4月6日 被曝労働 長尾原発裁判を傍聴して
「使い捨てにされる前にきちんと白黒をつけたい。
内部被曝のことも、東電に謝って欲しい」



4月6日、大阪地方裁判所202号大法廷で、長尾光明さんの原発裁判、本人尋問が行われました。この裁判は東京地方裁判所で行われていますが、高齢の長尾さんの体調等を考慮して、本人尋問は大阪地裁で行われました。

この裁判は、現在80歳になる長尾さんが、2004年10月7日、「原子力損害の賠償に関する法律」に基づき、東京電力に約4400万円の損害賠償を求めて提訴した裁判です。長尾さんは、ベテランの配管工として、1976年から約4年間東京電力福島第1原発などで被ばく労働に従事し、それが原因で「多発性骨髄腫」という血液のガンに罹患(現在も闘病中)しました。2004年1月に福島の富岡労働基準監督署が労災認定をしたため、全ての情報開示と完全な補償を求めて、雇用主だった石川島プラント建設や東京電力などに話し合いを申し入れましたが、拒否されたため提訴に至ったものです。

■東電の人は偉すぎて現場では見たことがない
原告代理人からは、最初に、長尾さんが原発で働くことになった経緯が聞かれました。昭和48年1月に、配管工として石川島プラントに入社した長尾さんは、採用時に会社との間で、「原子力部門に行かない」ことを書面で確認したと証言しました。しかし、昭和52年、会社から出向命令が出て、これに従わなければ解雇になるため、仕方なく原子力部門に行ったのだと、話されました。このとき会社からは、仕事内容や身体への影響について「説明はなくぶっつけ本番だった」と証言。会社側に、労働者を守る姿勢が全くないのだと言う思いが瞬時に湧いてきて、とても悔しい気持ちになってしまいました。放射線管理区域に入る場合には、パッチのようなものの上につなぎを2枚重ねて着て、手袋・マスクなどの防護を行い、左胸のポケットにはアラームメータ、右胸のポケットには線量計を入れて、暑く、暗く、劣悪なそして危険きわまりない労働環境の中で、どのように作業をし、あるいは指揮をしていたか、詳細に真摯に証言する長尾さん。「管理区域は暑くてすぐに汗が出る、汗で半面マスクの中はズルズルで話しをする時はずらすこともあった」「いったん管理区域に入るとトイレにも行けない。どうしてものときは垂れ流すこともあった」。「線量の高い所に行くのはイヤだった。他の人に高い所に行けというのはイヤだった」。言葉のひとつひとつに、彼が、自分の仕事に誇りと自負をもってやって来たことがあらわれていました。

原告代理人が「現場には東電の社員はいたのですか」と尋ねると、「東電の人は偉すぎて現場ではみたことはない。東電の社員は見たことはない。浜岡原発では社員を見ましたが。東電はハッパばかりかけてワーワー言うだけだった」と証言。被ばく労働を下請けに押しつけている東電の傲慢な姿勢が如実にあらわれていました。

しかし、この病気にかかったことを「原発で働いたことによって病気になり、悔いがある」と、感じていることを明かされ、辛かったことは何かという質問には、「マルクという胸骨から針を刺して細胞を採る検査や、化学療法などの治療がたいへん辛かった」と、その苦しい胸の内を証言されていました。

裁判をしようと決めたのは、「使い捨てにされる前にきちんと白黒をつけたいから。内部被曝のことも、東電に謝って欲しいからだ」と、率直に強い決意を示していました。

■「あなたのハンコが押してあります」→「ハンコはずーっと預けていました」
続いて行われた東電の代理人である富田美栄子弁護士からの尋問は、長尾さんの職歴をはじめとして、既往疾患、挙げ句の果てにはどこで調べてきたのかお母さんの死因に至るまで、この賠償請求の裁判にどんな関連があるのかと感じるほど、執拗な内容でした。「炭坑で働いていたでしょう、化学プラントで働いていたでしょう、石油タンクの仕事をしていたでしょう」とたたみかけるが、長尾さんは「化学物質は吸っていません、タンクの中には入っていません」。長尾さんの病気が原発以外に原因があると意図した尋問でしたが当てはずれでした。

