東電・福島第一原発1号機の放射能汚染
法令違反などに関する調査要請書




経済産業大臣 平沼赳夫 様

 先般、当会に送られてきた東京電力福島第一原子力発電所技術部第一保安課作成の昭和56年(1981年)12月付文書「スタックからの放出放射能の低減に関する検討結果について(松葉作戦)」によれば、当時の福島第一原発1号機の放射能汚染は、当時の法令である通産省告示第665号の規制値を超えるほどの状況にあったことが以下のように確認できます。同時に、なぜそのような汚染状態がもたらされたかの原因解明が何もなされないままになっていることも、以下のように指摘できます。

1. 原子炉建屋内のβ核種による表面汚染は、規制値の1.4倍で法令違反
1981年(昭56年)10月から11月にかけての調査によれば、原子炉建屋内の表面密度の最高値は地階の番号@の地点で出ており、α核種で1.97×10^(-6)μCi/cm2、β核種で1.38×10^(-4) μCi/cm2でした(注:10^(-6)は10のマイナス6乗です)。他方、告示第665号第1条3項と第3条及びその別表第1によって規定される規制値は、α核種で10^(-5) μCi/cm2、β核種で10^(-4) μCi/cm2となっています。すなわち、測定値はα核種で規制値の約20%ですが、β核種では規制値の約1.4倍となります。したがって、β核種は法的規制に違反しており、このひどい汚染によって労働者が被ばくしていたわけですが、このような重大な事実が隠されてきたことになります。

2. 管理区域でのα核種の濃度は、規制値の2倍以上で法令違反
当の文書では、1号機と2号機の共用排気筒でのα核種の濃度測定値(1週間平均値)が1979年(昭54年)4月から1981年(昭56年)10月までグラフで示されており、その間の各年度の最高値が別に数値で示されています。その期間内での最高値は1980年(昭55年)1月に出現しており、3×10^(-13)μCi/cm3となっています。他方、告示第665号の第1条2項と第6条及びその別表第4で規定されるα核種に関する管理区域での濃度規制値は1.5×10^(-13) μCi/cm3となっています。すなわち、排気筒での1週間平均濃度測定値は管理区域の規制値の2倍になっています。しかも、この排気筒は1号機と2号機の共用であることから、ほとんど汚染されていない2号機からの空気と混ざった濃度であり、1号機内だけでもさまざまな濃度が混ざって平均化されたものになっているはずです。このことを考えると、1号機の濃度の高いところは、上記の濃度規制値をはるかに超えるものだったに違いありません。労働者は管理区域でもしばしばマスクを脱ぐと言われています。高度に汚染された空気を吸い込んだ可能性がきわめて高いのです。このような状態を隠したまま、労働者に被ばくを強いてきたのは明らかに犯罪というべきではないでしょうか。

3. 除染前の汚染値など、高い値が隠されている
前記1で述べた範囲では、α核種の表面密度は規制値を超えていませんでした。しかし、この測定値は1981年(昭56年)11月のものであり、その前の定検(1979年12月から1980年8月)の後に除染作業を行ったと当の文書に書かれています。すなわち1で挙げた測定値は除染作業の後の数値であるわけです。
また、2で挙げた濃度測定値は1980年(昭55年)1月のものですが、次に述べるように、1978年9月から12月の定検時にはもっと高い濃度であった可能性があります。α核種の表面密度もこのとき規制値を超えていた可能性がきわめて高いのです。
従って、表面密度については、1981年(昭56年)10月より前の数値、排気筒濃度については、1979年(昭54年)3月以前の数値が公表され、それによって法的規制値との比較がなされる必要があります。

4. 出るはずのないα核種が大量に飛び出した大事故が隠されている
いずれにせよ、なぜ不揮発性のα核種がこれほど大量に燃料棒内から放出されたのか、この点は何も明らかにされていません。1978年(昭53年)12月の定検時の発表によれば、この1号機では燃料集合体6体で各1本ずつ計6本の燃料棒でひび割れが見つかっています。そのひび割れは、1978年12月20日付け朝日新聞の報道によれば、長さがすべて約10cm程度であったと当時の伏谷所長が語っています。すなわち燃料集合体6体分のかなり広い範囲で、長さ10cm程度もの長いひび割れが入ったわけで、これはきわめて異常な事故ではないでしょうか。そのような事故がその定検前の運転中に起こったはずです。そのとき不揮発性のα核種が飛び出したとすれば、燃料ペレットは融点近くまで温度が上昇していたか、何らかの衝撃でペレットが粉々になって飛び散ったか、それほどの状態が出現していたとしか考えられません。そして、この1978年秋定検時に、燃料取り替え作業のために圧力容器の蓋を開け、さらに格納容器の蓋を開けたときに、冷却水中のたくさんの放射能が飛び出して原子炉建屋全体を汚染したのではないでしょうか。事実、福島第一原発では、ちょうどこの頃から労働者の被ばく線量が急上昇し、以後あまり下がっていません。このような労働者被ばくをもたらした衝撃的な事故の実態も原因も何も明らかにされないまま、真相が隠されたままで今日に到っていると考えられます。

以上述べた諸点について、貴職は早急に調査をされ、東京電力に対して法令違反、事実隠蔽と労働者被ばくの責任を問い、その結果について広く世間に公表されるよう要請します。

                                                    2002年10月30日
                           美浜・大飯・高浜原発に反対する大阪の会 代表 小山英之
                           連絡先:大阪市北区西天満4−3−3 星光ビル1階
                           TEL:06-6367-6580; FAX:06-6367-6581



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