住民に被曝が強要された 東海村JCOの臨界事故からすでに1週間以上が経過するが、臨界の規模についても、放出された放射能についても、したがって周辺の人々に強要された被曝の規模についても確かなところは伝えられていない。しかしこれまでに明らかになっている事柄だけから判断しても、東海村も茨城県もそして国までもが事故の性格と深刻さを理解せず、必要な対処、すなわち臨界が生じ中性子線とガンマー線を放出しつづけた事故現場から、可能な限り早く、可能な限り遠くまで逃げるという当たり前の対処を住民にさせなかった。その結果、周辺に居た妊婦、乳幼児を含む住民の多くに公衆の1年間の被曝限度を超える被曝をさせた。特にリーダシップを発揮すべき科技庁と安全委員会のサボタージュとも思える対応の遅れは徹底的に批判されなくてはならない。 「安全宣言」は出されてもその根拠は示されていない。特に周辺の放射線レベルや放出された放射能の核種とその濃度といった、この事故のもっとも本質的な結果については、存在するはずのデータが隠されている。科技庁は意識的に情報を隠している。自分たちへの責任追及を逃れるために事故を小さくみせかけようとしている。一方で住民にはその理由や根拠が示されないままに「安全宣言」が出された。しかし、住民自身が安全であるか危険であるのかを判断するのに必要なデータはまるで届いていない。ここでは、我々が確認できる限りではあるが、事故によって飛散した放射能、及び放射線による被曝の実態についてまとめ、未だ残されている問題について可能な限り整理したい。 臨界事故では放射性物質のみならず強い中性子線による被曝がある 今回の臨界事故の担い手はウラン235である。言うまでもなく、広島に投下された原爆の材料であり、原子炉の燃料と同じ物質である。その原子核1個の質量は3.9x10-22gある。したがって、1016個では3.9x10-6g(3.9マイクログラム)であり、1019個では3.9x10-3g(3.9ミリグラム)である。自身もアルファ線を出す放射性物質であるが、中性子と衝突すると極めて容易に2つの原子核に分裂する性質を持つ。高いエネルギーを持って飛び出るこれら2つの原子核こそが放射性物質(死の灰)である。このとき同時に2〜3個の中性子も飛び出るが、これが他のウラン235の原子核に衝突し、核分裂を起こすならば、核反応は何時までも続くことになる。そのような状態を臨界と呼ぶ。 臨界事故ではウランの核分裂反応が連鎖的に発生するが、その結果、(1)核分裂によって生じた放射性物質の大気中への飛散による汚染及び被曝のみならず(2)核分裂時に出る強い中性子線及びガンマー線による被曝が起こる。すなわち臨界により、さほど強い放射性物質ではないウランが、突然に強烈な放射性物質を生みだし、同時に中性子線やガンマー線を放射しはじめるのである。過去の核燃料化学処理加工施設での臨界事故の事例によれば、1015〜4x1019個程度の核分裂が発生している(質量にすると0.4マイクログラム〜16ミリグラムである。このわずかな量のウランが致死的な放射能と放射線を発することが臨界事故あるいはもっと広く原子力の根本的な危険性と言えるだろう)。しかし過去、臨界事故が今回のように街中で起こったことはない。したがって作業員ばかりか周辺の人々もこの両者からの被曝を強要された。これら2つの被曝の危険性に対してはそれぞれに異なった対策が必要である。 大気中に飛散した放射性物質にたいしてはそれに触れないこと、吸わないことが必要である。実際上、放射能雲として流れる希ガスやヨウ素をリアルタイムで検知して逃げることは難しい。しかし放射能雲のないところに逃げるしか被曝を避ける方法はない。衣服や皮膚、髪の毛に付着したものについては出来るだけ早く洗い流す必要がある。この汚染の検査には通常のサーベイメータが有効である(言うまでもなくサーベイメータでの測定は汚染の検査にのみ有効であり、被曝量は測れない)。 一方、中性子線やガンマー線に対しては出来るだけ早く臨界の起こっている地点から出来るだけ速やかに遠くまで離れることが唯一の安全対策である(屋内に居ても中性子線は人を被曝させる)。