ECRR
欧州放射線リスク委員会2003年勧告
放射線防護のための低線量電離放射線被曝の健康影響

実行すべき結論(Executive Summary)



 この報告書では、電離放射線被曝がヒトの健康に及ぼす効果に関して本委員会が見いだしているところについて概略を与え、さらに、これらのリスク評価についての新しいモデルを公表する。それは政策決定者やこの分野に関心を持つ人々に向けたものであり、本委員会によって開発されたモデルやそれが依拠した根拠について簡潔な説明を与えることを目的としている。このモデルの開発は、現在法的に制定されている放射線リスクの全ての基礎とされ、かつ支配している国際放射線防護委員会(ICRP)の現在のリスクモデルを分析することからはじまる。本委員会は、このICRP モデルについて、それを体内に取り入れた放射性同位元素による被曝に適用するについては、基本的に欠陥を持つものであると見なしているが、歴史的に存在している被曝データを処理するという実際的な理由のために、内部被曝に対して同位体と放射線毎に特別な荷重係数を定義することによって、そのICRP モデルにある誤差を修正することに合意した。したがって、実効線量の計算は存続する。
1. 欧州放射線リスク委員会は、ICRP のリスクモデルを批判するために設立されが、それは1998 年2 月に開催された欧州議会内のSTOA ワークショップと明確に同一のものである;その後、それは低レベル放射線の健康影響に関して別の見方を探すべきだとの認識で一致した。本委員会は、欧州内の科学者とリスク評価専門家によって構成されているが、その他の国々の科学者や専門家からの事実の提供やアドバイスも受けている。
2. 人類の活動に関わる放射線源に起因して、体内に取り込まれた放射性同位元素によって被曝した集団において、特にガンや白血病といった、疾病のリスクが増加しているという疫学的証拠と、ICRP のリスクモデルとの間には不一致が存在していることをまず確認するところから本書は始まる。本委員会は、そのようなリスクに適用されたICRP のリスクモデルの科学的な考え方にある基礎に取り組み、ICRP のモデルは、受け入れられる科学的道筋を通じて生まれたものではないと結論する。とりわけ、ICRP は急性の外部放射線被曝の結果を、複数の点線源からの慢性的な内部被曝に適用し、これを支持するためには、もっぱら放射線作用の物理的モデルに頼ってきている。しかしながら、これらは結局において平均化してしまうモデルであり、細胞レベルで生じる蓋然的な被曝には適用できない。ある細胞は放射線にヒットされるか、されないかである;最小の衝撃は一回のヒットであり、衝撃は、時間軸に沿って広がっているこの最小のヒットの回数が増えることによって増加する。したがって本委員会は、体内の線源からの放射線リスクを評価するに際しては、内部被曝の疫学的証拠を、機械的理論に基づくモデルよりも優先させなくてはならないと結論した。
3. 本委員会は、ICRP モデルにある暗黙の原則の倫理的な基礎、したがってそれらの法的な基礎を検討する。本委員会は、ICRP の正当化は、時代遅れの哲学的推論、とりわけ功利主義的な平均的費用-便益計算に基づいていると結論する。功利主義は、行為の倫理的な正当化のための根拠としては、それが公平な社会と不公平な社会あるいは条件とを区別する能力を欠いており、すでに長い間退けられている。功利主義は、例えば、計算されるのは全体の便益だけで個々人の便益ではないという理由から、奴隷社会を正当化するためにも使われ得る。本委員会は、ロールズの正義論、あるいは国連の人権宣言にもとづく考え方等の人権に基づく哲学を、行為の結果として公衆の構成員の回避可能な放射線被曝の問題に適用するべきであると提案する。本委員会は、同意のない放射能放出は、それがもたらす最も低い線量であっても、たとえ小さくても有限の致死的な危害の確率を持つので、倫理的に正当化できないと結論する。そのような被曝が許容される事態においては、本委員会は、住民全体に及ぶ危害の総和を評価するために、関係する全ての行為と時間において「集団線量」の計算が採用されるべきであると強調する。
