−裁判傍聴報告−
東海村臨界被ばく事故裁判 11月16日 第15回法廷
原告側証人「原告の症状は事故後に悪化」「原因は臨界事故」と証言
攻めあぐね苦戦したJCO


 11月16日、水戸地裁で東海村臨界被ばく事故裁判の第15回法廷が開かれた。今回の法廷では、事故当時原告大泉昭一さんがかかっていた皮膚科の主治医であった小笠原理雄医師と、投薬量の推移をベースに事故後の皮膚症状の悪化について分析を行った佐藤健二医師の証人調べが行われた。二人の証人は、事故後、大泉昭一さんの手の皮膚症状が悪化したこと、すなわち、症状悪化が臨界被ばく事故に起因するものであることを証言するために証言台に立った。小笠原医師の証人調べは午前10時30分から正午すぎまで。佐藤医師の証人調べは午後1時半から午後4時まで行われた。

1.小笠原医師の証人尋問

 まず原告側の伊東良徳弁護士が小笠原医師の主尋問を行った。主尋問の中で小笠原医師は、原告の身体を直接診ていた主治医の立場から、事故前後の原告の皮膚症状について証言された。主なポイントは次の通りである。
・臨界事故前の1999年8月上旬に診察した時には皮膚症状は改善しており、その後臨界事故までは改善した状態が続いていた。
・臨界事故をはさんで1999年12月2日に診察した時にはカルテに「severe」と記載するほど、手の皮膚症状がかなり悪化していた。
・事故後の手の症状は2001年2月に入院して退院するまでいつ診察しても悪い状態が継続した。
 その上で小笠原医師は、1999年12月2日の時点での手の症状悪化とその後悪化が続いたことの原因について、「臨界事故によるストレスと過労のために悪化したものと考えられる」と証言した。

 次にJCO側弁護士が反対尋問を行った。JCOは次の3点を軸に小笠原医師の証言を崩そうとしてきた。
(1)原告の皮膚症状(紅皮症)の原疾患はアトピー性皮膚炎でありアレルギー物質が原因である。したがって、原告の症状は、硫酸を扱うという職場環境や、室内犬を飼っていたり観葉植物を置いていたりといった住環境に起因するものである。
(2)事故後(1999年12月2日以降)に皮膚症状が悪化したというが、翌2000年3月には回復しているのであり、事故以降少なくとも2001年まで悪化した状態が続いたとする証人の陳述は誤っている。
(3)症状悪化の原因は、原告が被害者の会の代表として全国を飛び回っていたことによる過労とストレスが原因であり、いわば自業自得というべきものである。

 JCOは、大泉昭一さんの皮膚症状(紅皮症)がアトピー性皮膚炎であり、よって原告の症状はアレルギー物質に接触するような原告の職場環境・住環境に原因があるのであって、事故とは何ら関係ないのだというストーリーを作りあげることを第一の目的にしていた。そのためJCOは、小笠原医師に対して「硫酸を使うという職場環境を知っていたのか」、「カルテには室内に植物をおかないようにという記載があるがこれはアトピー性皮膚炎を疑っていたのではないか」等々、手を変え品を変え攻めてきた。しかし、小笠原医師は「膝の裏や肘の裏といったアトピー性皮膚炎の典型的な発生部位に症状が見られなかったのでアトピー性皮膚炎とは考えられない」とはっきり答え、JCO側の意図を寄せ付けなかった。

 そこで次にJCOは、事故の翌年2000年1月15日に別の医師がカルテに「good」と記載し、3月25日に「やや良い」と記載していることを挙げ、「事故後の皮膚症状の悪化というが、少なくとも翌年3月には回復しているのではないか」と攻めた。小笠原医師の陳述書は「手湿疹重度」とカルテに記載された事故後1999年12月2日から、2001年2月19日の入院までを事故後の悪化の時期としている。JCOはこの期間を極力短く値切ることで、陳述書の信用性を失わせ、また「悪化といってもたいしたことではなかったのだ」と印象づけることを狙った。しかし小笠原医師は、「少なくとも自分の書いたカルテとしては改善したという主旨の記載は存在しない。したがって翌年3月に改善したとは判断できない」と主張し続けた。結局JCO側は最後まで、事故後の悪化の期間に関して小笠原医師の証言内容を崩すことはできなかった。

