日 時 2000年11月10日、午後1時過ぎから3時過ぎまで、約2時間。 場 所 参議院議員会館 面談室 参加者 当初は科技庁から2人ということだったが、旧動燃からも2人出席 ・科技庁 原子力安全局 防災環境対策室 室長補佐 宮田仁 ・ 〃 〃 原子力安全課 課長補佐 水元伸一 ・旧動燃東海事業所 安全管理部 線量計測課 課長 林直美 ・ 〃 〃 環境監視課 チームリーダー 渡辺均 ・竹村泰子参議院議員 東秘書(多忙の中、国会の合間をぬって参加) ・美浜の会から3名 私達は竹村泰子参議院議員事務所を通じて、「JCO臨界事故の被曝評価等に関する質問書bU」(10月11日付)、同bV(10月16日付)、同bW(10月23日)を出していました。しかし1ヶ月近く経つというのに、科技庁から回答がありません。そのため、竹村事務所に科技庁の方から出向いてもらって、回答を聞くということになりました。当日はbU、bVについては文書で回答がありました。以下に、その回答のやりとりの中から、重要な部分を紹介します。 質問書bWへの回答と、この日の回答のなかで改めて確認することとなった点については、1週間後に回答するよう要求しましたが、その期限が来てもまだ回答はありません。 T.本米崎小学校でのガンマー線の定点連続測定について 1.なぜ本米崎小学校を連続測定の場所に選んだのか? 科技庁 核燃サイクルが独自に判断したもの。 核燃 小学校ということもあり、公共性の高い重要な施設で、私達の判断でモニタリングした。 科技庁 当初の出動はサイクル機構さんの独自の判断で、なぜ小学校かということについては先ほどお話になったように、大事なところなのでそこを選んだと。 私達 測定員は防護マスクをしていましたね? 核燃 はい。 [もちろん小学生は普段の通りです。自分達は危険を感じたからマスクをしていたはずです。その姿をみて、子供達が泣き出したと言われています。小学校が大事な所だから、自分達の判断で測定に駆けつけたと。そして自分達はマスクをつけていた。もちろん、学校に避難するように等の助言すら与えていません。こんなことが許されていいのでしょうか] 2.A車の測定時間の間隔が大きいのはなぜか、後半はほぼ10分毎に測られているのに。 [旧動燃のホームページでは9/30 13:51〜10/1 17:01まで本米崎小学校で定点連続測定と紹介されています。そのデータが公表されていなかったので、科技庁に請求して出させました。それによると、17:11以降はほぼ10分毎にデータがあるのに、A車が測定したといわれる分(13:55〜16:03の時間帯)については、13:55、14:03、14:10、14:32、14:50、15:30の6つのデータしかありません,] 核燃 A車には連続測定という指示は与えていない、だから測定時間はまばら。大気塵埃等の試料採取をおこないながら、その作業の合間に、測定人が時間と値を記録したもの。 3.記録装置はついていなかったのか? 核燃 プリンターはついていましたが、運転していませんでした。スイッチを入れてませんでした。だから連続したデータはありません。 4.B車の測定方法について [B車とは、旧動燃の大洗から派遣されたモニタリング車のこと。16:55の測定データからは、A車と交代して本米崎小学校で連続測定をしたとされているモニタリング車のこと] 核燃 B車は10分毎に測定値をプリンターに打ち出しています。 @10分毎より短い間隔で測定データがあるのはなぜか? 核燃 作業員がボーとしていたわけではなく、値に変化があらわれれば、目で読んで数値をメモしている。その分が含まれているから。 A10分毎のデータがない部分があるがそれはなぜか。例えば、9/30の18:01のデータがないのはなぜか。(正確には、10分毎のデータが欠落しているのは、18:01と20:01) 核燃 普通です(?)。分かりません。 Bプリンターで打ち出されたデータがあるのだから、それを出してください。 核燃 プリンターのデータは大洗の車が測定したもので、大洗は東海事業所に渡したといっているが、みつからない。 5.モニタリングを中断してまで、なぜ測定車の配置換えを行ったのか? 核燃 学校から移動してくれと言われたので(A車は)移動しました。その後那珂町に連絡をとって、町の正式な要請として、B車で連続測定を行いました。町から要請された時間ははっきりしません。A車とB車が入れ替わる16:04〜16:50の間です。 [学校がこのようなことを本当に言ったのでしょうか。那珂町が測定を要請したのは、本当にこの時間帯だったのでしょうか] 6.本米崎小学校でモニタリングをしていた測定員は防護マスクをしていたか?制服の色は? 核燃 はいしていました。制服は、くすんだ紺色とライトブルーの2色がある。 7.A車とB車が移動する時間帯(16:04〜16:50)には測定車は小学校にはいなかったのか?その時間帯に含まれる16:30には小学生が集団下校しているが。 核燃 おおよそ、その時間帯には測定車は学校にはいない。子供達も見ていない。 8.その時間帯に目撃したという人がいます。また、当日のテレビのニュースで、下校する小学生の映像の中に、防護マスクをした測定員が映っていたということです。本当にその時間帯に測定員はいなかったのですか? 核燃 <沈黙> なんというテレビ局ですか?テレビが2つの映像を編集して流したのではないですか。