逃げる裁判官
福冨弘美
■土日P国賠一審の敗訴■
1999年11月26日、「土日P」国賠判決。
2千ページの判決書、75万字余に及ぶ文字の集積は、何を伝えようとしているのだろうか。記録の量が膨大なのだから、驚くほどの分量ではないが(「総監公舎」国賠一審判決のちょうど2倍)、うんざりする程度の厚みがあることは確かである。しかも、内容はひたすらに空疎、すなわち無内容ときている。
◆無罪=違法でない=適法という論理
しかし、当日、報道用に配布されたB41枚=0.06万字ほどの「判決要旨」には、その全容が見事に集約されており、あますところがない。翌日の朝日新聞は、この要旨の主要部分をそのまま引用して判決のなかみを次のように紹介した。
「市川裁判長は『刑事事件で無罪判決が確定したからというだけで、警察官や検察官の公権力の行使が直ちに違法になるわけではない』としたうえで、捜査段階の関係者の供述について『任意性や証拠能力がなかったとまではいえない』と、逮捕起訴の違法性を否定した」
刑事一審の無罪判決が、各紙の1面と第1社会面のトップを賑わせたこの事件の国賠判決は、時を経て第三社会面の片隅に3段見出しの扱いとなった。私がチェックした限り、他の全国紙ではすべてボツ、わずかに神奈川新聞に共同通信配信のベタ記事が掲載されていた。これほどにくだらない判決は、確かに報道するに値しないかもしれない。しかし、判決があった事実すら伝えられないのは、やはり問題といわねばならない。そして、原告側の声明やコメントを一切無視して判決要旨だけに基づく記事が掲載されたこともまた、大いに問題である。
◆幻影の原告側主張を切り捨てる
10数年を要した刑事裁判で無罪が確定した後、1988年の提訴から11年余の間争われてきた国賠訴訟が、「無罪判決が確定したからというだけで、公権力の行使が直ちに違法になるわけではない」と結論づけられて原告敗訴になるというべらぼうな話が、せいぜいその要旨だけが紹介されて片づけられてしまう。一体全体、どこの誰が「無罪が確定したんだから違法だ、つべこべ言わずに賠償金を支払え」と主張したというのか。無罪事件の国賠訴訟で、無罪確定=公権力行使の違法という論理を展開した原告がどこかにいたというのだろうか。
刑事事件で無罪が確定したといっても、そのなかみはさまざまであり、当然、犯罪を犯した事実が明白でありながら刑事責任能力を認めなかったケースなども含まれる。刑事裁判は、有罪か無罪かを判別し、有罪と認められる場合に刑事責任を問う手続きであって、いくらこの国の無罪率が微小だとはいえ、無罪判決は想定内の結果である。すべての無罪事件について、逮捕勾留起訴公判維持など被疑者被告人の人権を侵害する公権力の行使が違法であったとは誰も考えない。だから、無罪確定というだけで直ちに違法になると主張して国賠訴訟を始める者はいない。それどころか、無罪事件のほとんどで国賠訴訟などは提起されない。そんな単純な理論構成で国を相手の戦いができるわけもなく、国賠といえば負担と犠牲ばかりが多くてあまりにも間尺に合わない訴訟であることが常識となっているからである。
そもそも、市川頼明裁判長(+黒津英明岩井直幸裁判官)は、こんな結論に到達するのに11年もかかったというのか。それだけのことを言いたかったのなら、せめて口頭弁論開始後数か月程度で結論をだすべきだったのではないか。言語に尽くせぬ労苦の果てにやっとこさ無罪をかちえた冤罪者にとっては、門前払いをされたほうがよほど親切というものである。もっとも、この人たちに冤罪事件の犠牲者に親切にするつもりがある、などと想定してはいけないのであろう。
◆国賠裁判は官憲の意趣返しの場か
愚劣な呪文、とでもいうほかないこの台詞は、芦別国賠最高裁判決以来、裁判所が請求棄却のために愛用する常套句である。その呪文を唱える者をとらえた呪縛が、刑事裁判で労苦を重ねてきた冤罪者に、負荷をより極大化することを求める結果を招く。公権力が威信を賭けた刑事裁判で、徹底的に争い勝利するためには長期化が避けられず、記録も膨大な量に達して国賠の民事裁判も長引く。