 最後にJCOは、小笠原医師が「臨界事故に関連する精神的ストレス」を皮膚症状の悪化の原因の一つにあげていることを足がかりに、「被害者の会の代表として全国を飛び回っていたことが原因ではないのか」とあたかも「自業自得というべきもの」と印象付けるための証言を引きそうとした。しかし小笠原医師は、「確かに被害者の会で全国を回っていると聞いたことがあります」と言っただけだった。

 JCO側の反対尋問は予定時間を大幅に超過して行われた。思うような形で反対尋問を進められず、同じやりとりを何度も繰り返したためだ。あまりにしつこく長時間の尋問に裁判長が「あまり超過しないよう」とJCOに注意した。また、JCO側は反対尋問で証人にいきなり新たな証拠(医学文献)を示し、証人を動揺させる戦術をとった。しかし現在の民事訴訟法ではこのような行為は違反行為とされている。伊東弁護士が「やめていただきたい」と抗議したがJCO側は「反対尋問だからいいでしょう」と居直った。これに対し、裁判長は「反対尋問だから良いということはありません。被告は出し方を良く検討してください」とかなり強い調子でJCOに注意した。

2.佐藤医師の証人尋問

 午後1時半からは佐藤医師の証言である。佐藤医師は脱ステロイド療法を主導する皮膚科の専門医であり、紅皮症に関しても第一人者といってよい豊富な経験を有している。佐藤医師は原告へのステロイド剤の投薬量を事故前・事故後の長期にわたって追跡。投薬量の増減をベースにカルテの記載等を合わせて分析し、病勢とその要因を判断するという手法で原告の症状悪化を客観的に評価した。そして、その手法に基づいて原告の病状の推移を分析し、その結果を陳述書にまとめている。
 伊東弁護士の主尋問に対して佐藤医師は、臨界事故後の皮膚症状の悪化は疑いようがなく、また、悪化の原因は事故による影響以外に考えられないと証言された。

 これまでJCOは、放射線照射によって皮膚症状を生じさせるためには数グレイといった高い線量が必要であるが、原告が事故によって受けた線量はそれよりも低いので、症状の悪化は事故に起因するものではないと主張してきた。主尋問の中で佐藤医師は、このようなJCOの主張に対して「一般に放射線皮膚炎を引き起こす線量は2グレイだとされているが、それは健康な皮膚に対する線量に過ぎない。紅皮症という特殊な病的状態にある皮膚は刺激に対して過敏な状態にあり、そのまま当てはめることはできない。JCOの主張は不当なもの」と証言された。
 また、JCOは「放射線被ばくによって紅皮症が悪化したという証拠はない」と主張してきたが、佐藤医師は主尋問の中で、「人体実験を要求するような倫理的に問題のある見解」だと述べられた。

 次にJCOが反対尋問を行った。JCOは次の4点を軸に佐藤医師の証言を崩そうとしてきた(1と3は小笠原医師と共通である)。
(1)原告の皮膚症状(紅皮症)の原疾患はアトピー性皮膚炎でありアレルギー物質が原因である。したがって、原告の症状は、硫酸を扱うという職場環境や、室内犬を飼っていたり観葉植物を置いていたりといった住環境に起因するものである。
(2)投薬量から病勢を評価するという佐藤医師の手法は、部位や塗布方法による吸収効率、塗りむら等を考慮しておらず、またステロイド剤の強度を評価するための荷重係数の取り方にも根拠がない。したがって重大な欠陥がある。
(3)事故後(1999年12月2日以降)に皮膚症状が悪化したというが、翌2000年3月には回復しているのであり、事故以降少なくとも2001年まで悪化した状態が続いたとする証人の陳述は誤っている。
(4)放射線被曝によって紅皮症が悪化したという証拠はない。