富田弁護士が一番強調していたのは、東電が、原発労働者に対して、非常に厳しい放射能防護を行わせて、厳重体制で臨んでいるんだという、宣伝ともとれる事柄です。放射線管理区域では、絶対にマスクを取ったりすることはないはずだということや、きちんとした管理をしてきていることを、ことさら強調していました。しかしそれも裏目に出ました。「事前にパンフレットやスライドを見たでしょう」「いいえ見ていません」。「放射線管理手帳には、あなたのハンコが押してあります、あなたのサインもある」と尋問すると、「ハンコはずっーと預けていました。サインは私の字ではありません」。傍聴席からは笑いが起きました。他方、「マスクはガムテープでぐるぐる巻きにしてあったでしょう」等の富田弁護士の話は、このことが逆に、「やはり原発は恐いもの」「これほど管理していても放射能の影響が出るんだ」ということを、聞いている人々に印象づけたように思いました。

さらに、「国」の代理人に対して、長尾さんは「国っていうのは一体どこですか?文部省ですか?」と、国という曖昧な立場を最初に追及していました。そして、原告側の書面の一言一句を質問に持ち出す国の代理人に対して、長尾さんが「文章にケチを付けているのか?」と、国の不透明な尋問目的を問いただす一面もあり、これにはさすがに国もタジタジで、大きな拍手を送りたくなるような瞬間でした。

■プルトニウム等で汚染されていた松の廊下等ではマスクは着けていない
最後に重要なポイントの確認が原告代理人からありました。原発で働いていた時期に、長尾さんの放射線管理手帳は、放射線管理人という立場の人に預けてあったこと、作業している期間には、長尾さんはその手帳を確認したことはなかったこと、さらに印鑑も預けてあったこと。また、「松の廊下」と呼ばれる廊下を、毎日、作業が終われば必ず通過していたこと。

「松の廊下」と言われているのは、福島第1原発の1号炉と2号炉の管理建屋の前を通っている共通の廊下のことで、1号炉に入った労働者も、2号炉に入った労働者も、通る場所です。「放射線管理区域外」とされているところで、当然ながら、マスク等放射線防護をはずした後に、通過していたとの証言でした。ちょうど長尾さんが、ここで働いていた頃に、福島第1原発ではアルファ核種による汚染があったことが、数年前の内部告発により明らかになっています。もちろん長尾さんや他の労働者には、この廊下を含むタービン建屋にプルトニウムをはじめとするアルファ核種による汚染があったことなど、一切知らされていなかったことです。誰が考えても、長尾さんが、放射線管理区域だけでなく、この「松の廊下」でも、被曝を受けたことは否めない事実でしょう。

本人尋問が終了し、次回は6月9日という日程が決定しました。

■若い人たちのことを考えるとこの裁判を勝ちたい
閉廷後、長尾さんは支援者達の拍手にむかえられ、満面の笑顔で現れました。長尾さんは、「自分はもう死ねば良いだけなのだが、若い人たちも原発に入って労働をさせられていると言う現実がある。そこで働く労働者のことや、被曝して死んでいった人たちのことを考えると、どうしても自分が頑張ってこの裁判を勝ちたいと思う。原発反対というだけでなく、原発で働く労働者のことも考えていきたい」と、話されました。自身の長い闘病生活、予断を許さない病状、そして既に80歳を超えた高齢者でもある長尾さん。それだけでも十分大変な状況にありながら、後進の人のことを考えるとどうしてもがんばり抜きたいという信念が、満身にあふれていて、本当に輝いて見えたほどでした。その強い意志に感動し、思わず涙があふれてしまいました。

長尾さんの人柄に触れ、なお一層この裁判を支援し続けていきたいと思いました。(O)