福島原発労働で骨髄腫の労災請求
プルトニウム内部被ばくの疑い濃厚


 大阪在住の長尾光明氏(77歳)が、原発内の放射線被ばくによって多発性骨髄腫にかかっており、昨年(2002)11月8日に福島県富岡労基署に労災請求を行った。長尾氏は、1977年10月から82年1月にかけて、福島第一原発、浜岡原発及び"ふげん"で作業を行い、集積線量で70mSvを受けている。この被ばく線量は、白血病の労災認定基準の3倍に相当するほどに十分高いものであり、現に40mSvの慢性骨髄性白血病で労災認定された例もある。多発性骨髄腫も類似の骨髄のガンであることから、当然労災認定されるべきものである(この点については、阪南中央病院の村田三郎医師から詳細な意見書が提出されている)。ところが、この病名で労災認定された先例がないため富岡労基署では判断できず、現在は厚生労働省の判断待ちの状態にある。
 長尾氏を支援する運動は、医学的根拠とともに、当時の労働環境の面から被ばくの必然性、特にアルファ核種(プルトニウム)による内部被ばくを明らかにしようとしている。外部被ばくと違って、吸入されたプルトニウムは肺に沈着してから骨に移行して沈着し、10年以上の長年にわたってアルファ線で細胞を傷つける。福島第一原発で内部告発のあったアルファ核種が存在した時期に、長尾氏は2号機で働いていたからである。この面からは、被ばくがけっして長尾氏だけにとどまらないという、問題の普遍性を明らかにするであろう。7月末に厚生労働省交渉や東電交渉などが予定され、支援運動が具体的に動き出そうとしている。

長尾氏はおもに福島第一原発2号機で被ばく
 長尾氏は1986年1月に定年退職してから92年までは特に体調に問題はなかった。ところが、93年に血圧に変動があり、退職8年後の94年頃から首に痛みが起こるようになった。98年には第3頸椎病的骨折のために手術を受け、「多発性骨髄腫」と診断された。その後、左鎖骨も病的骨折で手術を受けるなど、現在まで厳重な医学的監視が必要な状態にある。骨髄のガンである破骨細胞によって骨の融解が起こるということで、まさに放射線の影響がじわじわと身体をむしばんでいるような印象を受ける。
 長尾氏の集積線量の約85%は、福島第一原発2・3号機での作業で受けており、さらにそのうち2号機で、全70mSvの約75%を受けている。2号機での作業期間と被ばく線量は、77年10月〜78年1月(16.7mSv)、79年1月〜6月(17.0mSv)及び81年9月〜82年1月(19.5mSv)となっている。これら線量はすべてガンマ線による外部被ばく線量である。
 政府の統計によっても、福島第一原発での被ばく線量は全原発の約6割を占めており、しかもちょうど長尾氏が働いていた1978年頃に急増して、その後容易に低下しないという傾向にある。この政府統計の線量はすべてガンマ線による外部被ばく線量で、内部被ばくは入っていない。

政府はアルファ内部被ばくを頭から否定
 ところが、昨年9月に当会に寄せられた内部情報によって初めて、福島第一原発1号機がアルファ核種によってひどく汚染されていたことが明らかになった。東電などは20年間もこの恐ろしい実態を隠してきたのである。1978年の第6回定検で6体の燃料集合体にひび割れが見つかっており、そこから冷却水中にアルファ核種が放出されたと推察される。ちょうど政府統計の被ばく線量が急増したときとまさに一致している。このとき1号機で働いていた人は、アルファ核種(プルトニウム)を吸い込んで、内部被ばくを受けた可能性が高い。
 この点を私たちは昨年来原子力安全・保安院との交渉で詰めてきた。ところが彼らは、アルファ内部被ばくはなかったという。なぜなら、労働者はマスクをしていたから、「放射線作業許可書」のマスク着用という項目にチェックが入っているからだという。また、吸入したアルファ核種の検出は、ホールボディカウンターではガンマ線が弱いためできないので、尿検査などのバイオアッセイで見る、ベータ核種を吸入した恐れのあるときにそれを行うという。では、それを行ったことがこれまであったのかと聞くと一度もなかったという。結局、マスクをしていたはずだから内部被ばくはあり得ないという前提で、ガンマ線による外部被ばくしかないとしてきたのである。

