ディープ・サウスの古い体質が生き続けている原子力サイト

2002年8月13日 インディペンデント


 サバンナ工場:サウスカロライナにある精密加工工場は、
白人労働者よりもアフリカ系アメリカ人により大きなリスクを負わせていたか?

サウスカロライナ エイケンのアンドリュー・バンコムによる報告
2002年8月13日



 地元の人々は、それを単に「サイト」と呼ぶ。それは、約300平方マイルに広がり、そこでの労働はジョージア松の香り深い沈黙の森の陰に隠されている。工場周辺のフェンスに沿って、数ヤード毎の黄色のプラスチック・サインが侵入者は歓迎されないことことを明示している。入り口ゲートでは、半自動式兵器で武装したしかめっつらのガードマンが、近づくすべての車両を綿密に監視している。

 ここはサバンナ・リバー・サイト(SRS)である。この原子力施設は、冷戦時代にアメリカの核兵器工場向けに必要なトリチウムとプルトニウム239を製造するために国の技術を使って建設された。ごく最近では、核廃棄物を再処理するための同様に精巧な科学を使っている。

 しかし、サウスカロライナのこの工場は、−もし一連の継続中の訴訟が正しいとすれば−洗練さとはかけはなれた、かつ多くの人がアメリカン・ディープ・サウス以前の未開化時代に置き去りにされていると考えられてきた、行為の現場でもある。32人の原告が、BNFL社の共同事業者であるウェスチングハウス・サバンナ・リバー社(WSRC)が操業しているこの工場は、黒人労働者達はくりかえし、昇進を見送られてきたという人種差別的環境を作り出しているとして告発している。彼等は、単に経営側によって黙認されたこのような人種差別の問題だとは言っていない。訴訟は、人種差別の痕跡がひじょうに明かに深く浸透していて、この会社の運転作業に影響していると主張している。「偏見と人種差別主義と古き良き時代のカントリークラブ・システムによって身を固めている」と原告、ウィリアム・ハイタワーは述べている。彼は59才で、23年間勤めた元従業員で、今は地元議員である。

 「私はなぜ私たちがこのような才能を捨てたがるのかわからない。雇用主の能力の限界よりもむしろ各従業員を各人の能力の限界に至らせようとしないことは大きな無駄だ。私の評価では、私は2階級上の役職で退職するべきだった。私の職階は限界にあたった。」「人々は部署に配置されて昇進していくが、様々な理由で私は昇進できなかった。昇進した人々は、いつも白人だった。これは私が見ることのできる唯一の事実だ。私はこのことについて、辛くはないが失望した。私は、アメリカン・ドリームはだれもが夢見ることができると思っていた。みんなにとってではないが、それを選んだみんなにとってのためだ。これが問題だ。」

 もうひとりの原告、30年間働いた女性は、今もこの会社で働いており、匿名にすることを要求した。彼女は、「会社側は少数派にチャンスを与えないようなやり方を有しているのだ。私達は、白人の同等の職階者と同じだけの補償を得ることはないだろう。彼等は、学位がなくても昇進していくだろう。」 

 1989年にサイトの運営を引き継いだウェスティングハウスに対する訴訟は、このようなことが人種差別主義の「敵意のある環境」で一般化していると主張している。人種差別主義者の落書きがいつもトイレの壁にあった。「ニガーは背中を注意しろ」「ニガーは家に帰れ」は、申し立てによって発見された侮辱の一例である。また、黒人労働者は工場内で首吊り縄を発見した。これは、人種差別主義者の挑発として彼等は解釈した。会社は数回調査を行い、あるケースでは従業員が解雇されたと述べている。「我々は、首吊り縄に関わる事件で従業員を解雇したのをはじめ、従業員を懲戒にしてきた。」WSRC代表、ロバート・ペッドは、オーガスタ・クロニクル紙への手紙でこう書いた。「幸いにも、我々はごくわずかにこのようなケースがあるだけだった。」