今回のようなウランの水溶液系の臨界事故では、熱中性子のみならず高速中性子を含む、様々なエネルギーをもった中性子が発生する。中性子線はアルファー線やベーター線とは異なり電荷を持たないため、ガンマー線と同様に透過力が強い。すなわち、電荷を持たないため、人体を含むあらゆる物質を構成する原子の原子核と容易に衝突し、その原子核をもとあった位置からはじき出す。はじき出された原子核(イオン)はアルファー線と同様に電荷を持つのでその進路周辺にダメージを与える。または衝突した原子核と核反応を起こし、放射性の原子核を作る。人の血液中や食卓の食塩から検出されたナトリウム24は天然に存在するナトリウム23と中性子とが反応して生じた。そしてそのナトリウム24は放射線(ベータ線とガンマー線)を出しさらに人体を傷つける。このように中性子線は透過するだけでなく殺傷力を持つ。同じエネルギーをもった同数のガンマー線と比べて10〜20倍危険であると考えられている。今回の事故の実態に照らして、果たして国が、茨城県が、東海村はベストを尽くしたと言えるか?絶対に言えない。彼らの対処は最悪の部類に属する。 深刻な住民の被曝があった 今回の臨界事故を知るためには最低限なにが明らかにされなくてはならないか?(1)16kgと言われるウランのうち(核分裂性のウラン235は3kg)どれだけが核分裂を起こしたのか。そして(2)どれだけの放射性物質が発生したのか。(3)放射性物質はどの程度どのように環境中に飛散し人々を被曝させたか。(4)中性子線やガンマー線の強度はどの程度であり、どのように人々を被曝させたのか。科技庁も安全委員会もこのような最も基本的な問題について未だ見解を出せないでいる。彼らは事故の性格を把握できないままに、いたずらに時をすごし周辺の住民を被曝させた。JCOの所長や安全委員会の住田氏は早い段階で臨界の可能性に気づいたと伝えられている。ならばどうしてすぐに中性子線を測らなかったのか。犯罪的なサボタージュである。 現在までに公表されている資料だけでは、(1)〜(4)の課題には正しく答えられない。ただし明らかなのは、後で詳しく見るように、周辺の人々はもっと早く遠くに避難すべきであったということである。JCOの社員が社外の人に直接声をかけるならばその被曝の何割かは防げたかも知れない。住民は放射線が降り注ぐ地域に何時間も放置され、ある時点からは被曝する地点にとどまるように勧告されたのである。どのような法律や制度をつくろうとも、責任感の無い、事故の実態を把握できない人達がトップに居座っているのでは現場の職員や住民の生命と健康は守れない。 (1)中性子線及びガンマー線による被曝 JCOはアラーム警報がなり3人の作業員が致命的な被曝をした9月30日午前10時35分のおよそ1時間後から工場敷地周辺でのガンマー線線量率の計測を断続的に実施した。彼らは中性子線量計を持っておらず、中性子線線量率の測定が開始されたのは同日午後7時過ぎからでしかない。公表されている測定値一覧を表1に、サンプリング位置と工場敷地及び周辺の住宅地とを示した地図を図1に示す。以下このJCOによる資料に基づいて事故当時の現場周辺を考えてみる。 図2は事故現場にもっとも近い測定位置(4、約96m)とそのほぼ反対側にある測定地点(10、約526m)の測定値を事故発生からの時間に対して示したものである。事故現場に近い位置ではより高い線量率が測定されており、また中性子線線量率の値はともにガンマー線よりも約一桁高くなっている。このような傾向は他のすべての測定点についても見られる。午後7時以前には中性子線のデータは無いのであるが、同様の臨界が継続したとの仮定のもとで、中性子線の線量率とガンマー線のそれとの比が10対1になっているとし、午後7時以前の中性子線線量率を推定した(溶液体系の臨界では、中性子線とガンマー線の吸収線量の間にある比例関係が成り立つという実験結果に基づいた)。 分析を進める前に幾つかの留保をしておきたい。このデータの根本的な欠陥は作業員が致死量の被曝を受けた事故当初の線量が欠落していることである。またサンプリングの期間が連続していないためスパイク的な反応を見落としている可能性が高い。