6月13日、水戸地裁において東海村臨界被ばく事故裁判の第22回法廷が開かれた。原告大泉恵子さんの本人尋問である。主尋問1時間、反対尋問1時間弱で、午後1時半から4時過ぎまで行われた。恵子さんの証言をもって、原告側の立証はすべて終了した。傍聴席は支援する人々と報道関係者で一杯になった。 まず、原告側の海渡雄一弁護士が主尋問を行った。大泉恵子さんは、事故当日の体験を起点に、時間軸に沿う形で証言を進めた。交差点で目撃した白い防護服に身を包んだ警官の姿や、バッグや靴をビニール袋に入れて測定に持って来て欲しいと言われたことなど、事故当日の非日常的な体験と、それによって受けた不安と恐怖について話した。また、事故当夜から始まったひどい腹痛と下痢、口内炎を発症したこと。さらに事故後、10月5日に初めて出社した際、JCOの建物を見てパニック症状に襲われ、その後ほとんど会社に行くことのできない状態となったことを証言した。特に、「防護服姿の人の姿や事故当日朝に見上げた青い空の記憶などが一瞬のうちに頭の中を駆けめぐり、息ができず呼吸困難になった」というパニックについての証言は生々しく、その辛い体験がリアルな形で迫ってきた。症状の説明をしている際、涙で証言が数分中断してしまうという場面もあった。その後、PTSDの診断を受けたことなどについて述べた。 最後に恵子さんは、次のように訴え、証言を締めくくった。「なんとか回復しましたが、出口の見えないトンネルの中で何年も過ごしてきました。仕事も奪われ、家庭崩壊にもなりました。なぜJCOは素直に責任を認めていただけないのでしょうか。私生活の細かいことを暴き立てるようなことをやるのでしょうか。二度と事故は起こして欲しくない。裁判所は悪いことは悪いとの判決を出して欲しい」。 全体として詳細かつ具体的な証言で、事故によって突然「出口の見えないトンネル」に放り込まれた苦しみがひしひしと伝わってくるものであった。 次に被告JCO側の富田美栄子弁護士が反対尋問を行った。富田弁護士はまず第一に、「サリン事件の場合と異なり、バタバタ人が倒れたりといった直接的な目撃体験はないということでよいか」と確認を求めてきた。これまでJCOは、アメリカにおけるPTSD訴訟の判例を持ち出し、直接本人が暴力的な危害を加えられたり、人が死亡する姿を直接目の当たりにするような強烈な体験がない限りPTSDとは認められないと主張してきた。最初の尋問は、この従来通りの主張を繰り返す内容のものであった。これに対して恵子さんは、防護服姿の人間が突然生活空間に侵入してくる体験から受けた恐怖や、大内さんや篠原さんの受けた悲惨な被害を知った際の衝撃について証言した。 第二に富田弁護士は、カルテに記載されたカウンセリングの内容等を持ち出してきた。細かいプライバシーを暴き立て、事故後の精神状態の悪化は、あたかも家族の間での人間関係に起因するものだと決めつけるような尋問を繰り返した。これに対して恵子さんは、家族とは「関係がない」とはねつけた。 富田弁護士は第三に、10月5日以降、ほとんど出社できない状態になったとの証言に反論を加えてきた。社民党の土井委員長が大泉工業を来訪した10月8日、恵子さんは出社しているのだが、富田弁護士はこの一例をもって「証言はまちがっていますね」と尋問した。これに対して海渡弁護士は「異議あり」「原告はまったくではなく、ほとんど行けなくなったと主張しているのです」と反論した。 最後に富田弁護士は、東邦大の高橋医師からPTSDの診断を受けていたにもかかわらず、なぜ、当時通院していた病院の主治医にそのことを伝えなかったのかという主旨の尋問を、手を変え品を変え繰り返した。この尋問の意図は、PTSDの診断書は裁判に使うためだけにとったものであると主張することにあった。しかし恵子さんは、「別の先生にかかったのは失礼だと思い言えなかった」と答えた。市井の一般人にとって常識的な感覚であろう。そのため、JCO側はそれ以上追及できなくなり、富田弁護士の尋問は、牽強付会なこじつけとの印象だけが残る結果となった。 尋問終了後、JCO側は突然、補充の意見書を出してきた。PTSDに関する意見書と、第19回法廷で山内知也証人が証言した線量評価式に関する反論である。 これに対して裁判長は、「最終準備書面を出していただいて弁論集結と考えていたのだが」と不快さを隠そうとしなかった。しかし富田弁護士は、「本人尋問を踏まえて、被害者の会とJCOとの交渉の経過について担当者による陳述書をさらに出す可能性がある」「他の証人についても意見書を検討中」とも発言した。 裁判長は「これから新たに立証に入るとは考えていない」と釘を刺したが、弁論は継続となった。次回法廷は8月1日(水)午後1時半から。JCOが出してきた書面の取り扱いと、今後、弁論を継続するか否かが決められる。 (H) |