−速報−
東海村臨界被ばく事故裁判 2月27日水戸地裁判決

中性子線被ばくによる健康被害をすべて否定
JCOの主張丸呑み、国の言いなりになった反動判決糾弾



 2月27日午前10時、水戸地裁において東海村臨界被ばく事故裁判の一審判決がおこなわれた。傍聴席の数31に対して60名を超える人々が集まった。傍聴席は支援者と報道関係者で埋めつくされ、抽選に漏れた人々が法廷を取り囲んだ。「主文。原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする」。これだけを言い渡し、志田博文裁判長は退廷。わずか数十秒で法廷は終了した。
 判決は、大泉昭一さん、恵子さん両原告の受けた被ばく線量が旧科技庁の推定値6.5mSvを超えるものではないと断定。皮膚症状の悪化等、昭一さんが受けた健康被害について、線量からして被ばくとの因果関係は認められないとした。原告大泉恵子さんについても、事故後発症した口内炎や下痢について、線量からして被ばくによるものではないと起因性を否定した。さらに恵子さんのPTSDについては、PTSDの診断基準を満たしておらず、事故前のうつ状態が続いていただけと切り捨てた。その上で、昭一さんの事故後のマスコミ対応や、臨界事故被害者の会の活動に起因するストレスがあったと指摘。昭一さんの皮膚症状の悪化は、事故とは無関係のストレスによる疑いがある、すなわち本人の責任であるかのようにしている。総じて裁判所の判断は、JCOの主張を丸ごと受け入れるものであり、国の言いなりになって、原告の被害をすべて否定し去るものであった。さらには、健康被害の責任を「自己責任」であるかのようにいいなすものであり、反動判決という他ない。
 原告側はこれまで、旧科技庁の線量評価が過小評価であるとの立証を行ってきた。国とJCO側の「しきい値」論に対しても、すでに紅皮症に罹っている皮膚への中性子線被ばくという個別具体的な状況を「しきい値」で単純に否定することはできないと主張してきた。また、カルテと投薬量の変化を調査し、皮膚症状の悪化と事故との因果関係を立証してきた。ところが今回の判決では、このような原告側の主張について何ら具体的に検討せず、国の推定線量6.5mSvを「合理性がある」と一方的に受け入れている。中性子線の生物学的効果比(RBE)が、従来考えられてきたものよりも高いことについても原告側は主張してきたが、皮膚症状の悪化はいわゆる「確定的影響」の範疇に入るものとし、被ばく線量は6.5mGyEqを超えることはないとした。また、恵子さんのPTSDについては、PTSDの診断書が出ており、主治医が証言したにもかかわらず、主治医の判断について検討を行っていない。このような一方的な判決は到底受け入れられるものではない。
 判決後10時半から約1時間、水戸地裁の近くにある三の丸会館で原告と弁護士による記者会見が行われた。まず、海渡弁護士が判決の内容についての説明を行った。海渡弁護士は、「非常に政治的な判決だ。ありのまま公平の立場から出されたものとは思えない。JCOの従業員以外、周辺住民には被ばく被害は出なかったという神話を裁判所としては崩せなかった。原子力行政に屈したといえる判決だ」とした。またストレスが原因とする判決について、「事故後のマスコミ対応や被害者の会の活動は事故によって強いられたもの。自分の意思でやったのだから自分の責任だというような判決は人間的にどうなのか」と批判。伊東弁護士は、判決が6.5mSvという国の主張を丸呑みしたものであることを中心に批判した。パリ声明やICRPの90年勧告を受けて中性子線の線質係数が約2倍になったことさえも認めていないと述べ、「原告側の主張してきた線量についての論点をまったく検討もせずに切り捨てている。果たして裁判所は論点を理解していたのかとすら思う」とした。また、判決が健康被害と被ばくの因果関係について「高度の蓋然性の証明」を求めていることに対して、「困難な被ばくの立証責任をすべて被害者に負わせるもの」「原子力裁判では原告側の立証責任を緩和する方向に動いているが、それを否定するもの」と批判した。
 その後、大泉昭一さんが「5年間の長い月日をかけてやってきたことが、たった2、30秒の言葉で終わってしまった。これは許せない」と判決へ怒りをぶつけた。事故後に受けた様々な苦しみと、その中から被害者の会を立ち上げた経緯、3年間に渡ってJCOと交渉を行ってきたが被害を認めない不誠実な態度に終始したこと。その結果、裁判に踏み切らざるをえなかったこと。この裁判にかけてきた思いを語った。最後に、「被害を与えたことを認め、事故との因果関係を認めることが人として当然するべきことのはず。今回の結果は残念だったが、負けたという気持ちはない」「絶対に臨界事故を風化させない。闘い続けたい」としめくくった。
 大泉恵子さんは、昭一さんの「事故を風化させない」という言葉を引き取って、「この裁判を通じて事故を風化させないということは果たせた」とし、「くやしいが、支援してくださる人々と前向きにこれからも共にやっていきたい」と今後への思いを語った。
 報道各社の記者とのやりとりの後、原告、弁護士、支援者で議論が行われた。原告として控訴することへの決意が述べられ、これまで以上に強力な支援を続けていくことを確認しあった。裁判はまだ終わっていない。最後まで裁判を支援していきたい。(H)

(08/02/28UP)