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美浜事故の犠牲者たちに真にむくいるために――地元小浜市より

中嶌 哲演



美浜3号事故直前の小浜では
 小浜市民の会の隔月発行紙『はとぽっぽ』第143号を発送(市内・県内外へ約650部)した8月9日に、美浜3号の蒸気噴出 ・死傷事故が引き起こされた(起きたのではない)。
 本紙のNo.76で報告させていただいた「使用済み核燃料中間貯蔵施設の誘致の是非をめぐる小浜の運動」のその後の状況を、上記の隔月紙の巻頭言は要約しているので、その全文を引用しよう。

小浜市こそ「希望の灯台」に ────────────
 小浜市長選挙(7月18日〜25日)を目前にひかえた7月14日、市内全域に新聞折り込みしたビラ(昨春以来、4回目)の中で、わが小浜市民の会は以下のように呼びかけた。
 「『あとからくる者のために 苦労をするのだ 我慢をするのだ 田を耕し 種を用意しておくのだ 山を川を海を きれいにしておくのだ』(坂村真民『詩集・詩国』より)。
 わたしたち小浜市民は、かつて二度にわたって原発誘致を阻止して来ました。その根底には、美しいふるさとの自然風土と奥深い歴史や文化への誇りがあったように思います。今また、中間貯蔵施設の誘致をキッパリと拒めるのかどうか、市民一人一人の良識がためされているのだといえましょう。被ばくの危険と放射能まみれの金にほんろうされる若狭・県内・国内の荒海の中に、小浜市こそ、『あとからくる者のために』希望の灯台をうち立てる時ではないでしょうか」と。
 「若狭小浜の文化と自然環境を守る会」をはじめ、女性たちのめざましい支援活動、県内外の市民有志の励ましもあり、中間貯蔵施設誘致反対を明確にかかげた村上市長が誕生した。再選ではあるが、新生・村上市政を期待してやまない。
 もちろん、小浜市だけが潔白・孤高を貫くことなどできない。これまでも市財政は、大飯原発がらみの「危険負担・迷惑料」(大飯町の1/3に過ぎないが)に汚染されてきた。老朽化が進む大飯原発4基の大事故防止、早期の廃炉は、事実上の「地元・小浜市」の重要課題であろう。くり返し主張しているように、老朽原発の延命をくい止め、使用済み核燃料の増加そのものを抑えることが、青森県六ヶ所村への使用済み核燃料や再処理の押しつけを許さず、中間貯蔵施設の安易な建設をどこにも許さない何よりの保証となるだろう。そのことに寄与できる先進的なモデル・ケースを、小浜市民と村上市政は、とくに関西方面の市民や自治体とも連携しながら作り出して行かなければなるまい。
 その努力が、若狭小浜のかけがえのない自然と歴史や文化をふまえた「食のまちづくり」と、表裏の関係にあることは言うまでもない。(哲)

最多の犠牲・被害者は小浜市民
 3月市議会で中間貯蔵施設の誘致推進決議を強行した「浜友会」会長の杓子候補を、村上候補は11,806票対8,163票で破り、再選された。その選択をして間もない小浜市民に、美浜3号事故は、自らの良識に対する証明よりも、むしろ悲痛な衝撃を与えた。11名の死傷者のうち最多の6名が、小浜市民だったのである。好むと好まざるにかかわらず、15基の原発群に包囲された小浜市民は、その関連企業の網の目の中に深く編み込まれてもいることを、今さらのように思い知らされたのだ。
 当日は200余名もの下請労働者が定期検査の実質上の前倒し作業に従事させられていたこと、たまたま休憩時間中だったので大惨事をまぬがれたことなどが、事後報道で明らかにされている。明白な「人災事故」であり、死傷者たちは「犠牲者」であり、「人身御供」にされたも同然であろう。
 8月11日の小浜市民の会の例会で、その犠牲者たちに黙祷をささげたが、若狭の住民の中からいったい何人の「人身御供」を差し出せば、××は本当に目を覚ますのだろうか?―― という問いかけを禁じ得なかったのである。

目を覚ますべきは誰?
 「××」には、もちろん真っ先に関西電力や国を当てはめるべきであろう。その両者の安全管理システムそのものの腐朽化やその要因については、報道をはじめ広く言及されているので、ここでは「現地住民の視点」から、二、三指摘したい。
 いわゆる「目先の経済性」を優先してきたのは、必ずしも関電だけではない。福井県や若狭の地元自治体、各議会や産業界も、増設やプルサーマル・「もんじゅ」再開・中間貯蔵施設と、新幹線等々との取り引きに血道を上げてもいたのである。そうした姿勢が、関電や国に緊張感を失わせ、怠慢を肥大化させたことも否めない。それへの自省も必要だ。
 1980年代に原発下請労働組合が厳しい弾圧を受けながらも存在していた頃より、現在の下請業者・労働者の条件の方が後退し、過酷になっているのでは‥‥。
 ところで関西電力は、単なる私企業ではない。最上位の株主の中に、京阪神の主要自治体も加わっているはず!若狭の原発の年間約900億KWhの電力を消費(15基が立地する若狭地域の年間消費量は約12億KWh)している関西の企業・自治体・住民に対しても、「いったい何人の人身御供を差し出せば、本当に目を覚ま」してもらえるのだろうかと、問いかけざるを得ないのだ。

大飯1・2号が危ない
 今回の事故を、二次系の老朽配管とその点検体制にのみ矮小化し、風化させてはならない。そのような繰り返しは、もうウンザリであり、まっぴらゴメンである。
 140度、9気圧の蒸気噴出ですら、あの惨事が起きた。まして、350度、150気圧もの超高温・高圧と強烈な放射線にさらされる一次系の機器・配管の老朽・劣化は、重大で深刻、「予測できなかった大事故」など断じて許されないのだ。
 小浜市民の対岸部の大飯1・2号は、特に心配だ。ハイブリッド型・アイスコンデンサー方式のため、その格納容器は狭小で、1気圧弱の耐圧(他の大型原発は4気圧)しかない。交換不能な原子炉圧力容器の脆化も、その深刻な実態はきわめて不透明だ。
 大飯原発の防災対象地域10km以内の住民の70%をしめている小浜市民としては、関電との「安全協定」(事前了解・立入調査・損害補償の条項で、「地元・大飯町」に比べ、「隣接」扱いの不当な差別を受けている)の見直し・改定を迫っていきたい。

犠牲者たちに真にむくいるには
 現在、東京・霞ヶ関のビルの中で、「新長計・策定会議」の論議がくり広げられているが、そこで欠落している立場・視点を列挙して、注意を喚起したい。
●再処理か直接処分かの選択をめぐって、2046年までの使用済み核燃料の累計6.6万トンが前提されているのだが、既存の52基中1基のみが廃炉、50〜60年余の老朽炉となる37基の運転も折り込まれている!
●原発のみならず、核のゴミ施設まで過疎・辺境の地に押しつける構造の根本的な問い直しを(安全性、経済性等は云々されていても、「公正性」がすっぽり欠落している)。
●昨夏の東京電力管内の原発全面停止・停電なしの経験、そして今夏の関電管内の経験をこそ徹底検証し、原発の「必要神話」を究明すべき。
●省エネ・節電のさらなる具体化を。
●老朽原発の大事故・原発震災の未然防止を最優先せよ。
 今回の痛ましい犠牲者(人身御供)に真にむくいるには、上記の方途しかない。