長尾氏がアルファ内部被ばくした可能性
 ところがここに、アルファ核種が存在したという内部告発とともに、まさに軌を一にして、その福島第一原発で被ばくした長尾氏という具体例が現れたのだ。長尾氏は、格納容器の外ではマスクなどしていなかったという。これだけで政府のマスク着用前提は崩れてしまう。もし長尾氏が1号機で働いていたとすれば、アルファ内部被ばくを受けたことは否定できない。
 ところが、長尾氏は1号機ではなく、主に2号機で働いていたのである。それでは、2号機にはアルファ核種はなかったのかと言えば、実はここにも存在したことが2つの点で裏付けられる。第一は、内部情報でもたらされた東電作成の資料(1981年12月)「スタックからの放出放射能の低減に関する検討結果について(松葉作戦)」(以下「松葉作戦」として引用)の2頁に、「2号機は1号機に比べ炉水中のα濃度が約1桁低い」という記述がある。「約1桁低い」とはいうもののアルファ核種が冷却水中に存在することを認めている(2号機では77年3月に6体で燃料破損発見)。第2に、同じ「松葉作戦」の付録グラフを見ると、2号機タービン建屋からの排気の中にアルファ濃度が検出されている。その時期は1981年の3月末と6月初めの2点である。他の時期にもアルファ核種が排出されていたに違いないが、東電はアルファ濃度の検出限界値をわざと引き上げて、見えないようにしている。このことは政府から入手したデータより作成したグラフから明らかである(グラフ参照)。長尾氏が最後に働いたのは、ちょうどこの後の1981年9月からであった。
 それでは長尾氏は、2号炉で実際に問題になるほどのアルファ内部被ばくを受けたのだろうか。通常ならガンマ線源がないと思われる原子炉建屋内地階のサプレッション・チェンバー上での作業を調べてみよう。サプレッション・チェンバーは事故が起きたときに原子炉から格納容器内に漏れ出す蒸気などを導いて圧力を下げるための装置であって、普段は冷却水とは何の関係もない。ここで長尾氏は1981年11月と12月に1日1時間で計27時間作業し、13.9mSvの外部被ばくを受けている。これだけの被ばくを受けるためには、どれだけのガンマ核種密度が床面に必要かと計算してみると、約0.36μCi/cm2である。これは許容密度の約360倍にも相当する。このように、長尾氏の被ばく線量自体が、汚染状況を如実に示す貴重なデータなのである。
 なぜこんなに多くのガンマ核種(主要なのはCo60)がこんな場所にあるのかは明らかでないが、事実として前記「松葉作戦」によれば、1号機では原子炉建屋の各階のうちでベータもアルファも最も高い密度が測定されているのがまさにこの地階なのである。長尾氏によればここはいつも「じめじめした感じ」のところだという。地階の上の方には主蒸気配管が走っており、そこのどこかから蒸気が漏れだしているとすれば納得できる。事実、2号機タービン換気系のベータ濃度は運転中になると上昇している。そうすると、冷却水中のガンマ核種とアルファ核種の比率に近い比率で床面にアルファ核種も存在することになる。アルファ比率が1号炉に比べて約1桁低いとしても、ベータ・ガンマ核種量が大であればアルファ核種も相当な量になる。それが空気中に舞い上がり内部被ばくを引き起こす。その内部被ばく線量を計算してみると、ここの作業だけで約66mSvとなり、全作業での外部被ばく線量70mSvに匹敵するほどになる。

アルファ濃度が検出されたときは横棒が示す検出限界値が下げられていたが、その直後の頃から引き上げられ、東電自身の松葉作戦・α濃度目標値は完全に無視。これではα核種が存在しても見えない。

長尾氏支援の輪を広げよう
 このような労働環境を明らかにすることは、長尾氏の労災認定を勝ち取るための内容的支援になるとともに、同じ福島第一原発とりわけ1号機で働いていた人たちに労災認定請求を促すことにつながるであろう。そのためにも、長尾氏の労災請求を認定させることが第一に重要である。
5月17日には地元福島県富岡町で、双葉地方原発反対同盟などの主催による支援集会が開かれ、村田医師が医学的根拠について、当会代表の小山がアルファ汚染の状況について講演した。その後東京で、安全センター関係、労働運動関係及び市民運動関係が集まり、支援活動を広げる方向が打ち出されつつある。7月末に、厚生労働省交渉や東電交渉などを行う方向が目指されている。
幸いにして長尾氏は身体がしんどいながらも元気で、労災認定を勝ち取るためには何でもするという意欲に満ちている。当時の作業の実態を技術用語など使い、図を書きながら楽しそうに語ってくれる。ワープロを使って作業場所の図面を作ったり、作業日程などを書いたりして渡してくれる。長尾氏の意欲に応え、労災認定をぜひとも勝ち取り、認定の範囲をさらに広げていこう。