(下校している子供達の映像とマスクをして測定している映像は別々でその2つを編集して一つの画面として流したのではないかという意味) U中性子線の測定について 1.最初に測定したのは17:05、JCO敷地周辺の6ポイント、最高4mSv/hか? それ以降、測定していないのか? 核燃 そうです。16:30頃にJCOに中性子のサーベイメータを持ち込んで、ほぼすぐ測定にかかった。それが終了したのが17:00頃。それをまとめて報告したのが17:05のデータです。それ以降は、測定器をJCOに貸与してJCOが測定した。 2.JCOが中性子線の測定を開始するのは19:09から。17:05に高い値が出ているのに、次の測定は2時間後。それまで、科技庁は中性子線の測定を指示しなかったのか? 科技庁 私は承知しておりません。科技庁としてどうかについては、確認します。 [一体科技庁は、何をしていたのでしょうか] 3.17:05以外に旧動燃が測定した中性子線のデータはないのか? 核燃 私の指示で、16:30にもう一台の中性子カウンタをJCO事務棟に持ち込みました。記録をはじめたのは夜中の1時頃からです。連続データは事故調にも報告しています。 4.16:30に測定器を設置して、なぜ夜中の1時までデータがないのか? 核燃 プリンターとケーブルを持っていって測定を始めたのが夜中の1時頃です。その間は、部下に電話して、いまどのくらいだと確認した時に記録したものが3つほど残っているだけです。 V.ガンマー線のピークについて [これまで科技庁は、いくつかのガンマー線のピークは、転換棟からの直達のものではなく、放出放射能によるもので、それによる被曝は最大でも0.1mSv/hなので被曝量に加えるほどのものではないと言ってきました。] 1.原研の那珂研究所で測定されたMP1・MP2のガンマー線の値は16:30頃にピークをつけている。その原因は何か? 科技庁 まだ整理がついていない。(他のピークのデータについても放出放射能によるものだというのは)推定にすぎない。断定ではない。 [ガンマー線のピークについては、原因も分からないし、放出放射能によるものだというのは推定に過ぎないといいながら、結論だけは、影響なしです。] 2.風速等の気象データを出してください。そうでなければ、放出放射能による雲の影響だと判断できない。 科技庁 気象観測の機械のついたポイントでのデータはあると思います。出します。 W.フィッティング式について [フィッティング式の基になったのは、原研が9/30の20:45に測定した22ポイントの測定データです。しかし、その中には、本米崎小学校の測定場所が低地で、地形の遮蔽を受けて低い値となっています。このような低い値を含んだ測定値を基にしたフィッティング式では、住民の被曝量が過小評価されるという問題について。] 科技庁 低い値を除いてフィッティングしなおしてもらった。3桁目が違ってくるぐらいで変化はない。→このやり直したという計算については提出を要求。 X.集団リスク評価について 1.一時滞在者等の集団線量はいくらか? 科技庁 一時滞在者0.041人Sv、防災関係者0.13人Sv、報道関係者0.01人Sv。 2.集団線量に基づくリスク評価をなぜ行わないのか? 科技庁 10月13日の健康管理検討委員会の結果、集団線量は事後の健康影響の評価に適用すべきではないということになり、やる必要はないということ。 Y.データ隠しについて [事故データについて、追及するたびにポロポロとデータが出てきました。そのたびに科技庁は、「旧動燃が内部参考資料としてもっていた。特段隠す意図はなかった」と述べてきました。] 1.データ隠しについて、科技庁は注意・指導をしたのか? 科技庁 注意しています。 私達 それならば、なぜ今日も新たなデータが出てくるのか。科技庁として事故データをどこまで把握しているのか問題になる。 Z.測定車の台数について [これまで、旧動燃のホームページでは、3台のモニタリング車で測定を行ったと書かれていた。しかし、モニタリング車のダイアグラムを作ると、3台では測定できないことになってしまいます。そこで、測定車は何台あったのかという質問を出していた] 科技庁 測定車は5台。そのうち3台はモニタリング車。2台はサーベイ車。 核燃 測定車とは、測定機器が車に乗っているもの。サーベイ車とは、ハンディな測定器をもって走らせた車のこと。 ↓ それぞれ5台の測定車が何時何分にどこで何を測ったかについては、今回、質問書bUに対する回答として、文書回答があった。それに基づいて5台の測定車のダイアグラムを作ると、奇妙なことがおこる。 モニタリング車は非常に貴重なもの。 1台はA車と読んでいる最初に本米崎小学校で測定をした車。 2台目はB車と読んでいる、大洗から来て、A車の後に本米崎小学校で連続測定をしたという車。 3台目のモニタリング車の様子がおかしい。 3台目のモニタリング車は 13:52〜14:03 南2q地点でガンマー線測定・大気塵埃等の試料採取 14:34〜14:45 西2q地点で同上 15:25〜 JCO周辺でのモニタリング支援 10/1 8:01〜17:01 本米崎小学校でB車と交代して連続測定 となっている。 南2q・西2qの2カ所の測定以降は「モニタリング支援」。「モニタリング支援とは何か?」と聞くと、「荷物や人の運搬で、測定はしていない」と言う。貴重なモニタリング車が、測定をせずに人や物を運んでいたとは信じがたい。 |