 最初JCOは、小笠原医師の時とまったく同じように、原告の紅皮症がアトピー性のものであることを佐藤医師に何とか認めさせようとした。しかし佐藤医師は「アトピー性皮膚炎の好発部位に症状が見られないのでアトピーではありえない」と答えた。紅皮症の原疾患に関する両医師の意見(アトピー性皮膚炎ではないということとそう見立てる根拠)は見事に一致しており、佐藤医師の証言によって小笠原医師の証言が補強された形となった。また、JCOは「硫酸を扱っていたのは知っているか」と尋問した。佐藤医師が原告の職場環境を何も知らずに「事故が原因」と決め付けているだけと印象付けることをJCOは狙っていた。しかし佐藤医師は「身体を見せていただいた時にご本人からお話は伺っています」と切り返し、さらには「硫酸には触らないように注意していたと聞いています」と付け加えた。そのためJCOは、「硫酸等のアレルギー物質によるアトピー性皮膚炎だ」という線でそれ以上尋問することができなくなってしまった。

 そこでJCOは、投薬量から病勢を評価するという手法の欠陥をあの手この手で問題にしようとしてきた。まず、佐藤医師が陳述書で「カルテだけからでは病勢の全体が把握できない」と述べている部分を取り上げ、「なぜカルテから病勢が読み取れないのか」「もしそうだとしたら、病勢が読み取れないようなカルテの記述は医師法上も問題があるのではないか」と攻めてきた。カルテだけではなく投薬量から病勢を客観的に評価しようという佐藤医師の手法を批判することが狙いである。また同時に、主治医であった小笠原医師への攻撃材料とすることを目論んだものであった。しかし佐藤医師は「確かにそうかも知れないが、病勢の推移を完全に把握できるような完全なカルテなど書けるわけがない。そんなものを書こうと思えば2時間、3時間かかる。ところが外来の時間は3時間しかない。そこに50人も60人も患者がやってくる。完全なカルテが必要といわれるのであれば医者の数を増やしてもらわなければ困る。そういう制約の中でこのカルテはよく書かれている」と答え、JCOの言いがかりを「医療現場の実態を知らない空論」という形で断じた。JCOはそれ以上何も言えなくなった。

 続いてJCOは、塗布部位によってステロイドの吸収率が異なること、ODT(塗布部位にサランラップを巻いて吸収率を上げる手法)や直接塗布によっても吸収効率が違うのではないかと尋問した。これに対して佐藤医師は「確かに一般的にはその通りだが、それは健康な皮膚について言えること、紅皮症の皮膚については一般的には言えるものではない」とし、「全身的な症状を評価する方法としては完全ではないが十分有効な手法」とした。重ねてJCOは「塗りむら等も考慮されていないのではないか」と言ってきたが、これに対しても「一般的にはその通りかも知れないが、それは瑣末な影響にすぎず、大勢の評価には影響ない」と答えた。JCO側は「塗りむら」にこだわり、「塗りむら等を考慮に入れていないあなたの評価方法には重大な欠陥があるとは考えないのですか」と執拗に繰り返した。また、ステロイド内服薬が正しく反映されていない等々とも言ってきた。枝葉末節な事でも何でも言って、なんとしてもケチをつけようとする姿勢であった。しかし、JCOは佐藤医師のやった分析を崩すような証言を引き出すことができなかった。
 JCO側は焦りを深め、言葉の端々に焦慮と怒りが感じられるような状態になっていった。感情を隠すこともできず、「あなたの評価は間違っている」と繰り返す以外になくなり、裁判長が「(評価が間違っているというのは)被告側の意見に過ぎないでしょう」と制止した。あまりにもJCOが無意味な尋問を続けたためであろう。

 次にJCOは、午前の小笠原医師の時と同じように、事故後の悪化の時期をカルテ上「やや良い」と記載のある翌2000年3月までという言質を引き出そうとした。しかし佐藤医師は「投薬量の増減からは、少なくとも翌2000年9月頃までは悪化していたと判断できる」という姿勢を崩さなかった。