一般に臨界事故では最初に短い時間に強力なパルス的な核分裂が発生する(実際にスパイクと呼ばれる)。そしてその後比較的穏やかな臨界が継続する(数回のスパイクが発生する可能性もある)。また政府のオタオタした対応のあった午後3時過ぎから5時頃までのデータが無い。変動がないならどうしてオタオタしたのかが分からない。そして「突撃隊」を組織して敢行された臨界を停止させるための水抜き作業時のデータもない。 図3と図4とはJCOによるガンマー線と中性子線の線量率測定値を、それぞれ距離に対して示したものである。双方ともに、臨界現場からの方向にはほぼ無関係に、現場に近づけば近づくほど線量率が高くなっている。ここに描かれた曲線を用いれば測定点の無い地点であっても、現場からの距離が分かればそこでも線量率のおおよそを知ることができる。例えば、ガンマー線の線量率は、当日午前11時36分から実施された測定では、100mの地点で約1mSvであり、350mの地点では約0.01mSvである。中性子線については先にのべた考え方に従ってガンマー線線量率から測定されなかった時刻の線量率も推定した。午前11時36分には、100mの地点で約10mSvであり、350mの地点では約0.1mSvである。地元の人達に退避が東海村から要請されたのは臨界発生から5時間後であった。それまでに100mの地点では一般公衆の年間線量限度(1mSv)を軽く超え、職業人の年間線量限度(50mSv)に匹敵する被曝があったことになる。避難は350mまでとされたが(実際には区域で境界が設けられたためもっと近くても避難を要請されなかった家族がある)臨界は17時間も続いたので、その距離では1.7mSv程度の被曝があったことになり、やはり1mSvを超える。このように中性子線による被曝だけを考えても、少なくとも500m圏の住民に即座に避難を要請すべきであったのは明らかである。特に妊婦と乳幼児に対しては早急の避難が必要だった(テレビに映る姿をみて目を覆いたくなった)。彼らは行政に被曝させられたのである。最大級の被曝を受けた住民の方はその自覚症状を訴えている。住民への連絡と避難が遅れたのは取り返しのつかない、犯罪的な大失敗である。 (2)事故当初の爆発的な臨界 JCOの数少ない測定値に基づいて評価するだけでも大変な被曝があったことは明らかであるが、実際にはこれら定常的な臨界による被曝に加えて、瞬間的に極めて強い放射線が発生した時期があった。その痕跡は臨界現場から2キロ離れた原研那珂研究所のモニターに記録されていることがようやく公表された(図5参照)。臨界事故がはじまった10時35分にその中性子モニターは通常の数100倍の中性子を検知した。3人の作業員に致命的な被曝をもたらし、さらに「青い光」の原因となったのは、この時刻における爆発的な核連鎖反応であった。中性子モニターはその後も高い出力を示している。同時に同研究所のガンマー線モニタにもパルス的な放射線線量の急上昇が記録されている。そして注目するべき事実として11時50分頃、16時頃、18時頃にはより高いガンマー線線量率が測定されているのである。これらが直接臨界によるものなのか、それとも大気中に放出された放射性物質によるものなのかはっきりと説明させる必要がある。 繰り返しになるが、図3や図4から読みとれる被曝に加えて、パルス的な放射線による被曝そして放出された放射性物質による被曝は確実にあった。100mの地点では一時的に1Sv/hを上回る線量率があったはずである。そのような強力な被曝のあった時間幅を公表させなくてはならない。 (3)放出された放射性物質による被曝 どのような放射能がどれだけ漏れたのか?この誰にとっても必要な、誰もが知りたい、周辺住民にとっては切実な問いに、科技庁も安全委員会も未だに答えようとしない。科技庁は意識的にこの情報を隠している。周辺住民に対してサーベイメータを用いた汚染検査が行われているが放射性物質が皮膚や髪の毛、衣服に付着していない限り被曝の事実は見つからない。クリプトンやキセノンなどの放射性の希ガスに曝されたとすればそれによる被曝は見つからないことになる。 この問題については、極めて重要な測定が京都大学原子炉実験所の小出先生によってなされ公表された。