4. 本委員会は、「住民の放射線被曝線量」を正確に決定することは不可能であると考えている。それは放射線の種類、細胞、そして個々人にわたる平均化の問題や、それぞれの被曝は、細胞あるいは分子のレベルにおけるその効果の観点から記述されるべきであるという問題があるからである。しかし、実際上これは不可能なので、本委員会はICRPのリスクモデルを、その実効線量の計算に2つの新しい荷重係数を取り入れることでその適用範囲を拡大したモデルを開発した。それらは生物学的及び生物物理学的な荷重係数であり、それらは体内の複数の点線源に起因する細胞レベルでの電離密度、すなわち時間と空間における区別の問題を記述する。実際のところ、それらはICRP が使っている、異なった線質の放射線(例えば、アルファ線、ベータ線及びガンマ線)がもたらす異なった電離密度を調節するために採用されている放射線荷重係数の拡張である。
5. 本委員会は、放射線被曝源を概観し、自然放射線への被曝との比較によって、新しいタイプの被曝の効果を評価する試みに注意を払うことを勧告する。この新しいタイプの被曝の中には、ストロンチウムSr-90 やプルトニウムPu-239 といった人工同位体による内部被曝だけではなく、ミクロンメートルの範囲の大きさに集まった、完全に人工的な同位体(例えば、プルトニウム)や天然同位体の形態からは変更され(例えば、劣化ウラン)の同位体の集合体(ホット・パーティクル)による被曝も含まれる。そのような比較は、現在のところICRP の概念である「吸収線量」に基づいてなされるが、それは細胞レベルでの危害の結果を正確には評価しない。外部被曝と内部被曝との比較もまた、細胞レベルでは定量的にきわめて異なることがあるので、リスクを過小に評価してしまうという結果をもたらすだろう。
6. 本委員会は、生物学や遺伝学、またガンの研究における最近の発見は、ICRP の細胞内DNA の標的モデルが、リスク分析のよい基礎ではありえないことを示しており、放射線作用についてのそのような物理的モデルを、被曝した人々についての疫学研究よりも優先して取り扱うことはできないと主張する。最近の研究結果は、細胞に与えられる放射線のヒットから臨床的な発病へとつながるメカニズムについては、ほとんどまったく未解明のままであることを示している。本委員会は、被曝に関する疫学的研究の基礎を概観し、被曝に続く損害についての多くの明瞭な証拠の数々が、不適切な放射線作用の物理的モデルに基づいているICRP によっては、考慮の外に置かれてきていることを指摘する。本委員会は、そのような研究を放射線リスクを評価するための基礎として復活させる。したがって、セラフィールドの小児白血病の発生群に見られる、ICRP モデルによる予測値と観察結果との間の100 倍ものひらきは、そのような被曝がもたらす小児白血病のリスクの評価となって表現される。したがって、その係数は、本委員会によって、特殊なタイプの内部被曝による損害を計算するにあたっては、シーベルト単位で子供の「実効線量」を計算するのに使用する荷重係数に取り入れて評価することを通じて組み込まれることになる。
7. 本委員会は、細胞レベルでの放射線作用のモデルについて調査し、ICRP の「線形閾値無し」モデルは、外部照射に対する中程度に高い線量領域のあるエンド・ポイントについてを除いては、被曝線量の増加に対する生体の応答を表現しないと結論する。ヒロシマ原爆被爆者の寿命調査研究からの外挿には、同様な被曝、すなわち急性の高線量被曝についてのリスクのみが反映される。低線量被曝に関して本委員会は、これまでに発表された研究を概観し、放射線線量に対する健康影響は、低い線量ではそれに比例して大きくなるが、これらの被曝の多くが、誘発される細胞修復や(細胞分裂時の)感受性の高い細胞相が存在するために、2相的な線量応答になる可能性があると結論する。そのような線量応答関係は、疫学データの評価を混乱させる可能性がある。本委員会は、疫学研究の結果においては、直線関係が失われていることをもって因果関係を否定する議論は進めるべきではないことを指摘する。
