツァーノの例に刺激されて、イタリアの人々は国中の原子力の町を結んで、イタリアの核廃棄物の将来を、独裁的な政令でなく、公開された民主的、科学的なプロセスによって決定するよう要求している。

かれらは核種変換と再処理(によって廃棄物問題が解決できるという)幻想を拒否し、イタリアにおける(推進側の)強力な逆宣伝にもかかわらず、米国の二つの廃棄物処分場、WIPPとユッカマウンテンが解決ではないことを知っている。

もっとも重要なことは、1987年国民投票後閉鎖された4基のイタリアの原子炉が再稼働する恐れがあり、活動家たちがそれを防ごうとしていることだ。

スカンツァーノが候補地から削除されたとき、群集に包囲された市長は抗議する人々に、荷物をまとめて家に帰るよう求めた。「もうこの問題は終わったのだ」と彼は言ったが、バシリカータの住民はテルツォカヴォネの「ベースキャンプ」での監視を続行した。そこでは、ぱちぱちとはじけるたき火を囲んで夜中、反乱の歌が響き渡っていた。

かれらは、キャンプは良い会合の場であるだけでなく、12ヵ月後には自らの言を破棄して結局スカンツァーノを選定する可能性のある政府に対する不信感の象徴だと語った。しかしいまのところ、多分さまざまな集団が監視しているおかげでその計画をきっぱりと守らせている。

核廃棄物処分場候補地からわずか200メートルの海岸には、イタリア環境省とヨーロッパ連合の署名がある古い掲示板があるが、それには皮肉なことに次のように書かれている:「この区域へのいかなる廃棄物持ち込みも禁止。自分で持ち帰ること。」

連絡先:Linda Gunter,
  NIRS イタリア通信員
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