1971年から72年にかけてフレームアップが行われ、一審で原告敗訴が出そろった「総監公舎」「P缶」「土日P」の三つの国賠は、請求原因(損害)発生後30年になろうとしている。ありていに言えば、刑事裁判で有罪を獲得できなかった意趣返しを民事裁判所が肩代わりし、被害者の苦痛の増幅を図っているようなものである。異常にして異様な事態といわなければならない。「総監公舎」国賠の一審判決は、原告側主張を読まないことによって成り立つものであって、勝手に単純化戯画化した「原告主張」なるものを検討対象とし、あらかじめ粉砕されていた理屈を臆面もなく駆使して勝手な判断を加えている。土日P判決で、どんな手口が使われたのかは部外者なので詳らかにしないが、芦別国賠以来の請求棄却判決にみられる基本パターンが繰り返されていることは間違いない。
フレームアップ事件を解明するうえで不可欠な、全体と個別の事象を有機的連関のなかで捉える視点を排除し、問題をこま切れに切り刻んだうえで、個々の官憲の行為や虚偽自白の断片を、「合理性がないとはいえない」「必ずしも不自然とはいえない」「問題はあっても違法とまではいえない」といったあいまいな用語によって処理していく手法である物事を細分化し、何らかの基準があるわけでもないのに程度の問題にすり替え、「その程度では国賠法上の違法とまではいえない」とする。あるいは、警察の密室内の出来事について、違法な取調べが行われた証拠がないと切り捨てる。
◆官憲は不正を働かないという「定説」
その前提にあるのは、警察官検察官は不正を働かないという予断にほかならない。不正を働くことも、予断に凝り固まって重大なミスを犯すこともあるという可能性は、捜査官らの自白でもないかぎり認めない。神奈川県警の警察官らは、自白したから別だということになる。
要は、被疑者がその犯罪を犯した可能性を排除したうえで、被疑者取調べを開始するようなものである。そして、何故虚偽自白が生まれたか、その理由や原因は知ったことではないという立場をとる。とにかく被疑者には自白がある。虚偽であろうがなかろうが、自白があるからには、それを信じた官憲に過失はない、つまり違法にはならないという屁理屈である。
◆虚偽自白はありえないという「定説」
土日Pの刑事審で、無罪判決に対して控訴した検察官は、こんな屁理屈で一審判決を批判している。
「自白した者らは、重大かつ凶悪な本件各犯行への加功を自白した場合の影響については十分認識、判断していたのであるから 本件犯行に関与していない者が自白するなどということはあり得ない。とりわけ、同人らの多くは犯行当時、革命思想、反権力思想を有し、取調べに黙秘することや警察等の権力機関に一切協力しないことを金科玉条としていた過激派であるから、本件各犯行につき、自己の刑責を認めて自白したこと自体、基本的にその自白の信用性が高いことを物語っているとみるべきであって、原判決は右の点についての配慮に欠けている」
土日P事件で重要な虚偽自白をさせられた人々のなかに、「革命思想反権力思想」や「過激派」と程遠い立場にあった人が少なからず存在したという客観的事実はさておくとしても、ここに、20世紀を終わろうとする現代を生きる人間の知性や理性が片鱗でも認められるだろうか。そこに認められるのは、わがまま放題に育ったガキが思いどおりにならない世の理不尽を糾弾するわめき声の響きである。
強大な権力を手中にした無能なサラリーマンが、同輩を守らねばならぬという職務遂行上の使命感から書いた文章にすぎないといえばそれまでだが、実はほとんど全く同じ文章が「総監公舎」国賠でも国の主張として使われている。従って、これは法務省検察庁が金科玉条とする統一見解といわねばならない。「一定の学歴のある者が、犯行に関与していないのに自白することはありえない」「まして、反権力思想を持つ者が自白した場合、その事実は重く自白の信用性は高い」、すなわち個々人の資質、置かれた状況、取調べ方法などは一切捨象されなければならないという「定説」である。
◆官僚の無責任を支える自己責任