 おそらく、最も世間を騒がす告発は、最も放射線被曝が伴う作業に黒人労働者が配属されていると申し立てられている問題に関するものだ。訴訟では、工場のこのようなエリアは、「アライグマ(coon)・エリア」として一般的に呼ばれていた。これを証明するために、原告側弁護士は、コロラド医科大学のジェームズ・ルテンバー氏に、サイト内の労働者達が身につけているガイガーカウンターから読み取った、1991年から1998年までの被曝線量値を評価するよう依頼した。ルテンバー氏の報告は以下のことを明らかにした。「毎年の被曝線量値を人種別に分類すると、すべての線量カテゴリーにおいて黒人の被曝線量は白人の被曝線量を上回った。黒人の年間被曝線量は、白人の約1.8倍だった。」「この分析は、被曝線量の相違が、黒人が白人より放射線被曝が多い仕事に配属されているという作業場問題によるという仮説を支持していると私は結論付けた。」と彼の報告は締めくくっている。

 原告は、この報告書を証拠として提出させるよう努力した。ところが連邦裁判官は、WSRC弁護団の口頭陳述の後、ルテンバー氏の分析には欠陥があると言って、報告書の提出をしりぞけた。ウェスチングハウス社が分析は不適切だと裁判官を説得したと、ルテンバー氏は述べた。「黒人がより高い放射線レベルの作業に従事させらた傾向にあったことを我々が示すことができるという事実は、我々が職場で人種やジェンダーや他の先入観を扱う方法の微妙さを示している。」

 ルテンバー氏は、彼が検証したケースでは、労働者は法律上の許容被曝線量以下だったと述べた。作業配置と健康不良との相関関係を示すことは難しいだろうと彼は述べた。例外として、ジミー・ウォーカーのケースがある。彼は48才で、1977年に工場でプルトニウムを肺に吸い込んだ。インディペンデント紙が入手した会社の資料によれば、結局のところ、彼の被曝レベルは、認められている生涯被曝線量50レム(放射線モニタリングシステム)を越えていて、「ウォーカーの作業は、特別管理レベルを考慮して計画されなければならない。」

 これを知っているにもかかわらず、ウォーカー氏はその後もずっと被曝作業に配置されていたと述べている。1991年の報告書は、放射線が彼の靴から検出されたことを示した。このようなエリアに配置された事実であると彼は述べている。ウォーカー氏には3人の子どもがいて、病気を理由に退職した。彼の被曝レベルは80レムを超えていた。彼は最近、ワシントン州立大学の放射線調査プロジェクトのドナーになることを検討することを薦めるリーフレットを会社の医者から渡されたと述べた。見かえりに、彼の家族は500ドル(325ポンド)を受け取るだろう。

 「私は会社と政府にだまされたと感じている。」と彼は述べた。「今では、彼等は放射線がガンを引き起こすことを認めている。彼等はずっと私に、心配することは何もないと言いつづけてきた。」

BNFL;このサイトとの関係

 BNFL Ltdは、そのアメリカのパートナーであるウォリソン・ヌッドセンと連携して、合衆国内で広範な利害を持っている。BNFLは、創業112年のウェスチングハウス社を1999年3月に11億ポンドで買収し、3部門に分割した。原子力発電所事業のウェスチングハウス・エレクトリック社は、新しいBNFL子会社によって完全に所有されることになった。非軍事部門の政府向け・環境向け事業のBNFL原子力サービス社(BNSI)とウェスチングハウス政府環境サービス社(WGES)は、BNSI社(40%)、MK社(60%)でBNFLが共同で所有し、管理することになった。軍事部門の政府業務事業のウェスチングハウス政府サービス社(WGS)は、MK社に100%所有されることになった。MK社はのちに、ワシントン・グループとして知られるようになった。BNFLはBNSI社を通じて40%の利益を有している。サバンナ・リバー社は子会社で、他に2社がかかわっている。他方で、BNFLのアメリカを拠点とする核洗浄事業のBNFL Incは、別会社として存続している。
 [訳注:ディープ・サウスは、ジョージア州、アラバマ州、ミシシッピ−州、ルイジアナ州など黒人差別が最も激しかった南部地域を指す]
                                   訳:美浜の会&グリーン・アクション



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