8. 損害の機構についての考察を重ね、本委員会は、ICRP の放射線リスクモデルとその平均化の手法は、空間的にも時間的にも非均一性がもたらす効果を排除してしまうと結論する。すなわちICRP のモデルは、体内のホット・パーティクルによる組織局所への高線量の被曝と、細胞分裂の誘発と中断(2次的事象)をもたらす連続的な細胞への照射とを無視し、これら全ての高いリスクの状態を大きな組織の質量全体にわたって単純に平均してしまうのである。このような理由から、本委員会は、ICRP がリスク計算の基礎として使用している未修正の「吸収線量」には欠陥があり、それを、特殊な被曝の生物学的かつ生物物理学的な様相に基づいて荷重を強調する、修正「吸収線量」に置き換えるべきであると結論する。以上に加えて、本委員会は、ある元素からの、特に炭素C-14やトリチウムT の、壊変がもたらすリスクに注意を払い、そのような被曝を適切に荷重した。荷重はまたDNA に対して特に生化学的な親和性を有する元素、ストロンチウムSr やバリウムBa、そして、オージェ電子放出体である放射能についても加えた。
9. 本委員会は、同様の被曝はそのような被曝のリスクを決定するとの基礎に立って、放射線被曝を疾病に結びつける証拠を調査した。したがって、本委員会は被曝と疾病との関連についての全ての報告、すなわち、原子爆弾の研究から核実験降下物による被曝、核施設の風下住民、原子力労働者、再処理工場、自然バックグラウンド放射能、そして原子力事故について検討した。本委員会は、低線量での内部被曝による損害を紛れもなく示している2 つの被曝研究にとりわけ注目した。チェルノブイリ後の小児白血病と、チェルノブイリ後のミニサテライトDNA 突然変異についてである。これらのいずれも、ICRP のリスク評価モデルが100 倍から1000 倍の規模で誤っていることを示している。本委員会は、内部被曝や外部被曝によるリスクを示す事実からなる証拠を、健康への影響が予測されるあらゆるタイプの被曝に適用できる、新しいモデルでの被曝換算で荷重する根拠としている。ICRP とは違い、本委員会は、死を招くガンによる子どもの死亡率、特殊ではなく通常の健康被害に至るまで分析を行った。
10. 本委員会は、現在のガンに関する疫学調査は、1959 年から1963 年にかけて世界中で行われた大気圏内核実験による被曝と、核燃料サイクル施設の稼働がもたらした、さらに大量の放射能放出が、ガンや他の健康被害の明確な増加という結果を与えているとの結論に達した。
11. 本委員会ECRR の新モデルと、ICRP のモデル双方を用いて、1945 年以降の原子力事業が引き起こした全ての死者を計算した。国連が発表した1989 年までの人口に対する被曝線量を元にICRP モデルで計算すると、原子力のためにガンで死亡した人間は117 万6300 人となる。一方、本委員会のモデルで計算すると、6160 万の人々がガンで死亡しており、また子ども160 万人、胎児190 万人が死亡していると予測される。さらに、本委員会のモデルでは、世界的に大気圏内で核実験が行われその降下物で被曝した人々が罹患した全ての疾病を全て併せると10%が健康状態を失っていると予測されるのである。
12. 本委員会は以下を勧告する。公衆の構成員の被曝限度を0.1 mSv 以下に引き下げること。原子力産業の労働者の被曝限度を5 mSv に引き下げること。これは原子力発電所や再処理工場の運転の規模を著しく縮小させるものであるが、現在では、あらゆる評価において人類の健康が蝕まれていることが判明しており、原子力エネルギーは犠牲が大きすぎるエネルギー生産の手段であるという本委員会の見解を反映したものである。全ての人間の権利が考慮されるような新しい取り組みが正当であると認められねばならない。放射線被曝線量は、最も優れた利用可能な技術を用いて合理的に達成できるレベルに低く保たれなければならない。最後に、放射能放出が与える環境への影響は、全ての生命システムへの直接・間接的影響も含め、全ての環境との関連性を考慮にいれて評価されるべきである。