刑事控訴審で一蹴されたこのような主張が国賠訴訟の裁判官には容認される。理由は二つある。一つは、検察官が求めた「配慮」である。検察官あるいは国の求める配慮には同じ役人として、同じ組織の中で生きていくうえでの都合不都合が含まれよう。二つにはそうした配慮よりも先に、現実の法廷でもろもろの事実に向き合わなければならない刑事裁判の緊張感が、民事裁判には欠けていることがあるだろう。今や命がかかっているわけではない、しょせん金額で物事が表現される世界なのである。苦労ついでに、あえて訴訟を起こした原告をがまんさせればよろしい、あえて波風を立てるまでもない、という配慮と無責任さがその背後にはある。
特権を持つ側が、だれも具体的な責任を取らないシステムを支えるためにこそ、特権を持たない側の「自己責任」が強調され、押しつけられるといういう、この国で昨今流行の「定説」がここにも顔をのぞかせている。
◆逃げない裁判官
もちろん刑事民事を問わず裁判官もさまざま。「検察一体」が命の検察に対し、「自由心証」がたてまえとされる裁判所という職場の違いもあるが、すべての裁判官がゆがんだ心性の持主であるわけはない。例えば、99年9月の甲山判決。検察のあがきに止めを刺した大阪高裁の河上元康裁判長の判決文は、健全な常識と明晰な論理に貫かれている。私は傍聴することができなかったけれど、聞くところでは彼は法廷でその判決文あるいは判決要旨を読み上げたのではなく、そのなかみと結論に至る根拠について、当事者傍聴人に対し、ざっくばらんに話しかけたのだという。
システムを問題にしていくときも、私たちは固有名詞を軽視してはいけないだろう。イデオロギーや「思想」や趣味は、関係ない。事実と論理に対して、事実の集積としての人間の歴史たとえば、世界中で人権が踏みにじられてきた歴史に謙虚であるかどうかが問われるのだ。私自身の11年間の刑事裁判を通じても、私は少なからぬ数の裁判官との間に、事実を明らかにする作業を通じて人としての信頼関係を確立できたと考えている。私のリストには河上元康という名が加わった。
一方のネガティブリストには、わが国賠一審とP缶(井上)国賠一審判決に関与した園尾隆司、永井秀明、渡邊千恵子といった名、あるいは松永国賠上告審で全員一致で差戻し判決を出した最高裁第一小法廷の諸君(大内恒夫、角田禮次郎、佐藤哲郎、四ツ谷巌、大堀誠一)などなど、その他、延々とつづくリストに前記今回の三人が加わる。土日P裁判では、大久保太郎という名も甦ったことになる。1983年、東京地裁刑事9部で土日P事件の裁判長だった彼は、合議に敗れて意に反する無罪判決を読み上げる立場におかれた腹いせに、証拠に基づかず、法的根拠もない「所感」を述べて元被告人諸君を誹謗中傷した。刑訴法の精神に反して、被告人に対する疑いは残っているなどという個人的感想を判決後につけ加えたのだ。その所感が、今度の原告敗訴判決を導く足がかりとなった。いま改めて検察への「配慮」がすべてに優先したのである。
無責任の体系としての官僚組織の匿名性の蔭に、それらの名を埋没させてはならない。老化すると、叙勲したりもするのだから。裁判を裁判官の善し悪しで当たりはずれの出るものと考えるのは間違っている。どうせしょっちゅう異動があるから「当った」と思って安心していられるわけでもない。しかし、事実と向き合うことを最初から回避し、そのために証拠と論理の世界から逃げ出してしまう類の判決に遭遇する羽目になったときは、少なくともその恥知らずな屁理屈の実態を、引き続く上級審で暴露し、裁判記録に明確かつ露骨にとどめていくとともに、すこしでも広く世間に知らしめていく必要があるだろう。
■「総監公舎」国賠の近況■
一部勝訴、実質全面敗訴という判決を受けての控訴審(東京高裁19民事部)は、原判決の虚構を克明に解体する主張の展開につづき二瓶君に対する一審原告本人質問が行われている。打ち合わせの席上、原判決はおかしい んじゃないか、と裁判長が言いだし、ペーパー上の審理だけで済ませることの危険を感じていた当方の考えと一致し、被告の一部(東京都)の反対を押し切って一審原告二人に対する本人質問を行うことになった(被告本人質問は、辞退したので行わない)。ところが、その裁判長がその後異動してしまい期日が大きくずれ込んだ。
◆3時間の尋問に7か月かかる高裁民事
高裁の民事で連続的に尋問を行うのは、速記官の配置が十分でないこともあって、おおごとになる。昨年4月に1回わずか1時間の尋問期日を入れたところ、3回目は2000年に突入することになってしまった(2月3日)ちなみに地裁の刑事では、重要な警察官検察官証人や本人質問は、1日4〜6時間で10回前後の日程を半年程度でこなしてきた。こんな調子でもう一人分をやったのでは今年一杯かかってしまうので、悩んでいる。
