−裁判傍聴報告−
東海村臨界被ばく事故裁判 第21回法廷 5月16日

原告大泉昭一さん本人尋問
「このような事故はこれで最後にして欲しい」−事故によって受けた苦しみと無念を証言


  5月16日、水戸地裁で東海村臨界被ばく事故裁判の第21回法廷が開かれた。今回の法廷は、原告である大泉昭一さんへの本人尋問である。本人調べは午後1時半から4時前まで行われた(主尋問1時間・反対尋問1時間余り)。裁判もいよいよ最終段階である。傍聴席は裁判を支援する人々と報道関係者で埋まった。

 まず原告側の伊東良徳弁護士が主尋問を行った。前回法廷(3月7日)で原告側は、原告2名の陳述書を提出している。主尋問の中で大泉昭一さんは、陳述書の内容をベースに臨界事故によって受けた苦しみや思いをありのままに証言した。淡々とした話し方ではあったが、それだけに、言葉に込められた無念の深さがひしひしと伝わってきた。
 一番最初は、妻である大泉恵子さんについてだった。恵子さんは生活の上でも、仕事の上でも最良のパートナーであったこと。その大切な恵子さんが、事故のために鬱病、PTSDにかかって寝込んだりしたこと。そのことでいかに苦しんだか、どんなに生活が破壊されてしまったか、昭一さんは証言した。締めくくりには、「本当に生きていてくれという気持ちで一杯だった」「夜になると悲観的なことばかり考えてしまい、時々自分自身も死にたいような気持ちだった」と語った。
 また昭一さんは、事故のために大泉恵子さんが倒れ、昭一さんも皮膚の症状が悪化し、軌道に乗っていた工場の経営もうまくいかなくなってしまったことを証言した。

 さらに、昭一さんは事故当日の被ばくした状況について詳細に証言した。臨界が起こった10時35分頃にはハンダ付け作業を行っており、暑さのため10分おきに外に出て休憩していたこと。休憩していた場所からは、JCOのある方角は素通しとなり、転換試験棟の隣の住友金属鉱山の建物がよく見えたこと。消防署や役場の人間とのやりとりの際も工場から外に出ており、JCOとの間に建物等の遮へい物が存在しない状態であったことについて証言した。阪南中央病院の調査によれば、旧科技庁の線量評価式を用いたとしても、昭一さんの被ばく線量は旧科技庁の推定線量より約1.4倍高くなる。旧科技庁が行った行動調査では、ずっと屋内にいたかのようなおざなりな想定になっているに違いない。事故時の状況に関する今回の証言は、旧科技庁の推定よりも高い線量を受けているという原告側の主張を補強するものとなった。

 次に、事故を契機とする皮膚の悪化について証言した。事故以前から既往症として紅皮症であったが、事故前は比較的軽い状態であったこと。しかし事故後、11月中旬以降、手の症状がひどい状態になったことを証言した。カルテと投薬量から昭一さんの症状悪化を客観的に分析した佐藤医師の証言内容を裏付けるものとなった。

 そして昭一さんは、「臨界事故被害者の会」を立ち上げるに至ったいきさつから、被害者の会とJCOとの3年に渡る交渉について証言した。JCOに補償を求めてきたが、JCO側はほとんどまともな対応をしてこなかったこと。交渉の中で、「補償額を算定するために必要」と称して、JCOは被害者の会に対して3年間の源泉徴収票や診断書等を提出させたにもかかわらず、結局休業1日分、通院については最初の1回だけという事実上ゼロ回答であったことが明らかにされた。昭一さんは「JCOは加害者でもあるが2名の方が亡くなられており被害者でもある。何とか話しあいで解決できないものかと突破口を開こうとしてきた」と話した。裁判ではなく何とか交渉で解決したかったというのが昭一さんの本意であった。しかし交渉の結果、JCOは一切誠意を見せず、損害賠償の時効である3年が迫ってきたため、訴訟に踏み切らざるを得なかったのである。

 最後に昭一さんは、裁判所に言っておきたいこととして、次の言葉で証言を締めくくられた。「この事故では6百数十名が被ばくを受けた。しかし、地震の問題にしても、事故隠しにしても、今、原子力には大きな問題が起きている。その中で、一東海村の事故にはしたくない思いだ。原子力関係者に申し上げたい。このような事故はこれで最後にして欲しい。このことを切に願う」。

 次にJCO側の富田美栄子弁護士が反対尋問を行った。JCO側は、過去の被害者の会とJCOとの交渉の中で、被害者の会に出させた資料と昭一さんの証言との間にある些細な食い違い、カルテと証言の間の相違を針小棒大に言い立て、昭一さんの証言を「信用できないもの」とおとしめる戦法に出た。

 主尋問にあったように、JCOは被害者の会との交渉の中で、「損害額の算定のために必要」と言い、源泉徴収票や損益計算書などを公開させた。それにもかかわらず、JCOは何ら誠意ある補償を行わなかったのであるが、今回の法廷でJCOは、その時出させた損益計算書等を逆に証拠として利用した。JCOは、大泉工業の従業員数や経営上の数字などを細かくあげつらい、当時の(8年も前の)細かい経営状況について、根掘り葉掘り尋問する。この裁判は、事故と健康被害との因果関係を認めさせ、それを損害賠償という形で請求している。ちょっとでも昭一さんが答に詰まると、「あなた社長でしょ。そんなことも分からないのですか」と侮辱とも言えるようなひどい言葉を投げつけた。

 また、手の症状については、「10月には手の内側はどうなっていましたか」「8月には白癬が出て抗菌薬の投薬を受けましたか」「内服薬はいつから飲み始めましたか」「この時、看護婦さんにこう言ったのではないですか」等と矢継ぎ早に細かい質問を浴びせかけた。ちょっとでもカルテの記述と食い違うと、例えば「8月2日のカルテではこうなってるが、おかしいのではないか」というように攻めた。8年も前の病状である。細かい症状の推移を次々と聞かれても間違うこともある。主治医ならともかく、一人の患者に過ぎない昭一さんがカルテを読んでいるはずもないのに、記憶とカルテとの食い違いを一々攻めるといういやらしいやり方だった。

 JCO側の反対尋問は同じ事を何度も何度も手を変え品を変えて聞くという形で延々と続いた。あらかじめ決められていた1時間の枠を超えた時、海渡弁護士が尋問を遮るように「被告は1時間を超過しています。厳格な審理指揮をお願いします」と異議を申し立て、そこで反対尋問は終了となった。

 責め立てるようなJCOの尋問に対して、昭一さんはじっと耐え、怒りを表に出すこともなく、冷静に一つ一つに答えていった。法廷終了後の報告会で昭一さんは、悔しそうに「怒りが爆発しそうだったが我慢した」と何度も話された。しかし、法廷においては、敵愾心むき出しのJCOの尋問とは対照的に、それでも誠実に答えようとする原告の姿勢は強い印象を与えるものであった。
 次回法廷は6月13日午後1時半から。原告大泉恵子さんの本人尋問である。裁判もいよいよ大詰めを迎える。最後まで裁判を支援していこう。

(H)