臨界事故から3日後の10月3日にサンプリングされ、翌日に測定されたものであるが(よもぎ、枯葉と松の葉、土)、中性子によってつくられたナトリウム24とともにヨウ素133が検出された(後日茨城県によっても確認された)。ヨウ素133の半減期は約21時間なので、この臨界事故によって生成した放射性のヨウ素が環境に放出されたことは確実である(この測定がなければ我々は「放射線だけで放射能は出ていない」という宣伝にのせられる恐れもあった)。ヨウ素が出たということは、希ガスはその大半が出たと考えて良いだろう。事故を知らないままに生活していた住民は放射性のヨウ素を吸わされ、放射性の希ガスに曝されたのである。しかしながら、科技庁も安全委員会も持っているはずのデータを公表していない。 小出先生の測定は10月3日にサンプリングした試料についてのものである。それは「安全宣言」が出された後である。「安全」とされた土地から放射性のヨウ素が検出された。何を基準にして「安全宣言」を出したのかを当局に明らかにさせる必要がある。言うまでもなく東海村は原子力のメッカである。大勢の原子力研究者も居る。彼らの多くは高性能の放射線検出器を自由に使えるだろう、そしておそらくは事故の放射能を計っているはずである。日本国内で東海村ほど放射線データが揃うところは無いはずである。具体的な測定例を公表させる必要がある。事故のどの時期にどのような計測がなされたのか。希ガス、ヨウ素、等の核種ごとの計測例と評価を科技庁と安全委員会に公表させなくてはならない。 (4)臨界で燃えたウランの量 原子力委員会の事故検討委員会において、安全委員会の住田氏は核分裂の数は1016個程度であるとの見解を述べたと伝えられている。先日放映されたNHKの「日曜討論」では元安全委員会の内藤氏が1018個程度としていた。安全委員を務めるような専門家の間にどうしてこのような差があるのか?彼らは現場作業員の行為を第一義的に責めるが、中性子線の測定を指示しなかったことも含め、起こった臨界事故について自分たちもよく分かっていないのではないか?このような疑問を抱かざるを得ない。 我々は事故の評価を彼らに正しくさせなければならない。ここで過小評価があれば今後の事故処理対策で作業員に、場合によっては住民に、予想外の被曝を及ぼす結果になるかも知れないからである。すでに述べたように、過去の事故例を見ると核分裂数は1015〜4x1019個の範囲であるとされている。今回の臨界事故は過去の事故と比較して長時間続いているのが特徴であり、したがって、これらよりも大きくなる可能性がある。ここでは、溶液系の最大想定事故としては、1019〜1020個の核分裂の発生を想定するべきであるとする見解が以前から出されている事実だけを指摘しておきたい。 徹底的な情報公開を 事故の実相は未だ多くが隠蔽されている。(1)放射性物質による汚染に関してどのような測定が、野菜や土壌、牛乳等についてなされ、どのような結果であったのか、全てのデータを公表させよう。(2)周辺住民の被曝がどの程度のものであるのか行政としての責任ある回答を求めよう。(3)特に中性子モニターがある近隣の三菱原子燃料やニュークリア・ディベロップメント、原子力研究所等が持つデータ、NHK特集でも映ったJCO内にもあるはずのデータを科技庁に公表させよう。(4)いい加減な「安全宣言」を撤回させ再度徹底的な調査をさせよう。 東海村のような原子力の村で生じた事故にもかかわらず、村も県も国も事態の把握が何時間も出来なかった。何時間も何ら行動をとらなかった。住民は、ただただ放置され、被曝させられた。現場の労働者は会社からまともな教育訓練を受けず危険作業を続けさせられていた。そして致死量の被曝を受けてしまった。原発がある限り、原子力施設がある限り、事故は必ず起こる。現に日本では大事故が頻発している。今後も想いも寄らぬ形で起こるだろう。今回の事故からの教訓を出来るだけ多くの人々とともに学び取り、原発の無い社会を創り出すための運動をつくりだすことが求められている。 (Ym) <参考> 「核燃料の臨界安全」財団法人原子力安全研究協会(1984.12) |