◆隠匿証拠の提出迫る提出命令申し立て
尋問と並行して、前回期日(991118)に文書提出命令の申し立てを行った。これによって、無罪事件国賠に血路を開きたいと考えている。
身柄拘束の口実に使われた別件(自動車窃盗事件)自体がでっちあげられた総監公舎フレームアップでは、多数の証拠が隠匿されつづけ、それを明るみに引き出す戦いが刑事裁判冒頭から一貫して行われてきた。その結果被疑者供述調書は否認調書を含めて、ほとんど提出されたが、未だに初期捜査段階のアリバイ関係をはじめとする無罪証拠、逮捕強行のために作られ、違法捜査を証明する捜査報告書などが隠されたままとなっている。この国の刑事司法には、フェアプレー原則が存在しないので検察が不都合な証拠を隠匿することは禁止されていない。
それらの証拠が法廷に出されたならば、刑事裁判の公判維持そのものが不可能となったはずであり、国賠訴訟も一気にカタがつくこと必定と原告側は主張しつづけてきた。刑事裁判に続き、国賠一審でも、原告側はその一部について提出命令を申し立てたが、裁判所はそれに対する審理をせず判決の最後に「申し立ては必要ないものと認め却下する」と処理した。申し立て自体について審理せず、判決で却下することによって抗告の機会も奪うそのような処理は明らかに違法であるという最高裁判例も見つかった。
◆新民訴法で文書提出は一般義務化
相手方が審理に必要な証拠を所持していながら提出しない場合、裁判所は提出を命ずることができる。命令を拒めば、申し立てた側の主張が事実と見なされる。という民訴法の規定は、従来は「例外規定」だった。民訴法は、基本的に契約関係をめぐる争いを想定しているため、当事者の一方が所持している証拠を、その意思に反して強制的に出させることにはきわめて慎重な規定となっていた。これが、昨1999年1月に施行された改正民訴法では、提出義務を一般義務化した。公正で迅速な審理を行うために、証拠収集方法は拡充されるべきであり、立証に必要不可欠な証拠は原則的に提出義務があるということで、提出命令を出しやすくしたのだ。
おそらくPL法や情報公開法の制定(全く不十分ながら)という「国際化」への流れのなかで、とくに医療過誤薬害訴訟や特許訴訟など、専門知識を必要とするとともに、一方の当事者に証拠が偏在し法廷への提出を拒む傾向が強い場合、必要な証拠をスムーズに法廷に出すようにしようという当たり前のことが常識化しつつあるのだろう。まだ、国賠が念頭におかれているとは考えられないが、「総監公舎」に限らず、およそ証拠の偏在が際立っているのが無罪事件の国賠といえる(財田川事件の再審では、トラック一杯の未提出証拠が出てきたという話がある)。これを例外にする理屈は成り立たない。総監公舎裁判でも刑事民事をとわず、検察国側が隠匿証拠を開示できない合理的理由を示したことは一度もない。
◆証拠隠しがなければ刑事裁判もなかった
今回は、別件と本件の逮捕状請求書添付資料目録、同じく警察から検察への送致記録目録、初期捜査記録のうち無罪証明につながるものなど23点に提出命令を発動することを新民訴法に基づき要求した。別件の逮捕状請求資料には、虚偽で塗り固めた捜査報告書が含まれ、初期捜査資料としては、総監公舎事件発生当日のうちに後に「犯人」とされる者のうち数名のアリバイをはじめとする無罪証拠が存在する。また、検察への送致記録目録は検察官の起訴という職務行為の適否を判断するうえで、いかなる判断材料があったかを知ることは必要不可欠であるとの原告側主張に対し、裁判所も当初は強く開示を勧告していたものだ。
決定的な証拠を検察国が公権力を利用して隠匿しつづけ、それによって訴訟が何十年もつづく、結果として犠牲者が困窮するだけでなく、莫大な国費が浪費される(被告代理人は20人を超える)という事態をいい加減に終わらせなければならない。
■『突破者』訴訟の報告■
1996年10月に発刊され、ベストセラーとなった宮崎学『突破者戦後史の陰を駆け抜けた50年』(南風社刊、その後幻冬舎文庫にも収録)で、福冨弘美を実名で登場させて虚構の出来事を記述した問題で、福冨が謝罪広告等を要求している名誉きそん訴訟。