 さらにJCOは線量と皮膚症状の因果関係の問題に踏み込んできた。JCOが「紅皮症の場合、影響が出る線量はどの程度ですか」と聞くと、佐藤医師は「わかりません」と答えた。そこでJCOは切り口を変え「CTの線量はどのくらいかご存知ですか」と聞いてきた。「だいたい6mSvから8mSvですね」と佐藤医師。それを受けてJCOはすかさず、「少なくとも大泉さんは3回受けている。つまり3倍もの線量を受けているのですよ。それでも照射1ヵ月後に悪化が出たことはないのです。これはどういうことですか」と畳み掛けてきた。これに対して佐藤医師は「なぜ3倍するのですか」と逆に質問で返した。意表をついた逆質問を突きつけられたJCOは、すぐには答が返せなかった。うろたえ気味に「3回だから3倍でしょ」と言うと、佐藤医師はまたすかさず「だからなぜ3倍するのかと聞いているんです」と言う。確率的なものでない身体反応にも関わらず、別々の時点で受けたCTによる被ばく線量を単純に3倍(8×3=24mSv)するのは明らかにおかしい。それにもかかわらずJCOは3倍にこだわった。「原告の主張する被曝線量40mSvで影響が出るわけがない」と印象付けることを狙ったのである。JCO側の意図を逆手に取った佐藤医師の切り返しであった。これでJCO側はかなり翻弄された。JCO側が「3倍でも何でも良いです」と半ば怒りながら「なぜCT照射の1ヶ月後に反応が出なかったのか」と聞くと、佐藤医師は「大泉さんがどれほど中性子線を浴びたのか正確な評価が必要だということです」と答えた。佐藤医師の答は、JCO側が嫌がっている中性子線被曝の線量評価と因果関係の証人につながるものであった。これ以上踏み込んだら、中性子の被曝問題になってしまうと判断したのだろう、JCOは線量問題をここで打ち切った。

 最後にJCO側は弁護士を交代し、「放射線被ばくによって紅皮症が悪化したというエビデンス(証拠)はないでしょうが」と言ってきた。先に述べたように、すでに主尋問の中で佐藤医師は、このようなJCOの主張を「人体実験を要求するような倫理的に問題のある見解」と述べられている。なぜなら、中性子線の人体影響は今回の事故のような現実の健康被害を通じてしか実証されえない性格のものであるが、多くの住民が中性子線に被ばくするという事態は今回の事故がはじめてだからである。当然、万人が認めうるような証拠など出しようがない。JCO側の主張は、被害を認めて欲しかったら、さらに多くの中性子線被ばく・人体実験の結果を持ってこいと要求しているに等しい。これでは被害者は救済されない。また、事故を引き起こした張本人の言として許されざるものであろう。
 結局JCOは、反対尋問に1時間半も費やした挙句、佐藤医師の証言の一角も崩すことはできなかったのである。

 反対尋問の後、左陪席から佐藤医師に対して「中性子線は透過力が強いが、皮膚への影響は通常の放射線と比較して大きくなるのか」という質問が出された。佐藤医師は、「中性子線は貫通力が強く組織の深くまで通過するが、その際大きなダメージを与えるので、皮膚への影響は大きいと考えられる」と答えた。これまでは、裁判所の側から中性子線被ばくの人体影響について立ち入って質問してくることはなかった。裁判官も中性子線被ばくの内容的側面に関心を持つようになっているのかも知れない。

 法廷終了後、場所を移して報告会が開かれた。佐藤先生の第一声は「えっもう終わったのかという感じ。これから本格的な質問が来るかと思ったらもう終わっていた」というものであった。執拗なJCOの尋問にもかかわらず、両証人共、症状悪化は臨界事故に起因するものという主張に付け入る隙を一切与えなかった。JCOは攻めあぐねたという今回の法廷の特徴を端的に表した言葉だった。伊東弁護士から両証人の証言内容の要点をまとめた解説と、JCOの反対尋問の内容について説明があった。伊東弁護士は「JCOがこちらの証人を崩せなかったというのは大きな成果」と発言された。傍聴の参加者からも「今日は良い雰囲気だった」という発言が出された。やっとこぎ着けた証人尋問の第1回目が成功したことの意義は大きい。報告会は最後に「この裁判は絶対に勝たねばならない」というこれまでにない力強い言葉で締めくくられた。

 次回法廷は2月15日午前10時半から。原告大泉恵子さんのPTSDの関係で、2名の医師が証言台に立つ。裁判を支援していこう。(H)