「完全勝訴」 判決言い渡しの午後1時30分過ぎ、雨が降りしきる中、支援者とマスコミのカメラが待つ裁判所玄関前に、白布に清書された「完全勝訴」の幕が掲げられた。原発訴訟判決でいままで見たことのなかったこの4文字に私は一瞬目を疑い、カメラのシャッターを切るうちにじわじわと喜びがあふれてきた。拍手と歓声、「バンザイ」の声が、集まった支援者の中からわきおこった。喜びで涙する方も。一審の「不当判決」を破棄、設置許可処分の無効を認めた判決だとの第1報。まさに「完全勝訴」だ。 「正論が初めて正論として認められた」 午後3時からの「もんじゅ完全勝訴判決報告集会」では、小木曽美和子さんが「声明」を読み上げ、弁護団の各弁護士から判決のポイントについて報告された。国の見解を丸写ししたような一審判決から一変、本判決は住民側の主張をほぼ認め、安全審査の過誤・欠落を指摘し、結果として炉心崩壊事故を起こす恐れがあり、住民に対する放射能による被害が否定できないとまで書かれていることが報告された。そして、小手先の改造工事では十分ではなく、安全審査を全面的にやりなおす必要があると断じているという。 記者から感想を求められ、小木曽さんは「正論が初めて正論として認められた。」「すばらしい判決を得て、満足している。国が上告を考えているでしょうが、何年かかるかわからないけど、最後までやりとげます。」と感情を抑えながらも、自信に満ちた口調で述べられ、「最終的に廃炉を目指します。」と締めくくられた。 原告団・弁護団と久米先生、小林先生は、原告主張の論理を徹底的に煮詰め、裁判官に原告主張を理解してもらうために進行協議の中で、基本から根気強く裁判官に訴えかけてこられた。「たゆまぬ努力の熱意」に深く敬意を表します。 「未来の若いものに残してはいけないという一心からがんばっている」 2000年3月の一審には車椅子で参加された原告団長の磯部甚三さん。今回は病床にあり、欠席されていた。原告のみなさんは年を重ねるにつれて、健康に支障をきたしながらも、17年半の間闘い続けてこられた。身を削っても闘いつづける意志の強さ、もんじゅをなんとしても止めてやるという執念が勝利に結びついたのだと私は感じた。 原告の一人、斎藤さんは「技術的なことはわからないが、未来の若いものに(もんじゅを)残してはいけないという一心からがんばっている。その一念で参加している」と謙虚に発言された。 金沢駅までのバスを待つ間、福井で活動されている方と、20万県民署名を集めに週末、冷たい雪の中、個別訪問や量販店前で苦労して署名集めをした思い出話をしながら、17年半の間、大きな運動の高揚が常にあったわけではないが、小さいながらも、様々な人々による様々な形の運動がつながってこの勝利に結実したのだな、この勝利にささやかだが私も貢献できたかなと考えながら、喜びいっぱいで帰阪の途についた。 この勝利は、全国の反原発運動を元気づけ、六ヶ所再処理工場の運転阻止の運動に大きな力を与えてくれるにちがいないとの思いがこみ上げた。(T) |