◆またもや、でっちあげられる
問題の記述を要約すると以下のとおり。
「著者が週刊現代の記者だった1970年代、凄惨な殺し合いがつづいた革マル対中核の内ゲバの取材をした。当時、やはり記者だった福冨とともに革マルの拠点である動労で、革マルの大幹部である松崎明委員長を取材したところ、インタビュー後、福冨が『革マルなんか殺されてあたりまえだ』と口走ったため、殺気だった革マルの連中に取り囲まれた。なんという奴だと驚かされたが、その後、総監公舎の爆弾事件で福冨が逮捕されたので、なるほどと合点がいった」。
当時、福冨は内ゲバや革マルの取材などしたことがなく(依頼されても間違いなく断っていた)、宮崎なる人物を知らず、一緒に何かの取材をした事実もない。記述は真っ赤な虚構であると抗議をすると、本人は、直ちに動労には自分一人で行ったと認め、口頭で陳謝した。その後の交渉を経て、数か月後の増刷分から本文中の同行記者の名を出さずに、「ある記者」とし、あとがきで「記憶違い」を福冨に陳謝する「修正」がなされたが、すでに出回った分、図書館蔵書等に対する措置については何をする気もないことが明らかになったので全国紙での謝罪広告と損害賠償を求める訴訟を提起した。
◆実名で実録という名の虚構を書くな
国賠に直接の関係はないが、なんでまたまたでっちあげをされなきゃならないのか、実録を売り物にした本で、話をおもしろくするために実在する人物について安易に虚構の人格を捏造し、流布する行為を認めるわけにはいかないという訴訟である。
著者が何も知らないで書いた福冨という人間は、たまたま理由あって「内ゲバ」については頑固な見解を持っている。どこにも肩入れせず、暴力的解決を根本から否定するだけでなく、敵対者を殺傷することはもとより、国家による死刑制度も認めないことを信条とし、公言してきた。革マルは全然好かないし知人もいないが、中核と同様殺されていいとは断じて思わない。また自分で殺すつもりもないに「殺されて当然」などとは決して口にしない生き方をしている。
◆虚構を事実と言いだしたが自滅
訴訟が始まると、被告側は、これは長年裁判闘争を戦っている原告に敬意を払った記述であり、また70年代初頭の時期には学生運動OBは「殺されて当然」というような言い方で、酒の席などで内ゲバを批判していたものだ、従ってこの書き方は名誉きそんには当たらない、などとトンチンカンもきわまる主張をした。
福冨は「学生運動OB」などという立場で何かを発言したことも、酒の席で内ゲバ問題を論じたことも一度もない。そういったパフォーマンスは、根本的に趣味に合わないからありえないのである。
加えて、被告側は増刷版でお詫びした虚構の出来事を事実だと主張しはじめた。仕方ないので、総監公舎事件で逮捕されるまで中核vs革マルの戦争状態は始まる前だったこと、動労はもっと後の時期まで日共社会党中核革マルその他の活動家が同居する組織であり、松崎という人物が委員長と名のつく地位についたのは後年であること。また、革マル派が、大衆団体の虎の子の幹部に党派闘争に関する見解を言わせることもありえないことなどを事実に基づき具体的に指摘した。
◆「謝罪の文言賠償額は裁判所に任せる」
双方の本人質問を行うことになり、原告に対する尋問が終わった後、宮崎尋問を前に裁判所は職権で和解協議に入ることを決めた。協議のなかで、裁判所に和解条項に盛り込む謝罪の文言と賠償金額を示すように指示された被告側は、結局、文言も金額も裁判所におまかせしますと言いだした。書いた事柄は事実だ、という主張がどうなったのかはわからない。
和解に入ってから、裁判長が異動してしまったため、当方は、問題点を再整理した準備書面を和解協議の都度事前に提出したが、和解と決め込んだ裁判所はこれすら読もうとしないことがわかった。
◆和解不調で次回に宮崎尋問
前回協議で、当方は原告要求を全面的にのまないのであれば、弁論再開=宮崎尋問実施を主張、結局、和解協議をいったん打ち切りとし、次回に宮崎被告本人質問を行うことになった。国賠訴訟で多忙をきわめるなか、意味のない和解協議に半年近く無駄につかったことになる。
(2000年1月記)